第5話 “かたつむり”
夜。
わたしは自室のベッドでゴロゴロしていました。
「………」
ルト子…最近やけに“お家”に人を連れこみたがりますよね。
チビ蔵くんも連れこまれているのかな?
彼、女への免疫なさそうだからなあ〜。
「………ッ」
ええい。
どうでもいい。
わたしは寝返りをうちました。
別にカンケーないし!!!
………………
…………
……
ガバッ!と、わたしは起き上がりました。
…散歩にいこう。
──『グレイ森』に。
今は、なんとなく森で夜風にあたりたい気分なんです。
断じて、気になって様子を見に行くワケじゃないですよ!!!
────────
パシャン……
パシャン……
そこらじゅうにある水たまりを踏みしめて、わたしは夜の森を歩きます。
右手には懐中電灯。
それで行く手を照らしますが、別になくともうっすらとは見えます。
今日はだいぶ星明かりが明るいですからね。
それは幸いでしょうか。
といっても、“シーン”とした森の中にただ一人。
不気味には違いありませんけどね。
────ハァ。
何をやってるんでしょうか、わたしは。
いや、散歩なんですけど!
…ついでに、ルト子の“お家”とやらも見ていきましょう。
そう、あの巨大な洋館です。
調べたんですが、あの館、明治時代ごろ作られたらしいですね。
あるじは『レイモン博士』という人だったらしいです。
なんでも、“悪魔降臨”の研究をしていたとか。
身寄りのない子供をたくさん買い集めていたそうですね。
しかし買い取られた子供たちは、決して姿をみせることはなくなった…
いぶかしんだ憲兵が館に踏み込んだところ、そこで見たモノは…
『青の地獄』
だったとか…
ていうか青の地獄ってなんなんですかね。
資料にはそれしか書いてなかったんですが。
結局、レイモン博士は憲兵に逮捕され、処刑されたそうです。
そして、最後に言い残した言葉が…
「すでに『悪魔』は降臨した。
私の“役目”は終わった」
だったそうです…
実に香ばしい人だったことがよくわかりますね。
ルト子の同類さんでしょうか。
ある意味、通じるところがあって、ルト子も“あたしの家”とか言っているのかもしれませんね。
さて、そろそろそんな呪われた館がみえてくるハズですが。
あ、見えてきました見えてきました。
木々の間から、ポカリと空いた空間が見えます。
さて、鬼が出るか…蛇が出るか…
広がりへと踏み出した、わたしが見たモノは───!!
──“もぬけのから”でした。
「──あれ?」
何もありません。
ただ、ただっ広い空間が広がっているだけ。
…道を間違えた?
いや、そんなハズはありません。
わたしは方向音痴ではありませんし、ちゃんと道は覚えてます。
それにこの広場──
なんとなくですけど、周りの木の感じが、前に洋館にきたときと同じなんですよ。
たしかにここは、館が建っていた場所に違いないハズなんです。
でも、館だけがない…
──“怖気”。
体の芯の底から、凍てつくような感じがしました。
目的…
そう、人には“目的”が必要なんです。
どんなに恐ろしげな場所であっても、“目的”があればなんとか進める。
さっきまでのわたしがそうでした。
そりゃあ、こんな夜の森は怖いですよ。
でも、洋館を目指していればあまり気にせずにいられました。
──しかし、今。
わたしは“目的”を見失った───
あるハズの館がない──
ただならぬ事態がおこっている森の中で、わたしはただ、ひとりぼっちです。
風すらいっさい吹いていません。
ただひたすらの静寂のなかで、冷気だけがわたしの体の中へと侵食してきます。
帰らないと───
ここにいてはいけない──
そんな、絶望的な予感だけがわたしの中にあります。
しかし、体が動かない……
なにか、“違和感”があるんです。
そう、森に入ったときから。
それが、わたしの体を動かせない。
なにかがおかしい。
なにかがおかしい。
でも、それがわからない──
わたしは、空を見上げました。
星空が輝いています。
雲ひとつありません。
不気味な森とはうってかわって、いい天気です。
このところは快晴つづきですからね。
たまには小雨くらい降ってくれても───
ハッとしました。
足元には水たまり。
森に入ったときから、そこらじゅうにある水たまり。
うっとうしくてたまらない水たまり。
──どうして、こんなモノがあるの?
“雨なんて降っていないのに”
少なくとも、ここ一週間ほどは雨なんてまったく降ってないです。
それは間違いないです。
水たまりなんてあるハズがないんです。
でも、それはたしかにここにある。
ならば、これは───
───ずりりっ
…なにか、“音”がきこえました。
空耳でしょうか?
──ずりりっ
──ずりりりっ
いえ、たしかに聞こえます。
この音は…そう、まるで。
なにか、とてつもなく重いモノを引きずっているような。
おぞましい“音”です。
そして音は、確実にこちらに近づいてきます。
──ずりりりりっ
──ずりりっ
なにかはわからない。
わからないけど──
わたしの生物としての“本能”が、狂ったように警報を鳴らしていました。
“逃げろ”
“気づかれてはいけない”
──と。
わたしは跳ねるように、近くの草むらに飛びこみました。
そしてギュッと目をつぶります。
強く、かたくなに。痛いくらいに。
──ずりりっ
──ずりりっ
心臓が狂ったように暴れています。
この音が“それ”に聞きつけられないかと不安になりますが、どうにもなりません。
やわらかな葉っぱのなかで、身を縮めつづけて。
ずりりっ
ずりりりっ
──もう、“音”はすぐ目の前にあります。
目を開ければ、すぐ“それ”が見えるに違いありません。
“見てはいけない”
“触れてはいけない”
そう、“本能”は叫んでいますが──
でも──
『好奇心は、猫をも殺す』
──わたしは、目をうっすらと開けました。
そこには───
洋館がいました。
そう──
“あった”のではなく、“いた”。
そう言うのがふさわしいでしょう。
なぜなら───
洋館は、“動いていた”んですから───
ずりりりっ
ずりりりっ
おぞましい音をたてながら、少しずつ、
洋館は“這い進んで”いきます。
その姿は──
わたしに、“あるモノ”を連想させました。
『かたつむり』
そう。
あの館は、まさに“かたつむりの殻”です。
最初は館そのものが動いているのかと思いました。
“ゴーストハウス”的な。
でも違う。
あの洋館自体は、ただの洋館に違いないんです。
だって、館自体は動いていないもの。
ただ、引きずられている。
あの、館の中にいる“何か”に。
あの洋館の中に、建物そのものを動かすほどの“何か”がいる。
殻を引きずる、あまりに巨大な“かたつむり”のような、『何か』が───
その証拠に、見てください。
館が通ったあとは、何かでぬらぬらとぬれています。
アレは、“かたつむり”の『体液』なのではないでしょうか?
そしてそれこそが、そこらじゅうにある、“水たまり”の正体───
わたしの足元にも“水たまり”があります。
懐中電灯で照らしてみると、わたしは“確信”しました。
わたしの推測が間違っていないことを。
だって、この水──
“青い”んです…
通常、水は青で表現されます。
海とか青いですよね?
でもそれは光の具合でそう見えるだけのことで、本当は無色透明なんです。あたりまえですけどね。
でも、この水は──
本当に“青い”──
まるで、絵の具でも溶かしたみたいに──
「うぷッ…」
急に、吐き気がこみあげてきました。
それは、そうでしょう。
得体のしれない、化け物の体液がそこらじゅうにあるなんて。
それを散々ふみつけてきたなんて。
気づけば、あたりから異臭がたちのぼっている気もします。
わたしは今、“かたつむり”のテリトリーの中にいる──
早く逃げなければ──
わたしは駆け出しました。
幸い、“かたつむり”には気づかれずにすんだようです。
このままなら──
わたしは駆けます。
一刻も早く森から出る──
それ以外のことは考えられません。
──ふと、“水たまり”が動いたような?
わたしを、取り囲んできているような?
いえ、気のせいです。
すべては、わたしの恐怖が見せる“錯覚”──
わたしは森から出るんです。
そうすれば、すべてが終わるんです。
わたしは───
わたしは───
────────
家にたどり着きました。
いつもどおりの玄関。
いつもどおりの廊下。
「はぁ……」
わたしは、安堵の息をつきました。
「よかった……」
すべてが、いつもどおりの空間。
あの森で見たモノは、幻だったのでしょうか?
終わってみれば、そんな気もします。
わたしは、靴を脱ごうとして。
しかし、すぺてが“現実”だったことを知りました。
だって、わたしの靴は──
“真っ青”に染まっていたのです………