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願い

作者: 東風

 俗に言う、「魔が差した」と言う状況だった。


 あちこちの文献を調べ、古書を漁り、ネットを巡回し。

 気がつくと、二メートル四方の白い布に自らの人差し指を切って垂れた血で、精巧な魔法陣を描いていた。

 まぁ、ここまでは冗談に努力するなんて、と言われるだけだろう。

 さらに私は、ラテン語をできるだけ正確に発音しつつ、悪魔招喚の呪文を唱えた。

 ここまでの準備にかけた時間は一年。

 さすがに自分でもキモいかな、と引き気味になりながらも、生来の凝り性が、冗談であっても完遂せよ、と自分をそそのかす。

 結果、今日この日を迎えてしまったわけだ。


 一度の誤りも許されず、私の手は何度も布を替えて書き直した魔法陣のため、あちこちぼろぼろになっている。

 そして、ようやく最高傑作と言える魔法陣ができあがった。

 真円に近い円陣にいくつものラテン語が踊る。

 私は満足と共に吐息し、円陣の八方に蜜蝋を起き、火をつけ、中央に座り込んだ。

 万一、蝋燭が倒れたときのために、蝋の下には延焼を防ぐための鉄板も敷いてある。なんて完璧。

 暗くて狭い中に、蝋燭の炎が踊る。

 私の影も、八つに分かれて壁で踊っている。

 緊張のあまり干からびそうな喉に唾液を送り込んで湿らせ、大きく息を吸い込んだ。


 一年間の集大成だ。

 一年間も「魔が差し続ける」ってのはどうなんだ? と思わなくもないけれど。

 継続は力だ、と某予備校も言っている。

 一年間の努力が、これで終わるのかと思うと、早く終わりたいような、解放されたいような、でも終わりたくないような、複雑な気分になるけれど。

 とにもかくにも、一度始まったことには、必ず何らかの終わりが訪れるものだ。


 私はそんな風に悟った気持ちで、ラテン語の呪文を暗唱した。


 蝋燭が揺れる。

 指の痛みで視界も揺れる。

 世界とは、なんてあやふやで未確定なものなんだろう。

 そんなことを考えながら呪文を唱えるものだから、声も揺れた。


 発音が大丈夫かなんてわからないけど。

 最後まで言い切ったとき、僅かな達成感が胸にわき上がった。

 こんなくだらないことでも、ちゃんと気持ちは向上する。

 これで、後数日は生きていけそう……そんなことを考えた矢先に、私の視線の先で、空間が割れた。


 空中にファスナーがあるみたいに、向こう側(・・・・)からそれは切り開かれ、白い手袋に包まれた大きな手が覗く。

 意味が分からず、息を詰めている間に、空中にあいた穴はどんどん大きくなり、その中から(もしくは外から?)、世にも面妖な格好の男性が現れた。


 白地に紺のストライプが入ったスーツに、黒い帯付きのカンカン帽、ぴかぴかに光っている先のとがった革靴、そして……そして……。


 「……アヌビス?」

 「貴様! 自分が招喚した魔神の名も知らぬのか!」

 小首を傾げて問いかけると、その犬頭(・・)の男性は、かぶっていたカンカン帽を床に投げつけて怒鳴りだした。

 「牛頭(ごず)……?」

 「それは牛の頭だ! 遠ざかったわ!」

 漢字にも造詣が深いらしい。こんな現実味のない現れ方をしたのに、ビックリだ。

 「……どちら様?」

 「マルコキアスだ! 七十二柱の魔神の一人、マルコキアスを知らぬのか! 知らないで呼んだのか!」

 そんなはずはないとばかりに、地団駄を踏むように怒鳴り続ける魔神とやらに、私の方が困惑する。

 「…………たかが中二のまねごとに本気で招喚される魔神ってどうなんでしょう?」

 マルコキアスと名乗った犬頭は、大きく目を見開き、口をぱっかんとあけた。

 歯と舌と喉……。見える範囲では生物的だ。

 「なっ! き、貴様! 本気で呼んだわけではなかったのか! 悪魔を遊びで呼ぶなど……貴様、どのような教育を受けてきたのだ!」

 ショックが大きかったのか、その声は震え、鋭い爪のついた人差し指が私に向けられている。

 「どのような遊びも本気で行うように、というのは、死んだ祖父の遺言です」

 「遊び……遊びだったと? 人間のくせに、魔界の神の一柱である私をもてあそんだというのか!」

 随分と人聞きの悪いことを言い出して、犬頭は、よよよ、と泣き崩れた。

 そんなつもりがなかったとは言え、本当に招喚してしまったのは私だ。彼にだって、魔界とやらにちゃんと生活もあっただろう。ご指摘の通りと思い、私も深く反省する。

 「すみません。本当に、何かを招喚できるなんて思ってもみなかったんです」

 「……ぐすっ。で、では、そなた、望みすらないというのか?」

 「望み……ですか?」

 胸ポケットから取り出したハンカチで丁寧に涙を拭いながら、犬頭は私の前の空中に長い足たたみ、きれいに正座しながら浮かんでいる。

 光景だけ見たら、やっぱり現実味がない。

 「そうだ。わ、私は、久々の招喚に胸を躍らせた。古の作法に則り、私を呼び出すなど、ここ二、三百年はとんとなかったのだ。

 だから、魂をいただく代わりに、その望みはどのようなものでも叶えてやろうと、すごく……すっごく張り切っていたのだ……」

 ショックを思い出したのか、犬頭はその小振りな頭を重そうに垂れ、床に突っ伏した。だだっ子のように足をばたばたする様は見るに耐えない。

 本当に、すごく、面倒くさい人のようだ。

 「どんな願いも叶えられるのですか?」

 神様だと言うので、一応、遜って喋りかけてみる。

 犬頭はすんすん、と鼻を鳴らしながら私の方を振り向いた。

 「あぁ、久々の招喚だからな。今回は奮発して、国を一つ二つ滅ぼす程度のことはできるくらいの力を用意してきた」

 予め用意が必要なのか、力というものは。

 もはや、私の能力では何処から突っ込んでよいかもわからず、途方に暮れる。

 「……願い事はないのか?」

 「願い事……ですか?」

 私は、はて、と頬に手を当てた。

 ここ一年の生きる目標は、専ら「悪魔招喚」であったから、むしろ、願い事は叶った直後と言える。

 「ない…………………………わけでもない、かなぁ?」

 犬頭の両目から涙がボトボトと落ちだしたので、慌てて言葉を継ぐ。

 すると、犬頭の悪魔……いや、魔神は、舌をだらんと下げ、仕立てのよいスーツからのぞく尻尾をぶんぶんと振り回し始める。

 「さあ、願い事を言え! もちろん、契約だから魂をもらっていくが! どんな望みでもよいぞ!」

 耳がピンと立ち上がり、目がきらきらと光ってる。

 私はだらだらと汗を流した。もちろん、冷や汗だ。

 一年間の努力が実り、脳内は充実した達成感で一杯だ。絞り出そうとしても、望みとやらが出てこない。

 部屋中を見回し、はっとした。

 いつの間にか一本の蜜蝋が倒れ、鉄板の上を流れた蝋が絨毯にこぼれていたのだ。

 これだ、と思った。

 「あの! この絨毯の……」

 「国を一つ二つ滅ぼすほどの力だ、慎重に考えるがいい。

 世界一の富か? おまえに絶対服従を誓う国か? 宇宙の神秘すら解き明かす知性か?」

 …………………………言えない。絨毯についた蝋をとって欲しいなんて、言えない。

 だからといって、犬頭の列挙したうちのどれか一つでもかなえたいとも思えない。

 一介の中学生に、国を滅ぼすほどの力で何をしろというのか。

 はっはっはっと口先で短く呼吸しながら、正座して両手を膝の上にのせた犬頭を見て、私は途方に暮れる。

 「その……とても慎重に考えたいですし、私の魂と引き替えと言うこともありますし、願いを叶えていただくのはしばし保留でもよろしいでしょうか?」

 犬頭は瞬きを繰り返して、私をみた。そして、唐突に自分の膝をぽんと叩く。

 「なるほど! 確かに、強大な力を前にそなたが迷うのも仕方ないことだ!

 十分吟味し、心が決まったら言うがいい!」

 魔神というものはすべからくこう言った存在なのだろうか。

 なんか、オレオレ詐欺に引っかかりそうな感じがある。

 心配だ。

 「なんだ、その哀れみのような眼差しは! 私は尊敬されるべき魔界の侯爵だ! 人間風情に哀れまれるいわれなどないぞ!」

 「……………………………………願い事とは別に、私、今日のご飯にも事欠いておりまして。生きて望みを言う為に、夕食を用意していただいてもよろしいでしょうか?」

 「はっ!」

 鼻で笑われた。

 さすがに、そこまで単純ではなかったか。

 「その程度のこと、造作もない! 好みは何だ? 中華か? 和食か? 洋風か?」

 ……単純だった。


 結局、私は犬頭が用意したトルコ料理(何故だ)に舌鼓をうち、盛大に料理を褒められて気をよくした犬頭がさらに風呂の用意やら布団の用意をしてくれて。

 私は思いっきりほだされる形で、犬頭にも布団を一組用意してあげた。


 並べた布団に二人で行儀よく収まり、いつもの天井をちょっとだけ違う角度で見上げていると、何故か、涙が出てきた。

 こんな風に、人の気配を横に感じるのは、いつぶりだろうか。

 両親を失い、祖父に育てられ、その祖父もここ数年はずっと入院していた。

 他人がそばにいる、というのは怖いことだと思う。

 でも、今横にいるのは、怖くて当たり前の魔神だ。

 だから、怖くて涙を流しても、仕方ないことだ。


 「そなたは、人間の子供か?」

 静かに涙を落としていると、横から犬頭が声をかけてきた。

 見えているかどうかわからないけど、震える声を出すのもしゃくなので、私はこっくりと頷いてみせる。

 「なるほど、子供であったか。そうであれば、私の偉大さがわからずとも仕方ないことであるな」

 犬頭は自分の寛大さをアピールしつつ、何故か、私の枕元をぽんぽん、と叩いた。

 慌てて、ぐしぐしと涙をふき取り、不機嫌顔で犬頭をみる。

 犬頭は、黒真珠のような星を閉じこめた目で、私をじっと見ていた。

 「何ですか?」

 「手を出せ」

 「は?」

 犬頭の考えることはわからない。

 何故、手を出さねばならないのか?

 困惑しながらも、危害を加えられたら大変だと思い、両手を布団の上に置いてみた。

 犬頭は私をじっと見ながら、自分に近い方の私の手を引き寄せる。

 犬頭の手は普通の人間の手だ。

 白い手袋をしていて、ごつごつしていて、大きい。

 寝るときまで手袋をつけているなんて、やっぱり魔神なんだな、と変なところで感心した。

 ぼーっとしていた私の手が、犬頭の手に握りこまれる。

 「あの……?」

 「ふむ。確かに子供のようだな。斯様に小さな手を、久々に見た」

 魔界には子供はいないのだろうか?

 生まれたときから魔神だから?

 生物と言ってよいのかすら不明な存在に、腹の底がヒヤリとする。

 「そなたの子供らしからぬ言動に私も惑わされたが、このように手を触っていると、子供であることは明らかである。

 よいか、私がそなたを矮小でとるに足らない存在であることをしっかり理解するまで、この手を離すなよ。よいな」

 左手が温かい。

 肉球がないのが残念だ。

 ずっと握ってたら寝返りも打てないな。

 犬頭は脳味噌小さそうだから、理解も遅めなのかな。

 あぁ、でも、握り混んでくれる大きな手は、なくしたものを思い出させる。

 ふと、頭によぎったことがするっと口に出た。

 「あの……死んだ人は……」

 「さすがに、死者をよみがえらせるのは神の領分よ。たかだか国の一つや二つでできることではない」

 「……ですよね」

 目元がかゆくて、右手でゴシゴシとこする。

 すると、犬頭の左手が私の瞼の上に乗った。

 右手は温かいのに、左手はヒンヤリとしている。この人外め。

 犬頭の視線を感じたけど、無視しているうちに、すこんと眠りに落ちた。


 翌日以降も、犬頭は居続けた。

 願いを叶えないと、魔界に帰れないらしい。

 だったらと思って、適当な願いを言うと怒り出す。

 「私を愚弄するのか、人間風情が! そなたの想像力はその程度か!」

 さすがに、体育祭がイヤだから雨にして欲しい、と言うのはダメだったらしい。


 それからも私は、何とかこの魔神にお帰り願おうと、様々な願いを伝えたが、どれも一蹴された。

 「クラス中から虐められるだ? 戯け者め! 何故そのようなことを我慢する! すぐに転校するぞ!」

 「物理のテストの点数が悪い? 愚か者め! 中学の勉強からやり直せ! そなたの教科書は全部とってある! 数学を持ってこい! 物理は数学だ!」

 「大学に行く金がない? そのようなもの、奨学金を申請しろ! 馬鹿者! 返却せずにすむものからまずは調べろ!」

 「面接が恐怖だ? 貴様は魔神の私を顎で使っているのだぞ! その太い神経を駆使しろ! 後は笑ってろ!」


 気がつくと、私は普通に働いて、普通に帰宅し、普通じゃない魔神に給料を渡して家の中のあれこれをお願いするという、とっても不思議な生活を続けていた。

 犬頭はぶつぶつ文句を言いながらも家事をこなし、たまにあごひげを蓄えた格好いいおっさんに化けて買い物にも行く。

 私のどうでもいい願いを犬頭は一刀両断し、犬頭の世界平和を脅かす提案を私が却下する。


 何度目の春だろう。

 病室の窓から、はらはらと散っていく桜を見ると、ようやくこの季節が来たんだな、と実感した。

 冬まで、と言われた割には、結構頑張った方だと思う。

 犬頭は相も変わらず犬頭のまま、私の世話を焼いているけど、看護師さんやお医者さんが来ると、その頭がぱっとイケオジに切り替わった。

 絶対に間違いはないってわかっているけど、私の心臓に悪いから勘弁して欲しい。

 そうお願いすると、犬頭はわかりやすく耳を伏せ、尻尾を垂れ下がらせて、私の左手を握った。

 「それが願いか?」

 「…………そうだね、それでもいいかも。私が安らぐから」

 笑ってみせると、犬頭は怒ったように怒鳴る。

 「病を消したり、長生を願うつもりはないのか?」

 「……………………あれ、それってくだらない願いって奴じゃないの? その程度でもよいの?」

 犬頭の耳がピンと立つ。尻尾はうなだれたままだ。

 「もう、その程度のくだらない願いでも、叶えなければ貴様の魂が手に入らん」

 犬頭の目が、わかりやすくそれた。

 本当に、彼は魔神なんだろうか。

 魔界の侯爵、とことあるごとに名乗るけど、彼が悪行を為したことも、私を唆したこともない。

 本当に、詐欺に引っかかりそうなくらいお人好しだ。

 犬頭は天井や、窓の外をきょろきょろと見回しながらも、私の左手を離さない。

 いつも通り、温かくて大きな手。

 それに包まれた、私の手はもう、しわ深くてくしゃくしゃだ。


 私は苦笑して、乱れがちな呼吸を整え、犬頭の手を両手で包んだ。

 「願い事、決まったよ。あなたにだけ、願いたいことが」

 犬頭が肩を大きく揺らした後、ゆっくりと私を見る。

 黒真珠のように輝く目が、私だけを映し出す。 

 「そなたの願いは何だ」

 「お願い………………………………最期まで一緒にいて」

 「大それた望みだ。七十二柱の一柱、魔界の侯爵、マルコキアスにそれを望むなど、とても大それている。

 ……だが、だからこそ相応しい。心得た。その代わり、最期の一息の後、そなたの魂は私のものだ」

 「喜んで」

 瞼を閉じる。

 もう、寂しくない。


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[良い点] ステキでじんと来る話をありがとうございました。 最初の文章からなだらかで綺麗で、読みやすくて、気がつけば惹きこまれました(^^) 感動しました。 死後どうなるのでしょう。 彼らなりのハッピ…
[一言] 感動しました。良いお話でした。悪魔が良い悪魔なお話大好きです。
[一言] 最後に伝えた大それた望み。それを叶える魔界の侯爵さま。 東風さまらしいキャラのコンビネーションとユーモアに、ラストの一行がじんわり来ました。
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