幼馴染の朝とこれからの事
「ヨウくん、おはよう!」
朝、いつも通りに家を出て登校……と思ったら、日向が待ち構えていた。
どうやら今日からは、一緒に登校するつもりのようだ……。
「なぁ日向……一緒に行ったら、昨日の努力無駄にならないか?」
そう、昨日あれだけ、あれだけ俺と日向は幼馴染以上ではない、
と周りを説得した意味がなくなってしまう。
それどころか、しばらく針の筵となる可能性も……!
「私は別に否定してないから知りませーん♪」
「おいおいおい、ちょっとは俺の生活も考えてくれよ……」
「わかりました! 今日も一緒にお昼食べようね?」
くすくす、と笑う日向に、がっくりと項垂れそうになる。
くそっ、噂が沈静化するまえに、どんどん炎上ネタ放り込んでどうするんだよ!
……それにしても……。
「学校に近づくたびに、視線が増えるのを感じる……」
「え? 気のせいじゃない?」
日向は何も感じていないようだが、こいつはもう慣れっこなんだな、人の視線に。
俺のような小市民にはわかる。
あの伊月日向の隣を歩いている男は誰だと言った、嫉妬、好奇心、様々な感情が混じった視線が向けられているのが。
日向の隣を歩くんだから、ある程度は予想していたのだが……。
「この視線の中、よく普通に歩けるな日向は」
「ヨウくんが気にしすぎなんだと思うけどなぁ……あ、なんだったら手、繋ぐ?」
「この視線の中でそんな事したら、刺されるんじゃないか俺?」
「ふふふ、じゃあそれは、帰りだけね?」
悪戯っ子のような笑顔をして……こんな顔も似合うなこいつ!
というか、これは今日も帰りを一緒にする気だな。
今日こそは流されることなく、毅然と対応しよう、俺は強く決意をしたのだった。
* * *
結局、朝、日向と登校したことについては特に何も言われなかった。
まぁ幼馴染ならそういうこともあるか? と納得してくれたらしい。
昨日の放課後のデート……? がバレていなくて、本当によかった。
……本当によかった……っ! かけがえのない平穏な日常万歳!
そうしていつも通りの一日を送った放課後。
また一緒に帰ろう、とこちらの教室まで来た日向を連れて昇降口へ向かう最中……。
「すまん水城、帰るところを悪いんだが、ちょっと時間いいか?」
金屋に声を掛けられた。
なんだ、また陸上部に顔を出せって話か?
「おう金屋、悪いけど陸上部なら行くつもりは……」
「いや、部活に来いという話ではなく……まぁ、今後の話だな」
うーん……今後のことか。
まじめな話っぽいから、聞いたほうがいいか、これは?
インハイ予選も終わったところだから、そうそう忙しいわけではないはずだが……。
「日向、悪いんだけどこの後、金屋と陸上部のほうに行ってくる」
「うん、了解。じゃあ、話が終わるの待ってようか?」
「いや、帰っていいんだぞ? どれだけ時間かかるかわかんないし」
「ううん、大丈夫! 図書室にいるから、終わったら連絡して?」
「……了解」
どうしても一緒に帰るんですね。
手を振って離れていく日向を見送るのを、金屋がぽかんと見ていた。
「お前たちは何時の間に、そういう関係になったんだ……?」
「どういう関係だよ」
「いや、まぁ、恋人というかそういう……お前にはてっきり、土矢さんが、と」
土矢と俺が彼氏彼女?
ふむ……ふむ?
……うーん、日向と俺が彼氏彼女と同じくらい、想像がつきにくいな……。
「土矢と俺も、別にそういう関係ではないんだぞ?」
「む、そうなのか……仲がいいと思っていたんだが……ふむ、そうか……」
「なんだよ」
「いや、なんでもない、悪いな時間を取らせてしまって、来てくれ」
そのまま、金屋と陸上部の部室へと向かう。
おお……久しぶりだな、ここ入るのも。
「さて。今年のインターハイ予選、水城は不参加だったわけだが」
「すまんな、まだ出れるような状態じゃなかったんだ」
「ああ、それはいい、仕方のないことだとみんなわかっている」
もう1年近くも籍を置いているだけの俺に何も言わないなんて、
なんなのこの部活の人たち、聖人か何かの集まりなの?
普通、文句の一つも言いたくならないの? 逆に怖いんですけど!
「それで、今後大会に出るつもりはないのか? ということなんだが」
「……まぁ、おいおいってとこかな」
「おいおい、な」
ふぅ、とため息を一つ。
「知ってるんだぞ、お前が朝夜、走りこんでること」
「え……」
「むしろ、なんで知らないと思ってたのかが、俺にはわからん」
「……誰かに、聞いたのか?」
俺が走っていることを知っているのは、陽愛ちゃんか、土矢だ。
日向から漏れたという線は、昨日今日では考えづらい。
となると、接点を考えると、土矢が……?
「いや、聞いたわけではないんだ。朝走っているのを、見かけた奴がいてな」
土矢がもらしたわけではないようだ。
頭の中の土矢が、「ボクを信用してくれないんですか!?」と怒っている。
すまん、土矢。
「そこから考えるに……部活への復帰は考えてるんだろう?」
「まぁ、そりゃな」
「それならば、今後の大会参加の希望も聞く必要があるだろう?」
今後の大会開催予定をぱらぱらとめくりながら、話しを続ける。
「今年はもうインハイ予選も終わってしまっているから、9月以降だが……」
「そのことなんだけど……すまん、すぐには回答できそうにない」
「なぜだ? 膝ももうほぼ完治していると聞いたが」
「そっちはな。実は……」
そうして、俺は昨夜のことを話した。
走れはするが、全力では走れないこと。
どうしても、膝に力が入らなくなることを。
「なるほど、全力で走れない、か」
「ああ……近いところまでは行くんだが、そこから伸びないというか」
「原因はわかっているのか?」
「……」
分かっている。
結局のところ、怖いんだ、俺は。
また、怪我をすることが。
昨年の夏。
馬鹿な子供だった俺は、練習中に、怪我をした。
あの頃、1年生にして大きな大会で結果を残し、周囲の期待を背負っていた。
同じ種目に出た先輩も期待してくれている。
先生や、周囲のみんなも楽しみにしてくれている。
頑張らないと、もっと、もっと結果を出すために頑張らないと。
俺を『ヒーロー』と言ってくれた、あの子のためにも……!
気負いすぎていたんだろうと、今の冷静になった俺ならわかる。
完全に、オーバーワークだった。
その少し前から、膝に違和感があるのは分かっていた。
……わかっていて、対処を怠った。
その時は後回しでいいし、何かあって次の大会に出られなかったら困ると思っていたからだ。
本当に、今考えると馬鹿なことだと思うよ、全く。
左膝前十字靭帯断裂・半月板損傷。
それが、馬鹿な子供が体の悲鳴を省みず、馬鹿なことをした結果、負った傷。
周囲の期待を裏切る絶望、記憶の中の『あの子』が悲しむ顔。
今思い出しても背筋が凍る、辛い記憶だ……。
「俺はさ、また、怪我をすることが怖いんだと思う」
「…………」
「トップスピードに乗るかって時に、ふと頭をよぎるんだ……。
あの時の、膝から力が抜けた時の感覚と、その後に来た痛みが」
「それは……」
「ははっ、笑っちゃうだろ? もう1年も前の話なのにまだビビってんだよ」
それが、完治したはずなのに、走れない理由。
「だから、今すぐなんかの大会に……ってのは考えられないんだ」
「いや、そういうことなら仕方ない……」
「悪いな、金屋。気を使ってもらってるのに」
「こちらこそ悪かった、嫌な話、させてしまったな」
「気にすんな」
話は終わりだと、カバンを手に持ち、ドアへと向かう。
ふぅ、なかなか精神的に堪える時間だった……。
甘いものでも食べてぇ……。
「みんな、また水城が来るの、待ってるからな!」
「……ああ、そのうち、走れるようになったらまた来るわ」
「おう」
金屋の肩をぽんぽん、と叩き、陸上部の部室を後にした。
図書室で待っている日向に連絡をしないと……。
先ほどまで晴れていたはずの空から、しとしとと、雨が降り出していた。
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ここから日向のターン!




