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エンジェル・ベアー

5月3週目の土曜日。


「何で俺はここにいるんだろう…?」


俺は狭い視界からよく晴れた空を眺めながら、自問自答していた。


いよいよ強くなってきた初夏の日差しを俺は()()()()()を通して一身に浴び、早くも背中に汗が滴り落ちるのを感じていた。


「せん…、いや、()()()()()()()()ちゃん?大丈夫…かな?」


恐る恐る声をかけてきたのは、

半袖、ピンクのミニスカートに丈の短いエプロン、ハイソックス、スニーカーといった有名なドーナツメーカー、エンジェルドーナツの制服姿の森野だった。

薄く化粧をしているせいか、いつもより少し大人びた雰囲気になっている。

といっても、中学生からやっと年相応になったレベルだが。


そして俺は、エンジェルドーナツのメインキャラクターである、エンジェル・ベアーの着ぐるみを被っていた。



今日の俺達の仕事は、ショッピング複合施設の店頭で、ドーナツを売るというものだった。


「もう汗が流れてきて、背中が気持ち悪い…。これから6時まで、店頭か…。」


エンジェル・ベアー姿の俺は小さく零した。


「先輩。着ぐるみですものね。キツくなったら、すぐ裏行って、水分補給して下さいね?熱中症になったら大変ですから。」


森野は気遣わしげに言った。


「あっ、お客さん来ましたよ。」


森野は向こうから歩いてくる、子供連れの若い

母親に元気よく声をかけた。


「いらっしゃいませー!エンジェルドーナツ

はいかがですかー?ただ今5コセットお買い上げのお客様にエンジェル・ベアー風船差し上げてますよー。」


「あ。エンジェル・ベアーだぁ!」


母親と一緒にいた4才位の女の子が、俺に向かって、ドーンと突進してくる。


慌てて受けとめたが、結構な衝撃だった。


「ねね、エンジェル・ベアー好きだもんね。会えてよかったねー。」


母親はその様子を微笑ましく見守りながら、

森野に話しかけてきた。


「買うと風船もらえるんですか?」


「はいー。5コセットお買い上げの方に差し上げていまーす。今ならキャンペーン価格の500円でーす。お得ですよー?」


森野は営業スマイル全開でセールストークを口にした。


「へぇ、今日安いんだぁ。そしたらお昼に買って行こうかな?」


「ありがとうございまーす!お会計はセンター内のレジでお願いしまーす。

お嬢ちゃん、エンジェル・ベアーちゃんから風船もらっていってね。」


「わーい!」


俺はワイヤーラックに結んである熊の顔の形になっている風船を一つとって、女の子に渡してあげた。


「エンジェル・ベアーありがとう!ばいばーい!」


嬉しそうに風船を受け取る子供に手を振って親子がセンター内に入っていくのを見送ると、

森野がガッツポーズをとり、小声で話しかけて来た。


「先輩、やりましたね!バッチリですよ。この先もこんな感じで行きましょう!」


「あ、ああ…。そうだな!」


人生で初めて着ぐるみを着るという体験に呆然としていた俺だが、幸先のよいスタートを迎え、少しテンションが上がってきた。


❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇


午前12:00。

行列ができる程ではないが、あれから、若い世代や家族連れを中心にお客は途切れることなく続き、午前中にしてなかなかの売り上げを記録していた。


店頭に立ちっぱなしのキツイ仕事だが、商品のドーナツが売れていて、気分が上がってることもあり、疲れが気にならなかった。


しかし、そんな俺に森野は心配そうに訊いてきた。


「先輩、お仕事始まってからから全然水飲み休憩行ってないけど、大丈夫ですか?私見ていますから、今、少し行って来たらどうです?」


「大丈夫大丈夫。あともうちょっとで昼休憩だろ?それまで頑張れそうだ。」


「本当に大丈夫ですか?ちょっと足元ふらついてますよ?」


「そんな事ないって。ほら、森野はそっちからお客の呼び込みやってくれよ。」


「ああ、ちょっとぉ!」


なおも心配する森野をドーナツを載せているワゴンの前に押しやった。


とはいうものの、正午になり日差しは更に強く、着ぐるみの中はサウナ状態だった。中は全身汗だくで、顔の汗も拭えないのが辛い。

顔がほてっているのを感じる。

あと30分したら、本当に休憩しよう。

そう思った矢先。


ボーッとしていた俺は横から勢い良く走ってくる小さい影に気づかなかった。


「エンジェル・ベアーだ!」


5,6才位の男の子達に二人いっぺんに飛びつかれ、俺はバランスを崩して後ろに倒れた。


「きゃっ!」


その勢いで、ドーナツの入ったワゴンが倒れて、中のドーナツがいくつか地面に散乱した。


「あっ、何やってんの!あんた達ーっ!!」


その子達の母親らしき人が慌てて、駆けてきた。


「すいませーん!大丈夫ですか?」


「だっ、大丈夫!?」


森野は慌てて、子供達と俺を順に引き起こした。


俺はクラクラする頭を押さえながら、親子に話し掛けた。


「大丈夫です。君達ケガはないかな?」


「うんっ。」


「平気ー。」


「あんた達はもぅっ!ちゃんと謝りなさい。」


母親は両手で男の子達の頭を下げさせると、自分もペコリと頭を下げた。


「本当にすみませんでした。」


母親は何度も謝り、落ちたドーナツの弁償を申し出たが、俺達が、それを丁重にお断りすると、申し訳なさそうにペコペコ頭を下げ、子供達を促し去って行った。


森野は倒れたワゴンを引き起こし、落ちたドーナツを拾い上げた。

袋詰めになっているため、全部がダメになってはいないが、ボロボロになってしまったものは売り物にならない為、脇によけて後で自腹買取をする事にした。


「森野、すまない。ちょっとボーッとしてて…。」


気まずい思いで俺は森野に謝った。


「……。先輩、歩けますか?ちょっと来て下さい!」

「え、お、おい…!」


森野は俺を軽く睨むと、俺の腕を強引に掴んで店の裏口からバックルームに連れて行った。


そしてエンジェルドーナツの在庫のある辺りに置いた森野の私物の中から、スポーツドリンクとタオルを取り出すと、俺に渡して言った。


「もう、ここはいいですから、先にお昼休憩をとって休んでいて下さい。強がって無理をすると、本当に倒れますよ?

そうなったら、私も困っちゃいます。」


「わ、分かった…。すまん。」


いつになく、厳しい表情の森野に俺は従うしかなかった。


着ぐるみの頭をとり、森野に背中のジッパーをおろしてもらうと、ようやく一息落ち着けた。

スポーツドリンクを一口飲むと、体に沁み入るようにうまい。


体の状態が落ち着くと、段々と自分自身が情けなくなってきた。


「俺は格好悪いな。ヘマばかりして。一つの失敗を取り返そうとして、更に失敗を繰り返している。自分の失敗を一人で片付けられず、君に迷惑をかけてばかりだ。本当に情けないよ。」


森野は目を丸くした。


「先輩。何を言ってるんですか?もしかして、落ち込んでいるんですか?らしくないですねぇ。」


らしくなくて、悪かったな。俺だって落ち込む事ぐらいあるよ。


そう反論する前に森野は可笑しそうに言った。


「最初から完璧に出来る人なんか、いませんよ。むしろ、私は先輩の最近の頑張りはすごいと思っています。一人じゃ何も出来ないお坊っちゃんだと思っていたのに、家事でも、バイトでも、初めての事にどんどんチャレンジしていて!

今日だってキツイ着ぐるみの仕事を文句も言わず、ちゃんと、こなしてたじゃないですか。私、感動しましたもん!

ふふっ、まぁ、その格好、学校の女子には見せられないですけどね。イケメンが台無し…。ふははっ。」


「うるさい…。」


着ぐるみを脱いだ俺は汗だくで、髪はボサボサ、顔はゆでだこのように真っ赤になっており、それはひどい有り様になっていただろう。


「あは、あははは…。ご、ごめんなさい。ツボに入っちゃって…い…いつもとのギャップで…ふふふっ、と、止まらなくて…あははは…!」


堪えきれず、お腹を抱えて笑っている森野を俺は憮然とした表情で見守る。


ひどい事を言われているのに、全然腹が立たない自分に腹が立つ。


もっと怒れ、俺!プライドはないのか?

バイトの制服が少し似合ってるぐらいで見惚れたりするな!

こいつは生意気で色気がないあの森野なんだぞ?

顔を真っ赤にして八重歯を出して笑っている姿を可愛いと思ったりするな!

こいつは俺をバカにしてるんだぞ?


「あー、久々にこんなに笑ったー。ホントすいませんでした。」


ようやく笑いが止まり、涙目になっていた森野が親指を立てて言った。


「でもね、先輩。出会ってから今までで今日がピカ一カッコイイですよ?」


「……!!」


「じゃ、私もう少しだけ表にいるんで、何かあったら言って下さいね。後で、買取したドーナツ持ってきてあげますね。」


「あ、ああ…。ありがとう。頼む。」


俺は森野の後ろ姿を見送りながら、エンジェルドーナツの制服って、スカートの丈が結構短い

んだなと思ったりした。


制服マジックって奴は本当に恐ろしいな。

嫌いな女子が可愛く見えたりするなんて。

ちょっと休んで、冷静になろう。

俺は火照る顔をスポーツドリンクで冷やしながら休憩室に向かった。


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