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永遠のきみへ  作者: 晴なつちくわ


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11/15

10.休息

 


――吸血鬼狩りがいる中で、一人旅は危険です。隣国の国境まで隊商に紛れていってください。


 がたがたと揺れる馬車の中で、アダルの言葉を思い出す。


 街に人がいなくなる夜を選んで出立の挨拶をしに行ったトワに、アダルはそう言った。これからすぐにでも街を出ようと思っていたのに、結局朝までアダルのところで世話になってしまった。

 同行を許してくれた隊商の面々は、真面目で気の良い人たちばかりだった。

 何か手伝えることはないか、と聞いたトワに、何かあったらお願いするよ、と屈強な体を持った女主人は言った。他にも手足がヒョロヒョロなのに力はある男、深くフードを被って口元を包帯で隠した男、小柄で愛らしい受付嬢、主人と同じく屈強な男と女がいる。その多くは馬車に乗るのは疲れる、と言って代わる代わるに馬を操ったり、歩いて移動している。

 

 そんなこんなでトワは一人、アダルのくれたフード付きの外套を深く被って、彼らの商売道具と同じ場所で馬車に揺られているというわけだった。

 ふと見た景色に、リシルの城壁はもうない。

 あるのは少しだけ整えられた道と、広大な野原、そして少し遠くに見える森だ。

 リシルを出て、もう三日経ったから当然だ。女主人がいうには、あと三日くらいで国境に着くらしい。このまま穏やかに旅を終えて、別れられたら良いと思っているが、いざという時は死なない自分が囮になることで、彼らには被害を与えないようにしなければ。

 そんなことを考えていたら、がたん、と音を立てて馬車が止まった。


「みんな、少し休憩にしよう!」


 女主人の声を、受付嬢の喜ぶ声が追いかける。

 彼らの休憩は食事と昼寝が日課で、ここで大体数時間を使う。その時に水を汲んでくる仕事は、トワが役に立てる数少ない場だ。ついでに彼らが野獣に襲われないようにするのも、誰も知らないトワだけの秘密の仕事である。

 荷台から降りて、陽の下に出る。

 からりとした清々しい空気が身を包み込んだ。大きく伸びをしてから、バケツを取ろうと振り返った時だ。


「! びっくりした。なぁんだ、君か」


 フードを深く被った包帯男がすぐ後ろに立っていた。よく見ればバケツを四つ持っている。水汲みは、彼と自分の仕事だからだろう。


「バケツありがとう」


 バケツを受け取っていつも通り、二人で並んで歩き出す。

 ちらりと見た彼の横顔は、殆どフードに隠れていて見えない。鼻先や口元は包帯に覆われているせいで、顔の輪郭しか教えてくれなかった。

 女主人は彼を、アル、と呼んでいた。

 気が利いて良い人だと思うのだが、トワの目には彼が少し不思議な存在として映る。何しろアルからは、気配を感じられないのだ。だからすぐ後ろに立たれても、気付けないことが多い。

 兎に角、アルは静かだった。それに拍車をかけているのが、彼が声を発しない――発せないと言った方が正確だろうか――ことだ。彼との意思疎通は筆談が主。こちらからの言葉は彼に届くが、彼の声は聞くことが出来ない。しかし仕事は出来るのか、てきぱきといつも率先して動いているように見える。

 ただ数日旅をするだけのトワにも、アルは気を配ってくれているのか、わりといつもトワの近くにいてくれる。まるでノアみたいだ、なんて思ってしまうくらいには。

 でも彼の気配は、ノアとは似ても似つかない。

 ノアが太陽だとするなら、彼は月。動と静くらいの差がある。

 

 ふと彼がこちらを見た。フードの奥に隠れた、色の判別がつかない瞳と目が合う。僅かに傾げられた首。何か用でもあるのか、と聞きたいのだろう。


「ごめん、何でもないよ」


 首を横に振って少し前に出て歩く。そんなトワの背中をじっと彼が見ていたのを、トワが知るはずもなかった。



 昼食を取って満たされた体を、隊商の人たちはそれぞれ自由に休ませている。木の幹に背を預けて休む者、野原に大の字になって寝ころぶ者、馬とじゃれている者、座って談笑している者。

 そんな光景を、トワは少し離れた場所に座って見ていた。

 瞼を閉じて、気配を探る。彼らの他に、追手のような気配は今のところない。ふ、と息を落とした音を追いかけるように、草を踏みしめる音が聞こえて、瞼を持ち上げる。

 アルが立っていた。首を傾げれば、トワの横を指差してきた。


「どうぞ。といっても、面白い話は出来ないけど」


 それでもいいと思ってくれたのか、アルはトワの隣に腰を下ろした。足を投げ出して座っているトワに対して、アルは三角座りで体を落ち着かせている。思わず漏れた笑い。そのかすかな音に気付いたらしいアルの顔が、僅かにトワへ向く。


「嗚呼、ごめんね。君に似ている子のことを思い出して」


 小さい時のノアは、よくそうやってトワの隣に座っていた。

 拳の隙間もないくらいにぴたりとくっついてくるノアをそのままにしておくと、いつの間にか眠りこけているのが、十年前くらいの日常だった。

 まだ小さかったノアは、今では隣にいるアルのように大きくなった。その成長を見守ることが出来たのは、幸福なことだった。何かと自分について回るノアが可愛くて仕方なくて、猫かわいがりしてしまった自覚はある。彼の心を乱してしまった一端だ。


 筆談用のメモを取り出したアルが、何かを書いてこちらに見せてきた。


『どんな奴?』


 自然に零れた笑みのまま言った。


「君のようによく世話を焼いてくれる、いい子だよ。時々聞き分けがなくて頑固なところもあるけど、とにかく真っ直ぐな子だ」


 だからあの時も、ノアの真っ直ぐで切なる想いに心臓を突き刺された。

 

――じゃあ、おれが死ななかったら連れて行ってくれる?


 死ななかったら。つまりそれは、ノアが始祖返りに戻る事と同義だ。ノアが本当にただの人間だったなら、血を与えて連れてきていたかもしれない。いや違う。ノアが人間でも始祖返りであったとしてもダメだ。きっとノアは、自分の怪我も厭わずに死ぬことになろうがトワを守る。

 それが分かるから、どうしても頷けなかった。


 さらさらとペンが走る音がする。膝を抱えながら、向けられた紙に目を通す。


『ソイツは連れてこなかったのか?」

「わざと連れてこなかったんだ」


 笑って答えれば、さらにペンが紙を走る。今日はやけに質問が多いな、と思うものの穏やかな陽気のおかげか、それとも彼の静かさ故か、煩わしいとは思わなかった。


『ソイツが嫌いだから?』

「ふふ、逆だよ。大好きだから、連れて来なかった」


 自分のこの先の旅が多くの危険を伴うものだと分かるから。

 その気持ちが分からないらしいアルは、首を傾げている。


『好きなのに駄目なのか?』

「そうだね、好きだけじゃどうにもならない事もある。僕はその人が生きていてくれるなら、それだけで幸せなんだ」


 吹き付けてきた風が、二人のフードを揺らす。それに背中を押されるように、トワの口から言葉がするすると流れ出す。


「大好きな人が、この世界から自分の所為で消えることが恐ろしくて仕方ないんだ。自分の所為でその人が喪われるくらいなら、理解されなくても、憎まれても、罵られても、嫌われてもいいから、僕はその人の手を放すって決めた」


 本人にそんなことを言えるはずもない。でも彼はトワの事情なんてしらない人だから、勝手に言葉が漏れていく。本人に言えなかった分まで、こんなに簡単に。

 ふっと自嘲が漏れた。


「結局のところ、僕は臆病なんだよ。一緒に生きて一緒に死んで、って言えるほど純粋でもなければ勇気もない。知識ばかり詰め込んだ頭でっかちな情けない奴なんだ。笑えるね」


 くしゃり、と紙が曲がった音がした。きっとアルも呆れてしまったんだろう。そう思ったのに。視界に入り込んできた少し曲がった紙。目をゆっくりと走らせる。


『あんたは情けなくなんてない』


 彼の元へ引っ込んでいく紙を追いかけて、視線をアルへと向けた。乱暴に綴られていくのに反して、そこに書かれた言葉はやさしさに溢れていた。


『情けない奴は、好きな人に嫌われても良い、なんて言わない。あんたは、底なしに優しくて愛が深いだけだ』


 どうしてこんなに、彼は心を溶きほぐすようなことを言ってくれるのだろう。自分ですら馬鹿だと罵ったトワの心を救い上げてくれるのだろう。

 不意に目頭が熱くなって、それをごまかすように笑った。


「ありがとう。こんな僕にそんな言葉を掛けてくれる君こそ、本当に優しい人だと思うよ」


 彼のペンを持った手が震えている。こんな見ず知らずの居候に、心を痛めてくれているのだろう。冷え切っていたはずの胸の奥が、少しだけ温かくなった。

 人の優しさに触れられるなんて、本当にありがたいことだなぁ。

 そんなことを思いながら女主人の号令がかかるまで、彼と共に束の間の穏やかな時間を過ごした。



 国境近くの宿場町に着いたのは、それから二日後のことだ。



「よーし、一旦此処で休むよ!」


 既に陽が落ちて藍色に染まった空の下で、女主人はそう言った。宿場町は安価な宿が多く、馬を休めるのにも丁度いいのだそうだ。荷物を下ろしている隊商のメンバーの間をすり抜けて、トワは女主人に声を掛けた。


「ここまで一緒に旅をしてくれてありがとう。お礼にご馳走させて欲しい」

「何言ってんだい。お互い様だろ? その金はアンタの旅費として使っとくれ」


 バンッと背中を叩かれる。それじゃあ、と金貨の入った巾着を差し出したのに、女主人は絶対に受け取らない、と言いたげに首を横に振った。


「アンタには感謝してるんだ。アンタを馬車に乗せてから獣害がめっきりなかった。まるでアンタを避けてるみたいにね」


 内心ギクリとしたトワに、気付かなかったのか、それとも気付かないふりをしてくれたのか、女主人はにんまりと笑って言った。


「だからお互い様ってことさ。あそこに見える山道をアタシらは右に行くが、左に行くとカーナリヤ国に近い。アタシらは馬の調子を見て出発するが、先を急ぐなら明朝出ると良い」

「いや、僕は今日出ようと思ってるんだ」

「はぁ!? アンタ正気かい!? 山を舐めちゃいけないよ。出るのなら絶対に朝にしな!」


 勢いよく両肩を掴まれて、体を揺さぶられる。屈強な体を持つ女主人の揺さぶりは、肯定の言葉を返すまで続けられそうな勢いだったので、頷くしかなかったのは余談である。


 せっかくなら宿場町を楽しんどいで、と背中を押されるまま、トワは出店が並ぶ通りへと足を運んでいた。もちろんフードは深く被ったままだ。

 月が出ていたら一目散に宿に引き篭もっていたところだが、幸いにも今日は新月。

 出店が建ち並ぶ通りは、大層賑わっていた。

 金銭を受け取ってもらえないのなら、せめて何か役に立ちそうなものを出店で買うのはどうだろう。唐突にそう思って、トワは色んな出店へと視線を巡らせる。

 何が良いだろうか。使えるものが良い。持ちの良いタオルだったら、男女問わず贈り物に適しているだろうか。そんなことを思いながら、人数分のタオルを買い、包んでもらった。

 買ったものをトランクに入れながら帰路についたトワは、出店の品物に何気なく視線を走らせる。

 目に留まったのは、しなやかな獣が描かれた小さなメモ用紙の束。

 見た瞬間に、アルという青年が浮かぶ。そういえば彼が使っていたメモ帳は本当に雑紙のようなものだった。これならもう少し書きやすいだろうし、持ち運びも便利だ。彼の言葉は胸に良く沁みたから、そのお礼もしたかったのもある。同じように包んでもらって、ポケットに入れた。お節介だったかもしれない、という気持ちを打ち消して、今度こそ宿につま先を向ける。

 すれ違う人たちは、みな楽しそうだ。

 ふと、ノアが隣にいたら、と思った。

 ノアはきっと色んなものに目を輝かせただろう。あれは何、これは何、とひっきりなしに質問してきたに違いない。楽しそうに出店の間を行ったり来たりするノアを容易に想像できて、ふっと笑いが漏れる。

 きっとこの先、こうしてノアの影を見ながら過ごすのだろう。それは時々ノアールだったりするのかもしれない。でもたったそれだけでも胸の奥が温かくなるから。その温もりだけで十分だ。温かさとともに、少しの苦しさが襲ってきても、耐えることが出来る。


「いやっ……! 離して!」


 そんなトワの思考を遮ったのは、聞き覚えのある女の声だった。

 視線を素早く巡らせて、声が発せられた場所を探す。出店の向こう。建物と建物の間の路地に、彼女はいた。

 大の男三人に囲まれているのは、隊商の一人である小柄な受付嬢。

 腕を掴まれて退路を断たれている彼女を、三人の男がニヤニヤとした下卑た笑みで見下ろしている。自然とトワの足はその路地へと向かった。


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