動きはじめた運命(二)
シーサリオンとルヴェインが、豪勢ながら重苦しい夕食をとっていた日時──かどうかはわからない。
高い街壁に囲まれた廃墟で、ひとりの青年が、なにかを求めるようにがれきを掻きわけていた。
陽に灼けた身体は背が高く、むだのない、しなやかな筋肉におおわれている。背中まである黒髪を肩口でまとめ、琥珀のかがやきを映した瞳は、得体の知れない焦燥に揺れていた。
廃墟が街だったころの名は、アレイユという。グラファスの魔力に蹂躙されたアレイユは、街にあったあらゆる建物が倒壊し、ただのがれきに姿を変えていた。
だが奇妙なことに、グラファスがふるった魔力の暴風は、アレイユを囲む街壁の内側のみに被害を与えていた。鍛冶の街だけあって堅牢な造りが多いアレイユの建物を、すべて倒壊させるほどの威力が街を襲ったのに、である。街壁を含めて、街の外にはグラファスの魔力は影響を及ぼしてはいなかったのだ。
そして、さらに理解できない状況があった。街壁の内側にある街を壊滅させるほどの力が通りすぎたはずだが、その犠牲になった人々のなきがらは、いっさい発見されなかったのだ。アレイユが廃墟となって、三月あまりがたつというのに。
それでも、身内の死に顔を見られなかった人たちが、あきらめきれずに崩れた建物の間をさがしていた。その手が傷つくのをかまわずに、がれきを掻きわける青年のように。
「ちくしょう」
疲れた吐息をもらして、青年は手を止めた。西へ傾いた太陽が、周囲を茜に染めはじめていた。青年はがれきのひとつにすわると、血のにじんだ手を寂しそうに見つめた。青年の努力に反比例して、彼の目的は果たされていなかった。
「なんだ、あんたも身内をさがしてるのか?」
青年の頭上から、皮肉混じりの声が降ってきた。けだるそうに視線をあげた青年の目に、人懐こそうな笑みを貼りつけた男が映っていた。背後の荷物を見るに、どうやら行商人のようだ。青年は男をねめつけるように見やると、興味なさげに肩をすくめた。
「あんたも、ってことは同類かよ」
「いいや。残念だが、おれはそうじゃない」
皮肉の混じった表情を見せて、男は荷物をかるくたたいた。そして、
「見てのとおり、おれは行商人だ。いまは、ここへ身内をさがしに来る連中あいてに、商売をさせてもらってる」
と商売人の顔をのぞかせた。あきれたように息をついた青年は、男から投げかけられた皮肉を返した。わずかばかりの利息をつけて。
「がれきを掘るために、つるはしでも売って歩いてるってのかよ? ご苦労なこったな。でも、あいにくと必要ないぜ」
青年は、さきほどまで自分がいた場所を示した。周囲のがれきはすっかりかたづけられ、かつて建物だった名残が、輪郭のように浮き出ていた。目的は果たされていなかったが、彼の行為はむだではなかったのだ。
「ぜんぶ掘り返してやったけど、肉片のひとつも出てきやがらねえ。十六のときに家を飛び出して十二年くらいだが、こうまで身内に嫌われてたってのかね」
自虐的に笑う青年に、男は悲哀の表情を浮かべた。
「あんただけじゃないさ。この街へ身内をさがしに来た連中は、みんな同じような目に遭ってるんだ」
「なんだよ、ずいぶんと訳知りだな」
すこし興味を引かれたようすで、青年は男に目を向けた。その瞳に油断できない光をともして、男は抜け目のない苦笑を見せた。
「その前に、ずっとがれきを掘ってきて、腹はへってないか? ちなみに、おれは食糧をおもにあつかっているんだがね」
「ちゃっかりしてやがるぜ。……そうだな、干し肉と、あるなら発酵乳清もくれよ」
「バターミルク? めずらしいものを頼むんだな。少ないが、糖蜜酒とか蒸留酒もあるんだが、どうだ?」
「酒なんかいらないさ。バターミルクがないなら、蜂蜜酒でもいいぜ。ただし、めいっぱい薄めたやつでな」
「バターミルクなら多少はある。干し肉も、上等なものがいくつか用意できるよ」
「小腹が満たせりゃいいさ。食えれば質は関係ない」
根負けしたように首をすくめる男の出した品物を、代金と引きかえに受けとった青年は、干し肉にかじりつきながら男を見た。
「……で?」
「おれが品物を仕入れて、この街の近くまで来たときだ。明け方だったかな。とつぜん、街が真昼のように明るくなった。それも一瞬のことで、唖然としているおれたちにもわかるくらいの地鳴りが起こったんだ。そして、アレイユにたどり着いたおれたちが見たのは、いまと同じ風景さ」
男はそこで言葉を切って、荷物のなかからブランデーをとりだすと、ひとくちあおった。「売り物じゃねえのかよ」という青年の声とともにブランデーを飲みくだすと、なにか信じがたいものを語るように口を開いた。
「そして、この街にいたはずの住人たちは、どこにも見当たらなかったんだ」
「どういうことだよ。明け方なら、炉に火を入れているころだろ。鍛冶場に人がいないわけがねえだろう」
「そうだな。そう思って、おれたちも街のあちこちをさがしたんだ。でも、見つからなかった。生きているやつはおろか、死体のひとつもな」
「みんな朝露になって消えちまったってか? 突拍子もない話だが、まあ、いまの状況じゃ信じるしかないのかな」
あきらめを言葉にのせた青年は、残ったバターミルクとともに、干し肉を飲みこんだ。そして、小さく息をつくと、がれきの上から腰をあげた。それを見ていた男が、ためらいがちに口を開いた。
「おれより先にアレイユへ向かってたやつらが、西門のあたりで店を広げているはずだ。そいつらなら、もうすこし詳しいことを知っているかもしれないな」
「そうか、ありがとよ」
銀貨を一枚、男の手にのせると、青年は背を向けた。「なあ。あんた、名前は?」そう、とまどいながら尋く男に、青年は背中ごしに手を振りながら応えた。
「おれはエモルディ。家を継ぐのがいやで、傭兵稼業に身を置いた鍛冶屋の息子さ」
西門に向かって消えていったエモルディを見送った男は、自分もべつの場所へ向かおうと振り返った。
「……ねえ」
とつぜん投げかけられたひとことが、男の時間を凍結させたようだった。不意のできごとに、男の思考と肉体は正しい認識と行動をとることができなかった。くずおれぬようにその足で大地を踏みしめて、声の主に視線を向けることが、いまの彼にできた最善のことだっただろう。
「さっきの話、もうすこし聞かせてほしいのだけど?」
声の主は、ローブをまとった人物だった。顔はフードに隠れていてよくわからない。だが、その声音と小柄な体格は、ローブの人物が若い女性であることを、推測から確信へ変えるにじゅうぶんな要素だった。
男は、内心の動揺をおさえるように息をついて、ローブの娘に告げた。
「さっき話したのが、おれの知ってる全部だよ。ほかに話せることなんてないさ」
「地鳴りが起こってから、ここへたどり着くまでが抜けているわ。そこで見たことを話してほしいのだけど、なにか質問がおかしいかしら」
フードからのぞく瞳が、空色のきらめきを映して男を見すえた。彼は観念したようにかぶりを振って、ローブの娘に苦笑いかけた。
「たいした内容じゃないと思うぜ?」
「いいわよ。その話を聞きたいんだもの」
ローブの娘の素っ気ない返答に、男は肩をすくめた。しかし、あきれてはいないようだった。
「地鳴りのあと街を見ると、わずかに灯が見えたんだ。アレイユは朝が早いからな、灯があってもおかしくない。でも、しばらくしたらそれも消えちまった。たぶん、崩れる建物といっしょに、灯も消えたんだろうな」
「火事は起きなかったの?」
ローブの娘にとっては、なにげない問いかけだったのかもしれない。だが、問いかけられた男のほうは、ずいぶんと時間をかけて記憶の断片を掘り起こしていたようだった。
「そういえば、どこにも火の手はあがっていなかったな」
「……そう。ありがとう」
短い礼をのべると、ローブの娘は男の手に十枚ほどの銀貨をのせた。それを見た男が、驚きの目を向けた。
「おい、多すぎるぜ」
あわてたような男の声に、ローブの娘は口元をほころばせた。
「かまわないわ。とっておいて」
そういうと、ローブの娘はさきほどのエモルディのあとを追うように、西門へ向かっていった。彼女の背中を見送ると、男は手のなかの銀貨を見つめた。
わずかな時間で、数日ぶんの稼ぎを手に入れた彼は、すこし困ったように頭をかいた。
「やれやれ。こりゃあ、今日はもう店じまいだな」
ルヴェインが亡くなった。
予見めいた夕食の会話から、十日あまりあとのことだった。なかなか起きてこないルヴェインを不審に思い、シーサリオンが寝室を訪ねると、安らかな寝顔のまま、ベッドの上で冷たくなっていたのだ。
ここ数日、ルヴェインは体調を崩していた。しかし、なんどもシーサリオンが休むようにいっても、夜更けまで作業をつづけていたのだ。それは、残り少ない自分の時間を悟ってのことだったのだろうか。
ルヴェインの枕元で呆然とするシーサリオンの目に、側卓の上にあるふたつの手紙が映った。ひとつは封蝋で閉じられたもの。もうひとつは広げられたままで、記された文字がはっきりと読めるものだった。
その手紙の宛名に自分の名を見つけて、シーサリオンは見えない糸にたぐられるように手紙をとった。見なれたルヴェインの文字が、シーサリオンに手紙を読む必然性を与えたようだった。
手紙の上から、声を発しないルヴェインの言葉が、シーサリオンに語りかけていた。
「これを枕元に置くのは、もう幾度めになるだろうか。シーサリオンよ。そなたがこれを目にしているなら、わしはすでに寿命を終えたということだ。だが、悲しむことはない。わしは、満足できるだけの余生をおくったのだから」
いかにもルヴェインらしい文面に、シーサリオンはわずかに口元を緩めた。
「グラファスの調べていたもの。そして、あやつに対抗できるもの。それを解く手がかりは、おそらく『学問の塔』にある」
シーサリオンは目を瞠った。以前、ルヴェイン自身が否定していた「グラファスに対抗する力」があるかもしれないというのだ。しかし、断定した書きかたでないのは、ルヴェインにも確証がないということだろうか。
「かつてフランジアから、かなりの蔵書があそこへ送られたと聞いた。『学問の塔』に行き、それを調べることで、きっかけがつかめるかもしれぬだろう」
ルヴェインの手紙にある「学問の塔」とは、魔術師たちの集う組織のことだ。シーサリオンも正確な所在は知らないが、ランテーゼ大陸の南にあるということは確かだった。大陸の北側に位置するフランジアからでは、かなりの距離がある。
「『学問の塔』にはザーファイという、わしの旧い友人がいる。彼に宛てた手紙と旅に役だちそうな品物、多くはないが多少の路銀を、わしの収納箱に用意した。だが、『学問の塔』へゆくことを強制することは、わしにはできぬ。前にもいったとおり、運命を選択するのは強い意志なのだから。それに、わしの用意したそれらの品物を売り払っても、そなたがふつうに生きていくのには、じゅうぶんな金額にはなるだろう」
読み進めるシーサリオンの表情が緊張を増してきていた。心臓がいつもより激しい律動で舞踏をつづけて、その音までが周囲に聞こえてくるようだった。
「いまこそ選ぶがいい。このまま穏やかな日々を過ごすか。または──」
もう読みたくないという感情と、もっと知りたいという理性とが、シーサリオンのなかでせめぎあっているようだった。しかし、彼の目はそんなこととは関係なく文字を追う。
「わずかな希望を胸に、真実を求めて『学問の塔』までゆくのか」
「はっ……あ!」
見えない息苦しさに堪えかねて、シーサリオンは空気の塊を吐きだした。そして、失ったぶんの空気を体内に供給すると、シーサリオンはいくぶん落ちつきを取り戻していた。こんどはゆっくりと息を吐いて、最後の一文に目を落とした。
「どんな選択でも、わしはそなたの意志を尊重しよう。そして、その未来がかがやけるものであらんことを祈っておるよ」
手紙が濡れた。知らず落ちてくる涙が、文字をゆがませた。手紙を握りしめて、シーサリオンはくずおれた。
「ルヴェイン……」
五年のあいだに受けとったルヴェインの想いが、たしかにシーサリオンのなかで息づいていたのだろう。その涙が涸れるまで、シーサリオンは泣いていた。
やがて涙のつきたシーサリオンは、ルヴェインのなきがらをシーツに包むと、戸外へ向かった。半日あまりをかけて、ルヴェインを埋葬すると、あらためて家のなかを見まわした。少ない調度の数々に、過ごした歳月の一部が彩りを与えていた。
ふたりで暮らしていたときは手狭な印象があったこの家も、シーサリオンひとりだと妙に広すぎて、どこか空虚な感じがしていた。なにもする気になれないのか、シーサリオンは夜更けまで椅子にすわったまま部屋をながめていた。
やがて夜が明けると、おもむろにシーサリオンはルヴェインの遺した収納箱を開いた。箱のなかには、上質な仕立ての旅装束、一振りの剣と外套。寝袋や角灯などの道具。そして、革袋に収められた金貨があった。その金貨の量は「多少」というには多すぎるものだった。
旅装束や剣、外套には、魔術の使えないシーサリオンにもわかるほどの、強い魔術がかけられていた。それは、ルヴェインが連日のように夜遅くまで作業をつづけて、準備していたものだった。
そして、箱の底には「カリュクス」が置かれていた。ルヴェインが、グラファスに対抗できるものとしてその名を挙げた、フランジア伝承の品だ。やはり、この「カリュクス」が鍵を握っているのだろうか。
「……そうだね。たどり着いてみないとわからないよね」
わずかに微笑ったシーサリオンは、ルヴェインの遺した旅装束を身につけてゆく。剣を帯び、外套を羽織り、必要な道具を袋に詰めて、金貨の詰まった革袋を腰に結びつけると、最後に「カリュクス」を懐へしまった。
戸外へ出たシーサリオンは、できたばかりのルヴェインの墓の前へ立った。その瞳に決意を宿して、シーサリオンは墓前に語りかけた。
「ぼくは行くよ。この五年でルヴェインが教えてくれたことは、いま、このときのために必要だったんだ、きっと。ルヴェインのいう『強い意志』がぼくにあるのかはわからない。でも、決めたことはある。だから、見ていてほしいんだ。いつか、ぼくがそっちへ行ったときに、いろいろ話そう。だから、お別れじゃない。また会おう、ルヴェイン」
家の鍵をルヴェインの墓へ埋めると、シーサリオンは歩き出した。頭上には絶望したような灰色の雲が幾重にもかさなっていたが、彼の歩みにあわせるように雲が切れて、希望の陽射しが初冬の冷気を切り裂いていった。