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永遠のきみへ  作者: 晴なつちくわ


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5.噂話と問答



 一人の灰色の髪の男が、窓の外を眺めていた。

 照りつける日差しの中、活気に満ち溢れた街の中。商人と笑顔を浮かべて話しているノアを、豪勢な屋敷の窓からじっと見ている。

 コンコン、というノックの音が豪勢な部屋の中に響く。灰色の髪の男は、窓の外から扉の方へと視線を動かした。


「入っていい」


 しゃがれた声で男は言った。失礼します、という声と共に、フードを深く被った男が部屋へと入ってくる。それを見てから、男は執務椅子に腰を落ち着かせた。


(おさ)、定例報告に参りました」


 フードの男は、執務机越しに長へと書類の束を差し出した。それを受け取って、長は軽く目を通す。


「万事滞りないか?」

「はい。……ただ、」

「ただ?」

「孤児院に住むノアという青年が幼少期から頻繁にリシャール様の元を訪れている、と報告を受けています。ノアという青年は半年後に孤児院を出る予定の為、その後リシャール様の家に棲みつくのでは、と心配している者もいるようです」


 フード男の言うことを証明するように、報告書の束の中にはノアの個人情報と日々の行動が綿密に書かれた書類があった。それに目を通しながら、長は言った。


「私が黙認していることだ。構わない」

「しかしリシャール様のお手を煩わせているのでは?」

「あの方からのご要望があれば然るべき対処をする。それまでは何もしなくていい」

「かしこまりました。……それと、もう一つ。隣国のはずれで《《賊》》が確認されました」


 賊、という言葉に長はピクリとこめかみを動かして、書類から視線を上げた。


「それはまことか?」

「はい。何でも、ダーマ国で十数年前に起きた、ある一族の壊滅事件について聞き回っているとか」

「……そうか。いずれここにも来るだろうな」

「ええ。早くて半年以内、多く見積もっても二年くらいかと」

「あいわかった。あの方には私から伝えておく。引き続き調査を」

「御意に」


 フードの男は深く頭を下げて、扉の向こうへと消えていった。

 部屋の中で一人残った長は、はぁ、と深い深い息を落として、ゆっくりと立ち上がる。もう一度窓の外を見れば、何やら怖がらせるような顔をしている商人と、目を丸くしているノアがいまだに会話を続けているようだった。


 ノアを見ていると、長の脳裏にはいつもあの嵐の夜が浮かぶ。

 体温をすべて奪われそうなほど冷たい雨が降り注ぎ、吹き荒れる風の中。城門の前、男物の服の上で、存在を主張するように泣きわめく赤ん坊。


 はあ、ともう一度溜息を落として、頭の中の夜を消す。


 物事がどう転ぶかは、誰も知り得ないことだ。

 その中で、己が出来ることをするのみ。

 気が遠くなるほど昔、己が受けた恩を彼に返すために。



***



 ずっと見て見ぬフリをしてきたことがあった。否、ずっと理解しないようにしていた、という方が正しいかもしれない。

 トワが、出会った頃からずっと変わらないこと。見た目も背丈もたっぷりとした髪も艶のある肌も、何もかもずっと変わらないこと。この国の誰よりも博識であること。トワ自身以外のことは、何を聞いても応えてくれること。年を取ったように一切見えないこと。

 これらすべてを『トワだから』という言葉で片づけていた。

 人間の自分とは、全く違う存在なのではないか、だとか。

 トワはまるで御伽噺の『御使』に似ているな、だとか。

 そういう考えが頭を過った瞬間に、なかったことにしていた。そうして、ノアが自分自身を納得させようとしていた。


 今目の前にいる行商人に、言葉として突き付けられるまでは。


「なあ、兄ちゃん知ってるか? 世の中には、不老不死を得る代わりに人の血を吸って生きている吸血鬼っつーバケモンがいるらしい」

「……吸血鬼?」


 商品を紙袋に包みながら行商人が言ったことを、ノアは繰り返した。じりじりと照り付ける太陽で滲む汗を拭きながら行商人は、ああ、と頷いてから悪そうな笑みを浮かべて、まるで幽霊の真似をするように両手を前にやった。


「奴らは夜に活動して、夜な夜な人間を襲うんだってよ。生き血を吸われた人間は、死んでしまうか、吸血鬼の劣化版の眷属みたいにさせられて、一生そいつに仕えることになるらしい」


 怖い怖い、と両腕を擦りながら行商人は言った。全く怖くなさそうな言い方に冗談を返すこともできず、ノアは固まってしまった。

 背中を冷や汗が下っていく。指先が冷えていく。頭が僅かに痛む。

 そんなことを気にした様子もなく、行商人は得意げに続ける。


「だから俺らのような旅をする商人は、夜の商いは絶対にやらねェんだ。特に新月の夜はな。満月の夜は逆に良い。なぜかって? そりゃあ相手が吸血鬼かどうか一発で見分けられるからだ」

「……見分けられる? どうやって?」

「それはな、奴らは月明かりに当たると、髪が銀色になるって話なのさ」


 トワの髪が銀色になったのを見たことがない。じゃあ大丈夫だ、と思ってすぐに、いや、と思い直す。そもそもノアは、月明かりが街に満ちる頃にトワと一緒にいたことがない。

 心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。


「それは、本当に?」

「俺も聞いた話だからなァ。実際に見たことはねェんだ。兄ちゃんも気を付けた方がいいぜ。吸血鬼は特に美男美女を狙うらしいからな」


 毎度あり、と紙袋を渡される。反射的に出たありがとうは、いつもよりもずっと弱弱しくその場に響いた。

 孤児院への帰り道。

 ノアは滲む汗を拭くこともなく、ただ黙々と足を動かす。握り締めた紙袋の口が、ぐしゃりと音を立てる。歩調がどんどんと速くなっていく。

 頭の理解が追い付かない。もしかしたら頭が理解を拒んでいるのかもしれなかった。

 吸血鬼。月の出ない夜。銀髪。

 頭の痛みは脈拍を刻むように、さっき痛みだしてからずっと続いている。まるで責め立てられているみたいだった。考えないようにしているからなのか、理解を拒んでいるからなのか、それ以外に理由があるのか。ノアには解らない。

 それでも、ただ一つのことは分かる。


 もう暗唱出来るほど聞かされた御伽噺の『御使』と、行商人の言う『吸血鬼』はよく似ていた。


 違うのは、血を与える側なのか、奪う側なのか。

 そして、崇められる存在なのか、恐れられる存在なのかだ。

 御伽噺がいう『生命の水』は文脈から読み取るなら、体を巡る水、つまり、血液だろう。御伽噺がただの作り話ではなく、本当にあった事実を指しているなら。『御使』は不老不死であるものの『吸血鬼』のように血を奪うのではなく、血を人間に与えていたことになる。


 不意に、ユリャナの言葉を思い出す。


――トワが何者であっても?


 随分と含みのある言い方だ、と当時は思っていた。

 でももしも。もしもトワが『御使』あるいは『吸血鬼』であるなら。ユリャナがその言葉を使った理由も納得できる。それに、ユリャナはノアよりもずっとトワのことを知っている。二人きりで何かを話していることも多い。意図的に聞かないようにしていたけれど、こんなことなら無理にでも聞き耳を立てて聞いておくべきだったのかもしれない。

 きっとシスターに聞いても御伽噺の真実は知らないというだろう。ユリャナに連絡を取ることも難しい。そうなれば。

 ノアは足を止める。

 トワ本人に直接聞くしかない。その方法が一番確実に、正確な話を聞ける。

 その考えにたどり着いた途端、さっきまで孤児院に向かっていた足先は、ぐるりと向きを変えて林へと向いた。


 トワ、あんたは一体何者なんだ。


 そう思えば思うほど、送る足は速くなって、ついには走り出していた。

 必死の形相で街の中を走るノアを、長が見ていたなんて知るはずもなく。



 息が切れるほど走って辿り着いた林の先。

 吹き付けてきた風が、汗をさらっていく。一面に広がる青々とした緑は、夏に近い気候だというのに涼しそうに風に揺れている。

 どの季節もそうだった。

 春だろうが、夏だろうが、秋だろうが、冬だろうが、ここに生えた草木はいつだって青々とした色を放って、みずみずしさが溢れていた。それをノアは当たり前のように受け入れていた。

 ノアは草木に詳しくない。だからそういうものだと思っていた。

 でも、もしかしたら。トワがあの平屋にいるおかげだとしたら。

 ぐしゃりと紙袋がまた音を立てた。それを気にすることもなく、またノアは足を動かし始める。遠くの方で鳥が鳴いている。こんなに清々しい景色の中で、ノアだけが場違いのように胸の内を曇らせていた。

 小走りになる足を止められない。

 トワにこれを聞いたら、おれはもしかしたら人間ではなくなってしまうかもしれない。

 そんな考えがよぎる。でも人間ではなくなってしまうことに恐怖はなかった。どちらかといえば、トワに拒否される方が怖かった。でも知らないふりは出来ない。もう気付いてしまったことを、見て見ぬフリできる性格ではないのを、自分が一番よく知っているから。


 何千回と開けてきた扉の前に立つ。

 小さく息を吸って、肺に溜まった酸素をすべて吐き出す。心臓が落ち着くのを待ってから、拳を上げた。いつも通りに。頭でそう繰り返して、扉を三度叩く。


「どうぞ、開いてるよ」


 穏やかな声がすぐに帰ってきた。わずかに高鳴った胸。

 トワは人間ではないかもしれない。そう思っても、やはり自分の胸に積もった想いは素直だ。焦がれてやまない彼の声に、速まった鼓動をそのままに扉を開けた。


 トワはいたっていつも通りに、定位置のソファに腰を掛けて、何やら分厚い本を読んでいた。入ってきたのがノアだと気付くと、頬と目元を緩ませて笑いかけてくれる。


「珍しいね。きみがお使いついでに此処にくるなんて」

「なんで、」

「ふふ、いつもは見ない紙袋を持ってたから。当たりかな?」


 見透かすような言葉。それがますますトワを人間という存在とは遠いものだと思わせて、ノアは口を噤んだ。いつもなら何かしらの答えを返すのに、何も言わなかったのを不思議に思ったのか、トワは目を丸くした。そして何かに気付いたように立ち上がると、ノアの前までやってくる。磨き抜かれた革靴が目に入っても、ノアは顔を上げられなかった。


「どうかしたのかい? 体調でも悪い?」


 首を横に振る。肩をそっと撫でられた。


「とりあえず、あそこに座るといい。お茶を用意するから」


 こくりと頷いて、さっきまでトワが座っていたソファに腰を下ろす。自分の横に紙袋を置いた。鼻を鳴らしても香るのは、いつも通りの石鹸の香りだ。この家では一度も血の臭いなんてしたことがない。

 もしもトワが人ではないモノだったとしても、血を奪うなんていう野蛮な吸血鬼ではない。はずだ。そう思いたいだけなのは自分で分かっている。でもトワは『吸血鬼』よりも『御使』と言われた方がしっくりくる。

 窓際で揺れるレースのカーテンに、顔を上げた。

 窓際には百合の花が一輪、《《ずっと》》花瓶に生けられている。ノアが此処に一輪の百合を持って来たあの日から、ずっと。ノアはトワが街にいるのを見たことがない。林の近くに百合が咲いていないのも知っている。だからあの百合は、あの日からずっと咲き続けているのだろう。


「―――トワ」


 百合を見つめたまま、静かに名前を呼んだ。うん? と間延びした返事がある。茶器からカップに何かを注ぐ音を聞きながら、胸の内に燻っていた疑問を言葉にして放った。


「トワは、吸血鬼、なの?」


 ぴたりと音が止んだ。トワは何も言わなかった。

 沈黙に耐えられなかったのは、ノアの方だった。


「それともあの御伽噺の、御使様、なの?」


 できれば後者であってほしいと思う。でも仮にトワが吸血鬼であったとしても、それはそれで構わない。

 ユリャナに『トワが何者でも構わない』と言ったのは本当だ。自分の問いかけに対してトワが、肯定しても否定しても、トワのことを誰よりも好きだという事実は変わらない。

 きっとこの先もずっと。もしもこの問いかけが、自分の身を滅ぼすことになったとしても、本望だった。


 ゆっくりとトワへと視線を向ける。

 キッチンにいたはずのトワの姿が見当たらない。どこに、と思ったのと、両肩にぬくもりが乗ったのは同時だった。いつの間に背後に。あまりの驚きに肩を揺らしたノアに、息を零すような笑いが上から落ちてきた。


「ノアは、僕が吸血鬼だって言ったらどうするの?」


 左肩に乗っていた指先が、ゆっくりと首の方へ向かって流れていく。指先が動くたびに、肌が粟立った。恐怖ではない。興奮に似た甘美な痺れが全身を駆け巡って、喉が一気に乾いていくような感覚に襲われた。


「どうする、って、どういう意味」


 掠れた声が出た。トワの意図が全く読めない。

 どうするって、どうもしない。誰かに告げ口をするつもりもない。もしも口封じに殺されるなら、それも仕方のない事だと思う。でもトワは頭がいいから、殺すとしても自分が孤児院を出た後だろう、と根拠もなく思う。

 トワは小さく笑う。そっと近付いてきた唇が、耳元で囁いた。


「吸血鬼と言ったら、やることは一つだろう?」


 全身が粟立つ。頭の奥が痺れるような感覚に、腹の底から顔を出したのは今まで見て見ぬフリをしてきた泥まみれの欲。どくどくと五月蠅(うるさ)い心臓の音を聞きながら、ノアはゆっくりと告げた。


「トワになら、おれの血全部あげてもいいよ」


 まぎれもない本心だった。

 トワの為になるなら、己の全部を差し出したってかまわなかった。トワが何でもくれたように、ノアもトワに何でも差し出したかった。存分に甘やかしてくれたように、ノアもそうしたかった。共犯になったっていい。己がトワの糧になるのなら、それ以上の至福はない。


「そう?」


 耳元で密やかに笑ったトワが、首筋を撫でてくる。頭を撫でてくれる時のように優しいのに、どこか欲を呼び覚ますような撫で方だった。ごくりと鳴った喉。きっとトワには聞こえてしまっただろう。

 

「じゃあ、遠慮なくいただこうかな」


 声が遠ざかったと思った刹那、耳を柔らかな毛先が擽った。視界の端、はらりと青みがかった黒髪が揺れた。首元があらわになるように、服を外側に引かれたのが分かる。心臓が握りつぶされるかのように痛いのに、鼓動は早く大きくなるばかり。

 心臓の五月蠅さがトワに聞こえていませんように。

 そんなことしかノアの頭にはなかった。

 歯の固い感覚と肌に触れた唇の温かさに、目を思い切り瞑って身を震わせた。

 その時だった。


「――――なーんてね」


 ぱっとぬくもりが離れて、トワの楽しそうな声がその場に響く。



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