第11話 暗夜の襲撃
短い睡眠と不確かな覚醒を交互に繰り返しながら、僕は不思議な夜を過ごした。
眠っている間に何度も同じような夢を見た。夢の中で、僕は四角い檻の中に捕らわれていた。檻の周囲では人間の声で話す猫と、猫の声で鳴く人間とが、囁きあいながら珍しげに僕を眺めていた。
その態度には称賛と嘲笑の両方が含まれていて、恐ろしくはなかったが、ざわざわとした不安を掻き立てられるなにかがあった。
檻を形作る鉄棒は映画に出てくる牢獄のように太く、それぞれの間隔は人ひとりが易々と通れるほど広かった。しかし僕はなぜだか外に出る勇気がなく、檻の中に長い間座り込んでいた。
かといって、人間や猫に話しかけたり、声に応えたりする気も起きなかった。誰かがそのうち自分に食事や仕事を与えてくれるだろう、と期待していたのだった。
そして、ふとした拍子に夢から覚める。
目を開けてみれば、自分が怪物の跋扈する街で、暖房器具もない廃ビルの中、冷たいデスクの上に横たわっていることに気づく。これは本当に現実なのだろうか。二日前まで生活していた家や職場から、ほんの十キロも離れていない場所がこんな風になっているとは、しばらく過ごしてみてもまだ信じることができない。
考えているうち、また眠りに落ちる。
檻の夢と〈檻〉の夜とを、僕は曖昧に行き来する。
その夜が危険なものに変わったのは、午前二時ごろのことだった。
僕が夢の世界から何回目かの帰還を果たし、また自分の境遇についてしみじみと考えていたとき、傍らの夏音さんがもぞりと動き、ゆっくりと半身を起こすのが分かった。彼女は少しの間微動だにせず、呼吸さえ殺している様子だったが、やがて僕の肩に触れ、耳元で鋭く囁いた。
「省吾、起きろ」
「起きてます」
「誰か来る」
僕はなるべく音を立てないように毛布から這い出し、近くに置いてあったトーラスに手を伸ばした。わざわざこんな時間このフロアまであがってくるような存在が、好ましい訪問者であるはずはなかった。
ベッド代わりにしていたデスクから降り、埃っぽい暗闇に頭まで浸かる。フロアの入口付近を窺うと、懐中電灯のものと思しき光が三つ、チロチロと壁を舐めていた。
「相手の姿が見えたら、トーラスを撃って引きつけろ。無理に狙わなくていい。わたしが回り込む」
僕が頷きを返すと、夏音さんは二挺のコルトを携え、足音もなく姿を消した。
いまのところは静寂がフロアを支配している。しかし不穏な気配は一秒ごとに濃くなり、僕の鼓動も苦しいほどに高まってきていた。
相手は銃を持っているだろうか? 多分持っているだろう。こちらが撃てば、当然撃ち返してくる。
それはつまり殺しあいだ。僕はこれから人間と殺しあいをするのだ。
冷えた夜気とともに、足元から恐怖が這いあがってくる。
いっときその場に留まっていた侵入者たちが再び動き、慎重な歩みでフロアを索敵しはじめた。三つのライトが左右に振られ、互いに死角をカバーするようにあたりを照らしていく。僕たちの存在を確信しているのかどうかは分からないが、隠れてやり過ごすのは難しそうだ。
デスクの陰からそっと銃口を出した僕は、動くライトに狙いを定めた。いつまでもためらっていれば、夏音さんが発見されてしまう。
僕がトリガを引くと、爆発的な銃声がフロアを揺るがした。その音はきっと一階までも届いただろう。
あたりを満たしていた冷たい緊張に火がつき、場が一気に過熱する。
もちろん相手は反撃に出た。僕が頭をひっこめるのとほぼ同時、いくつもの弾丸が飛来して、デスクの角や背後の壁を削った。闇の中に粉塵が舞い、細かい破片がパラパラと落ちた。
侵入者が鋭く声を交わし、身を隠す気配がした。ライトが二つ消える。
僕は這いずって場所を変えたあと、残っているライトに向けて、もう二発ほど射撃を試みた。狙いはほとんどつけられなかった。多分、命中はしなかっただろう。
とはいえ、向こうもこちらを正確には捉えられていない。複数の銃から放たれた弾丸は、いずれも僕から二メートル以上離れた場所を穿った。敵が射撃を続けつつ、一人を割いてデスクの島を回り込み、大胆にも接近してこようとするのが分かった。
しかし、その進路上には夏音さんがいる。
僕は彼女の戦いぶりを、デスクの陰から窺っていた。トーラスで援護しようかとも思ったが、誤射の恐れがあってできなかった。
デスクの間に身をひそめていた夏音さんは、肉食獣の俊敏さで敵の眼前に飛び出した。彼女は片脚を軸にして身体を勢いよく回転させ、硬い銃把で顔面を殴りつける。相手が背中から倒れると、もう片方の手に持っていたコルトが火を噴いた。
「女は殺せ!」
そう叫んだ敵が、夏音さんに射撃を加える。しかし既に彼女はその場を離れ、フロアの闇と同化していた。
半秒ごとに神経が削られるような思いを味わいながら、僕は意を決して遮蔽物から身を乗り出し、低い姿勢のまま敵に向かってトーラスを撃った。強い反動で銃身が跳ね上がり、手から吹っ飛びそうになる。やはり半端な構えで撃てる銃ではない。うまく戦力になれていないのがもどかしい。
しかし結果的には僕が助ける必要もなかった。一人目が斃れた三秒後には、まったく思いもかけない位置でコルトの銃声が響いた。発射炎に照らされて浮かびあがる彼女の顔は、凄絶な笑みを湛えているようにも見えたが、もしかするとそれは僕の思い込みであったかもしれない。
弾丸の交錯は長く続かなかった。やがて床に倒れた侵入者の弱々しい呻き声が、戦闘の終わりを告げた。歩み寄った夏音さんにそれぞれ完全なとどめを刺され、僕たちを襲ってきた三人は物言わぬ死体と化した。
「省吾、生きてるか?」
夏音さんがこちらを振り向く。物陰からのっそりと這い出した僕は、死体を踏まないよう彼女に合流した。血と硝煙のにおいで頭がくらくらする。
「生きてます。夏音さんの方こそ怪我は」
「ないない。こんな雑魚ども相手に怪我なんてしねえよ」
僕は床に落ちた懐中電灯を拾いあげ、侵入者たちの顔を照らした。どちらも男性で、一人は右眼の下、もう一人は眉間のあたりに、夏音さんのACP弾で開けられた孔があった。トーラスの弾丸は命中しなかったようだが、僕はその事実にむしろ安堵を覚えた。
「この人たち、見たことあります?」
「ないな」
夏音さんは侵入者たちの傍でかがみこみ、その袖をぞんざいにまくった。
「でも、正体は分かる」
「誰ですか?」
「フェリス秘密教団だ。手首にバステト女神の刺青があるからな」
光を当てながら見てみると、彼らの手首には赤い線で描かれた女神の姿があった。
「なにが『目立たずに行動できる』だよあのクソ猫。早速バレてるじゃねえか」
「夏音さん、ちょっと気になったことがあるんですが」
「ん?」
「この人たち、さっき『女は殺せ』って言ってたんですよ」
「男の方は生かして犯せって?」
「……違います。もしかすると彼らは、僕たちのことを単なる監視だとは考えてなかったんじゃないですかね。というか、主に僕のことを」
「つまり、フェリス秘密教団がお前の素性を知ってて、生け捕りにしようとしてたってことか」
「多分」
「なんで?」
「分かりません。でも、姫花が拉致されたことと関係があるんじゃないかと思います」
夏音さんはしばらく考えるような素振りを見せたあと、鼻を鳴らして肩をすくめた。
「とりあえず別の階に行って休むか。朝になったら事務所に帰って、所長に相談しよう」
ひとたび銃撃戦が終われば、ビルの中は十五分前と変わらぬ静寂に満たされた。秘密教団からの刺客を斃した僕たちは、その死体を置き去りにして三階下のフロアへ移り、そこで明るくなるのを待つことにした。
途中、騎士団に襲撃の旨を報告したが、帰ってきたのは現場からの離脱を許可する、というそっけない伝達だけだった。その程度の事態は想定済みだし、いちいちこちらの手を煩わせるな、とでも言わんばかりだった。




