大切なのは
生きにくい世の中になりましたよね。何をするにも誰かしら文句は言われるし、何かにつけてハラスメントにされ、情報は溢れて正解も分からない。ブレずに逞しく生きる主人公が書きたくて作りました。
人は都合の良い脳をしている。
レモニード侯爵家は事業の失敗から膨大な借金を抱えてしまい、それまでの資産は消え、給与を払えないから使用人もいなくなり、かろうじて残ったのは王都にある屋敷だった。
幸い、と言っていいのだろうか。成り上がりの裕福な伯爵令嬢、リリスとの結婚が持ち上がった。リリスはとても優秀であった上、リリスの父は侯爵の権威欲しさに婚姻を唆し、援助を申し出た。
侯爵家は泣いて喜んだ。
ただ、後継であった長男のチェスターは、ふらふらしており嫡男である自覚もなく、無能と呼ばれていた。いつまで経っても人と関わろうとはしなかった。
だから、レモニード侯爵は次男を呼び寄せた。
次男のハーバーは優秀であった。侯爵家は没落寸前の家の立て直しをハーバーに頼るしかなかった。
そのため、城で文官として働いていたハーバーは嫁と子を連れて実家に出戻ってきたのである。
そう、ハーバーには既に妻子がいた。
実を言うと侯爵家は数年前から傾き始めており、その際に事業のため辺境にあるカナイ伯爵家と縁付いていた。なんでも、その娘がなかなか結婚できず、見兼ねたカナイ伯爵が事業に必要な資源を融通する代わりに娶って欲しいという政略結婚だった。
ハーバーは肉食動物のように纏わりつく令嬢避けにとカナイ伯爵令嬢と結婚したのである。ハーバーにとっても都合の良い結婚だった。
ハーバーの妻であるユイナは、田舎で育ったハツラツとした性格の娘であった。単純すぎる事も度々ありハーバーが呆れる事もあったが、それでも逞しく子育てをする良き妻である、とハーバーは感じていた。
ただ、ちょっと頑固な面があり、産後にハーバーの母モリーから言われた一言を未だ根に持っていて、実家に帰る事にハーバーは一抹の不安を抱えていた。
案の定、といっていいだろうか。
一緒に住む中で、両親の好意は気立てのよく、美人で明るいリリスへと向いて、ちょっと棘のあるユイナの立場は微妙なものになっていた。
〜〜〜
「ユイナ。いい加減、母さんが言った事は水に流したらどうかい?悪気があって言った事じゃないんだし」
「悪気?悪気がないのが1番怖いのよ。いいかしら、母乳で育てなければ子が可哀想、愛情不足になる?そんな古い考えはナンセンス。今はミルクの栄養も考えられていて、何なら腹持ちの良い栄養バランス抜群なポテンシャルをお持ちなの。敬意を示さなきゃ」
「それは何度も聞いた。でも古い考えを持っているのは仕方ないだろう?だって古い人間なんだから」
「はぁ、ハーバー?いつまでそんな甘い事言っているの。時代は変わるの、あなたも働いていれば分かるでしょう?新しい時代に適応しなくちゃ。そして、親だからといって、息子や嫁がなんでも首を縦に振る時代も変わっていくのよ……あなたは、それが嫌で家を出たのでしょう?」
そう。ハーバーは親の過保護さが煩わしかった。最もモリーに関しては息子可愛さが異常だったから、早く自由になりたかったのだ。
それなのに、自分も親になってみたらみたで、子を思う親の愛や世話やきになる気持ちが分からなくもなく、こうやってユイナのモリーに対するわだかまりをを無くしたかった。
どうしても両親は、ユイナのように貴族令嬢でありながらも、男勝りで城でバリバリ働いていた意志主張が強い義娘より、素直で賢くお淑やかな新しい義娘の方が可愛く思えていたのだ。
その差は明らかで、リリスと両親が過ごす時間は増えた。ユイナは過保護なハーバーの両親を煙たがった。ユイナなりにやりたい育児があった。幼い頃から英才教育などせずに、のびのびと育ってほしいユイナに両親は「貴族の子として生まれたからにはやらねばならん」と叱責した。
これでまた、両者間の溝は深まった。
ユイナは言った。
「幼い頃からの窮屈な生活を送って何になる?貴方もそれで苦しんだのでしょう?すべき時がきたら、子供は机に向かうわ。自分の役割を自覚した時がその子のすべき時よ。それは、6歳かもしれないし10歳かも……もっと遅いかもね。親はその時が来るのをさりげにフォローすればいいの。ふふ、だって、ハーバー。あなたのお兄様はいつまで経ってもふらふらしているけど、あなたはちゃんと役割を全うしているわ。それって何が違うと思う?性格?ええ、勿論、それもあるわ。それ以上に、色んな経験に触れる事なのよ。あれしろこれしろ、これはダメだと言われれば何も楽しくない。でも、興味のある事ができて、その沢山の経験は自身を知り、自分に何が必要か知る。そしたら自ずとやるべき事をし始めるのよ」
「それは分かる。俺だって窮屈な生活が嫌で自分のやりたい事をするため勉強してきたし、色んな経験を積んできたからこそ今がある。でも、貴族なりに、幼い時から心構えを知るのは必要だろう?」
「あら、心構えは押さえつけた英才教育だけで知れるわけじゃないわ。使用人と関わり、領地や市井へ行き民の生活を知り、どうやって世の中が回り自分の生活が成り立っているかを知る。それは机だけじゃ学べない。外へ出て子供らしく遊びながら知ることが、1番の栄養なのよ」
ユイナは強い。転びそうな子に手を出さずに遠くから見守れるような強さがある。
それはとても素晴らしいことだ。
ただ、頑固で融通が効かない性格が悪い方向へ働く。ユイナもユイナで柔軟に対応できればいいのにとハーバーは思った。
もっと、両親と上手くやってほしいだけなのだ。心の底では母を責められるのが少し、いや、だいぶ気に食わなかった、というのが本音であった。
何やかんや、自分の親を全面的に受け入れてくれないユイナに、嫁としてどうかと思い始めていた。
そんな2人は上手くやっている夫婦に見えたが、心の底では、結局分かり合えない何かがある、と一線を引いた関係であった。
夫婦仲はハーバー達だけでなく、チェスターとリリスも上手くいっていなかった。プライドの高いリリスは、ふらふらだらしないチェスターを好きになれなかった。最もチェスターは全くリリスに興味を示さなかった。それもまたリリスの自尊心を煽った。
そうなれば、リリスとハーバーはお互いの境遇を悲観し慰め合う内に心の隙間を埋めるために、お互いを求めるようになった。そう、時間はかからなかった。
悲しきかな。
パートナーに不満を持っていれば、欲に勝てないのは人間の性か。
月日は流れ、リリスに第一子が生まれた。
チェスターにも、ハーバーにもよく似た子だった。
ユイナは知っていた。
リリスとハーバーが不貞を働いていることを。
リリスとハーバーはその背徳感に夢中になった。
そして、無能なチェスターがいては致し方ないと義父母も容認していた。
ユイナの立場だけ孤立していった。
「お母様、またお高そうなドレスを買っていたけれど……」
「今度の夜会で着るみたいなんだ」
「これまでのドレスを手直しすればまだまだ着れるでしょうに」
「生粋の貴族だから仕方ないよ。それに、良いものを着るのは貴族としての威厳だ……君はもう少し気を遣った方がいいが」
「もう少しお洒落しろと?無駄だわ、育児に仕事にお洒落なんてする暇があれば、寝たいもの」
「ふん、リリスを見習ったらどうだ。子を産んでも未だに女性らしい」
気持ち悪い。
ユイナは夜な夜な2人が肌を重ねている事も知っていた。それはユイナがハーバーの誘いを断ってから、より頻繁になった。
息子のハレスがユイナの足に巻きついて、ユイナは抱き上げて豪快な動きで遊ぶ。楽しそうなハレスは1歳前であるのに既に自分の足で歩き、人見知りもせず、誰に預けてもにこにこ遊ぶ可愛い子だ。
その横で、娘のキャシーが床に寝転がって絵本を読んでいる。
「ねぇ、ママ。なぜ、王子様は悲しい顔をしているの?」
「なぜだと思う?正解はないわ、キャシーが感じたことが正解よ」
「どうしてだろう……」
4歳であるキャシーは賢い。
英才教育などしていない。自然に触れさせ、使用人と遊ばせ、したいと言えば危険じゃない限り、色んな経験をさせた。
ユイナの言った通り、ほっといても絵本を好み文字に興味を持ち、愛嬌ある子に育っている。活発であり我儘も言うが、ここぞと言う時は聞き分けの良い子だ。
子だけが、ユイナの生きる希望だった。
「まぁ、お母様は綺麗なものが好きだものね。いいわ、こっそり着なくなってクローゼットの肥やしになっているドレスを売ってしまおう」
相変わらずな夫への腹いせにユイナは言う。
「おいおい、バレたらどうするんだ。好きにさせてくれ」
「生粋の貴族様は3年前に一度着たドレスなんて覚えてないわよ」
「母さんの機嫌を損ねないでくれよ。もう歳なんだ……君は大人しく育児と家のことをしていてくれれば、それでいいんだ」
腹立たしい気持ちでユイナは部屋を出た。
結局のところ、ハーバーは最終的には母の肩を持つ。私が義母を悪く言えば、機嫌が悪くなる。本人は気付いていないが。
「いいえ、それは体に良くないから使っては駄目よ。それに、おやつも必要ないわ。バターはまだあげたくないの。体に良い野菜や果物をすり潰したものをあげるの」
食堂を通った時、リリスの声が聞こえた。
リリスの子、ルイスはハレスと1ヶ月しか変わらない。だが、未だに腰も据わらずはいはいもできない。
リリスは賢くとてもマメな性格だ。優秀である故にプライドもあった。
育児の一つ一つに融通が効かず、育児書通りにやらないと気が済まない。それに新しい知識にも敏感で、最近分かった育児方法にこだわりすぎて、自分の首を絞めた育児をしている……気がしてならないユイナだった。
ユイナからしてみれば、育児書は参考程度で後は子供を見て進めていけばいいだけのこと。呆れるほど、不器用だと思った。
股関節を守るために抱き方一つに固執して、離乳食を始めるにしても、育児書通りに進めようとして、なかなか離乳食が進まない負の連鎖に入っていた。
泣けば数時間も抱っこしあやすため、ルイスは両親以外が抱けば泣いてしまう。
成長がとてもゆっくりなルイスは、モリーからしたら少し細かすぎないか心配してしまうほどであったのだ。
「なんだかルイスが少し可哀想に思えてくるの。もっと自由にさせてあげたらいいんじゃないかしら……だって、ずぅっと抱っこしていて、私達も抱っこできないし。それに、おやつ一つあげるにしても、駄目なものが多いし……それに、ルイスばかり見ていてチェスターの事はほったらかしなのよ。妻としてもっと夫の事を気にかけてほしいのに」
「リリスさんはもっと肩の力を抜けばいいのよ。ユイナさんみたいに、伸び伸びとした育児が必要だわ。ユイナさんは凄い、育児と仕事もして子供たちはとても元気で良い子に育って」
おかしな事に、リリスの細かく管理された育児のやり方が発揮されてからと言うもの、これまでのユイナの評価が一変。
自由に伸び伸びと育てているユイナを褒めることが多くなっていた。
「母さんが褒めていたよ。母としても妻としてもこなしていて凄いって」
そんな義父母の評価から、ハーバーはユイナを見直し始めた。そして、度々癇癪を起こして余裕のないリリスから徐々に離れていった。
ハーバーのスキンシップがまた増えてユイナは鳥肌の立つほど気持ち悪さを感じていた。
「母乳だけでは乳離れができないんじゃないかしら……ミルクもあげて他の人に預ける時間も必要だわ。あまり過保護は良くないわね」
どの口が言うんだ。
ユイナは心の中で吐き捨てる。
リリスの育児が悪いわけではない。初めての育児だし、リリスのやり方がある。それに、子に必死になるのは母として当然である。経験してきた親なら分かるでしょうに、なんて頭の弱い人だろうとユイナは毒付いた。
ユイナも親で子供に必死になるあまり、視野が狭くなるのは理解できる。まぁ、だからといってリリスの味方をしようなど思わない。
不貞に関しては怒りはもう感じていない。なんせ、私の脳は都合の良い方に働いているから。
チェスターはリリスのやり方に口は出さず傍観している。文句も言わず、余裕がなくなって癇癪を起こしたリリスにさえ遠巻きに見ている。
人に興味がないのだろうか。
ハーバーもリリスと不貞していた事なんてなかったかのように、見て見ぬふりだ。
そして、段々とリリスが孤立していくのである。ますます癇癪がひどくなるリリス。
ルイスはそんな両親を見て不安定な幼少期を過ごした。見兼ねた私が、我が子と遊ぶ時間を作って大人から離れる機会を与えた。
ルイスは成長はゆっくりで、感情表出が乏しく泣かない子だった。リリスはそんなルイスにより厳しくした。でも、ユイナは違った。成長が遅くても感情が乏しくても、それはそれで愛しさがあった。
身体は幼児ではいはいする姿も、我が子とは違う反応をする姿も可愛かった。
子は悪くない、だから私はルイスも可愛がった。
そうやって過ごすこと15年。
キャシーは有能貴族に身染められ結婚するかと思いきや、それを断って王宮で侍女となった。結婚はしないと口癖のように言っている。それは、仕方ないし、私も否めない。それに関しては親の背を見させてしまったことに申し訳ないと思っている。
ハレスは立派に侯爵家の嫡男となった。
結婚するなら、癇癪などしない裏のない女がいいと下調べは徹底している。それに、浮気をしたら自害するとの血判さえ用意すると表明した(これを知ったハーバーは気まずように逃げた)。
そして、ルイスは……度々家出しては問題を起こす問題児になった。その度に私が迎えに行きキャシーとハレスと一緒に過ごした(リリスは問題児となったルイスを叱り嘆くだけだった)。
ある日、学園で問題を起こし帰ってから家にいて何もしないチェスターを見て、怒りが沸いてきたルイスはチェスターを殴った。自分の境遇は全て親のせいだと罵倒した。
そしたら、チェスターは表情も変えず言った。
「あぁ、生きにくい。何も分からない、どうしたらいいか分からない」
そして涙を流し続けたチェスター。
ルイスはそれを見てまだ殴り足りない衝動が、波のように引いていくのを感じた。
「どうしてお前が泣くんだよ……」
「分からない。どうしてほしいかもどうしたいのかも、全部決められてきたから分からない。人と関わっても、何も分からない。だから、生きにくい」
ルイスはチェスターからの心の叫びを感じた。助けてほしい、それさえもきっと分からないほど、チェスターは自分がないし、大人になれていない。
それは、きっと親のせいなのだろう。
それからルイスは真面目に学園に通った。
猛勉強して、医学を学び心理学を学んだ。
心のSOSを出さないで苦しむ子供達を救いたい。親のせいで苦しむ子供を少なくしたい、
立派な医師となって精神科医をやっている。
そんなルイスを見て義父母は言った。
「リリスさんの細かな育児は、ルイスを忍耐強くした。結果、リリスさんあっての今のルイスがあるのよね、きっと」
ユイナは思う。
人は都合の良い脳をしている、と。
環境や状況が変われば、すぐに手のひらを返したように味方にも敵にもなる。それまでの自分の言動なんか、なかったかのように変わるのだから、人って怖い。
〜〜〜
「ユイナ。子供達も大人になって手が掛からなくなっただろう?だから、2人で別荘でも買ってゆっくり過ごさないかい?」
「え?なぜ?」
「なぜって……君、こっそり荷造りしているだろう?知っているんだ、旅行に行きたいんだって?やっとゆっくりできるんだ、一緒に行こう」
何を都合の良いように解釈しているんだ。
お馬鹿さん。
やっと、私は解放されるのよ。
「ごめんなさい。あなたとこれからの人生一緒に生きるなんて真っ平ごめんだわ。だって、母としてここにいたけれど、妻としての役目は随分前に終わっていたもの」
「……どういうことだ」
「ルイスからよ」
その手紙を読んで青ざめる。
本当に馬鹿な人。何も言わなければこれ幸いと都合良く忘れているんだから。
「あと、これはハレスから」
ハーバーが頭を抱えて崩れ落ちる。
《父と呼んだ方が良いのでしょうか。僕の遺伝子とあなたの物が一致したからには、認めざるを得ないでしょうね。そして、叔母さまとの離婚も認めざるを得ないでしょう》
《あなたがどうするべきか、ルイスの手紙を読めば分かりますよね。どうかお元気で》
子は見ている。
そして、ルイスはリリスの不貞を実家の伯爵家に通達して帰らせた。
「あなたを母と呼ぶことは2度とないでしょう」
そう言い残して。
リリスは泣き崩れた。愚かなことだ。ちょっとした欲が自分より大切な宝物を失ことに繋がったのだから。
私は一枚の紙切れをハーバーに落として、軽やかな足取りで家を出た。
次帰る時は、皆の母として帰る。その時にはハレスが無能な3人を追い出しているでしょう。
鼻歌を歌って屋敷を出た私をルイスが迎えた。
「叔母さん、気をつけて」
「うん、貴方も無理はしないように。何かあったらハレスでもキャシーでも相談するのよ」
「……叔母さんは、僕が憎くないの?」
「……憎い?まさか。小さい頃から見てきた可愛いルイスは家族同然よ。あなたは悪くない」
鼻に皺を寄せて目頭を赤くさせるルイス。
「私の脳は都合良くできているの。心理学だって医学だってそう言うんじゃないかしら?要は捉え方。狭い世界で生きるなんてつまんないわ」
「叔母さんは、自由すぎる」
「やっと本当の自由よ!!」
これからが私の人生。
この日のために、耐えてきた。
人の脳は都合の良いものだ。
それをどっちに転ばせるかは、自分次第。
お読みいただきありがとうございました。




