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第6話:白い檻と黒い太陽


青白い光のトンネルを抜けると、そこは無機質な「白」の世界だった。


湿った地下鉄の空気も、腐乱臭も、地上の硝煙の臭いもしない。


あるのは、鼻の奥がツンとするような、過剰なまでのオゾンと消毒液の匂いだけだ。


「……眩しい」  


リナが目を細める。  


天井のない広大な地下空間。


その遥か上空には、人工太陽プラズマライトが鎮座し、昼間のような明るさで、整然と並ぶ銀色の建造物を照らしている。


「ここは……?」


「DUMBs(深地下軍事基地)……」


 ユウトが忌々しそうに呟く。

 

「噂には聞いていたが、本当に東京の地下にこんな都市があったとはな」


 私たちが呆然としていると、音もなく数機のドローンが飛来し、銃口をこちらに向けた。


続いて、全身を白い強化スーツに包んだ兵士たちが現れる。


 『動くな。生体スキャンを開始する』


 抵抗する間もなく、赤いレーザーが私たちの体を走る。


 『汚染なし。レプティリアン因子、陰性。……市民ID照合、不可。未登録者ノイズを確認』


 連行された先は、空港のロビーのような場所だった。


 そこには、私たちのように地上から逃げ延びてきた人々や、あるいは捕縛されたスーツ姿の男たち――政治家や企業の役員だろうか――が集められていた。  


 だが、その扱いは天と地ほど違った。


『対象A群、DS協力者と認定。……処分リセットエリアへ』


 スーツ姿の男たちが泣き叫びながら、奥の暗いゲートへと引きずられていく。


 銃声はしない……だ、ヒュン、という空気を切る音と共に、彼らの気配がフッと消えるだけだ。


  一方、一般市民たちは、空中に浮かぶ巨大なホログラムの前で列を作らされていた。


  『対象B群、市民。……QFS(量子金融システム)口座開設。UBIユニバーサル・ベーシックインカム受給資格、承認。マイナンバー生体紐付け完了』


 「ありがとうございます! ありがとうございます!」


  薄汚れた服を着た人々が、支給された透明なスマートフォン(Qフォン)を握りしめ、涙を流して感謝している。


 「これで食べていける」

 

 「借金が消えた」

 

 「安全なベッドで眠れるのね!」


 それは一見、地上の地獄から救われた天国に見えたけれど、私の「眼」は誤魔化せない。


  ……気持ち悪い。


 ここには「恐怖」はない、代わりに漂っているのは、思考停止した「安堵」と、飼い慣らされた「従順」の波動だ。


 彼らは檻から出たのではなく汚い檻から、清潔で食事付きの、より頑丈な「白い檻」に移されただけだ。


「ようこそ、『新世界』へ」  


 不意に、背後から声をかけられた。


 銀髪の短髪に、氷のように冷たい青い目をした軍服の男。


 このセクターの管理者だ。


 「私はこのセクターの管理者だ。君たちも保護を求めて来たのか?」


 「保護なんて頼んでない」  


 ユウトが前に出る。


 「俺たちは通り抜けるだけだ。地上へ行きたい」


 「地上? あそこはもう旧世界の残骸だ。君たちのような優秀な若者が行く場所ではない」


 管理者は私の顔を覗き込み、薄く笑った。


 「特に君だ、日月真白。『マザー』は全てを見ている」


 管理者が指を鳴らすと、天井のドームスクリーンに、幾何学的で感情のない青い瞳――AI『マザー』のアイコンが表示された。


『個体名、日月真白。……分析結果:松果体活性率、危険域レッドゾーン予測不能因子カオスを検知』


 「マザーの判断だ。君はバグだ。レプティリアン排除後の管理社会において、君のような制御不能なスピリチュアル覚醒者は秩序を乱すノイズになり得る。……貴重な『サンプル』として、監視下での進化を観察させてもらうよ」


 「野生動物扱いかよ」  


 ユウトが吐き捨てる。


 「あんたらの目的は結局、管理なんだろ。レプティリアンが『恐怖』で支配するなら、あんたらは『快適さ』と『金』で飼い殺しにする。……どっちもどっちだ」


 「秩序なき自由は破滅を生む」


 「あいにく、俺はバグだらけのレトロゲームが好きなんでね」


 ユウトはポケットからGEMのコアユニットを取り出し、起動させた。


 『警告! 外部からの強制アクセス! ファイアウォール突破!』


 「GEM! 基地の搬送システムをハックしろ! 『つくば』行きの地下リニアを呼び出せ!」


  『了解ラジャー。マザーの制御権、一時奪取。……セクター4、隔壁を開放します』  


 ズドオオオオオン!!  


 基地の搬入口の隔壁が爆破され、轟音と共に巨大な土煙が上がった。


 煙の中から飛び込んできたのは、無骨な軍用車両ではない。


 70年代のアメリカンマッスルカーをベースに、装甲板とセンサー類でゴテゴテに改造された、黒鉄の怪物だ。


 「お待たせ、ユウト。地獄のドライブの再開だ!」  


 GEM本体がドリフトを決めながら急停車し、ドアを跳ね上げる。


  「乗れ! この白い檻をぶち破れ!」  


 私たちは転がり込むようにシートへ飛び乗った。


 エンジンが猛獣のような咆哮を上げ、管理された偽りの平和を置き去りにして、再び混沌の荒野へとアクセルを踏み込んだ。


 ズドンッ!!  


猛吹雪と爆炎のカーテンを突き抜け、GEMはようやく戦場を振り切った。


地下トンネルの出口から、国道へと躍り出る。


「……なっ?」  


ハンドルを握るユウトが絶句した。  


助手席の真白も、リナも、言葉を失ってフロントガラスを見つめていた。


 GEMの時計は正午(12:00)を示している。  


 地下の「白い檻」では、人工太陽が眩しいほどの昼を演出していた。  


 だから当然、外も昼だと思っていた。


 だが、広がっていたのは――完全な漆黒の闇だった。


「なんで……? 夜なの?」  


リナが震える声で呟く。


「いや、違う。街灯も、民家の明かりも、星さえも見えない。……これはただの夜じゃない」  


ユウトが空を見上げる。


そこには太陽も月も星すらなく、ただ重くのしかかるような闇が、雪原を覆い尽くしていた。


『警告。外部照度、ゼロ。太陽光スペクトル、検知不能』  


GEMの無機質なアラートが響く。


「……そうか、続いていたんだ」  


真白が呟く。


「デモの日の……あの日始まった『3日間の暗闇』は、まだ終わっていなかったのよ」


 DUMBsの中にいた私たちは、時間の感覚を麻痺させられていたのだ。  


 地上はずっと、この闇の中にあった。  


 気温計の数字が、凄まじい勢いで下がっていく。


 太陽の恵みを失った地上は、急速に冷凍庫へと変わりつつあった。


「……行くぞ」  


 ユウトがヘッドライトをハイビームに切り替える。


 強力なLEDの光でさえ、この濃密な闇の前では頼りない。


「この闇の中を、宮城まで走る。……本当の地獄はこれからだ」


「警告! 追撃ユニット、接近。後方より熱源多数!」


 GEMのアラートが鳴り響く。  


 バックミラーには、地下から溢れ出してきた「白い追っ手」――純白の流線型ボディを持つ無人バイクと、空を舞うドローン部隊が映っていた。


 「しつこいな! どんだけ俺たちが欲しいんだよ!」  


 ユウトがハンドルを切り、国道への合流を急ぐ。  


 だが、その進行方向――廃墟と化した市街地の陰から、別の「殺気」が膨れ上がった。


「ギャオオオオオッ!!」  


 耳をつんざく咆哮と共に、瓦礫の山が崩れた。  


 現れたのは、皮膚が剥がれ落ち、筋肉がむき出しになった異形の怪物たち。


 かつて地上を支配していたレプティリアンたちの成れの果て――遺伝子崩壊を起こした「キメラ」の群れだ。  


 彼らは空腹に飢え、動くものすべてを餌と認識していた。


「なっ……!?」


 後部座席のリナが悲鳴を上げる。  


 前門の怪物、後門の管理兵器。  


 地上は、旧支配者レプティリアンの残党と、新支配者ブランハットの掃除屋が殺し合う、文字通りの地獄ウォーゾーンと化していた。


『対象確認。……優先順位変更。害獣キメラの駆除を開始する』  


 白いドローン部隊が、GEMではなく、目の前に現れたキメラに照準を移した。


 青白いレーザーが怪物の肉を焼き、キメラが酸の唾液を吐き散らしてドローンを撃ち落とす。


「三つ巴かよ……上等だ! GEM、出力最大! 奴らが潰し合ってる隙に強行突破する!」


了解ラジャー。トラクション・コントロール、オフ。全輪駆動(AWD)モードへ移行」


GEMのV8エンジンが爆発的なトルクを生み出す。  


ユウトはアクセルを床まで踏み込んだ。  


レーザーと酸、肉片と金属パーツが飛び交う戦場のド真ん中を、黒いマッスルカーが弾丸のように駆け抜ける。  


ドローンが流れ弾となってフロントガラスを掠め、キメラの爪がサイドドアを引き裂く音が響く。


「キャアアアアアッ!」  


リナが頭を抱えて絶叫する。


「舌噛むぞ! 掴まってろ!」


猛吹雪と爆炎のカーテンを突き抜け、GEMはようやく戦場を振り切った。  


静寂が支配する雪の国道へ。  


バックミラーの中で、青白い光と赤い火花が小さくなっていく。


「……撒いたか」  


ユウトが大きく息を吐き、ステアリングを握り直す。  


車内には、リナのすすり泣く声だけが響いていた。


真白もまた、震える手でシートベルトを握りしめていたが、その瞳だけは強く前を見据えていた。


「ユウトさん、これからどこへ? あてはあるの?」  


真白の問いに、ユウトはダッシュボードから一冊の古びたノートを取り出したのは祖母が遺した日記だ。


「ああ。地下の連中は『つくば』を旧世界の残骸だと言ったが、俺のばあちゃんは逆のことを書き残してた」  


ユウトは日記の最後のページを開き、GEMのナビに入力する。


「世界がひっくり返る時、すべての嘘が剥がれ落ちる『特異点』が現れる。……DSも、ブランハットも手出しできない、聖域サンクチュアリだ」


 ナビの画面に、目的地が表示される。  


 それは北へ数百キロ。東北の山深き場所。


「場所は宮城。……俺たちの本当の目的地は、真白が震災の後に身を寄せ、今も巫女として働いている場所――『日月ひつき神社』の奥の院だ」


「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの……あの神社?」


「そうだ。あそこはただの田舎の神社じゃない。この国の、いや、地球の『へそ』に繋がっている重要なレイライン上にある。……真白、君が津波から助かって、あの神社に引き取られたのは偶然じゃないと思うんだ」


「え?」


「君は導かれたんだよ。アセンション(次元上昇)の扉が開く、その『特異点』を守るために」


 ユウトはアクセルを緩めず、雪道を北へと急ぐ。


 「だが、ここからは補給なしのサバイバルだ。GEMの燃料も尽きかけてる。……覚悟しろよ」


 その言葉通り、彼らを待ち受けていたのは、戦火よりも残酷な「冬」という現実だった。  


 風呂もなく、温かい食事もなく、ただ寒さと飢えに耐えながら、ガソリンを求めて彷徨う逃避行。  


 それは、都会育ちのリナの精神を確実に蝕んでいくことになる。


 地下の「楽園」を脱出してから数日。


 現実は、あまりにも冷たく、過酷だった。


 北関東の冬は、容赦なく体温を奪っていく。


 国道沿いに乗り捨てられた一台のSUV、その車体の下から、雪をかき分ける音と、くぐもったドリルの回転音が響いていた。


 「……クソッ、硬いな」  


 車体の下から這い出してきたユウトは、オイルと泥にまみれていた。


 手にはホームセンターで調達した電動ドリルと、灯油用の手押しポンプ。そして園芸用の緑色のホースが握られている。


 「ユウトさん、大丈夫?」  


 真白が駆け寄ると、ユウトは鼻をすすりながら、ガソリンの入った携行缶を持ち上げた。


 強烈な揮発臭が、冷気の中でさらに際立つ。


 「ああ。最近の車は給油口に防止弁がついててホースが入らないんだ。こうやってタンクの底に直接穴を開けて、バケツで受けるしかない」  


 それは明確な犯罪行為だったが、罪悪感を感じている余裕はない。


 GEMという巨体を動かすには、大量のカロリーが必要なのだ。


 地下で提供された「無限のエネルギー」も「安全な食料」も、ここにはない。


 あるのは自由と、死と隣り合わせの責任だけだ。


 「これでまた百キロは走れる。……急ごう、日が暮れる」


 車内に戻ると、むっとするような生活臭が鼻をついた。  


 風呂に入れない体臭、ガソリンの臭い、そして食べ残しのレトルト食品の匂い。  


 後部座席では、リナが毛布にくるまって震えていた。


 「……お風呂、入りたい……家に、帰りたいよぉ……」  


 高熱に浮かされ、うわ言のように繰り返すリナの顔は赤い。  


 地下の基地で、彼女は支給されたQフォンを羨ましそうに見ていた。


 あそこに残れば、温かいシャワーもベッドも手に入っただろう。


 それを蹴って、薄汚い車内でカップ麺をすする生活を選んだ代償が、彼女の心を蝕んでいた。  


 窓の外には、時折、異形の影が横切る。軍が「害獣」と呼ぶナニカだ。


 GEMのサーバー排熱を利用した暖房がなければ、全員凍死していただろう。


 だが、リナの心はもう、凍りついて砕ける寸前だった。


ユウトがヘッドライトをハイビームに切り替える。


強力なLEDの光でさえ、この濃密な闇の前では頼りない。


 GEMは漆黒の雪原を走り出した。


 外気温は熱源となる太陽が消えてしまっている間にマイナス20度となっている。


 GEMの廃熱システムがなければ、車内でも吐く息が凍る世界だ。  


 リナは恐怖と寒さで毛布にくるまり、ガタガタと震えている。  


 終わりの見えない夜、視界さえままならない中で障害物に気を付けて走らねばならない極限の集中力は確実にユウトの精神力を削っていく。


 襲い来る睡魔と闘いながらも、この暗闇で事故を起こさずに走行できているのは、GEMのおかげだ。


 暗闇の向こうから響く地鳴りのような「書き換え」の音。


 これが、新しい世界の洗礼なのか……私たちは、このまま永遠に夜の中を彷徨うことになるのか――。


 誰もが絶望に沈みかけていた、その時だった。


 カッッ!!!!


 前触れも、予兆もなかった。


 まるで部屋の照明スイッチを入れたかのように、世界が「明転」したのだ。  


 漆黒の闇が、0.1秒で「極光の白」へと塗り替えられる。


『警告。太陽光スペクトルの再起動を確認。雪面反射を含む外部照度、十二万ルクス。オーバーロード』


 GEMの無機質なアナウンスが響く中、運転席のユウトが顔を覆ってのけ反った。


「うわっ、目が、目が~!!」


『マスター、そのネタは時代遅れですよ。網膜保護フィルターは既に作動しています』


「……ちっ、ノリの悪いAIだ」


 ユウトは悪態をつきながらも、恐る恐る指の隙間から外を覗いた。  


 そして、言葉を失った。


 そこに広がっていたのは、単なる「朝」ではなかった。  


 雪原はダイヤモンドダストを纏って輝き、空は絵の具で塗りつぶしたような、一点の曇りもない「快晴」。  


 関東圏ではありえないほどに降り積もった雪であまりにも白く、あまりにも美しく、そしてすべてを雪が埋め尽くした――あまりにも「人工的」な朝が、彼らを待ち受けていた。

 


 

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