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永遠のきみへ  作者: 晴なつちくわ


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8.拒絶



「そんなことをしたら、リシル市国の人々が殺されかねない」

「それは一部の過激派だったらの場合でしょう?」

「捜査を拒否することは、いずれそういう過激な一派を此処に呼び寄せる一端になる。全国民の命と私を天秤にかける必要はない。私がこの国を去れば穏便に事が済む」


 トワの言葉に、アダルは黙った。

 いつだってトワは正しい。彼は常に周りの状況を掌握しつつ、最善の判断を下す。いつだってそうだった。それをアダルもよくわかっているのだろう。しかしアダルは再び口を開いた。


リシル(ここ)は何処よりも安全です。貴方のおかげでこの国はある。貴方の為に命を捧げることも我々は厭わない。――それでもリシャール様は出て行くというのですか?」


 強い言葉だった。貴方のおかげ、という言葉の意味をノアは知り得ない。これもまた、アダルとトワの間のみで通じることなのだろう。こんなにもモノを知らない自分が疎ましくて、憎くて仕方ないのは初めてだった。彼らの話すら理解できない。ひたすらに歯痒くて、そんな自分を責めるように両膝の上で手を強く握り締めることしか成す術がない。

 トワは小さく笑った。


「君を始めとするこの国の人には本当に良くしてもらった。だからこそ私の所為で君達が一人残らず殺されたら、一生の心残りになる。吸血鬼狩りは、いざとなれば手段を選ばないからね。私が此処を離れるのが最善策だ」


 永久不滅の体を持っているトワが言う『一生の心残り』という言葉は、ひどく重たく感じた。それはアダルも同じだったのだろう。険しい顔をしたまま沈黙をした後、静かに息を吐いた。


「わかりました。リシャール様の御心のままに」

「ありがとう。彼らが此処も調査したいと言ってきたら隅々まで調査させなさい。何の証拠も出なければ、下手に危害を加えられない」

「御意に従います」

「嫌な事に巻き込んでしまってすまない。また近くに寄ったら顔を見せに来るよ」

「いつでもお待ちしております。……して、そこの彼は一緒に連れていくのですか?」


 拳ばかりを見つめていたノアがぱっと顔を上げると、アダルの綺麗にそろえられた五本の指先がこちらを向いていた。わずかに胸に湧いた淡い期待はすぐ、首を横に振ったトワによって打ち砕かれた。


「いいや。彼はただの人間だ。連れていくつもりはない」

「……そうですか」


 その声に少しだけ落胆が滲んでいたことなんて、ノアは気付くはずもない。今にも立ち上がってしまいそうな体勢でトワを見つめていたから。連れて行ってほしいのに、こういう時ばかりトワは鈍感なふりをしてノアの願いを汲んではくれない。

 静かに息を吐いたアダルが立ち上がる。


「リシャール様のお決めになったことに我々は従います。彼のこの国でのことは私にお任せを」

「何から何までありがとう、アダル。本当に君には感謝してもしきれない」

「それは私の方でございますよ、リシャール様。どうか貴方様の旅が幸多きものでありますよう」


 深々と頭を下げてアダルはそう言った。そんなアダルに見向きもせずに、ノアはトワを見つめる。しかしいくら見つめても、トワはアダルを見るばかりでノアと目を合わせようとしなかった。

 静かに閉まった扉の音。

 部屋にその音が響き渡ったか否か、ノアは立ち上がってトワの前に陣取った。そうしてやっと目が合う。いつも穏やかな赤銅色の瞳が、ゆらりと揺れた様に見えた。


「おれも一緒に連れて行って」

「さっき言った通りだ。きみを連れていく気はない」

「なんで」

「きみはただの人間で此処を離れる理由はないからだよ」

「トワにとってはそうでも、おれには離れる理由がある」


 確かにトワの言う通り、己はただの人間だ。

 トワのように不死ではない。トワと同じ存在ではない。だとしてもトワがいる場所に自分もいたい。だから、トワが離れるならそれが十分な理由に成り得るから。自分の気持ちは前にはっきり伝えた。それが理由に成り得ることもトワには分かっているのだろう。少しだけ左右に揺れた瞳がゆっくりと伏せられた。


 それでもトワは頑なだった。どれだけ欲しい言葉を待っていても、彼の口から紡がれることはない。奥歯を噛み締める。でもこのまま引き下がるわけにはいかなかった。ならば、と口を開く。


「何でダメなの? おれが、トワと同じじゃないから? それともトワみたいに不老不死じゃないから?」


 トワは下を向いたまま何も言わない。

 ふつりと怒りが腹の底に湧く。黙っていても解らない。本当に嫌いだから無理だと言われたら、ノアだってこんなに食い下がらない。心底トワが拒絶をするなら、諦めようと思える。

 でも、そうじゃない。

 トワは何かをひどく恐れているようだった。例えば、トワがきっかけで他人が巻き込まれること。それが死に値することなら余計に。自分をきっかけに誰かが被害を被ることを、最悪な事態だと捉えているのだと感じた。

 でも好きで巻き込まれに行ったのなら、それはその人の勝手でトワの所為じゃない、とノアは思うのだ。トワを独りにさせる方が、ノアは嫌だ。勿論、目障りだからついてくるな、とトワが言ったのなら諦めた。でも、そうじゃない。ただ巻き込みたくなくて拒否しているようにしか見えなかった。

 だから。

 

「じゃあ、おれが死ななかったら連れて行ってくれる?」


 ばっとトワの顔が上がった。赤銅の瞳がゆらゆらと揺れる。どういう意味だ、と言いたげな視線。やっと自分を見てくれたことが、少しだけ怒りを鎮めてくれた。

 御伽噺の話が真実なら、トワの血は傷を癒し、万病すら治してしまう。致命傷を負わなければ良いのか、それともトワの血を予め貰っておけばいいのか、方法は分からないが、死ななければいい、という条件は満たせるはずだ。

 商人は言っていた。吸血鬼が血を吸った人間は眷属になる、と。『御使』であるトワは血を吸うことは否定したけれど、眷属に出来る出来ないの話はしなかった。

 もしもそれが出来るのなら、それを施してくれればいい。そうすれば、トワを独りにしないで、いざとなったら自分が盾にも囮にもなる事が出来る。

 肘掛に置かれたトワの手に、そっと己のそれを重ねた。


「なら、おれをトワの眷属にして。そうしたら一緒に、」

「ッ、絶対にダメだ!」


 いられる、と言おうとした言葉は、トワの鋭い声がかき消した。びりびりと鼓膜にいつまでも響いて消えない。そんなふうにトワが言葉を荒げるのは初めだった。目を見開いたノアをそのままに、トワは肩を大きく上下させながら、下を向いてしまった。

 ぐったりとしたように、片手で顔を覆って彼は言う。


「絶対にきみには血をあげない。絶対にダメだ。何と言われようと連れて行けない」


 連れて行かない、ではなく、連れて行けない、という言葉が妙に胸に刺さって抜けない。チリチリとした痛みが胸を襲っている。苦しい。息がしづらい。痛い。そう思うのに、ノアはまだ諦められなかった。


「どうしてダメなんだよ、トワ。こんなに、……ットワの為なら死んでも構わないくらい、トワが好きなのに」

 

 トワと共に生きられるなら、人間であることを捨てたって、この国を捨てたって、この命ですら捨てたって構わなかった。それぐらいトワと共にありたい。トワを独りにしたくない。出来ることなら命が尽きるまで傍にいたい。

 そう願っているのに。

 ふるふるとトワは頭を振った。


「そんなお前だからだめなんだ、ノア」


 喉の奥から絞り出すような声だった。

 苦しいのはノアなのに、それ以上に苦しいんじゃないかと思わせるようなトワに、何も言えなかった。ぽつ、とトワの膝に落ちた雫。彼が履いているボトムスを暗い色で染めたそれは、その一つを皮切りにぽつぽつと降って、色を変えていく。


 泣かせるほど、だめなのか。


 呆然とその涙を見つめて、思う。

 だったら、トワを見捨てて逃げるような奴だったらあんたは連れて行ってくれたの。吸血鬼狩りに捕まるあんたをただ見ているような最低な人間だったら、よかったの。でも無理だ。ただみているなんて出来ない。トワを見捨てて一人で逃げるなんて出来るはずない。


「いいかい? ここにはもう来てはいけないよ。アダルの言う事を聞いて、穏やかな日々を幸せに暮らすんだ」

 

 おれは、あんたといられるなら幸せなのに。その先が地獄だろうが、なんだって構わないのに。あんたがいない方がよっぽど地獄みたいなものなのに。でも差し出した手も、渡した想いも、あんたは拒絶する。穏やかな日々を幸せに暮らすんだ、なんて言っておれを突き放す。あんたがいなきゃ何の意味もないのに。どうして、そんなに。

 でも、これ以上トワを苦しませるのは許されない。

 悔しくて仕方がなくても、ここが引き際だ。

 唇が切れそうなほど噛み締めて、そっと手を放す。一度も握り返されなかった手はすぐに冷えて、ぶらりと自分の横に垂れた。


「わかった。もうここには来ない」


 静かに後ずさって、トワを見た。トワの顔は長い前髪と手のひらに隠れて、見えなかった。ソファにおさまった彼の体。それがひどく小さく見えた。案外トワは小さかったんだな、と場違いなことを思う。


「さよなら、トワ。元気で」


 本当はこんな言葉、言いたくなかった。でも、トワが涙を零すほど拒絶するなら、これ以上縋ることは出来なかった。

 一緒に行く選択肢は絶たれた。なら、もうノアには少しの選択肢しか残っていない。その選択が、トワの想いを裏切ることになっても。

 ああでも、と思う。

 最後くらい、赤銅の瞳がやわく笑むのを見たかった。ばかだなぁなんて言って穏やかに笑った顔が見たかった。もう二度と見られないかもしれないから。

 足を扉の方へ向ける。ドアノブに手を掛けて、ゆっくりと開けた扉。

 もう一度だけ、と振り返っても、トワの顔はやはり見ることは叶わなかった。小さく笑って、いつだって心を安らげてくれた大切な場所から、一歩を踏み出す。

 扉が閉じたのと同時。

 ノアは走り出した。もう一刻の猶予もない。目の奥が。目頭が。熱くて仕方なかった。勝手に零れる雫を無視して、一気に坂を下って林に入った。

 その時だ。


「そんなに急いで、どこかに行くのかね?」


 突如耳に刺さった嗄れ声に、思わず足を止めた。

 声が聞こえた方を見たのとほぼ同時、アダルが木の陰からぬっと姿を現す。


「この老輩と少し話をしてはくれないだろうか、ノアよ」


 そう言ったアダルは、静かな笑みを零してノアを見ていた。



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