第24話 紅玉楼で昼食を
猫サロンをあとにした僕たちは、教団員の存在に気を配りつつ、すぐ近くの中華街までやってきていた。華美な装飾が施された朱の大門を潜ると、そこは他のエリアに比べて随分と活気のある場所だった。通りの左右には食料品店や雑貨店が立ち並び、路上にテーブルを出してボードゲームに興じている人々の姿もある。無秩序で猥雑な感じはするものの、まだ荒廃とは縁遠い繁華街、といった印象だ。
「〈檻〉にもこんなところがあるんですね」
「何十年も前から変わってないみたいだな。ここらは熱焦的爪子ってマフィアが仕切ってて、屍食猫も猫も近寄らせないようにしてる。マフィアっつっても、面倒を起こさなきゃ大した害もない」
通りを進み、関帝廟と記された門を通り過ぎる。関帝は確か商売繁盛の神様だったか。〈檻〉にある色々な施設に比べると、はるかにしっかりと手入れされている。
「どこかおススメの店があるんですか」
「ああ」
彼女に従って歩き続けると、やがて入り組んだ細い路地の先にある小さな飯店に辿り着いた。普請に比して立派な看板には、紅玉楼と書かれている。
「最近は来てなかったんだけどな。こないだ省吾がメシ作っただろ。やっぱ料理されたモンを食べるのはいいなと思ってさ」
ドアを開くと、まだ少女といってもいいような若い店員に迎えられる。昼どきの店内には既に数人の客がいて、くつろいだ様子で食後の時間を過ごしていた。
案内されるまま二階にあがり、窓際の席に腰をおろす。隣には男性のひとり客がいて、ぼんやりとした様子で紹興酒のコップを傾けていた。痛々しい腫れや青痣のある彼の顔を見て、僕は思わずぎょっとした。
「おや、君たちかね」
男性客がこちらに気づいて言った。
「マーロウ、……さん」
つい先日に殺し合いを演じた相手との再会。あわや一触即発かと身構える僕をよそに、マーロウは落ち着いた様子でコップを掲げてみせた。
「しばらくはメシ食えないぐらいにブチのめしたと思ったんだけどな」
夏音さんもさっぱりした口調で言う。僕は彼らの態度に困惑しつつも、荒事が発生する気配がないことに安堵する。
「ぼくの方こそ、かなりの重傷を負わせたつもりなんだがね」
「まあ、お互いタフってことだ。続きをやりたいか?」
「いいや。依頼は失敗に終わったと報告済みだ。もうやりあう理由はないよ。それに、僕はいま酔っぱらっている。話し相手がいないと飲むペースが速くなるのさ」
「あっそう」
やがて店員が水を運んできて、注文を取る。料理は僕が選ぶまでもなく、夏音さんが決めてしまった。
「紅玉炒飯二つ、大盛で」
彼女いわく、これを食べないと紅玉楼に来た意味がないとのことだ。
僕たちが料理を待つ間、マーロウは黙って酒を飲んでいたが、やがて手にしたコップを見つめたまま、キャラハンの死について切り出した。
「深見……省吾君と言ったか。君が彼を殺したんだね」
その口調からは怒りも恨みも感じられなかった。もちろん、本心は分からない。僕は彼の顔を正面から見据える度胸がなかったので、外の景色に目を向けながら答える。
「ええ。互いに銃を突きつけあって。あとで向こうは弾切れだったと知ったんですが」
「そうか。いい死に方をしたな。彼に代わって礼を言っておこう」
「頭を撃たれるのがですか?」
「残念ながらいまの日本には――少なくともぼくやキャラハンにとって――それ以上の死に方はないのさ。彼女にも聞いてみたらどうかね?」
マーロウは首を傾けて僕を見遣り、口を歪めて厭世的な笑みを作った。
どのような死に方がいいかという問いに一般的な答えはないし、そもそも平均的な価値観を持った人間が、〈檻〉でフィクションの探偵を自称するはずもないので、僕はそれ以上なにも言わなかった。こちらの反応に満足したのかしないのか、マーロウは残りの紹興酒を飲み干して席を立ち、少々覚束ない足取りで階下に消えていった。
「頭がおかしいっつったろ? 意味を考えるとバカになるぞ」
夏音さんにも理解しかねる死生観なら、僕に理解できるはずもない。ひとまずは、また敵対しないことを祈るだけだ。
そのうち注文の料理がやってきた。テーブルに置かれた紅玉炒飯は中々変わった見た目をしていて、少しばかり感想に困る。
「……赤いですね」
「赤いだろ」
唐辛子とはまた別の材料が使われているのだろうか、どちらかと言えばピンクに近い餡が、山盛りになった炒飯を覆っている。もし〈檻〉の外でこれを出す店があったら、SNSを通じてちょっとした流行になったかもしれない。
促されるまま食してみる。辛くはない。旨味のある餡と、エビ入り炒飯の香ばしさがよく調和している。
「うん、わりと好きな味ですね」
「おう」
夏音さんは満足そうに頷いて、自らも炒飯を口に運んだ。
「これを食べさせたかったんですか?」
僕は尋ねた。夏音さんは少し考え込むような様子を見せたあと、窓の外に目を遣る。
「まあ、ちょっと知っといてほしかったんだよ」
彼女は言った。
「省吾、お前〈檻〉に来てから、すぐ屍食猫に襲われたよな。そっから事務所に来て、次の日からトーラス持って屍食猫狩ったり、騎士団トコ行ったり、ブチのめされたり、とっ捕まったりしてさ」
「改めて言われると、よく生きてたなと思いますね」
「危ないのは別にいいんだよ。でも、あんまり楽しいことしてないだろ。そりゃ別に観光に来たわけじゃねえんだから当たり前だけどさ。でも省吾が妹さん取り返して、〈檻〉の外に戻ったときに、あそこはマジでクソな場所だったなって思われると、わたしはちょっと悲しいんだよな。だからせめて、うまいメシを食わせる店はあるってことを知っといてほしかったんだよ」
「確かに楽しいことはしてないですけど」
僕は言った。
「でも夏音さん、僕はここであなたに会えてよかったですよ。ネメオス所長に会えてよかった。二人が力になってくれて本当に嬉しかった。だから〈檻〉はクソな場所だなんて思わないです」
なんとなく愛の告白じみてしまったが、それは間違いなく僕の本心だった。
「改まってあなたとか言うなよ」
夏音さんはほんの少し照れ臭そうに目線を落とす。
「でも、そうだな、わたしも……」
ごにょごにょと語尾を濁したあと、彼女はごまかすように炒飯を頬張った。




