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ガンズ&キャットパウズ  作者: 黒崎江治
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第9話 赤煉瓦城塞

 ネコノテ探偵事務所から北東方向に徒歩三十分。赤煉瓦城塞は、橋だけで本土と接続された島のような場所に立地していた。


 敷地全体が有刺鉄線つきの金網で囲われ、出入口には目つきの鋭い人間が立っている。物々しさという点では、僕が〈(ケージ)〉で見た景色でこれに比肩するものはない。騎士団というからにはもっと前時代的な施設を想像していたが、どうもそうではないらしい。


 僕たちが正門と思しき場所に近づいていくと、黒い防弾チョッキと自動拳銃を装備した守衛が威圧的な態度で誰何してきた。


「ネメオスの使いで、クセルク団長と話したいって伝えてくれ」


 夏音さんが臆する様子もなく答えると、守衛が内線で連絡を取り、その場で待てと僕たちに命じた。こちらのことがどう伝わったのかは分からないが、ひとまず門前払いは避けられたようだ。


 吹きさらしの場所で待つこと約十分。金網の内側から白色の猫が近づいてきて、艶のある女性らしい声で告げた。


「クセルク団長がお会いになるそうです。お客さまを通してください」


 守衛がガシャガシャとフェンスゲートを開く。


 そのまま入ろうとしたところで、銃を置いていけと止められた。夏音さんはやや渋ったが、ここで抵抗しても意味がないと考えたのか、結局は指示に従った。丸腰となった僕たちは、白猫に先導されるまま敷地の中に足を踏み入れる。


(ケージ)〉の中で最古参の組織、なおかつ自治領の成立を目指しているというだけあって、黒獅子騎士団の拠点には整然とした雰囲気が漂っていた。そこには規則正しく停められた車両があり、充分に維持されている建物があり、遠くには小型の船舶さえあった。


 多分、発電や上下水道の管理もここでおこなわれているのだろう。思いのほか様々な機能を持った施設のようだ。


 行き交う人々も、事務所やヨコハマ大地下街(ダンジョン)の付近より身なりが整っていて、明確な目的を持って行動しているように見えた。反面、近寄りがたく冷徹な印象もあり、僕たちに向ける視線もあまり好意的とは言えなかった。


 真新しいアスファルトの上を歩きながら方々に目を遣っていると、あまりキョロキョロするなと夏音さんに小突かれた。そんな僕たちの様子を見て、案内の猫が立ち止まって振り返り、呆れたように鼻を鳴らした。


 広い敷地の中を進んでいった僕たちは、やがてほかの建物とはやや異質な、赤煉瓦でできた倉庫のような施設に辿り着いた。


 どうやらここが団長の詰めている本部棟らしい。


 出入口にはさきほどと同様の武装をした守衛が立っており、案内の白猫が近づくと、彼らは軽く頭を下げて敬意を示した。一方の僕たちが受け取ったのは、余所者に対する疑念を込めた渋面だけだ。


「いい職場だな。みんな親切そうだし」


 夏音さんが言った。


 冷淡な迎えに若干気分を害しながらも、僕たちは分厚い木の扉を通って建物に入る。


 本部棟の中は建物の外観と同様、やや古めかしい雰囲気を漂わせていた。床は摩耗した木材。赤煉瓦の壁面に窓は少なく、天井は黒い鉄骨で補強されている。肌で感じる窮屈さや圧迫感は、施設の用途や強度を重視した建築、行き交う人間――ごくたまに猫――の多さからきているのだろう。


 内部を観察している間に、案内の猫は人々の足元をすり抜けて廊下を進み、さっさと階段をのぼっていってしまった。僕たちはそれに遅れないよう、大股であとをついていく。


 本部棟の二階にあがると、そこは随分と静かな空間だった。丁寧に磨きあげられた床の木材は照明を柔らかく反射し、僕らが歩くたびわずかに軋んだ。壁に目を遣れば、そこには西洋絵画さえ飾られている。


 先行する猫を追っていくと、やがて最も奥まった一室に辿り着いた。どうやら、ここが団長の詰めている部屋らしい。僕は早くもプレッシャーを感じはじめる。


 ドアは僕や夏音さんがノックするまでもなくひとりでに開かれた。足元を見ると、案内の猫はいつのまにか消えている。


「入れ」


 低い声が命じる。部屋の奥を見てみれば、黒檀で作られた一メートル半ほどの台に、大きな灰色の猫が座っていた。その姿はブロンズ像かと見違えるほどに端正で、猫とは思えないほどの威厳を備えていた。


 部屋の観察もそこそこに、僕の足は自然と台の前まで運ばれた。そのまま思わず膝を屈しそうになったが、夏音さんが耳元で囁いた言葉にはっとする。


「腹に気合入れろ」


 僕は彼女が前に話していた異能(パウ)のことを思い出す。猫の中には洗脳を得意とする者もいるらしいが、これがその片鱗だろうか。人間を従わせ、献身を引き出す力。もしかして〈(ケージ)〉の外にいる猫も、少なからず似たようなことをしている?


 どちらにせよ夏音さんが言う通り、気を引き締めて相対しなくてはならない。


「そこの小僧は新参か?」


 灰色の猫クセルクが目を細める。


「深見といいます」


「人間の使いを寄越すとは、軽く扱われたものだ。くだらない連中と関わるうちに、無礼な振舞いが髄まで染みついたらしい。それで、ネメオスのところの跳ねっ返り共々、一体なんの用で来た?」


「そんな嫌味を言われると分かってるから、所長も足が遠のいてるんじゃないか?」


 夏音さんの挑発的な物言いで、場にピリピリとした緊張が満ちる。僕は早めに用件を切り出そうと、前のめり気味に口を開いた。


「僕の妹が行方不明になったんです。それについての話を聞きにきました」


「貴様の妹と、俺になんの関係がある?」


 クセルクは尊大に言った。僕は彼の圧力を感じながらも、なんとか説明を試みる。


「昨日の昼、姫……僕の妹が〈(ケージ)〉の外側で連れ去られました。犯人はライトバンに乗った男たちです。すぐあと、その車は壁のすぐ近くで発見されました。拉致の犯人は〈(ケージ)〉の中に逃げ込んだ可能性が高いんです。もしかすると、フェリス秘密教団という組織に関連することかもしれません。対立関係にある騎士団が監視を強めていると聞いたので、なにか情報を提供してもらえないかと思ったんです」


「犯人が〈(ケージ)〉にいると考える根拠が薄いな」


「若い女性を拉致するのは重大な犯罪です。少なくとも警察の捜査が及ぶかぎり、白昼堂々それをやって逃げ切るのは簡単じゃない。安全な逃げ場所があれば別ですが」


「貴様の住む場所では、重大な犯罪が起こらないと?」


「起こるかもしれません。でも、妹はいままで真面目に生きてきたんです。拉致される理由なんかないはずなんです。少なくとも、僕の知っている範囲では」


「しかし自分の知らない範囲にならあるかもしれない、と思いついたわけだな。〈(ケージ)〉の中にならあるかもしれない、と。どういうわけか、例のカルト教団が関与しているとも考えている」


「そうです。教団については予想に過ぎませんが」


「随分と妄想じみた話だ。少なくとも現時点ではな」


 客観的な立場で考えれば、確かにそうなのかもしれない。それでも僕は食いさがった。


「妄想でもなんでも構いません。〈(ケージ)〉でも拉致事件はそう多くないと聞きました。なにかいつもと変わった出来事とか、教団に不審な動きはありませんでしたか。教えてください」


 考慮に値しない、とでも言いたげな態度で、クセルクは前肢の肉球をべろりと舐め、それで自らのヒゲを二、三度ぬぐった。


「ネメオスになにを吹き込まれたかは知らんが、貴様はなにか勘違いをしている。〈(ケージ)〉で起こるトラブルをまとめて、分析して、流してやるほど、騎士団が親切で暇な組織だと思っているのか? 貴様の住んでいた場所の警察とやらは、そこまでの世話を焼いてくれるのか?」


「それは――」


「アンタら、秘密教団とトラブってんのは事実なんだろ?」


 そのとき、夏音さんが口を挟んだ。


「順当に行けば、わたしたちもどっかで教団とぶつかるわけだ。雑魚を二、三人殺すかもしれないし、幹部をブン殴るかもしれない。そんときにもし必要なら、アンタらへの手土産を持って帰ることだってできる。要するに、お互いに協力しようってことだよ。一方的に教えてやんのが癪だって言ってんだろ?」


「まるで騎士団と貴様らが対等のような口ぶりだな」


「そりゃ勢力は段違いだよ。でも状況を考えりゃいくらだって対等に交渉できる。騎士団は今、人も猫も不足してんだろ? 水も電気も管理しながら、教団と抗争してんだもんな。どうせそのうち手が回らなくなって、どっかのアホに荒事を外注することになる。いざってときにドタバタするぐらいなら、最初からわたしたちに任せた方がスムーズだよな。お互いに情報が対価ってことで、依頼料も節約できるし」


 普通に考えれば、こんな交渉――しかもこんな言い方――は通用しない。それでも夏音さんが強気に出られるのは、騎士団が置かれている状況以上に、ネコノテ探偵事務所の実績があるからなのだろう。事実、僕の懇願を一顧だにしなかったクセルクが、じっくりと考えこむ様子を見せた。


 クセルクはおそらく所長や夏音さんのことを好いていない。しかしそういった情とは別に、組織の利益を考えられる猫であるようだった。彼は少しの間むっつりと黙ったままでいたが、やがて交渉に応じるような形で口を開いた。


「四日前、ヨコハマ大地下街(ダンジョン)で〈バステト秘典〉が発見された」


「いきなりなんの話だ?」


「しばらく口を閉じていろ。次に話の腰を折ったら、貴様の着ている毛皮を丸焦げにするぞ」


 夏音さんはなにか言い返そうとしたが、僕は彼女の肩に手を置いてそれを止めた。


「〈バステト秘典〉とは〈夢幻世界〉にかつて存在していたとされる秘儀書で、悠久の古代においてバステト女神の仕える祭司たちが記したものだとされている。彼女らは屍食猫(グラット)と戦う術を身につけ、異界より溢れ出した瘴気を払うことができたという。もし騎士団で利用することができれば、〈(ケージ)〉の安定化に大層役立つだろうという代物だ。


 しかし、我々はこれを逸失してしまった。正確に言えば、奪われたのだ。〈バステト秘典〉をヨコハマ大地下街(ダンジョン)から運び出す途中、フェリス秘密教団が我々を急襲した。多数の団員が死傷し、猫にさえ犠牲が出た。


 ヤツらが〈バステト秘典〉を狙った明確な理由は不明だが、その知識を利用すれば大きな力が手に入ることは間違いない。あるいは屍食猫(グラット)を意のままに操ることも、〈(ケージ)〉を覆う異変を壁の外にまで波及させることも可能だろう。そのような所業を阻止するために、我々は秘典を取り戻さなければならない」


 クセルクは推し量るような目で僕と夏音さんを見た。


「つまり情報提供の見返りに、〈バステト秘典〉捜索を手伝え、ということですか」


「そうだ」


 フェリス秘密教団を相手にそれをおこなうのがどの程度の難事なのか、僕には判断がつかない。しかしほかに手掛かりがない以上、そして姫花のためならば、どんなことでもやってみるほかない。


「……分かりました」


「まあ、妥当なとこだな」


 僕たちの言葉に、クセルクは頷いた。


「〈バステト秘典〉捜索に役立つ範囲であれば、直接的な援助もしてやろう」


「なんだよ、カネか?」


 夏音さんが尋ねる。


「現在、無名の女王(アンネームドクイーン)とショゴス桟橋への監視体制を整えているが、適切な人員を配置することができていない。騎士団に属してない貴様らであれば、さほど目立たずに行動できるだろう。こちらが用意した部屋で監視を行い、そこで知り得た情報を報告しろ」


「やりやすい場所を用意してやる、ってことか。言っとくけど、命令は受けないからな」


「いいだろう。こちらも貴様に従順さなど期待していない。話は以上だ。ネメオスには、部下共々礼節をわきまえろと伝えておけ」

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