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ガンズ&キャットパウズ  作者: 黒崎江治
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第12話 ロゼッタ

 窓の外がわずかに白むころ、僕たちは寝床を離れてビルを出た。まだ明け方であるにも関わらず、住民たちは生活の糧を得るために働きはじめている。バリケードの内側では、スーツを着込んだヤクザ風の男が住民たちを呼び集めていた。おそらくこれから、外の世界ではおこなえない非合法な稼業に従事するのだろう。


 夏音さんが大きく伸びをしてから、バリケードに手をかける。僕も肩を回して凝りをほぐしながら、彼女に従ってビルの敷地を離れた。


 見あげる空にはいくつか分厚い雲が浮かんでいる。午後は雨になるだろうか? テレビはなく、スマホの電池は切れているので、天気予報を確認することはできない。ただそれだけのことで、心細さを感じる。


 僕たちがネコノテ探偵事務所に戻ってみると、室内には所長のほか、ソファに身を横たえる白猫の姿があった。


「おかえりなさい、二人とも」


 所長が窓際のスツールから降りて僕たちを迎える。


「客か?」


「うん。黒獅子騎士団の猫だ。君たちに話があると言っている」


 僕たちはキッチンで水を一杯飲んでから、優雅な所作で身を起こした白猫の対面に腰かけた。


 記憶が確かならば、彼女は僕たちが赤煉瓦城塞を訪れたとき、クセルク団長の部屋まで案内してくれた猫だ。


「アンタ……城塞にいた猫か」


「ロゼッタと申します。夏音さん、省吾さん。戦闘の報告は受けました。ご無事でなによりです」


 所長に劣らず見事な毛並みを持つロゼッタは、淡いブルーの瞳で僕たちを見据える。洗練された魅力を持つ大人の女性、といった印象だ。


「で、話ってのは?」


 夏音さんがぶっきらぼうに尋ねる。


「情報提供です。あなた方が監視任務をおこなっている間に、こちらで調べたことをお教えしましょう」


「お、結構律儀だな」


「騎士団は約束を違えません。さて」


 ロゼッタはおもむろにソファから降り、座っている僕の膝に飛び乗った。太腿に柔らかい肉球の圧力を感じる。外の世界でこんな風に振舞われたら、思わず撫で繰りまわしてしまうところだが、あの徐に対してはやめておいた方がいいだろう。僕は居住まいを正しながらも、いきなり距離を詰めてきた彼女の意図を測りかねていた。


「省吾さん。あなたは自分の母親が何者だか、知っていますか?」


 想定していない問いをぶつけられて、僕はさらに戸惑う。


「……どういうことですか」


「知りませんか?」


「母は僕が小さいころに死にました。ロゼッタさんの言っていることがよく分かりませんけど、普通の女性……だったと思います」


「あなたの母親、深見琴葉(ことは)は十四年前に交通事故で死亡した。そのさらに十年前、深見慎一郎という名前の男性と結婚した」


 なぜ知っているのだろう? 僕はロゼッタに両親の名前など教えていない。


「さらにその二年前、琴葉……もといミルカは〈(ケージ)〉の中にいた」


 なんだって?


 僕は思わずネメオス所長の方を見た。彼は平静を装っていたが、その瞳孔は精神の揺らぎを示すように大きく開かれていた。


「横浜駅の地下街から異界が溢れ出したときに〈夢幻世界〉からやってきた少数の猫と人間。あなたの母親はその中に含まれていたのです。記憶を失ったバステト女神の祭司ミルカ。あなたと妹の姫花さんはその子どもなのですよ。


 ミルカはフェリス秘密教団の前身となる組織に拉致されたあと、当時のネメオス所長に救出されました。そして〈(ケージ)〉の外へ連れ出され、一般の……この〈覚醒世界〉出身の男性に保護されました。後見猫となるべきネメオス所長が失踪してしまってからも、私たち黒獅子騎士団は彼女の監視を続けました。いつ記憶が戻り、支援が必要になるか分かりませんでしたからね」


 ロゼッタは所長に非難がましい目を向けたが、あらかじめ所長の事情を聞いていた僕は、彼の行動を責める気にはなれなかった。


「しかし結局、ミルカが司祭としての記憶を取り戻すことはありませんでした。やがて妻となり、母となり、外の世界に馴染んでいった。彼女が不幸な死を迎えるに至って、私たちは監視を終えることにしました」


「では、僕たちのことも知っていたんですね」


「ええ、十年以上前のことなので、すぐには確認が取れませんでしたが」


 しばしの沈黙がおりる。


 いままで知ることのなかった母親の意外な過去を、僕はすぐに消化できないでいた。記憶の中にある優しい笑顔と、所長やロゼッタの語る特異な出自が、どうにもうまく繋がらなかったのだ。


「つーか所長、大事な人の息子だったのに気づかなかったのかよ」


 夏音さんが言う。


「面目ない。人間を顔で識別するのはどうも……。においもだいぶ違ったし」


 僕だって猫の個体を正確に見分ける自信はない。それになんといっても、三十年近く前の記憶なのだ。


「フェリス秘密教団も、僕と姫花が母――ミルカの子どもだということを知っているんでしょうか?」


 僕は尋ねた。


「知っているでしょうね」


 ロゼッタが答える。


「だから姫花は攫われた?」


「それ以外の理由は考えられません。そして、あなたが狙われる理由も同様のはず」


「一体なんの目的で?」


「現状、判明していません。奪われたバステト秘典と関係のあることだとは思いますが」


 矢継ぎ早の質問に辟易したのか、ロゼッタはふいと顔を背けて僕の膝を降り、再び対面のソファに乗って身づくろいをしはじめた。


「調べるのは簡単だ。無名の女王(アンネームドクイーン)へ乗り込めばいい」


 夏音さんが言った。


「何匹ものショゴスを相手取ってですか?」


「……言ってみただけだ」


 これまでに何度か名前を聞いたショゴスとは、一体どんな生物なのだろう。好戦的な夏音さんでも慎重になるということは、屍食猫(グラット)より危険な存在なのかもしれない。


無名の女王(アンネームドクイーン)に乗り込むのは論外ですが、手掛かりがありそうな場所には目星をつけています。とはいえ、危険度という点ではそれほど劣りませんけれど」


 ロゼッタの言葉に、僕は身を乗り出す。


「もしかして、コズミックワールドのことを言っているのかな?」


 ネメオス所長が、疑わしげに尻尾を揺らした。


「ええ、そこにいるアルハズラッド氏は、かつてミルカと同様にバステト女神の祭司でしたから。魔術や魔導書の類にも造詣が深い。この局面においては、有用なアドバイスを提供してくれるでしょう」


「しかしロゼッタ、君も騎士団所属なら知らないはずはない。アルハズラッド氏はヨコハマ大地下街(ダンジョン)発生の初期に攻略を試み……正気を失ってしまったということを」


「無論です。しかし彼の知識までもが失われたとは考えていません」


 強い口調で主張され、所長はふーむと唸る。彼もアルハズラッド氏訪問がまったくの無益だとは考えていないのだろう。


「所長、こうなったら日和っててもしょうがねえだろ。アルハズラッドのジジイがなにか知ってそうなんだな?」


 夏音さんは脚を組んでソファに背を預け、僕たちを順繰りに眺めた。


「だったら言って話を聞く。そのためにわたしがいるんだから」


「……分かったよ。教団に直接当たるのでない限り、それが現状唯一の手掛かりなのは事実だ」


 どこか納得しきっていない様子ながら、所長はロゼッタに向き直って礼を言った。


「情報提供感謝する、ロゼッタ。クセルクにもよろしく伝えておいてくれ」


「確かに伝えましょう。では、私はこれで」


 白猫はするりとソファからおりて出口へ向かい、触れることなくドアを開くと、吹き込む早朝の空気とともに事務所を去っていった。所長は小さくため息をついてから、窓際にスツールに戻る。


「夏音さん、お腹空いてませんか。僕、なにか作ります」


 僕は場に残った緊張をほぐすつもりで言い、ソファから腰をあげた。


「おー、お前料理できんのか。じゃあ頼むわ」


 考えてみれば、昨日の昼は抜き、夜はカップ焼きそば、翌日の朝は生パンとジャム、その昼と夜はレーションで、ちゃんと料理したものを口に入れていない。


 ゆっくり食事をするほどの余裕がなかったというのは事実だが、栄養は摂れるときに摂っておいた方が後々楽になると、僕は工場勤務の経験から知っている。


 姫花との共同生活を通して、僕は基本的な料理ができるようになっていた。とはいえ事務所には食材も調味料も乏しかったので、僕は先日ヤナギ堂で買ったばかりの鯖の水煮缶とタマネギで、ありあわせの一品を作ることにした。コンロの下にある棚を探ると、切れ味の悪い万能包丁と錆びかけたフライパンが発掘できた。


 十五分後、僕は慣れないキッチンで、なんとか食べられるものを完成させた。


「そういえば所長は普段、なにを食べてるんですか。人間と同じものはあんまりよくないんですよね、確か」


 僕は皿に分けた和え物をテーブルに置いてから尋ねた。


「省吾、このあたり、〈(ケージ)〉の外に比べると放置されてる生ゴミが多いだろ? その割にネズミとかゴキブリをあんまり見ないのは、なんでだと思う?」


「夏音君、外聞の悪いことを言うものではないよ。まあ、ぼくの食事については心配しなくていい。自分の面倒は自分で見られるから」


「そうですか……」


 確かに、彼をペットと同じような世話が必要な存在と見なすのは、かえって失礼にあたるだろう。そういうわけで人間二名は、しばらくぶりの手料理にありつく。僕が意外に思ったのは、夏音さんがちゃんと「いただきます」をすることだ。


「うまいな。これ、うまい」


 そう言いながら、夏音さんは和え物をもりもり食べた。僕はそれほど自分が料理上手だとは思っていない。失礼ながら、普段の彼女はあまり多彩な食生活を送っていないのだろう。


 食事中、所長が窓の外を眺めながら、ロゼッタの提案に言及する。


「我が古巣ながら、あまりいい感じはしないね。省吾君。黒獅子騎士団は多分、君のことを囮に使おうしているし、死んだら死んだで、懸念が一つ減って結構なことだと考えるだろう。君たちをコズミックワールドに誘導するのも、自分たちの損失を押さえつつ成果を得るためだよ」


「きっとそうなんでしょうね。僕も、彼女らが無条件に親切じゃないことは分かります。でも、嘘や罠じゃないなら、話に乗ってみるしかないんだとも思ってます」


「……そうか。きっと君はぼくがはじめ思ったよりも、意志の強い人間なんだね」


 それから彼は遠く過去へと記憶を彷徨わせるように、長いこと空を眺めていた。


 食事を終えた僕たちは、午前九時まで休息を取り、それからアルハズラッド氏を訪ねるべく、コズミックワールドへ向かうことに決めた。

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