最後の一人
「ついに、七十万人か。予定より十七年も早い。実に優秀じゃないか」
厚生労働省の担当官・タナカは、手元の端末に表示された数字を眺め、満足げにうなずいた。
隣の席のヤマダが、けげんそうな顔で聞き返した。
「何がです?」
「わが国の目標達成能力だよ。昔から、この国は決めた目標に向かって突き進むのが得意でね」
「目標なわけないでしょう。少子化対策ですよ」
ヤマダは力なく笑った。
「そうかな」
タナカはぬるくなったコーヒーを一口すすった。
「これだけの予算を注ぎ込み、これだけの専門家を集め、これだけの会議を重ねてきたんだ。その結果がこれだ。何もかも計画通りに進んでいると考えるほうが、自然だとは思わないか?」
「ネットの陰謀論みたいですね。エリートたちによる、日本人削減計画ですか」
壁に映し出されたグラフは、見事な放物線を描いていた。
少子化対策予算が増えるたび、出生率は規則正しく下がった。
対策会議の回数が増えるたび、婚姻数は律儀に減った。
配布される資料の厚みが増すのと反比例して、公園から子供の姿が消えていった。
まるで、莫大な国家予算を投じて「いかに子供を産ませないか」という壮大な実験を行っているかのようだった。
「来年の推計が出ました。六十五万人です」
ヤマダが差し出した資料を受け取り、タナカは満足そうに立ち上がった。
「よし、会議を開こう」
「またですか」
「決まっている。対策を練らなければならないからな」
タナカはふと思いついたように、ドアの前で足を止めた。
「ところで、ヤマダくん。きみに子供は?」
「いません」
「そうか。私もだ」
二人の足音が、静まり返った廊下に響いた。
会議室の扉を開けると、そこには使い古された「少子化対策」の看板が掲げられていた。
円卓を囲む出席者たちは、みな一様に白髪の老人ばかりだった。
議長が、重々しく口を開いた。
「えー、本日も、わが国の未来について真剣に検討したい。我々の最終的なゴールについてだ」
一人の老人が手を挙げた。
「トキやパンダのように、最後の一人には名前をつけ、特別なケージで保護すべきではないか」
「異議なし。その個体こそが、我が国の歴史の結晶なのだから」
「血統書も発行しましょう。もっとも純粋な、最後の日本人として」
出席者たちは、深く、深く、満足そうにうなずいた。
この調子でいけば、数百年後には、ついに「最後の一人」という究極の希少価値に到達できるはずだった。
それこそが、あらゆる社会問題から解放された、もっとも平和で、もっとも管理の行き届いた、完璧な「標本国家」の姿に違いなかった。




