第30話 Curiosity killed the cat
反動は思いのほか少なかった。放たれた弾頭はガスを噴射しながら直進し、シャビスカの頭部に吸い込まれていった。直後、青白い炎が炸裂して、あたりが真昼のように照らされる。
弾頭に詰まった化学物質が、激しく燃焼しながら黒い肉体を溶解させる。一瞬遅れて火焔の粒が降り注ぎ、組織の崩壊を加速させる。刺激臭のある緑色の煙があたりに立ちこめ、僕は激しく咳き込んだ。
果たして弾頭の効果は激烈だった。
煙が風で薄まるころには、動くものもほとんど見えなくなっていた。辛うじて、おにぎりほどの大きさにちぎれた無害な体組織が、海の方へ逃げていくぐらいのものだった。
僕はロケットランチャーを捨て、足元に落ちていたトーラスを拾い、かつてシャビスカの肉体であった汚泥の中を這っていった。
目線の先にあったのは、折り重なるようにして倒れた二つの人影。
「げほ! うェッほ!」
そのうちの一人が、むせて背中を震わせた。
「夏音さん!」
ゆっくりと起きあがった彼女は、口からぼとぼとと黒い液体を吐き出す。
「おぇ……、臭っせぇ」
「夏音さん……よかった」
「よかったように見えるか? 凛風。おい凛風。生きてるか」
彼女は傍らで倒れている凛風を抱え、その背中を乱暴に叩く。
「おげぇ」
凛風も口に詰まっていた液体を吐き出し、正常な呼吸を再開した。
僕がほかの生存者を探そうとあたりを見回すと、弾頭が炸裂したあたりで蠢く、血まみれの毛皮が目に入った。
折れた足を引きずりながら這って近づく。そこにはまだ息のあるシャビスカが、猫本来の姿に戻り、立ちあがろうともがいているところだった。彼女は僕の気配を察知するとこちらに顔を向け、潰れた両目に憎悪を滾らせて言った。
「人間が猫を殺せるものか、人間風情が……」
シャビスカは正気も体力もほとんど失っていたが、まだ戦意をなくしてはいなかった。彼女の念動力が収束しはじめ、ビリビリと不穏な圧力を発しはじめるのが分かった。
僕はポケットの中に残っていた最後の一発を、空の弾倉に装填する。
終わらせよう。
トーラスから弾丸が放たれる。それはシャビスカの狭い額に命中し、頭部の半分以上を削り取った。ばったりと倒れ、もはや動くことも喚き散らすこともなくなった彼女は、もはやただの痩せた猫にしか見えなかった。
シャビスカは死んだ。
「姫花……ロゼッタ……」
僕は大声で名前を呼び、二人の姿を探す。
「省吾さん」
呼びかけに応えて、ロゼッタが茂みから顔を出した。
「姫花は? 姫花は無事ですか」
「ここにいます」
彼女は下草に隠していた姫花の身体を道路に押し出し、その顔をぺろりと舐めた。
「まだ目を覚ましていませんが、命に別状はなさそうです。それよりも省吾さん、あなたの傷は……」
気持ちが落ち着いてくるにつれ、骨折の痛みは耐え難くなってきていた。僕は吐き出すような唸り声をあげ、ごろりと地面に転がって四肢を投げ出す。シャビスカを斃し、姫花も取り戻した。もう充分だ。これ以上は頑張れない。
「ロゼッタさん、所長は?」
僕が尋ねると、彼女は沈痛な面持ちで俯いた。
「分かりません」
シャビスカに叩き潰されてしまったのか、それともジェニィとピートのように、どこかに吹き飛ばされてしまったのか。
「そうですか……」
姫花を救うためとはいえ、あまりに大きい被害が出てしまった。
「おい、省吾、立てるか」
そのうち、凛風を連れて夏音さんがやってきた。
「無理ですよ。見てくださいこのぐにゃぐにゃの足」
「あー……困ったな」
「なんです?」
彼女の言葉に不穏な響きが含まれていることに気づき、僕は思わず身を起こした。
既にあたりは互いの姿が判別が難しいほどに暗くなっており、溶けたシャビスカの放つ悪臭に加え、赤い霧のにおいが濃くなってきている。屍食猫の徘徊する〈檻〉夜。人間も猫も近寄らないババヤガ公園の危険な夜。
森の中から複数の唸り声が聞こえた。
よくない状況だった。既に弾丸は尽き、僕も夏音さんも満身創痍。辛うじて余力を残しているのはロゼッタだが、当然、万全には程遠い。
シャビスカによって破壊された木々の間から、虎のような大きさの屍食猫が三匹、のっそりと姿を現わした。爛れた顔に喜色を浮かべ、柔らかく容易い獲物を品定めしている。
「ロゼッタさん、僕は歩けません。みんなを連れて城塞まで行ってください」
こうなれば自己犠牲もやむをえない。僕が囮になると提案しようとしたとき、屍食猫たちがなにかの気配を捉え、はっとしたように頭をあげた。すぐにロゼッタも、鈍い人間たちも、静かに迫りくる存在を察知した。
次に感じたのは高温だった。地面に残るシャビスカの崩壊した組織や、肌に触れる空気が急激に熱を帯びはじめたのだ。
屍食猫の一匹が身をよじる。その体表がぶすぶすと煙をあげているのが分かった。次いで二匹目、三匹目が苦しみに悶え、焦げたようなにおいを残して森の中へと逃げ込んだ。それを追うようにして、乾いた落ち葉や木々の先端に熾火が灯った。
「団長? クセルク団長ですか?」
ロゼッタの声に安堵がにじむ。
果たして闇の中から現れたのは、堂々とした体躯を持つ灰色の猫だった。どうやら彼が屍食猫を追い払ってくれたようだ。
「ご苦労だった。ロゼッタ。損害はどうなっている?」
クセルクはあたりの惨状を見ても、ヒゲひとつ動かさなかった。
「は、はい。私以下、人間の重傷者が三名、行方不明者が猫三匹に人間一名。それぞれネメオス、ジェニィ、ピート、ヤナギ堂の店主です」
「バステト秘典は?」
「発見には至りませんでした」
報告を聞いた彼は小さくため息をついたあと、ババヤガ公園の闇に呼びかける。
「いつまでさぼっているつもりだ、ネメオス! 俺に尻ぬぐいをさせるな!」
猫の身体から放たれたと思えないような大音声が夜を震わせる。その余韻が消えるころ、森の中から下草をかきわけて所長が姿を現わした。重傷を負っているようだが、足取りは思いのほかしっかりしている。
「なんだこの体たらくは。お前、ロゼッタのうしろ肢を引っ張ったのではないだろうな」
「そう詰めないでくれ、クセルク。ぼくだって死ぬところだったんだから」
「死ぬところだと? 冗談を言う暇があったら、とっとと負傷者の治療に当たれ」
「分かったよ。働くよ……」
所長を叱りつけたクセルクが、今度はこちらを睨み、のしのしと近寄ってくる。
「お前がこれをやったのか?」
彼はシャビスカの死体と僕の顔を交互に眺めながら尋ねた。
「いえ、とどめを刺しただけです。武器は凛風さんのものを使いましたし」
なにか落ち度を責められるのではないかと思い、慌てて言い募る。しかしクセルクは黙ったまま僕の折れた足に鼻を近づけ、フンフンとにおいを嗅いだだけで、さっさと離れていってしまった。
「なんなんだよ、アイツ。所長とも案外仲よさそうだしさ」
傍らに立っていた夏音さんが言った。クセルクから僕を庇おうとして、拍子抜けしたようだった。それから彼女は安堵したように肩を落とし、ぽつりと呟いた。
「まあ、とりあえずはこれでわたしのお仕事も終了だ」
「そういえば僕の依頼でしたね、これ」
「割にあわないことさせやがって」
言葉のわりに、彼女の口調は穏やかだ。
「所長の受ける仕事ってのは毎回こんなんなんだよ。自分の役割を棚にあげて、わたしが無茶するとか言ってボヤくのはおかしいよな。ムカつく」
「でも、夏音さんはずっと所長と働いてるんでしょう」
「まあな」
「どうして?」
僕が尋ねると、夏音さんはしばらく考え込んだあとで、分からない、と言った。
「もしかすると本当に、人間って猫よりバカなのかもな。自分がどんな理由でそれをやってんのか、説明できるヤツの方が少ないだろ?」
彼女がこちらを意味ありげに見遣ったので、僕もにやりと笑ったあとで、そうですね、と答えた。




