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永遠のきみへ  作者: 晴なつちくわ


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7.夢想


 指先が首筋を撫でていく。何も出来ないままノアは、目の前にいる指先の持ち主を見つめることしか出来ない。寝転んだノアの上に、馬乗りになっているのはトワだ。赤混じりの茶色の瞳は、やけに楽しそうだった。目が合うと、緩やかな弧を描いて喉で笑われた。対して己の喉は、ごくりと大きな音を立てる。興奮しているのが自分でも分かる。口いっぱいに溜まった唾は、何度嚥下しても底知れない欲と同じように、何度でも湧き出てくる。

 それすらも赤銅色の瞳は楽しんでいるようだった。


「ノア」


 小さく、愛おしげに名前を呼ばれる。顔の輪郭に添えられた手に、上を向かされた。視線が絡み合う。いつの間にか赤銅色の瞳は、真紅に染まっている。瑞々しい唇に妖艶な笑みを浮かべたトワの顔が、ゆっくりと近付いてくる。きっと柔らかいんだろうな。そんなことを思いながら、目を閉じた。




 鳴り響いた鐘の音に、バッと体を起こす。はっ、はっ、と荒い息が自分自身から聞こえて、辺りを見回す。いつも通りの大部屋だった。目の前にいたはずのトワはいない。そこでやっと、さっきのが夢だったことに気付いて、大きな溜息を肺が空になるまで吐き出した。


 毎回毎回なんて夢みてるんだよ、おれ。


 まだ心臓がバクバクと五月蝿い。周りの子ども達の穏やかな寝息がなければ、今にも叫びだしてしまいそうだった。

 あの日から、こういう夢をよく見るようになった。

 自分がトワに抱いている欲をまざまざと見せつけられる。今日は軽い方だからまだいいが、酷い時はベッドにトワを押し倒している夢を見たこともある。その時の目元を赤くしたトワが一瞬頭に浮かびそうになって、慌てて頭を振った。

 好きにならなくていいから傍にいてよ、なんてどの口が言うのか、と夢に笑われているような気すらする。


 体の力を抜いて、ベッドに大の字に寝転ぶ。

 窓の外はもうすでに太陽が街を照らし始めていた。小さい頃の自分ならもう鏡台の前に立っていた時間だ。


 トワが人間でないことを知った日から、もう二ヶ月近く経った。

 あの日から彼の元に行けていない。出会って十数年間一度も欠かしたことがなかったのに、だ。もちろん孤児院のことが忙しかったせいもある。下の子たちの世話をしなければいけなかったし、シスターたちの手伝いもしなければいけなかった。でも行こうと思えば行くことが出来たのに、なんとなく行かずに過ごしてしまったのだった。

 断じて、トワが人間ではないから、という理由ではない。

 あの日、トワのことが知れて嬉しかった。それなのに、ノア自身が感情に任せて喚き散らした。子どもみたいに駄々をこねて、一緒に生きてよ、なんて一世一代の告白まがいなことをしてしまった上に、返事も聞かずに飛び出して来てしまった。

 思い返す度に、恥ずかしさで顔から火が出そうだった。

 つまるところ、ノアは羞恥心に苛まれて行けず仕舞いなのである。


 最近やっと自分の気持ちの整理が出来てきたと思ったら、今度は淫夢――とまでは行かないことが多いが――を見るようになってしまった。そういう欲はもちろん自覚していたけれど、改めて夢として見せられると、どういう心持ちでトワに会ったらいいのか分からなくなってしまった。

 顔を突き合わせたとき、平常心でいられるだろうか。

 これ以上みっともないところは見せたくない。

 そう思えば思うほど、ますます足が遠のいてしまった。


 でも、そろそろ本当にトワに会いに行かなければいけない気がする。

 童話の中には、正体を知られてしまった者が、その場からいなくなってしまう話が多い。この年になってまだ童話なんて言っているのか、と言われるかも知れないが、実際に『御使様』の御伽噺は実際にあった話だった。だとしたら、トワがあそこからいなくなってしまう可能性だってある。


 ノアは体を起こして、ベッドから降りる。いつも通りの服に袖を通して、鏡台の前に立った。やけに深刻そうな顔に見える。はっ、と小さな笑いを零して言い聞かせるように言った。


「トワの前でそんな情けない顔すんなよ、おれ」



 いつも通りの朝の手伝いをさっさと終わらせて、今日は外に出たい、とシスターに相談すれば快諾された。曰く、最近のノアはよく頑張っていたからたまには息抜きしないと、だそうだ。

 そのお陰で年長になって初めて、ノアは午前の早い時間にトワの元へ向かうことが出来た。なにか花でも買っていこうか悩んで、結局止めてしまったから手ぶらだ。

 いつも通り林を抜けると、まだ暑さの残る季節なのに、爽やかで少し冷たい風が体を撫でていく。小さく漏れた笑みをそのままに、ノアはしっかりとした足取りでゆるやかな坂を登っていく。

 平屋は相変わらずぽつんと建っている。

 外に人影は見えない。きっと今日もトワはあのお気に入りのソファでうたた寝をしているんだろう。いや、そもそもまだ起きていないかも知れない。ノアが小さい頃は、ノアが来るのに合わせて起きていてくれたけれど、今はどうだろうか。

 トワのことを考えるだけで、胸の内の温度がゆるやかに上がっていく。

 嗚呼、やっぱりおれはトワがすきだ。

 子どもの頃は遠く感じた平屋までの道のりも、あっという間に終わってしまって、扉の前に立つ。開け放たれた窓の向こうで白いレースのカーテンが揺れているのは見えたから、多分トワは起きている。はずだ。

 大きく息を吸って、静かにすべての息を吐き出す。心臓は落ち着いている。

 よし、と意を決して、扉を拳で三つ叩く。


「どうぞ」


 変わらない柔らかな声。ほっと安堵の息が出る。そのまま扉を開けた。


「随分早いね。昼前だと思って、…………おや、きみだったか」


 迎えてくれたのは、いつも通りの少し物が散乱した部屋ではなかった。きちんと整頓された、否、物が殆ど片付けられて、まるで家主がいないかのような様相の部屋だった。

 最悪の未来が浮かんで、勢いよくトワに目を向ける。

 トワは困ったように笑って頬を掻いていた。その反応に、想像した最悪の未来を肯定されたような気がして、思わずトワに駆け寄った。


「トワ、どういうこと? なんでこんな、」


 まるで此処からいなくなるみたいな準備を、トワはしてるんだ。

 言葉が途切れてしまったノアの肩に、トワは優しく手を置いた。


「約束を守れなくてすまない。事態が悪い方向に動いてるんだ。僕は此処をしばらく離れる事になると思う」

「なんで? おれが…っ、トワが人間じゃないって知ったから?」

「ううん、違うよ」


 間髪入れずに否定された。でも否定してほしかったのは、そこじゃない。いつもみたいに、意地の悪い悪戯だって言ってほしかった。此処からいなくなるなんて冗談だって、言ってほしいのに。

 そんな希望を打ち砕くように、トワは言った。


「僕たちのような人間じゃないモノを排除したい連中が此処に向かってる。でも安心しなさい。人間であるきみや、この国の人達に悪さはしないから」


 違う。危害を加えられるかもしれないことが不安なんじゃない。トワが、此処からいなくなってしまうことが嫌なんだ。

 そう伝えたくて口を開こうとしたのと、扉が叩かれたのは同時。

 トワがノアを背中でかばうように前に立つ。ふわりと、いつかの百合の香りがした。


「誰だ」


 聞いたことのない、威圧のある声だった。背中に庇われるほど子どもではないのに、身長だってもうノアのほうが高いのに、そんな声を出すトワを見るのは初めてで、何も言えなかった。


「リシャール様、アダルにございます」


 落ち着いたしゃがれ声が返ってくる。ふっと目の前の肩から力が抜けたのが見えた。


「声を荒げてすまない。入ってくれ」


 トワの声に扉がゆっくりと開かれる。その先にいたのは、深く被ったフードの中から、深緑の瞳をのぞかせている初老の男だった。


 アダルと名乗った初老の男は、トワの後ろにいたノアを見ると少しだけ目を見開いた。

 当然と言えば当然だ。このリシル市国の人間は、この林を抜けてはいけない、という暗黙のルールを固く守っている。それを破っている自分がその場にいたら、驚くだろう。勿論彼もその暗黙のルールを破っている本人ではあるけれど。


「お取込み中でしたか。出直しましょうか?」

「いや構わないよ。入ってくれ」

「しかし、彼の前で話してよろしいので?」

「彼は《《私》》が人間ではないことを知っているから」


 トワの言葉に、アダルは意外そうに眉を上げた。じろりと流れてきた視線は何かを探るようではあったものの、ついぞノアに何かを言ってくることはなかった。


「では失礼いたします」

「ああ、そこの椅子に掛けると良い。……ノアも座って。きみも聞くべきだ」


 背中を押すように手を添えられて、彼の言う通りにアダルの近くにあった椅子に同じように腰を掛けた。その間もアダルの視線が自分に刺さっていた。居心地は悪い。が、無視すればどうということはなかった。トワだけを見つめれば良い。

 トワは客人の為に茶を用意してくれているようだった。三人分のマグカップを乗せたトレイを持って、こちらに寄ってきた。マグカップを二人分取って、一つをアダルへと差し出す。ムッとされるかと思ったのに彼は、ありがとうございます、と素直に礼を言いながら受け取ってくれる。悪い人ではないようだ。

 ソファに腰を下ろしたトワは、さて、と声を上げる。


「ノア、彼はアダルだ。この国を治める長でもある」


 目を見開いて彼を見れば、頭を下げられた。この国の長はもっと派手な格好をしていると思っていたから、まさかだった。かなり失礼な態度を取った気がして、慌てて頭を下げたノアにくすりと笑ったトワは、言葉を続けた。


「アダルはノアのことも知っているから紹介は不要かな?」

「はい、リシャール様」

「わざわざ来てもらってすまないね。早速報告を聞いても良いかな」


 少しだけ頷いてから、アダルは語り出した。


「数日以内に吸血鬼狩り(ハンター)たちがリシルに入国申請をして来る模様です。ダーマ国で十数年前に起きたある一族の壊滅事件についての隣国での調査が終了した、と部下から報告を受けました。今はリシルに一番近い隣国の宿で寝泊まりしている、と」

「そうか。思ったよりも行動が遅いようで助かった。入国審査に許可が下りるのは、長くて一か月だと言っていたけど、彼ら相手なら一週間が妥当だろうね」

「ええ、仰る通りです」


 分からない話がアダルとトワの間で繰り広げられて、ただ聞いていることしかできない。『御使』であるトワを追っているのが、吸血鬼狩り(ハンター)と呼ばれる集団であるのは分かった。それからトワが逃げなければいけない理由があることも。

 カイが前に言っていた『私たちへの理解が足りない阿呆共』が彼らを指すのだとしたら、トワが此処から離れるという判断も頷ける。吸血鬼狩り(ハンター)がトワを始めとする『御使』を目の敵にしていて、尚且つ殺そうとしているなら、当然の判断だ。

 でも、と思う。

 入国審査を通さないということは出来ないのだろうか。


「しかしリシャール様の為なら、我々はその申請を蹴る事も可能です」


 はっとアダルを見る。彼のまなざしは真剣だった。トワをそれなら、と言ってくれるはずだ。そう思って彼を見たのに。

 トワは首を横に振った。



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