動き始める運命5
門の前には見ただけで高級と分かる黒塗りの車が止められていて、イケメン秘書がドアを開け軽く頭を下げ葵が乗るのを待っている。
初めての待遇に葵は途端に緊張し身体をガチガチにしながら車に乗り込むと、当然のようにイケメン秘書がドアを閉め運転席に乗り込んだ。
(そうだよね、あの手足の長さじゃ軽自動車になんて乗れないよね)
葵は軽自動車に乗り込み窮屈そうにするイケメン秘書を想像し思わず含み笑いをしていた。
「どうか致しましたか?」
「ああ、いえ、何でもありません」
「ではお嬢様、取り敢えず着替えなどの衣料品から揃えたいと存じますが、何かお好みのブランドはございますか?」
葵はコンビニで適当にアメニティグッズと下着を揃えれば良いかと思っていたので、いきなり好みのブランドを聞かれた事に驚いた。
第一葵に拘りのブランドなんてものがある訳も無く、ファッションや流行に拘りを考えるほどの余裕も無かった。
だから強いて言うならばお安さで定評のあるし〇むらブランドご用達だが、それを口にする雰囲気じゃないのは理解できた。
「えっと、拘りなんて何もないです」
葵は答えに窮しイケメン秘書に適当な返事をしていた。
「畏まりました。では私の考えでご案内させていただきます。閉店時間も間もないので少し急ぎますがご了承を」
車のスピードが上がったが、さすがの高級車と言うべきか、イケメン秘書の運転技術か、車はスピードを感じさせる事も無く、またまったく揺れる事も無く乗り心地はすこぶる良かった。
シートの座り心地もとっても良くて、早朝からの目まぐるしいあれやこれやで疲れた身体を癒してくれるようだった。
「お嬢様おくつろぎのところ申し訳ございませんがもうすぐ到着いたしますのでお休みになるのは少々我慢していただけませんか」
葵はうたた寝しそうになっていた事がバレた気まずさより、何で分かったという疑問の方が大きく焦ってしまい思わず話を逸らす。
「お名前をお伺いしてもいいですか?」
「失礼しました、自己紹介がまだでしたね。私は高杉雪永と申します。是非雪永とお呼びくださいお嬢様」
「雪永さんですね。私は千堂葵です。葵と呼んでください」
「いえ、お嬢様。私は一介の秘書ですので」
(え~~~。硬すぎるでしょう。それにお嬢様って呼ばれても自分じゃないみたいで変だよ)
とは口には出せず、葵はそのまま口をつぐんだが、眠気はすっかりどこかへ飛んでいた。
そして連れていかれたのは日本屈指の有名ブランドが多く入っていると噂される百貨店だった。
セレブや高級志向者しか訪れないだろうその場所は、葵には永遠に縁の無いものだと思っていたので一瞬思考が止まった。
車のドアが開けられ「閉店時間は伸ばせますので、取り急ぎご入店を」と言われ何も言えないまま車を降りた。
女性物の衣料品が揃うもう殆どお客の居なくなったフロアに案内され、その思った以上の広さに呆気に取られていると女性店員に「ご案内いたします」と声を掛けられた。
「お話は伺っております。私どもの方でいくつか見繕いご提案させていただいても宜しいでしょうか?」
「はい」
シック系セクシー系キュート系ナチュラル系にゴージャス系と色んな服を売る店舗が揃う夢のような煌びやかなフロア内を移動しながら、葵は何をどうして良いかも分からずただただ女性店員のなすが儘に従った。
そして気が付けば紙袋の山を雪永と二人の店員が持ち待っている。
(どうしてこうなった!?)
思い起こせば「とってもお似合いです」とか「これも素敵でございます」とか着せ替えられてはいたが、どれもこれも葵は買うとも買わないとも返事をした覚えがない。
下着のサイズをきっちり測られた時は初めての体験に羞恥心から曖昧な返事をしたかもしれないが……。
(服を買うってこんなんだったっけ?)
葵は異世界以上の別世界を体験した気分だった。
「お嬢様、取り敢えず今夜必要と思われる物は揃えましたので、明日にでもまたゆっくりと揃えていきましょうか」
「今夜って、いったい何着着て寝ろと?」
どう考えてもミニマリストの葵の一生分の衣類を揃えたんじゃないかと思われる荷物を前に、冷静な顔で言い放つ雪永にツッコミを入れたつもりだが通じなかったようだ。
(ダメだ。価値観が違い過ぎる気がする……)
そして冷静に今いくら使ったんだろと庶民的に考えたが、その答えは怖くて聞く事はできなかった。
何しろ普段葵が買っていた服とは桁の数が二つも三つも違う……。
というか、さっきまで着ていた服は何処へやった?
だいたいお抱えの秘書がいて会長と呼ばれた瑠紺はいったい何者なのか?
確かに娘という設定で同居する事にはなったが、本当にそれに甘えこんなにまでして貰う価値が自分にはあるのか?
コンビニまでちょっと買い物のつもりだったのにと、葵の気持ちはだいぶ重くなっていた。
「お嬢様、何か憂い事でもございますか? 他に何か必要なら遠慮せずに仰ってください」
「いえ、気が抜けたらちょっと疲れてしまって…」
葵は多分今の気持ちを話しても通じないだろうと理解していた。
それに雪永は瑠紺の指示でしているだけで、ここで何か言えば雪永を困らせるだけだろう。
この意識の違いや待遇に対しては瑠紺としっかり話し合うべきだと葵は考え返事を誤魔化した。
「では急ぎ戻りましょう」
「はい、お願いします」
閉店時間を延長させ、店員全員に見送られるのは本当に申し訳ない気分で落ち着かなかった。
幼い頃はお姫様になってみたいと夢見た事もあったが、実際にお姫様かというような体験をしてみるとやはり自分には分不相応で、けして慣れる事ではないと思っていた。