姉の間違った情報。
「何かごようでしょうか。ソニア・カーヴァンクル様」
姉さん、なんては呼ばない。目の前でなぜかキラキラした目で俺を見ているこの女は、俺が弟であることをわかっていない気がする。流石に実の弟なのだから、名前を聞き、顔を見たら弟ではないかと疑うものだと思うけれど、この女は俺を死んだと思い込んでいることだろう。俺がこうしてここで生きていることなんて考えてもいないといった顔である。
「そんなに固くならないでいいのよ? 緊張しているの?」
というか、この女に話しかけられているからか、後ろにいる男たちが俺を睨んできて面倒だ。もしかしたら俺がこの女に惚れるかもとも考えているのかもしれないが、生憎こちらはこの女が血のつながった姉だと把握しているのだ。そういう感情が沸いてくるはずもない。
イクセルが後ろで、心配そうに俺を見ている。
「緊張などしておりません。それよりも私共は聖女様をお迎えに上がる最中なのです。急いでおりますので失礼します」
俺は、それだけいって去ろうとしたのだが、引き留められた。
「貴方、上級神官騎士のイクセル(・・・・)なのでしょう? 私、貴方の事知っているの?」
は? と俺は思った。俺とイクセルは確かに髪の色とか似ていてそっくりと言えばそっくりだろう。でもだからといって俺とイクセルの名を間違えるというのは予想外だった。イクセルが、目を見開いている。
「魔物の襲撃で家族を亡くすなんて大変な思いをしてきたのに頑張ってきたのでしょう」
それは、イクセルがあまり話したがらない過去の話だ。幼い頃からの仲だからこそ、俺やルンガーラ、そして一緒に学園に来た中級神官のシェヒーは知っているが、それ以外だと面倒を見てくれた神官たちぐらいしか知らない事実である。それをどうして、この女は知っているんだ。意味がわからなかった。そもそも、どうして俺をイクセルだと勘違いしているのかも、思い込んでいるのかも意味が分からない。
「――――失礼させてもらう」
どちらにせよ、公爵令嬢という身分でありながら、上級神官騎士の名前すら把握していないのは問題である。上級神官騎士は、それなりの立場がある存在だ。だからこそ、人数も決められているし、それなりの発言力もある。その存在の名前を正確に把握していないというのは問題だろう。
「お待ちになって、イクセル!」
それに、俺が本当にイクセルという名前だったとしても、初対面でいきなり呼び捨てにするのは大いに問題がある好意である。まさか、あの女初対面でありとあらゆる人物を呼び捨てにでもしているのだろうか。なんとも、礼儀にかけている。それが駄目なことぐらい貴族としての教育を受けていない俺でも分かる。
イクセルは俺の後ろをついていきている。そして、イクセルはうんざりしたようにいった。
「……お前の、姉ちゃんなんなんだ。なんで俺の事知っているんだ。しかも俺とニール勘違いしてただろ」
「俺も意味が分からない」
なんであの女はあんなに確信したように、俺のことをイクセルだと思い込んでいた? 確かに、イクセルは腕が立つし、もし俺がいなければ、上級神官騎士になっていたのはイクセルだったかもしれない。それは事実だ。―――そこまで考えてはっとなった。
あの女は流行病が起こるのをまるで知っていたみたいだった。そして母さんにどうせ死ぬといっていた。俺のことも死ぬと確信していたようだった。―――それを何故あの女が確信していたのか知らないが、あの女は俺が存在しない未来を知っているというありえない予想がたった。ありえない、と思う。だけれども、そう考えれば辻褄が合う。
俺が居なければ、確かにイクセルは上級神官騎士になっていただろう。そしてルンガーラの一番の護衛としてその場にいただろう。そして、他の中級神官騎士がこの場にいただろう。
「もしかしたら———俺が死んでいた時の未来でも知っているのかもしれないって、俺は馬鹿みたいな想像をしてしまった」
「何を馬鹿なことを……でも、確かに、そうだよな。こんなこと口になんてしたくないけど、仮にニールが居なければ俺は上級神官騎士になっていたかもしれない」
「……そのこと、何か思っているか?」
「ニールがいなければってこと? そんなバカみたいなこと思うわけねーだろ。確かに上級神官騎士にはなりたいけれど、俺はニールと一緒に上級神官騎士になりたいんだってーの。前々からいっているだろ? 昔から一緒に育ってきた連中と一緒に、ルンガーラのこと、皆で守ろうって。それが俺にとっての夢なんだって」
「そうか……」
「ああ。俺にとって守りたい者の中にはお前だっているんだぞ。お前は俺にとっての大事な仲間だから、いなければなんて思うわけない。俺はお前とお前の母親を見捨てていったっていうお前の姉ちゃんが許せないし、お前の姉ちゃんがお前を傷つけるっていうなら俺はお前の姉ちゃんが俺の過去を知っていようが立ち向かうぜ」
「……ありがとうな」
「当然だろう? それにしてもニール照れてる? ははは、珍しい表情だな」
「うっさい、いいから行くぞ。ルンガーラを待たせてる」
「ああ」
俺とイクセルはそんな会話を交わしながら、ルンガーラとシェヒーの元へと急いだ。