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僕の彼女は幽霊を見ている

作者: 月詠
掲載日:2026/02/02

 僕が彼女のつややかな肌を洗うと、彼女はしっとりとした黒髪から水気を払った。

 彼女にお風呂の介護をしている僕は、背を流した桶を下に置いた。

「ありがとう幽霊さん」

 向こうを向いて、彼女は僕のことをそう呼んだ。

 彼女を介護してから、もう3年もたつ。

 彼女は周りに首のだけの幽霊がいると言って、一人でお風呂に入れないのだ。

 そのたびに、一緒にグループホームに同居している僕は、お風呂について行ってあげていた。


 ここは、二人で住める障碍者用のグループホームだ。

 マンションの一室を借りて、二部屋の中を同居している。

 僕も少し、知的な障害がある。だけど、彼女の身体的な介護なら、僕にもできる。

 お皿を洗ってあげたり、掃除をしてあげたり、洗濯物を干したり、そしてこうやってお風呂を手伝ってあげたりだ。


 そう考えていると、彼女が立ち上がって長い黒髪をタオルでまとめながら外に出ていこうとした。

「幽霊さん、お風呂を上がるわ。今日もありがとう」

 そういって、彼女はぼんやりとした目をしながらお風呂を上がった。

 彼女は僕のことを幽霊と呼ぶ。僕も否定はしない。


 幽霊の僕も、お風呂から出て歯磨きと髭剃りを済ませる。

 そして、鏡の裏のボックスに髭剃りを置くと、二階へと向かった。

 二階には二部屋あって、一回の共同キッチンとは違い、自室として使えるようになっている。すでに彼女の部屋からはドライヤーで髪を乾かす音がした。僕は彼女を驚かせないように、静かに隣の自室へと入った。


 僕の自室は、真ん中に布団が敷いてあり、周りにはパソコン機材が散在している。

 僕の趣味であるパソコン制作のものだ。その他に、彼女が書いた絵が置いてあった。 


 全部、僕の顔の絵だ。


 絵描きの彼女は、時たま傍にいる僕をスケッチする。

 絵の上達が好きなのだろう。

 幽霊である僕の事細やかな姿を描いて、僕の部屋にプレゼントしていた。

 ほぼ、この部屋はパソコン制作の本と、彼女が書いた絵の倉庫になっている。


 僕は布団に入ると、そばに置いてあったキャンバスをとって、自分の姿をみた。

 どこかくたびれてそうで、髪の毛がくるんくるんしている。

 だけど、どの絵でも見たように、この僕の絵も同じく目がキラキラ輝いていた。


 絵を見ていると、彼女が入ってきた。

「幽霊さん……」

 目には涙がたまっていて、唇が震えて怖がっていた。

「またほかの幽霊を見たのかい?」

 彼女は僕の布団に入ってきた。

 僕は彼女の近くにぴっとりと寄り添うと、背を撫ぜて怖がらなくなるまで待ってあげることにした。彼女の夜泣きは、ここ3年の間ずっと繰り返されていた。

 寂しそうになく彼女は、なんだか頼りない。

 震えながら、幽霊さん。幽霊さん。と必死にしがみついてくる。

 僕にはほかの幽霊は見えない。

 だけど、何とか彼女のつらさを振り払ってあげたかった。

「薬は飲んだ?」

 いつも以上に不安そうな彼女にそう聞くと、

 僕は、テーブルの上にあった水筒からプラスチックコップに水を灌ぐと、彼女に渡してあげた。

 彼女は小さなカレンダーに張り付けてある薬をポッケから取り出すと、水と一緒に飲んだ。

「げほっげほっ」

 水でむせる彼女に、とんとんと背をたたいてあげる。

 彼女は薬に安心したのか、目をつぶって、また横になった。

 僕も横になり、次第に眠気が来るのが分かった。


 次の日の朝、僕2時間かかる彼女の病院に付き添って、バスに揺られた。

 バスの後部座席で、窓際の席の彼女はノートに絵を描いて楽しそうだった。

 窓の外では、チラチラと雪が窓で降ってきていた。

「ほら、これ。幽霊さんだよ」

 ノートに書いた僕の顔の絵を、彼女は僕に見せてくれる。

 目がキラキラしていて、唇がふっくらとしていた。ちょっと太ったかな?

 僕も彼女の描く絵は僕は好きだ。

「僕は、こう見える?」

 そう聞くと、彼女は歯を見せて笑った。

「うん。私のたった一人の友達」

 一人の友達。僕は眉毛が下がるのを感じると、つらい気持ちを抑えて、バスを降りた。彼女と僕はそれぞれ障碍者用のICカードで支払い、駅前の病院に来た。


 病院では若い先生が、ちょっと悩んだ顔で診察室で待っていた。

「お待たせしたね。幻覚の調子はどうかな?」

 一言、謝罪を入れると、若い先生は彼女に聞いてきた。

 僕も後ろの丸椅子に座って、様子をうかがっていた。

「まだ後ろにいます。とてもいい幽霊さんが」

 そのことを先生は聞いて、次に若い先生と僕は目が合った。

 先生は僕のことを認識している。

 僕にうなずいて合図を送ると、もう一度先生は彼女を見た。

「今まで飲んでいた薬が発行できなくなってね。でも、大丈夫。新しい新薬が出ているから、そっちに変えよう」

 そう若い先生が言うと、彼女が戸惑って口元に手を当てながら言った。

「先生、それはどんな薬なんですか?」

「同じく幻覚をなくす薬です」

 きっぱりと、はっきり若い先生は言った。

「今見ている怖い幽霊を消すことができますよ」

 そう続けて先生が言うと、彼女はしばらく押し黙った後、言った。

「少し、待っていただけませんか」

 悲しそうな声だった。

「こわいなら、幽霊さんに席を外してもらおうか」

 先生が僕を見る。

「……お願いします」

 彼女は神妙そうな顔をして、僕を見た。

 僕は、ゆっくりと席を立って横開きのドアを出た。

 出る直前、後ろで彼女の声が聞こえた。

「先生はすごいですね。 幻覚の幽霊を外に出してくれるなんて」

 そう、彼女は僕のことを同じ幽霊の幻覚だと思っている。

 僕は、お医者さんの扉を出ると、ため息をついた。


 幻覚としか思われていないなんて。

 慣れっこだと思っていた。


「彼は仲の良い幻覚なんです。消えてほしくないです」

 後ろのドアから響いた彼女の言葉に、僕はドキッとする。

 もし、僕を幻覚ではないと認識したら。

 あの怖がりの彼女のことだ。もっと僕を怖がるかもしれない。

 いや、それ以上に、もしかしたら。


 待合室の椅子に座って、僕は意気消沈した。

「もし、現実だとわかってしまったら……」

 そう、声に出しても怖い。

 診察室のドアが開く、彼女が出てくる。

 僕の方を見て、笑った。

「薬、変わるって」

「うん」

 僕は頷くことしかできなかった。


 薬局で彼女の新薬を受け取って、僕たちはカフェに行った。

 いつも、ここでフラペチーノを頼む。

 隅っこの少しがたがたする机の席に座って、二つのトールサイズのフラペチーノが、机に並んだ。

 彼女はずるずると可愛い音を立てながら、フラペチーノを半分まで飲んだ後、僕にこう言った。

「幽霊さん。お別れを言いに来たの」

 なんとなく、そんな気はしていた。

「新薬、幽霊さんを消す薬なんだって」

 僕は何て言えばいいだろう。

「だから、これが最後のカフェになるね」

 彼女はほろりと小さな一粒の涙を流した。

 僕は、ハンカチを渡してあげることしかできない。

 くやしかった。


 最後の日だと言うのに、僕はフラペチーノをただ飲んで黙って帰ることしかできなかった。

 僕は消えるんじゃない、彼女に実体として映るのだ。

 その時、彼女は僕を怖がるだろうか。

 泣き虫な彼女のことだ。きっと。

「髪、洗うの大変?」

 ぼうっとしていた僕に、彼女が声をかけてきた。

 いつの間にか、お風呂で彼女の髪を洗っている。新しい薬を飲むまで、あと数時間しかなかった。いつのまに、こんなに時間がたっていただろうか。

 抱きしめたい。

 ずっと、抱きしめたかった。

 怖くて、彼女を抱きしめることができなかった。

 幽霊として認識されて、怖がられることが怖かった。


「大好きだ」

 僕は彼女を抱きすくめた。

 泡と彼女のすべすべとした肌触りを感じる。


 彼女の呼吸が止まる。

 そして。

「私も……大好きだよ」

 静かな彼女からの返答があった。


 僕たちは、しばらく抱きしめ合ったまま、お風呂の中で過ごしていた。


 お風呂から上がって、薬のあと僕たちはお布団に入った。

 ベッドの中に彼女がいつものように潜り込んできた。

「今まで、ありがとう幽霊さん」

 ドキッとした。

 僕の心臓が高鳴る。幻覚に別れを告げているのだろうか、それとも。

 そういって彼女は、ぎゅっと手を握った。

「あたたかい、幽霊だと思っていた時と同じ」

 僕の目が熱くなる。

 冷たく恐怖でドキドキしていた心臓の音は、熱く高鳴る心臓のドキドキに代わっていた。

「これからもよろしくね」

 僕はぎゅっと彼女を抱きしめた。

 彼女の頬に僕の涙が濡れる。彼女は、僕の頭をよしよしと撫でてくれた。

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