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ガンズ&キャットパウズ  作者: 黒崎江治
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第14話 仔猫のように

 もしかして、車だろうか? 音は暴力的な響きを伴いながら、急速に近づいてくる。発揮される不穏な存在感は、さきほど遭遇した四メートルの靴よりもさらに大きかった。


 僕が緊張しながら身構えていると、やがて轟音とともに、怪物じみた鋼鉄の車体が姿を現わした。


 それは単に乗用車を巨大化させたものとは違っていた。上品な塗装やブランドを示すエンブレムなどはなく、剥き出しの駆動部分に、鉄の配管やら、有刺鉄線やら、裂けた鉄板やらが滅茶苦茶にくっついていた。荒廃した近未来を描く映画の中で無法者たちが駆る、違法改造の車両みたいに見えた。


 全体のサイズは――想像もつかない。少なくとも数十メートル。普通の住宅ぐらいならば一瞬で粉砕できそうだ。


 いま、それは数千の棘がついたタイヤで硬い地面を削りながら走ってきていた。破壊的な災害として、すべてを蹂躙しつつ進んできていた。


 僕は運悪く車の正面に立っていたので、その進路を外れるような形で避けるのは不可能だった。

こんなものに轢き潰されたら形も残らない。


 選択の余地はなかった。僕は一か八かの気持ちで、車体の下に潜り込むように身を伏せ、あとは運を天に任せた。


 轟音が頭上を通過していく。それが五秒、十秒と続く。跳ね飛んだアスファルトの小片が降ってくる。猛烈な量の排気が吹きかけられ、思わず咳き込む。


 …………。


 やがて、車は離れていった。しばらくは戻ってこないだろう。どうやら挽肉になるのは避けられたようだ。


 僕が立ち上がりかけたとき、少し離れた位置から呻き声が聞こえてきた。夏音さんと離れ離れになってから、はじめて聞く人の声だ。


 なにか現状の手掛かりでも得られないかと、ボロボロになった地面に足を取られつつ、声の主を捜す。するといましがた車の怪物が通っていった場所に、誰かが仰向けに倒れているのを見つけた。


 まさか夏音さん――いや、違った。それは僕に似た背格好をした男性だった。


 助けに近づこうとして、彼の状態に息を呑む。


 さきほどの車に轢かれてしまったのだろう。彼の下半身は原型を留めていなかった。タイヤで潰された骨が、トゲで貫かれた肉が、引きずり出された内臓が、地面の金属片と混ぜ返されて散乱していた。胴体がちぎれた場所からはまだ真新しい血が流れ出し、胸の悪くなるようなにおいを発散させていた。


 男性にはまだ息があるようだったが、どう考えても助かるとは思えない。


 そして彼がこちらの足音に反応し、苦しげに顔を向けたとき、僕は自分の心臓が止まるような思いがした。


 彼は僕と同じ顔をしていたのだ。


 よく見ればその体格も、服装も、僕とまったく同じだった。


 なぜこんなことが? 僕はなにを見せられているんだ? 混乱と恐怖と吐き気が一度に襲ってきて、僕はその場で硬直してしまった。


 もしや、目の前にいる瀕死の自分が本体で、いま突っ立っているのは、本体が遊離させた幽体に過ぎないのではないか。そんな錯覚に陥って、僕は慌てて自分の身体をまさぐった。


 少なくとも、手が胴体を通り抜けるようなことはなかった。とはいえ、それで実在を確信できるはずもなかった。しかし自分の指が腰のトーラスに触れ、その銃身の冷たさを肌に感じたとき、なぜだか僕は一片の安堵を覚え、多少なりとも正気を取り戻すことができた。


 やがて倒れている男の目が焦点を失い、その肉体から力が抜けた。


 ひどい気分だ。自分が状況に翻弄されるばかりの、無力な存在に思えてきた。


 僕は死体から離れて、再びコズミックワールドを彷徨いはじめた。


 霧はいつのまにか細かい雨に変わっていた。そして僕が気づいたころには段々と強さを増し、まもなく滝のような豪雨となった。


 夏の夕立とは違う、凍えるほどに冷たい雨だった。


 僕はあっという間に下着までずぶ濡れとなり、急速に体温を奪われていった。全身が震えるどころか、筋肉が固まって動かなくなりつつある。


 物理的な危険の次が、まさかこんな苦しみとは。


 寒い。寒い。このままだと凍えて死んでしまう。どこか雨宿りできる場所はないか。探してみても、前後左右を水の壁に遮られ、頭を上から叩かれ続けているような状態で、思うように歩くこともできない。


 やがて思考さえ麻痺しはじめ、いよいよ死を意識しはじめたころ、僕は雨で霞む景色の中に、四角い建物の輪郭を見た気がした。


 強張る脚をなんとか動かし、命からがら辿り着く。そこは倉庫か広いガレージに似た場所だった。いや、なにに似ているかはどうでもいい。とにかく、これで雨を凌ぐことができる。


 僕は倒れ込むようにして中に入り、跳ねる雨粒が届かない奥まで這い進んでいった。全身からぼたぼたと水滴が落ち、妙に柔らかいくすんだ色の床に吸い込まれる。


「おー、びしょびしょだな。大丈夫か?」


 暗がりの中から声が聞こえた。僕は立ちあがり、その声の方へ近づいていった。


 そこには壁に背中を預けて座る夏音さんの姿があった。雨が降る前にここへ辿り着いたのか、髪や服はまったく濡れていない。


「……本物ですか?」


 僕は自分の偽物を目にしたばかりで、少々疑り深くなっていた。


「本物? 違うに決まってんだろ。これから虎に化けてお前を喰うんだよ」


「あんまり夏音さんらしくない冗談ですね」


「知った風な口利いてんじゃねえ。雨ん中に叩き出すぞ」


 確証はないが、多分本物だろう。ようやく合流できた。


 僕は上着を脱いで床に放り出し、夏音さんの傍に腰を下ろした。本当は全部脱いでしまいたいところだが、得体の知れない場所でもあるし、さすがにやめておく。


「まあ、コズミックワールドってのはこういうところだ。やらしい攻め方してくんだよな」


「夏音さんも足とか車とか見たんですか?」


「いや」


「じゃあどんなものを」


「……言いたくない」


 むっつりしてしまった。どうやらまずい質問だったようなので、話題を変える。


「アルハズラッド氏は見つかりませんか」


「まだだ。見つけたらぶん殴る」


「少し休んだら探しましょう。雨、止むかどうかわかりませんけど」


「ああ。今度ははぐれんなよ」


 僕は大袈裟に身を震わせたり、肌をごしごしこすったりしながら、なんとか体温を上昇させようと試みる。暖房器具の一つでもあればいいのだが、残念ながらそういったものは備えつけられていなかった。


 ガレージらしい場所であるにも関わらず、乗用車やバイクらしきものが置かれている様子もない。本当に、単なる四角い箱のような空間だ。


 とはいえ、ここにいるのが僕と夏音さんだけ、というわけではなさそうだった。


 ガレージ内のどこかで、ずるり、となにかを引きずるような音がした。僕は腰のトーラスを抜き、夏音さんも二挺のコルトを握った。


 湿りけを帯びたなにかが、ゆっくりとこちらに這ってくる。


 僕はコズミックワールドに立ち入ってから、信じられないほど巨大な足を見た。怪物的な造作の加えられた車を見た。轢き殺された自分の姿さえ見た。だから次になにが来ても、多分驚かないだろうと考えていた。


 しかし次の瞬間に姿を見せたものに、僕は思わずたじろいでしまった。暴力とはまた別方向の驚きを感じた。


 それはあえて表現するならば、溶けかけたピンク色のナメクジか、ボイルしていないソーセージの中身のようだった。大きさは辛うじて抱えられるくらい。ある部分はまとまり、またある部分は崩れ、全体に締まりのない輪郭をしていた。


「寒い……寒い……」


 その肉塊は虫の羽音に似た、消え入りそうな声で言った。


「なんだコイツ」


 夏音さんが銃をつきつけると、肉塊は素早く縮こまり、ぶるぶると震えた。


「気持ち悪……マジでなんだコイツ……」


 どうもこちらに敵対する意図はないようだ。僕はその姿に哀れを催し、これ以上脅かさないよう自分の銃を置いた。


「夏音さん、可哀そうですよ。怯えてるじゃないですか」


「お前、これ見て可哀そうとか言うの? 凄いセンスしてんな」


「いやセンスっていうか……」


 この肉塊は僕たちに恐怖を与えるよりも、むしろ自らが恐怖しているように見えた。そういう意味では、大きな足や危険な車や冷たい雨を恐れ、そこから逃げてきた僕たちと、おおむね同じような立場にあるとも言えた。


「あなたは前からここにいるんですか」


 僕はできる限り穏やかな声で尋ねた。夏音さんがこちらを冷ややかな目で見たが、気にしないことにする。


「僕たち、アルハズラッド氏を捜してるんですが」


 その名前を出したとき、肉塊が少しの間動きを止めた。

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