三題噺 「毒」・「ピンポン玉」・「8つ目の大罪」 タイトル:「ヤクト国の優勝杯にまつわる伝説」
真教歴535年、インディナ亜大陸は二つの大国により二分されていた。
前世紀初頭に東方より伝わりし一神教『真教』を国教とし、国民に教義の厳格な実践を求める宗教国家ダメル法国と、それに反発する形で諸領邦国家を糾合し誕生したジンメル帝国である。
両国の国境線上に位置する小国ヤクトは、歴史的にはジンメル帝国に属すべきであるが、帝国樹立に前後して、現国王が真教徒の妃を娶り、政治的な距離を取ったために長らく不安定な政治状況に置かれていた。
8月、ジンメル帝国有数の諸侯であるジャハーン王が、演習名目で大軍をヤクト国境近くに差し向けたことで、ヤクト国は風雲急を告げることになった。
「父上、11ポイント先取の1ゲーム制でよろしいですね」
「本来は5ゲーム制が伝統であるが、ふむ、我々に残された時間はあまりにも少ない」
人気のない謁見室。
玉座に腰を掛ける初老の男は現国王ルバ。そして部屋の中央まで卓球台を運び込む逞しい若者は、その長子ガナである。
ルバの手には片手で持ち運ぶにはやや大きすぎる黄金の杯があった。老王は立ち上がると卓球台の脇まで杯を運び、小さな木の台座の上に置いた。
「この優勝杯を使うことになるとは皮肉なものよ」
「先祖たちもみな見守ってくれていることでしょう」
王子は懐からマイ・ラケットを取り出し、勢いよく空を切った。二度、三度。振るごとに勢いは強まり、肉体・精神共に充実した若者の勢いをそのまま表していた。
一方の老王。先祖代々伝わる、万年の時を生きた霊木から切り出されたラケットがいつの間にかその手に握られていた。
「父上、準備運動はなさらないのですか」
「わしは常在戦場よ。先行はくれてやる。かかってきんしゃい」
王はマントを脱ぎ棄てると伝統の浴衣姿を現した。王子もそれに応えるように服を脱ぎ、上半身を晒した。
「ハァァァァァァ」
王子の鋭いサーブ。空を裂く一撃も老王の出鼻をくじくには至らなかった。
待ち構えてたかのようにピンポン玉を返すと、そこから激しいラリーの応酬が始まった。
「力みすぎじゃ、ガナ」
「出し惜しみをしている場合でもないのですよ、父上」
一進一退の攻防が続き、スコアは瞬く間に3対3へと進んだ。
「このピンポン玉はまさにヤクトじゃ。二つの国を行ったり来たりと、決して安らぐことがない」
「父上、国は国。ピンポン玉はピンポン玉です」
「つまらないことを言う」
激しい動きな中で行われる、他愛のない会話。老王は息を切らすどころか、会話を楽しんでいるかのように微笑んでいた。
スコアは5対5へと進む。
「真教に七つの大罪という教えがある。貪食、色欲、金銭欲、憤怒、怠惰、嫉妬、傲慢のことじゃ」
「母上から習いました。それがどうかしましたか」
「では、8つ目に大罪とは何かという問いじゃよ。わしは子の親殺しじゃと思う。言葉そもままというわけでもない。先祖から代々受け継いできたもの、それを無下にすることの罪よ。先人の教えを受け継ぐことなしに文化は生まれぬ。その先にあるのは獣の道ぞ」
「なるほど、では私は親の子殺しと答えましょう。年寄りが古き因習に捕われ、若者たちの可能性を奪うことです。それこそ社会の発展を妨げる罪ではないですか」
スコアは拮抗。7対7へと進む。
「東方への交易路を抑えておるダメル法国がしばらくは優勢となるじゃろう」
「はい」
「しかし、交易路が運んでくるのは富とばかりは限らん。東方には欲深き王が多い。政争の火種には事欠かんじゃろう。東が動けば、帝国は法国を挟撃する形になる」
「はい」
黙ってうなづく息子に老王は満足した様子だ。
スコアはいよいよ10対10となる。専門用語でジュースという。
「ジャハーンは有力とはいえ、主戦派のリーダーの一人にすぎん。今は法国も帝国も内政に専念したい時期。それは皆わかったうえでパフォーマンスをしているにすぎん」
「では静観するとおっしゃるのですか。嵐が過ぎるのを待つと」
「そうではない。嵐が過ぎ、やがて機が熟せば、そのときこそヤクトは滅びるしかない。我々が嵐を起こさねばならぬのだ。ジャハーンは策士を気取ってはいるが、感情の抑えが効かん男よ」
「ならば自ら戦を起こそうとそうおっしゃるのですか」
「多くの民が死ぬだろうな。しかし、国は生きながらえる。八つ目の大罪、それは政よ。罪を罪と知り、毒杯を仰ぐ覚悟がなければ王は務まらん。貴様にその覚悟があるか」
父の問いに、息子は全力のスマッシュで答えた。
スコアは 10対11。
「見事じゃ。ガナよ。貴様、帝国と通じておるな。わしから王位を奪い、帝国に加わると密約しておるのだろう」
「はい。いまさら隠し立てするつもりはありません」
そして王子は知っていた。父王もまた法国とあいだで密約を交わしていることを。
「ふむ。しかし、未だ勝負は終わっておらん。ジュースとなった際は、2点差が開くまでゲームは続く。勝ったほうがこの国の王じゃ」
「はい。勝負を終わらせましょう」
最後の一点を巡る攻防が始まった。しかし、もはや老王の体力はつきかけているのかその動きは鈍い。
あっけなく決着がつくと思われたその試合。結果は13-11。王の勝利。
王子はうつむいたまま動けなかった。
「ひゃひゃ、まだまだじゃのう。王位はまだ渡せんか」
王は黄金杯を手に取ると王子に向かって突き出し
「勝利の美酒を頂こう。注いでくれるかな」と促した。
王子は黙ったまま酒を注ぐ。
「すまんな。わしは勝ち逃げしたいんじゃよ」
王は酒を一気に飲み干すとそのまま息絶えた。
王は自らの自決を条件に法国の衛星国としての存続を確約していたのである。
王子は毒杯には気づいていた。王は自分を暗殺するつもりであると考えていた。
何も正直に祝杯をあおる必要もない。
だが、違和感に気付いてしまった。それは王の衰え。
国技卓球は本来5ゲーム制。いくら年老いたとはいえ1ゲームでばてる父王ではない。
毒杯を渡すためにわざと負けようとしているのであれば、もっとうまく演じるはずだ。
王はもう長くない。そして、そのことを知っている。
王子は確信してしまったのだった。
新たなる王には二つの道が残されている。
父殺しとして帝国につくか、父に従い法国につくか。
何れにせよ彼が背負わなければならないものは、あまりにも大きい。
大罪。しかし、それを望んで背負うものこそが王であるのだ。