あの日、僕の姉さんは死んだ。
僕はニール。ヒセラという街で、母さんと姉さんと一緒に暮らしている。父親は居ない。母さんが父親のことを聞くと、悲しそうな顔をするから、僕も姉さんも父親のことは聞かないようにしていた。
僕たち家族の生活は、正直言って楽ではない。母さんが一生懸命働いて、まだ子供の僕や姉さんも一生懸命働いて、それでようやく生活が出来るぐらいだった。綺麗な服を着ている人や、美味しいものを食べている人のこと、羨ましいと思う事も少しはあるけれど、僕は母さんも姉さんも大好きだったから幸せだって思ってた。
姉さんと二人で、「いつかお金を稼げるようになって母さんを楽させよう」って約束をしていた。母さんはそれを聞いて笑ってくれた。
僕の二つ上の姉さんは、とても優しい。僕のことをいつも心配してくれて、僕が悪いことしたら怒ってくれて、僕に「お姉ちゃんはニールが大好きよ」って笑ってくれる。僕も姉さんが大好き。姉さんは可愛いから、近所の男の子が姉さんに構って欲しくて意地悪してきたりもする。姉さんは鈍感だから全然気づいてなくて、いい気味だって思ってる。
姉さんは勉強も得意だ。母さんは文字とかも読めるから、僕らに教えてくれてるんだけど、姉さん、凄いんだよ。皆、その年で文字も読めて、書けて凄いって姉さんを褒めてたんだ!
僕の自慢の姉さん。
母さんは、僕と姉さんのために働いているんだ。大変そうだけど「子供たちのためだから」ってにこにこ笑ってて、母さんは大変そうでもいつも笑顔なんだ。僕ね、その母さんの笑顔見るのが大好きなんだ。母さんは僕に「いい子ね」って頭を撫でてくれて、苦労させてごめんねっていうけど、僕、母さんと姉さんがいれば幸せだからいいんだって答える。
母さんはそういったら僕のことを抱きしめて、ぎゅってしてくれた。
僕の大好きな母さん。
大好きな家族。大好きな家族が居たから僕は幸せだった。
そう、あの日までは。
ある日、姉さんが、おかしくなった。
何だかぶつぶついっていた。いつもの姉さんじゃなかった。僕の知らない姉さんのようで怖かった。母さんが仕事でいない日で、外から帰ってきた姉さんがおかしかった。
「姉さん、どうしたの?」
僕は姉さんが心配だった。声をかけたら、姉さんが僕を見た。いつもの優しい目じゃなくて怖かった。でも姉さんはいつも僕の様子がおかしかったりすると、「大丈夫、どうしたの?」って笑いかけてくれて、僕が辛かったことをいっても受け止めてくれた。僕は、だから、怖いって気持ちに蓋をした姉さんを見た。姉さんは、僕を見て目を見開いた。
「貴方はニール……」
「姉さん?」
どうして僕の名前をわざわざ口にするのか分からなかった。
「私は、ソニア……。母はアルベラ。そしてこの街は、ヒセラ。ということは……ああ、そうなのね!!」
びっくりした。突然、自分の名と母さんの名、街の名前をいったかと思えば。目をキラキラさせた姉さんに。
「姉さん……?」
「ふふふ、そうなのね。私はソニア。ソニアだなんて、なんて勝ち組なの」
「……姉さん、どうしたの? 大丈夫?」
僕が心配して姉さんに手を伸ばした。だけど、その手は振り払われた。姉さんは僕を冷たい目で見ている。
「ニールよね、貴方、なら私に触らないでくれる?」
「ねえ、さん?」
ショックだった。どうして払いのけられたのか、冷たい目を向けられているのかさっぱり分からなかった。
姉さんは僕の方も見ずに背を向けて、
「……今、ソニアは八歳。となると、丁度あれが起こるはず。ならすぐ死ぬ連中に関わる必要はないわよね。それよりも———」
何かをぶつぶつといっていた。
姉さんは、その日から、おかしくなった。
母さんの言葉にも耳を貸さない。母さんの手も振り払う。母さんが泣いていた。
どうして、姉さん。
あれだけ、母さんのことを心配して、母さんのために頑張ろうって言っていたのに。どうして。姉さん。なんで。
僕は姉さんが分からない。姉さんは、おかしくなった。外では前みたいに笑っていることが、多いみたい。なのに、僕と母さんに冷たくなった。僕たち、何かしちゃったかな。
「母さん……姉さんは、どうしちゃったの?」
「分からないわ。でも安心してニール、もっとソニアとちゃんと話し合うわ」
母さんは、姉さんがどうしてそうなったか知ろうと必死で。母さんは、姉さんに沢山話しかけて。でも姉さんは、母さんの言葉に耳を傾けもせずに、「すぐ死ぬ奴がうざいのよ!!」なんて……、酷い事を言った。どうして、そんなことをいうの? 姉さんは、母さんに死んでほしいの?
分からなくて、悲しかった。
そして、姉さんが、おかしくなって一週間後、ヒセラの街を流行病が襲った。
いろんな人が、具合を悪くしていた。亡くなった人も、多く居た。母さんも、倒れた。僕は母さんが倒れてしまったって、帰ってきた姉さんに言った。変わってしまった姉さんだけど、僕は姉さんを信じていたんだと思う。
だけど。だけど、姉さんが口にしたのは————「ああ、やっとね」という母さんが倒れたことを待ち望むような言葉だった。やっと……? 意味が分からなくて。僕は何も言えなかった。
「――――ふふ、じゃあ、そろそろなのね」
「ねえ、さん?」
姉さんは扉から出ていこうとした。
「姉さん!? 母さんを放っておくの!?」
手を伸ばした。
だけど、姉さんは、
「――――触らないでよ!! そんな死ぬのが当たり前の女のことなんてどうでもいいのよ! 私はそれよりディガ様を探さなきゃいけないのよ!!」
そういった。信じられない言葉だった。意味が分からなかった僕は出ていく姉さんを引き留められなかった。
「……ニール」
「母さん!? 無理して喋ったら駄目だよ!!」
後ろから母さんの声が聞こえて、僕は母さんに声をあげた。
「……ソニアは……、私の、可愛い、娘は……もう、いない、のね」
母さんは、さっきの姉さんの言葉が聞こえていたのだろう。
「ニール……私は……なが、く、ないわ」
「母さん!?」
「あなた、の、父親、そこ、へ」
「父親?」
「……爵の。そこ、に。貴方は、幸せ、に」
母さんはもう助からない? 母さんは今まで言わなかった父親のことを、言おうとしている。このまま死ぬって、そんな風に。
いや、でもそんなこと———、そんなこと、僕は認められない!!
そう思った時、体が熱くなった。
「……ま、さ、か」
「絶対に、母さんが死ぬなんて、僕は認めない!!」
そう叫んだら力が沸いてくるのが分かった。この力を、これを使えれば、母さんを助けられるのではないか。熱くなったからだから何かがあふれ出て、母さんに届こうとした。だけど、届かなかった。僕は猛烈な痛みで、膝をついた。
「魔力……切れ。ニー、ル! ニール……だれ、か、誰か!!!! ニール、ニールを……誰、か!!」
母さんが、必死に叫んでいる。動けない体で、動こうと、一生懸命だ。病で倒れて、もうそんな力がないだろうに。叫ぼうと、叫ぼうとしてる。
僕の意識が朦朧とする。
僕、死ぬのかな。母さんも……? 姉さん……ううん、あの女は、母さんなんかどうでもいいっていった女は、生きるのに!? そんなの、そんなの許せない。許せるはずがない。母さんが倒れたのをやっとか、なんていって、笑顔で出ていったあの女のことを、僕は許せない!!!
「誰、か……」
叫び疲れた母さんの声が途絶えた。母さんが、僕の目の前で、多分、死んじゃった。倒れた僕は動けない。母さん、母さん、母さん…………。
倒れた母さんを心配もしなかった。やっとかっていった。笑顔で出ていった。母さんの声がもう聞こえない。許さない。許せない………。
そして、僕の意識は途絶えた。