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永遠のきみへ  作者: 晴なつちくわ


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14.終結と始まり


 トワ、ただいま。

 声を聞いた瞬間、胸に溢れたいろんなものを制御出来ずに、ぼたぼたと涙を落としてしまった。既に流している涙は枯渇していたはずなのに、溢れて止まらなかった。

 僕はずっとその言葉を待っていたんだな、と妙に腑に落ちた。聞きたくてたまらなかったくせに、可愛いらしいことを言えない口は、ばか、と罵ってしまった。だが、照れ隠しである事に気付いていたのだろう、ノアの眼差しは愛おしさだけが占めていて、そのおかげでやっと、おかえり、と言えたのだった。


 己の血を飲ませたから当たり前なのだが、ノアは驚異的な速さで回復した。目を覚ましてから五分もしないうちに、ゆるゆると体を起こしたノアを当然心配した。血を与えたヒトが、いきなり立ち上がって貧血になる事が、ほとんどの場合に当てはまるからだ。

 しかしそんなトワの常識に反して彼は、何ともない、と屈託なく笑って腕を振り回していた。


「それにしても、本当に体力バカだね、きみは」


 宿場町に戻る道中。

 バレないように顔やら体やらに巻いていた包帯を使って、人攫いを一纏めに縛り上げた上に、その三人を引き摺っているノアを見て、トワは呆れたように言った。

 きょとりとしたノアは、すぐムッと口を膨らませる。体力バカという言葉は散々使ってきたのに、何が彼の機嫌を損ねたのか分からない。

 首を傾げると、彼は渋々口を開いた。


「前みたいに、お前って呼んでくれないの? トワ」


 あ、と思う。確かにここ十数年のせいで『きみ』呼びが定着してしまったけれど、元々は『お前』と言っていたのを思い出す。ノアはノアールではない、と自分に言い聞かせる為にそう呼んでいたのだが、ノアールの記憶を取り戻した今その線引きは必要ない。

 それはわかる。だがしかし。

 今度はトワが顔を顰める番だった。


「お前、がいいの? じゃあ、ノアかノアールだったら?」

「それはどっちでも良い。どっちも俺だしね」

「……お前の基準よく分かんないなぁ」


 トワとしては名前の方が大事な気がするけれど、ノアはそうではないらしい。ますます眉根を寄せたら、ノアが嬉しそうに笑っていた。




「トワ! 無事だったんだね!」


 宿に戻ると女主人が出迎えてくれて、少しだけ驚いた。夜も深い時間だったのに、彼女たちは寝ずに待っててくれたらしい。隊商のメンツに、よくやった、と背中を叩かれているノアを見ていたら、突然女主人に抱き締められて目を剥く。


「よかった。ほんとにっ、無事で、よかった」


 声を滲ませている女主人に、胸が温かくなった。母親、なんてものは記憶の彼方に消えているけれど、きっと母がいたらこんな感じなのだろう。自然に溢れた笑みを隠さず、ありがとう、と抱き締め返した。それも束の間。


「人攫いのことはアタシたちに任せな。アンタは先に休んで疲れを癒すんだよ。いいね?」


 あれよあれよという間に背中を押されて、トワは宿の一室に押し込まれてしまった。それが自分一人ならよかったのだが。


「なんでお前まで一緒なんだよ!」


 背中から抱きついてくるノアに、声を潜めて抗議する。

 宿に泊まるときは必ず人数分の部屋が取ってあるはずで、ノアの部屋は別にあるはずなのに。何を当然のように一緒に入ってきているのか。しかも聞いているのか、と問いかけても曖昧な返事しか寄越さないし、首筋に懐いてくるから大きく暴れようにも暴れられない。


「ノア! いい加減にしないと、」

「しないと、追い出す?」


 その声が揶揄うような響きをしていたら、足でも踏んで無理矢理引き剥がしていた。なのに、ノアのそれは叱られた子犬のように沈んでいて。ぐ、と情けない音が喉から出る。庇護欲すら抱かせるその物言いを押し切って、追い出すのは難しかった。

 静かに息を吐き出して、後ろから肩に預けられたまま頭を撫でる。


「追い出さないから放して。動きにくいだろう?」

「いやだ」


 いやだってなんだ。何が嫌なのか全く心当たりがなくて、問いかける。


「なんでいやなんだ。出て行けとは言ってないのに」

「やっとトワに触れられたのに、離れたくない」


 ぐりぐりと頭を擦り付けてくるノアに、ふはっ、と笑ってしまった。ただの駄々っ子みたいだ。記憶にあるノアールはどちらかと言えば紳士的で、子どもっぽい接触はあまりなかった。ノアとして過ごしたせいなのか、それとも元々そういう質なのかは分からないが、かわいいなぁ、とは思う。

 それに、甘えてくれるのは嬉しくもあった。リシルでのノアは、聞き分けの良いしっかり者という評判が主だった。それがトワの前では子どもらしくはしゃぎ、我儘も言ってくれる。そうするとたっぷり甘えさせたくなってしまうのは、もう癖みたいなものだ。


「分かったよ。じゃあとりあえずベッドに入ろう」


 ぽんぽん、と頭を撫でてやる。ゆっくりと上がった頭。振り返る前に囁かれた。


「それって、夜のお誘い?」

「ッ! そんなわけないだろ、このばか!」

「いてっ」


 強すぎない拳で頭を殴って、ぱっとその腕から抜け出す。さっさとベッドに寄って腰を掛ければ、残念そうな顔をしたノアがのろのろとこちらに向かってくる。てっきり隣に座るかと思ったのに、ベッドに座ったトワの目の前に腰を下ろして見上げてくる。


「どうしてもだめ?」


 おねだりするように小首を傾げたノアに、心臓を握られた気がした。

 確かにノアールとは何度も欲に溺れたこともあるけれど、記憶が戻った当日に、ハイいいですよ、とは言えない。そもそも恥ずかしさの方がまだ勝っているのに。

 ごほん、と咳ばらいをして、だめ、と言ってやる。

 手を伸ばして、しょげている顔に触れる。温かい。横髪を耳に掛けてやれば、くすぐったそうに体を揺らすノア。それだけで、今のトワには十分だ。


「刺されたところは何ともない?」

「うん。トワの血のおかげで」

「よかった。他に痛い所もない?」

「ないよ。トワの血は俺によく馴染むから」

「そうなの? どういう原理?」

「さあ。血の交換を何度もしたから、とか?」


 なるほど、と思いながらその時のことをぼやぼやと思い出しかけて、勢いよく頭の外に追い出す。あの時のことはあまり思い出したくない。悪い思い出というわけではなく、自分の醜態に悶絶するからだ。

 それに気付いたのだろう、ノアがニヤリと笑った。


「トワのえっち」

「ッ! 元はといえばお前のせいだよ!」


 ぺしっと頭を叩く。照れてるかわいい、とか言っているノアには効果がないのを知っている。じっと見ても、彼の笑いは止まらない。本当に嬉しいのだろうな、と思うのと同時。

 自分のしたことを思い出す。

 ノアがそばにいさせて、と言ってくれたから血を与えた。それは真実で、半分嘘だ。守りたい、と思ってくれたノアと同じように、トワも何としても生きていてほしかった。自分勝手だと罵られてもいいくらいなのに、それをノアはしない。

 下がっていく視線。頬に温もりを感じて、顔を上げる。

 眉を下げたノアと目が合った。彼の手が、大丈夫、と言うように頬を撫でてくれる。その手を握り締めた。


「ノア、僕は、」

「何も言わないで、トワ。ちゃんと分かってるよ。貴方がどんな想いで俺に血を分けてくれたのか」


 そんな優しい顔で、全部を許してくれるみたいなこと、どうして言えるのか分からなかった。あまりにも勝手だ。ノアから手を離されたくない一心で逃げていた自分に気付かないまま、ノアを突き放したのに。なのに、どうしてそんな事が言えるんだろう。

 立ち膝になったノアに抱き締められる。温かい。ずっとこのぬくもりを求めていたのに。ずっと気付かないふりをしていた自分。

 情けなさに打ちひしがれそうなトワに、ノアは静かに言った。


「自分を責めないでいいんだ。責めるくらいなら、俺とずっと一緒に生きて。もう二度と手を離したりしないって約束して。その方が俺は何千倍も嬉しい」


 いつだって心にぬくもりを灯してくれる、いとおしくて堪らない体を抱き締め返す。


「お前が、離れて、って言うまでずっと一緒にいる」


 声は震えていたけれど、ノアは何も言わないでくれた。返事の代わりと言わんばかりに、苦しいくらいに抱き締められる。小さく笑ったノアは言った。


「離れて、なんて言う日は絶対に来ないから、安心して俺の隣で永遠を過ごして」

「ふふっ、なにそれ。未来は誰にも分からないのに」

 

 口ではそう言ったけれど、ノアが言うと本当に思えてしまうのは何故だろう。

 彼ならきっと約束を果たしてくれるだろう、なんて、何の根拠もないのにそう思ってしまうのだから、大概だ。でもよく考えれば確かに、彼はもうすでに約束を果たしてくれていた。

 無理に思えるような長い時を超えて、ノアールはトワの元に来た。

 記憶を失ってもなお、トワを好いてくれて、何度もトワの元を訪れてくれた。トワ以上に好きな人なんていない、何者でも構わない、とずっと好きでいてくれた。

 そんな彼だからこそ、永遠、という彼の言葉を信じてみたいと思う。


「でもそうだね。ノアとならそんな永遠も悪くないかもなぁ」

「悪くないじゃなくて、良いの間違いでしょ」


 体をゆっくり放して、いとおしいひとの顔を覗き込む。悪ガキみたいに笑みを浮かべている減らず口。ふっと漏れた笑い。そんな彼にはこの言葉を贈ろう。


「僕の永遠を、永遠の君へ捧ぐよ。ノア」


 呆けているノアに、触れるだけのキスをする。

 宣誓の後の口づけは、その約束を互いの体に閉じ込める意味がある、と昔聞いた。だからこそ、それをノアに贈りたいと思った。

 唇を離すと、途端に顔を真っ赤にしたノア。両手で顔を覆って、聞き取れない意味不明な言葉を羅列しているノアを見て、トワはやっと心の底から笑うことが出来たのだ。

 

 

 


「本当にふたりで行っちまうのかい?」


 朝陽の光が満ち始めた宿の前。女主人を前に、旅支度を済ませたノアとトワがいた。まだ静まり返っている宿場町は、閑散としていて、人通りはほとんどない。

 トワが、はい、と頷いた。


「皆さんには本当に良くしてもらいました。この先は、僕とノアで行きます。アダルにもよろしく伝えてもらえますか?」

「それはもちろんだけれど」


 少しだけ残念そうな女主人から、トワへ視線を向けた。

 トワはすでに隊商が偽物であることを知っている。騙されちゃったなぁ、なんて困ったように笑っていたのは記憶に新しい。アダルが色々画策していたことに驚きはしていたものの、彼らしい、と笑っていたから、感謝こそすれ怒ってはいないのだろう。

 馬に乗っていくように勧められたが、それは丁重にお断りした。馬は標的になりやすいし、二人ならトワを背負って走ることもできる。体力バカ、と称されるこの身体能力の高さを利用しない手はない。

 それはトワも考えていたようで、彼がいるので、と言ってくれた時は、飛び上がってしまいそうなほど嬉しかった。トワはどちらかと言えば頼られる方で、頼ることをあまりしない。それを自分の前ではしてくれるのだから、恋人冥利に尽きる、というわけである。


「ノア」


 声を掛けられて顔を向ければ、女主人が真剣な顔で自分を見ていた。


「リシャール様のこと、頼んだよ。絶対に何があっても守るんだ」

「うん。俺の命に代えても、必ず守るよ」


 間髪入れずに答えれば、女主人は表情を崩して笑った。


「なら心配いらないね! 頼んだよ!」


 バシンッと気合を入れるよりも強い力で背中を叩かれる。人間のままだったらよろけていただろうが、幸いにもノアの体は始祖返りとしての力を有している。ちょっとも傾くことはなく、任せて、と返したのだ。



 見えなくなるまで女主人に手を振っていたトワが、やっと前を向いてくれたのと同時。あの日自分を頼ってくれた、愛おしくてたまらない手を取って握り締める。

 ふふ、と笑ったトワも満更ではないらしい。胸の奥が温度を上げる。

 荷物は旅行鞄一つだけだ。あとは自分と、トワがいれば何もいらない。

 風が吹き抜けて、二人分のフードを揺らす。


「気持ちいい風だね」

「うん」


 そんなどうってことない会話も、こんなにも胸を高鳴らせてくれる。

 忘れもしないあの嵐の夜。一縷の希望に縋って、リシルにたどり着いた自分は、己の記憶を犠牲にして体を修復するしかなかった。誰かが気付いてくれなければ赤ん坊のまま凍え死んでいたかもしれなくても、その危険な賭けに出るしか、トワの元にたどり着けなかった。

 奇しくもそんな自分を拾ってくれたのは、あのアダルだったらしい。アダル様が連れてきた赤ん坊がアンタだったなんてねぇ、と女主人は何気なく言っていたが、ノアは少しだけ後悔した。そんな大事なこと、もっと早く言ってほしかった。アダル本人から聞けていたら、もっとちゃんとお礼がしたかった。でも、それは今度の機会に取っておくことにしよう。いくらでも時間はある。アダルもまだしばらくは長生きをしてくれるはずだから。

 藻掻いてつかみ取った一縷の希望のおかげで、今こうしてトワと共にまた旅が出来る。

 永遠をトワと共に過ごせる。

 責めるくらいならずっと俺と一緒に生きて、なんて言ったけれど、きっとあれは呪いだ。責任を感じているトワを縛る呪い。責任感の強いトワはそれを守るだろう。そんな下心があったから。

 我ながら気持ちが悪いほどトワが好きだと思う。そうして言霊を使ってまで、トワが傍にいてほしい、なんて。こんな重たくて厄介な愛をトワが知ったら引かれてしまうかもしれない。

 それでも、手を離すことなんて出来ない。


「ねぇ、ノア」


 沈みかけていた思考をぱっと上げて、トワを見る。いつの間にか足を止めていたのだと、今更気付く。トワはこちらを覗き込んで、屈託のない笑みを浮かべていた。


「これから、どこに行こうか」


 強く握り締められた手。抱き締めてしまいたい気持ちを抑えて、満面の笑みで言った。


「トワと一緒ならどこへでも!」


 本当に何処へでも構わない。

 それが地獄に続く道だったとしても、トワと一緒ならなんだって。

 そんな気持ちを抱えているなんて知らずに、えー、とトワは不満そうに言った。


「じゃあとりあえず、カーナリアに向かおうか」


 頷いてまた歩き出す。

 この先の未来に何が待ち受けていようとも、この手を離さずに、永遠を歩んでいくのだ。




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