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カリュクス  作者: 木神雄祐
第二章 動きはじめた運命
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動きはじめた運命(一)

 ワルド山脈から吹きおろす風が、秋の背を執拗に追いたてていた。その向こうでせっかちな冬が、肌寒い冷気とともに顔をのぞかせている。どうやら今年は、例年よりもずいぶんと冬の到着が早いようだ。

 山麓に面したフェンという村でも、住民たちが予想より早い冬支度に追われ、村全体があわただしい空気につつまれていた。

 暖をとる燃料を集めるもの、さまざまな食材を探すもの、収穫した食材を加工して保存が利くようにするもの。また、それらを買い求めに来た人々で、フェンの人口は一時的にだが飽和状態になろうとしていた。

「すまないな、今日のぶんはあらかた捌けちまったんだ」

 申しわけなさそうな顔を向ける店主に、声をかけられた客の青年は穏やかな笑みを返した。

「ちょっと遅かったみたいだね。明日はどうかな、今日くらいの収穫はありそう?」

「大丈夫、心配しなさんな。ルヴェイン先生のところはお顧客(とくい)さんだ、明日の昼すぎでもよければ届けてやるよ」

「ありがとう。じゃあ、お願いしてもいいかな」

 人懐こい笑顔を見せた青年に、店主は「まかせてくれ」と胸を張った。もういちど礼をのべて、青年はべつの店へと足を向けた。

 青年の名はシーサリオン。宰相グラファスの襲撃から五年、幼さを残していたフランジアの第二王子は、精悍さを身につけた二十三歳の青年に成長していた。

 一夜にしてフランジア城を陥落したグラファスだったが、その後は目立った動きをするわけでもなく、王都ジェラルディンを支配するのみの状況がつづいていた。

 不気味な状況にはちがいないが、すぐに攻め滅ぼされることもなかったため、王都と歴史を同じくするフランジアの六都市は、かつてのフランジアからの独立を決めて、都市国家として自治を確立したのだった。

「聞いたか。アレイユにつづいて、先月はクレジオスが襲撃されたらしい」

「……また全滅か? こんなへんぴな村に見向きもしないのは、ありがたいのか情けないのか」

 ふと聞こえてきた村人の不穏な会話が、見えない鎖のようにシーサリオンの足を引き止めた。自然と会話の内容に耳をそばだてる。

 アレイユはワルド山脈にほど近く、とりわけ鍛冶職人が多く営んでいるために「鍛冶の街」とも呼ばれていた六都市のひとつだった。

 そのアレイユが、突如グラファスの手によって壊滅したのは三月(みつき)ほど前だ。沈黙をつづけていたグラファスが、いまになって行動をはじめた理由はわからないが、六都市のひとつが王都と同じように一夜にして壊滅させられたのは事実である。

「さいわい、クレジオスは街の半分くらいが被害にあっただけで、全滅まではしていないそうだ。だが、港がやられて船がほとんど出入りできないらしいぜ」

「なるほど、わざわざフェンにまで買い出しにくるのはそういうことか」

 フランジア唯一の貿易港を持つクレジオスは、王国内での物流に関する要所のひとつだった。船が入出港できなければ、それに積まれた荷物も同様に出入りできないのは明確な事実である。

 往来する船の減少は物資の不足を呼び、さらに例年よりも早い冬の訪れが物資の需要に拍車をかけた。そのため、本来なら近隣の住民が買い出しにくるていどの村であるフェンにも、あふれかえるほどの人が押し寄せているのだった。

 フェンに訪れる人々を、沈痛な面持ちで見やっていたシーサリオンの襟首をつかんで現実へ引き戻したのは、威勢のいい声だった。

「なんだ、ルヴェイン先生のとこの坊やじゃないか。あんたも冬支度に来たのかい?」

 声につづいて、ほんものの手がシーサリオンの襟首をつかまえた。声と同じ威勢のよさで振り向かされると、そこにはシーサリオンの見知った顔があった。

 陽に灼けた肌と、わずかに肥満ぎみの身体へ人のよい笑顔をのせた、中年の婦人だ。名前はわからないが、この村で「おかみさん」といえば彼女のことだった。

「冬を越す燃料はあるのかい? それと、できるなら日保(ひも)ちする食べものをそろえるんだね。ここのところ品薄がつづいてるから、用心にこしたことはないよ」

「ありがとう、おかみさん。豆と野菜はクレインさんにお願いしたし、燃料はほら」

 シーサリオンが指し示した先には、ひと(たば)ごとにまとめられた木炭があった。「薪は自前で用意するよ」

「肉はどうだい。あと黒パンだってなくちゃ困るだろ?」

「黒パンはまだ余っているし、肉はいいのが残ってなかったんで、今日はやめておくよ」

「それならこれを持っておいき」

 おかみさんの笑顔とともに、麻袋が半ば強引にシーサリオンの手に割り込んできた。とまどいながらシーサリオンが袋の口を開くと、上質の塩燻肉(ベーコン)と干し肉が容量いっぱいまで詰められて、麻袋をはちきれんばかりに内側から押し広げていた。

 シーサリオンは呆然としたまま、困惑のまなざしをおかみさんへと向けた。

「こんなにたくさん、しかも上等なものばかり。今日の持ち合わせじゃ足らないよ」

「ばかだね、金なんかいらないよ。ルヴェイン先生にはいつもお世話になってるからね、お礼みたいなものさ」

 はでな音をたててシーサリオンの肩をたたくと、おかみさんは背を向けて歩き去った。行く先々で彼女を呼ぶ声が起こり、それもいっしょに遠ざかっていった。

 見えなくなったおかみさんの背中に、シーサリオンは「ありがとう」と告げた。


 山麓にあるフェンより、さらに徒歩で半日ほど麓へ近づいた場所に、ルヴェインの家はある。

 フランジアの元宰相ルヴェインは、優秀な魔術師でもあった。だいたいにおいて、忌避される対象である魔術師だが、「魔導宰相」という呼び名でもわかるように、魔術師を歴代の宰相に据えるフランジアでは、好意的な態度で接するものが多かった。

 ルヴェインもフェンでは読み書きを教えたり、薬草などの知識を応用して医者のかわりをつとめるなどして、比較的良好な関係を築いていた。

 それでも、フェンではなく人里はなれた場所に居をかまえたのは、すべての人が魔術師を好意的に見ていないと知ってのことだろうか。

「おかえり」

 扉をあけて姿を見せたシーサリオンに、家のなかから声がかけられた。「ただいま」とややあって応えたシーサリオンは、荷物をおろして、そのいくつかを倉庫へと放りこんだ。

 声の主であるルヴェインは、書棚のわきにある小さなテーブルでなにか作業をしていた。ローブをまとい、禿頭に白髭をたくわえたその姿は、おとぎ話に出てくる魔術師そのものである。杖をついて、水晶玉を持っていないのが残念なほどに。

「またなにかの実験?」

 そこにあるのが釜ならば、あやしげな薬を作っていたのかもしれない。だが、丸い卓の上にはさまざまな布や銀糸、金属の部品などがあるだけで、なにをしているのかは見当がつかなかった。

「そんなものだな。だがまあ、これがなかなかうまくいかん。どうやら腹がへって、うまく集中できなくなってきたようだの」

 それは、早く夕食にしようということである。太陽はすでにワルド山脈の稜線でおぼれかけていた。ほどなく稜線に飲みこまれ、夜が訪れるだろう。シーサリオン自身も、フェンへの往復でずいぶんと空腹になっている自分に気づいたようだ。

「今日はいい肉をわけてもらったんだ。ちょっと豪勢にするよ」

「それは楽しみだ。……ならばもうすこし腹をへらしておこうか」

 ふたたび丸卓に向かったルヴェインに苦笑すると、シーサリオンは麻袋を手に調理場へと足を向けた。

 しばらくして、食卓には夕食が並んでいた。干し肉いりのシチューと、漬野菜と塩燻肉の蒸煮(シユラハトプラツト)、薄切りの黒パン、干し果物の盛りあわせ。いつもの食事より肉の比率が高く、品数がひとつ多い。これならじゅうぶん豪勢な夕食といえるだろう。

「ほう、これはたしかに」

 感心したようにルヴェインが声をあげた。若いシーサリオンはもとより、ルヴェインも齢七十をこえる高齢ながら、なかなかの健啖家である。つねづね「食事は人生の至福」と、本気かどうかわからないことを口にしてもいた。そんなルヴェインの表情には、どこか楽しげなようすがあった。

 五十年ほどの人生差があるふたりの健啖家は、「いただきます」の声とともに夕食に手をつけた。

 五年前、とつぜん訪ねてきたシーサリオンを、この老魔術師はなにも()かず招き入れた。そして、かつてそうであったように、シーサリオンにさまざまなことを教えていったのだ。

 料理もそのひとつだった。ルヴェインはシーサリオンに、王子ではなくひとりの人間としての教育を施した。それはシーサリオンの人格の形成に深みを与え、また見識を高めることにもつながっているようだった。

 シーサリオンがこの五年で身につけた料理の腕は、一流とはいえないまでも上手な部類には入るだろう。はじめは「まずい」としかいわなかったルヴェインが、黙々と食を進めている姿でもそれはわかった。

「……そういえば、先月クレジオスが襲撃されたそうだよ」

 夕食の席にたたずむなごやかな空気を、シーサリオンの言葉が鋭利に断ち切った。ルヴェインはというと、断ち切られた空気を修復するそぶりも見せず、食事の手を進めている。

「その前のアレイユといい、どうしていまになって……」

 つづける言葉をなくしたシーサリオンを、ルヴェインの穏やかな目が見つめていた。

「口惜しいか? 祖国を守れぬ自分が」

 寂しげな笑みを浮かべると、シーサリオンはかぶりを振った。

「なにもできずにこうしている自分が、みっともなくて腹立たしいよ。べつに王族であることや、城での暮らしに未練はないけど、フランジアの人たちが蹂躙されるのは()えられない」

「……たとえばの話だが」

 顔をあげ、髭についたシチューの滴を指先ではじきとばすと、ルヴェインは神妙な顔をした。「グラファスに対抗できる力があるやもしれぬ、としたらどうする?」

 シーサリオンは目をむいた。瞳には希望のかがやきがほのかにともり、そのかがやきがわずかに頬を上気させていた。身を乗り出さんばかりのシーサリオンを、ルヴェインは静かに制した。

「あわてるでない。たとえばの話、といっておる」

 落ちつくように息をついたシーサリオンが、ルヴェインを見た。その瞳には、希望が残滓となってきらめいていた。

「グラファスは有能な魔術師であった。……だが、いかに才ある魔術師とはいえ、街ひとつを容易に討ち滅ぼすほどの力は人智を超える」

 皿に残ったシチューにパンをひたしながら、ルヴェインはシーサリオンを見つめた。

「あやつは宰相に就いたあとも、フランジア城にあるなにかを調べていた」

「なにかって?」

「それは残念ながらわからぬ。だが、それがグラファスに強大な魔力をもたらしたことと関係があるのであれば、対抗するすべもまた、フランジア城に鍵があると思わぬか?」

 ルヴェインの言葉に、シーサリオンの瞳から希望の残滓が消えていく。かわりに宿ったのは疑念の色だった。

「そんなものがあったとしても、グラファスが気づかないはずがないよ」

「……いまは、それがフランジア城にないのだとしたら?」

 なにをいいたいのかわからない、という表情のシーサリオンを見つめ、ルヴェインは言葉をつづけた。

「そなたが城から逃れるとき、なにを受けとった」

 記憶の糸をたどるように、シーサリオンは視線をさまよわせた。ふとあることに思い至り、彼は目を瞠った。

「『カリュクス』……!」

「うむ、そうであろうな。フランジアの興りとともにあり、王家の正統のみにしか扱えぬもの。鍵となるのはそれしか考えられぬ」

「でも、たしかに『カリュクス』でしか使えない術はあるけど、とてもそんな力があるようには思えないよ」

 フランジア正統の証「カリュクス」は、十二枚で構成される銀の絵札である。表には事象をあらわす絵柄が、裏には翼を広げた女神の絵柄が彫り込まれている。十二枚それぞれに異なる絵柄が彫刻され、そのひとつひとつが意味を持つものだ。そして、「カリュクス」にはフランジア正統のものにしか扱えぬ術があった。

 「未来を見通す水晶の瞳」という別名が示すように、予見の力を発揮する「占術」。そして、シーサリオンのいうとおり、「カリュクス」にはもうひとつ、事象をあらわす絵柄に対応した力を発揮する、魔術に近い力「星術」というものが存在していた。

 だが、それは人が扱える魔術の域を出ることはなく、とてもグラファスの強大な魔力に対抗できるものとは思えなかった。

「だから、たとえばの話だといったのだよ」

 落胆の色をあらわにしたシーサリオンに、ルヴェインは穏やかに語りかけた。

「それに、グラファスに対抗できるほどの力を手にしたとして、そなたはどうする」

「どうするって」

「強大な力も、それに意志がともなわなければ、ただの暴力にすぎぬ。かりにグラファスを討ち倒したとして、その力はどうなるかの?」

 ルヴェインの声には、子供の悪戯をたしなめるようなひびきがあった。

「そなたが強大な力を持ったまま国を治めても、民にとっては頭が()げかわっただけで、グラファスとなんら違わないであろうな」

「ぼくは、そんなつもりは……!」

「そこに、そなたの感情は存在せぬよ。多くの人々にとって、自分たちが(あずか)りしれぬ力を持つものは、畏怖の的となるのだ」

 まさに魔術師らしい言葉だった。いままでその力のために、さまざまな経験をしてきたはずのルヴェインの科白に、シーサリオンは応えるすべを持っていなかった。

「力を持つものは、それ以上の強い意志を持たねばならぬ。たとえそれが、自身の力を捨てることになろうともな」

 寂しげな笑みを浮かべたルヴェインが、いささか真剣な面持ちでシーサリオンを見た。

「シーサリオンよ。わしはもう長くはない」

 そのさりげないひとことは、注意していなければ聞き流してしまいそうだった。「ふうん」と応えたシーサリオンが、思わずおどろいてしまうほどに。

「なにをいってるのさ」

 シーサリオンの声には、悪い冗談をとがめるような感情がこめられていた。だが、ルヴェインは冗談をいっているようすもなく、なにかを悟ったような表情を浮かべていた。

「わかるのだよ。日を追うごとに、身体がいうことをきかなくなっていくのがな」

 そういわれても、目の前で夕食をなにごともなく食べ進めている老魔術師の姿に、命の灯がもうまもなく消えてしまうような雰囲気を汲みとることなどできないだろう。

 ルヴェインもそれを感じたのか、口元にかすかな笑みを浮かべた。

「食が進むのと、命の残火とは関係ないのだよ」

 冗談としか思えない言葉を口にすると、いぶかしげな目を向けるシーサリオンに、もっともらしい顔をしてみせた。態度に迷ったシーサリオンの顔が、困惑へ染まった。

「なにか病気じゃないの?」

 とりあえずそう問いかけるシーサリオンに、ルヴェインは静かな声で応えた。

「そうかもしれぬな。……だが、この病にはいかなる薬も効かぬのだよ。老いという、不治の病にはな」

 その声には穏やかさはあれど、死を目前に取り乱したようなそぶりは感じられなかった。

「だが、わしは後悔なぞしておらぬ。かつて、フランジアの宰相を辞したときに気がかりであった、そなたへの残ったままの教育もすませた。残るはグラファスのことだが、もはや心配いらぬだろうて」

「え……?」

「いずれそなたは、みずからの意志で進むべき道を選ばねばならぬ。そして、運命を選択するのは強い意志だ。いまのそなたなら、その意味がわかるであろう?」

 たのもしげな視線でシーサリオンを射ると、かすかにルヴェインは微笑(わら)った。夕方の食卓に、えもいわれぬ空気をかもしだして。

 その空気を打破することは、シーサリオンにはできそうにないようだった。

 返す言葉を見つけられないままのシーサリオンの眼前へと、空になったシチュー皿が差し出された。呆然としたシーサリオンの目に、飄々とした笑みを浮かべたルヴェインの顔が映っていた。

「じじいの小言はここまでにしようか。すまんが、おかわりをもらえるかの」

 どこかほっとしたような表情で、シーサリオンはシチューのおかわりをとるために腰をあげた。

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