森野りんごのすりおろし
どの位寝ていたのか。
何だか昔の事を夢に見ていたようだった。
ふっと目が覚めると、部屋に人の気配があった。
「森野…?」
あれだけ言われて、また性懲りもなく世話を焼きに来たのか?
「残念!お母さんでしたー。」
「⁉」
ベッド横のラグに座り、枕元を覗きこんでいたのは、紛れもなく母だった。
「何でここに…!」
思わず目を見張って飛び起きた。
「森野さんに連絡もらってね。お粥の作り方教えて欲しいって頼まれたの。」
「あいつ!余計な事…。」
「あなた、ワガママ放題言ってるみたいじゃない。森野さんがせっかくお粥作ってくれたのに、手をつけなかったっていうし。」
「それは…熱で食欲が落ちていたから…。」
「今は調子どう?」
「寝て少しよくなったような…。」
体温計で測ってみると、37.2℃だった。
「食べられそうならお粥作ってあるけど、少しいる?」
「あ、ああ…。」
俺は母に土鍋いっぱいの卵粥を少し取皿に取り分けてもらった。
蓮華で粥を口に入れると、卵の甘みとちょうどよい塩味がふわっと口いっぱいに広がった。
小さい頃から体調を崩すと決まって、このお粥を母が作ってくれていた。
美味しい…と思うと同時に罪悪感で胸がズキリと痛んだ。
「おいしい?」
母はにっこり笑って俺が食べている様子を見守っていた。
「ああ…。」
「りんごのすりおろしもあるよ。」
別の小皿とスプーンを渡され、シャリシャリした食感と甘みを味わっていると、同じ様に母が聞いてきた。
「おいしい?」
「うん。」
「それ、森野さんがすりおろしたやつ。」
母がニヤッと笑った。
「えっ?」
「森野さん、おろし金で手を切っちゃって、大変だったんだけど、頑張って作ってくれたのよ。自分がやったって言うと浩史郎食べないかもしれないから、言わないでくれって。健気だね。後で看病してくれたお礼言っときなさいね。」
「……。」
「あと、ちゃんと、謝りなさいよ。」
「森野が何か言ってたのか?」
「何も…。ただ、あなたが体調崩したのは自分のせいだって、しゅんとしてた。同居解消した方がいいんじゃないかって。
何ていうか、あなた森野さんに対して随分子供っぽい態度をとってるみたいね。」
「そりゃ、こっちの気持ちもお構いなしに、あんなに急に許嫁にされて、反発するに決まってるだろ。ベッドにあんなものまで、用意して。」
母は慌てたように言い訳した。
「あ、あれは…。だから万が一ってことを考えて。もしかして、使ったの?」
「使わねーよ!」
「そうだよね。」
母はホッと胸を撫でおろした。
「森野さん、男の人苦手だものね。」
「えっ?」
「あんたも無理矢理どうこうするタイプじゃないし…。」
不思議そうな顔をしている俺に母が説明した。
「森野さんのお母さんが言ってたんだけど、前のお父さんが女の人を作って出て行っちゃってから、男の人が苦手なんだって。
今のお父さんとは仲良くやってるみたいだけど…、浩史郎、知らなかった?」
森野が男嫌いって別にそんな感じは…。
むしろ、俺が森野に辛くあたっていて、そんな俺にも結構めげずにフレンドリーな態度で接していたような…。
「あなたはあなたで、中学2年までは真面目一辺倒だったのに、変わっちゃったからね。
まぁ、妹の件は、私にも責任が…。」
「やめろよ!」
俺は間髪入れず、叫んだ。
「ごめん。」
母はバツが悪そうに謝った。
「でも、あれから何人もの女の子と付き合ったりして、結局一人の相手と真剣に向き合えないっていう点では森野さんと同じだと思うんだね。」
「……。」
「別に許嫁の事はおいといて、森野さんと接することで、お互いいい影響を与え合えたらと思ったんだけどな。」
ふーっと母はため息をついた。
「まぁ、相性もあるし、こればっかりは仕方がないかな。もし、どうしても二人で仲良くやっていけないのだったら同居解消した方がいいかもね。いつまでも八つ当たりされる森野さんも可愛そうだし。
もともと、月末に同居生活やっていけそうかどうか、二人に報告してもらって、大丈夫そうなら次の生活費を渡そうと思っていたのだけど、
それまでももたないようなら、私からお父さんに話してみるわ。
まぁ、どうするにせよ、森野さんとよく話し合ってね。」
同居解消って…。望んでいた展開だけど、こんな、簡単に?
森野を脅しても、誘惑しても駄目だったのに、ちょっと体調崩しただけで?
「じゃ、私はそろそろ帰るわ。体調悪いときに長話してごめんね。
ゆっくり休んで。明日も来るから。」
そう言うと母は部屋を出て行った。
一階で母と森野が何か話している声がして、しばらくすると玄関のドアの閉まる音がした。
俺はお粥とりんごのすりおろしの皿を見つめながら、考え事をしていた。
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立ち上がってみると、少しだるさはあるものの、ふらつくほどでもなかった。
食べ終わった食器を戻そうと、トレーに載せてドアを開けると、すぐ横の小テーブルに、飲み物の入ったコップをトレーごと載せようとしている森野と目があった。
「あっ…!」
森野の持っている飲み物を置いたトレーには『ご自由にお取りください』とかかれた紙が添えられていた。
「何やってるんだ?」
「あ、いや、スポーツドリンクのお替わりいるかなーと思いまして。」
気まずそうに森野は頭を掻いていた。
「普通に部屋に持ってくればいいだろ?マラソンの給水ポイントじゃないんだから。」
「あー、お邪魔しちゃったら悪いかなと…。」
森野は目を逸らして曖昧に笑った。顔を見たくないと言われたのを気にしているらしい。
「あ、先輩、器持ってきてくれたんですね。受け取ります。」
森野に土鍋と皿を渡すと、俺は言いにくいセリフを早口で一気に言った。
「さっきは悪かったな。体調が悪くて苛立ってたんだ。別に全部が君のせいだなんて思ってない。」
「へっ。」
森野は驚いたように目を瞬かせた。
「放っておけと言ったのに、君はおせっかいだな。母まで呼んで来て。」
「ああ。勝手にすみませんでした。でも、何も食べられず、あのまま衰弱して先輩が死んじゃったらどうしようと思って…。」
「あれぐらいで死ぬか!熱で食欲が落ちていただけだ。今は熱も下がってきてるし、こんな風邪すぐ治るよ。」
「それならよかった…。」
森野は心底ほっとしたように言った。
「でも、お母さんのお粥美味しかったでしょう?
やっぱり、弱っているときは、お母さんのご飯食べて、お話しして、寝かしつけてもらうのが一番の薬になるんですよ。」
「寝かしつけって、小さい子じゃあるまいし。やっぱり君は俺の事をマザコンだと思ってるだろう。」
「ふふっ。」
ふと、その時土鍋を持っている森野の指に絆創膏が巻いてあるのに気付いた。
「あと、りんごもうまかった。森野りんごのすりおろし(血染め)」
「え?な、何で知って…!」
動揺する森野に俺は小馬鹿にするように言った。
「母に聞いた。君はまともにりんごもすれないのか?」
「〜!! いや、だって、先輩のお母さんとっても素敵な方で、隣に並ぶといい匂いがして緊張しちゃって…。それに、血がついちゃったりんごはさすがに処分しましたよ。先輩に出したのは、手当てしてからもう一度すりおろしたきれいなものですから、心配しないで下さいよ?」
あたふた焦っている森野を見て、俺は自然と笑みが浮かんだ。
しっかりしているようで、こいつもまだ高校一年生なんだよな。大人と並ぶとまだまだ子供。
俺の前でしっかりして見えるのは、強がって、背伸びしているせいもあるのかもしれないな。
だとすれば、俺も少し大人になってみるべきなのかも。
「冗談だ。ありがとう、森野。」
森野の目を見てちゃんと礼を言った。
森野はポカンと口を開けていたが、やがて心配そうに聞いてきた。
「せ、先輩大丈夫?熱上がってきてないですか?」
いつもと違う俺の様子を心配した森野は「大丈夫だ」という俺の話を聞かず、ベッドに追いやり、絶対安静を申し渡し、去って行った。
なんだよ、もう。
たまに素直に礼を言えば、この態度。
もう、優しくしてやらないからな!




