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side:伊月 日向 その3

「いただきまーす!」


 私の大好きな男の子が、私の作ったカレーを美味しそうに食べてくれる。

胸がぽかぽかする……幸せすぎて涙が出そう……。


「ん、なんだよ日向? 俺の顔、なんかついてる?」

「んーん、なんでもない! ね、美味しい?」

「美味しいよ、日向はいい嫁さんになりそうだなぁ」

「もう、恥ずかしいよ……わ、私も食べようっと!」


いつもの食べなれたカレーが、今日はいつも以上に美味しく感じた。



 * * *



 お昼を食べたあとは、引き続き勉強だ。

午前中にある程度の基礎を教えたおかげで、ヨウくんも特に詰まることなく

解答欄を埋めていく。もう、私が教えることは現文ではないかもしれない。


……今日も、ヨウくんは朝に走りに行ったのかな……。

朝、ちょっとシャンプーの匂い、したもんね。

ぼーっとヨウくんを見ていると、ふと疑問が口を突いて出た。


「ねぇ……ヨウくんは、どうしてそんなに走るの……?」

「ん、なんだよ突然」

「ケガしてから、ずっと大変だったんでしょ? やめようとは思わなかったの?」

「うーん、そうだなぁ……」


シャーペンをぺんぺん、と下唇に当てる仕草。

昔からよくやる、考えている時の仕草……。


「思わなかった、かな」

「なんで、って聞いてもいい?」

「これは、俺の走る理由でもあるんだけどさ」


そういうと、少し遠い目をしながら……ここにはいない、

『誰か』を目の前にしているのか……。


「昔、まだ小さい頃だけど、俺が走ると喜んでくれる女の子がいたんだよ。

 俺が走ると、ヒーローみたいだ、って言って喜んでくれてさ」


知ってる。


「運動会なんかで1位になると、すごい喜んでくれるのが嬉しくて嬉しくて……」


……知ってる……。


「結局俺が走る理由って単純で、その子に笑顔でいて欲しかっただけなんだよな」


ま、その子とは何年も話もできなかったんだけどな、とこちらを見ながら

笑うヨウくんを見ると、罪悪感で胸が苦しくなる……。


知ってたよ……ヨウくんが走る理由。

なんで、あんな思いをしても、まだ走るのか。

それなのに……私は……。


「……ごめん、ちょっと、お茶入れなおしてくるね」

「おー、すまん、助かる」


震えそうになる声を必死に抑え、部屋の外に出る。

だめ、ヨウくんに気がつかれちゃ、ダメ……。




あの時、ヨウくんが怪我をしたと聞いてすぐ、私はお見舞いに訪れていた。

疎遠だったからとか、そんな事を考えている場合ではないと思ったからだ。


でも、そんなヨウくんの側にはあの子……土矢さん……が、いた。

まるで、昔の私を見ているようで、胸が苦しくなった。

どうして、そこは私の場所だったのに……!


……違う、これは彼女のせいじゃない。

全ては、私が招いたこと。

……私が、気弱で臆病な私が、悪いんだ……。



そんな二人を遠くから眺める私に、陽愛ちゃんに言われた事が、

今でも頭にこびりついている。


『兄が、どうしてあんな辛い思いをしてリハビリしているか、わかりますか?』

『昔、兄が好きだった誰かさんが、兄が走っている姿がかっこいい、ヒーローみたいだって言ったからですよ』

『今は疎遠になったけど、俺が走ってればあの子は喜んでくれるから』

『そういって、兄はずっと走っていました』

『その結果が……あの姿です』

『今も、記憶の中の誰かさんを喜ばせるために、

 兄は辛いリハビリを乗り越えようとしています』


何も……言えなかった。

心臓が、嫌な音を立てている。


『あれを見ても、なんとも思いませんか?』

『どうして兄と話もしなくなったのか、理由は知りませんし、

 私は知りたくもありません』

『ただ、今はツッチーが兄の新しい支えになろうと、努力しています』

『私は家族として、ツッチーを応援します』

『忘れないでくださいね』

『兄から逃げた幼馴染さん?』



あの時の陽愛ちゃんの冷たい視線が、どうしても怖くて……。

それ以降、未だに陽愛ちゃんとは、一度も話をしていない。



■□■□■□■□■



「お待たせ……ごめんねヨウくん……ヨウくん?」


気持ちを落ち着け、部屋に帰った私の視界に入ったのは、ベッドを背もたれにし、お休みしているヨウくんでした。


「ふふ、寝ちゃってる……普段はあんなにかっこいいのに、寝てる顔は可愛いなぁ……」


昔はよく、一緒に寝ていたから、何回も見た寝顔。

かっこよく成長しちゃったけど、寝てる顔は昔と変わらないなぁ……。


「あ、そうだ、写真撮っちゃえ」


いろんな角度からヨウくんの写真を撮っていきます。

あ、この角度……この角度のヨウくんがいいなぁ、ふふ。


「…………」


ヨウくん……。


今、この家には誰もいない。

誰にも、何もバレることはない。


気がつくと私を、抑えきれない『何か』が突き動かしていて……。


「んっ……」


それは、優しく、触れるだけの口づけ。


「ヨウくん、好き……好きだよ……」



こんな事をいう資格は、もう私にはないのかもしれない。

陽愛ちゃんに言われなくても、わかってる。

でも、私はもう、私の心に嘘をつきたくない。

……後悔も、したくない。


だから私は、今出来る精一杯を、ヨウくんに見てもらう。

これは、ヨウくんがくれた、チャンスだから。


……だから……今は、今だけは……。



――――貴方を好きでいても、いいですか?



最後に、私が選ばれなかったとしても……今だけは……。

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