動き始める運命2
西へ向かって歩き始めたのは良いが、どこへ行けば良いのか、何をすれば良いのかもっと詳しく聞けばよかったと少しだけ後悔していた。
もっとも聞いたとしてもお姉さんのあの調子じゃ話してくれたかはまったくの疑問だ。
「はぁ~、私ってばなんで占いなんて信じてんだろう」
葵は溜息を吐くと少し冷静になり、当初の目的だった宿泊場所を探す事にした。
葵は小学校入学直前に子供の無い夫婦の養女になった。
とても可愛がって貰っていたが、子供ができない筈の夫婦に子供ができる。よく聞く話だ。
夫婦は葵を蔑ろにする事は無かったが、どうしてもどこかで愛情の差を感じ遠慮してしまうのは仕方のないことだろう。
望まれて産まれて来た子と自分との違いに卑屈になった事は無いが、心のどこかで本当の母が迎えに来てくれるのを待つ気持ちは捨てきれなかった。
だから高校を卒業した段階で葵は家を出る事にした。
夫婦は激しく反対したが、いずれは出る事になるのだからと説得し、意志が強く変わらないと知ると夫婦は条件付きで家を出る事を了承してくれた。
「ちゃんと連絡をしてね」
「困ったらいつでも帰って来ていいんだぞ」
夫婦の偽りのない本音だろうとは分かっているのに、素直に頷けない自分が情けなかった。
そう言って送り出されたのは夫婦の知り合いが営む食堂で、そこで住み込みで働く事になった。
しかし自分が本当にやりたい事はこれなのかと疑問を抱きながら、やはりどこか遠慮した生活をしていた。
そして今日、食堂が突然の早朝の出火で全焼し焼け出された。
「家へ帰ります」
食堂の夫婦にはそうは言ったが、葵は本当の家族水入らずを楽しんでいるだろう場所へ帰る気にはどうしてもなれなかった。
今まで愛情を注いでくれたあの家族への少しばかりの恩返しのつもりだった。
それにあのお姉さんに言われたように、本当のお母さんやお父さんの事もずっと気になっていて、自分を誤魔化す事もできないでいる。
迎えに来てくれないのなら自分から探してみるかと思い始めているのに、そんな自分があの家族の中に今さらまた戻っても良い事など何も無いと思っていた。
「仕事も見つけなくちゃな…」
そう呟いた葵の目に飛び込んで来たのは≪お手伝い急募!住み込み可。その他条件等相談可≫の張り紙だった。
手伝いって家政婦とは違うのだろうかという疑問より、住み込みで条件も相談できるのなら今の葵にはぴったりだと思った。
ちょっと古い雰囲気だがかなり立派な日本家屋の門の表札脇に張られたそれを剥がし、訪問するには少しばかり遅くなった時間も鑑みず葵は迷う事無く門をくぐった。
「ごめんくださーい」
玄関前でおもいきり声を掛けるが、返事が無いのでもう一度声を掛ける。
「ごめんくださーーい」
葵には断られたらなどという考えは無く、他人の家だという遠慮も迷いも無くただ必死だった。
「はいはーい、今出ますよー」
家の中から返事があった事に安心し、葵は玄関のガラス扉の前で軽く身だしなみを整える。
ガラガラガラとガラス扉の引き戸が開かれると、葵はすかさず四十五度に腰を折り挨拶をする。
「初めまして、外の張り紙を見て来ました。千堂葵です」
「おやおや…」
返事らしい返事も無かったが、葵が顔を上げるとそこにはジャージにエプロン姿の男の人が立っていた。
きちんと整えられたシルバーグレーの頭髪だけを見たら年齢がいっているようにも見えるが、顔の皺は少なくキリリとした眉と涼し気な目元が物語る渋いイケオジ系。
それに多分脱いだら凄い系を予測させる美しいフォルムに隙を見せない凛とした立ち姿。
服装と容姿のあまりのギャップに、葵は暫し呆然としていた。
「取り敢えず中へどうぞ」
葵を招き入れるハイバリトンボイスも心に響くようで心地良い。
「お邪魔します」
葵はいきなり断られなかった事に少しだけ安心し、招かれるままに玄関で靴を脱ぎ上がり框で屈み靴を揃えてからイケオジの後に黙って付いて行く。
古い木造なのに長い廊下もピカピカに磨かれ、家の中の何処を見ても古さを感じさせない風格があった。
それにミニマリストなのかというくらい余計な物があまり無いのもスッキリしていて心が落ち着く。
(掃除はし易そうだな)
葵は家政婦として雇われた時の事を考えていた。
客間に通され言われるままに座布団に座ると、イケオジはとんでもない事を言い出した。
「夕飯を作っていたんだが、一緒に食べてくれるかな」
「え、ぇっと…」
「一人で食べるのに辟易していたんだよ。話は食べてからでもできるだろう」
「は、はい」
イケボのイケオジの雰囲気に飲まれ、まるで口説かれているかのようで葵は既にタジタジだった。
「じゃあ急いで支度をするから少し待ってくれるかな」
「ふうぅ~」
部屋から出て行くイケボのイケオジを見送り、葵は大きく溜息を吐き足を崩した。
ここまでで既にだいぶHPを削られた気がして、このまま一緒に食事をして面接に臨み、上手く雇って貰えるか自信が無くなっていた。
(もしかしてそれが作戦か? だとしたらあのイケオジだいぶできるな……)
葵は何が何でも雇ってもらう為の作戦を考えて、ふとここは手伝いますと後を追った方が良かったのかと後悔し始める。
(今からでも行った方が良いか? でも知らない家で勝手に手を出すのは嫌がられると聞くし・・・)
葵が悩んでいると廊下を歩く人の気配を感じ、急いで正座をし姿勢を正した。
「待たせたね」
大きな木製の配膳盆を軽々と持って登場したイケオジは、それを下に置くと座卓に手際よく料理を並べて行く。
「手伝いますか」
遠慮がちに小さくなってしまった声で恐る恐る尋ねる。
「ああ、大丈夫。気にしない気にしない。僕は好きでやってるからね」
料理を並べ終えたイケオジは「ご飯と味噌汁も持って来るからもうちょっと待ってねー」といそいそと出て行った。
その後目の前にご飯と味噌汁までセットされた時には葵は緊張で喉がカラカラになり、もう何をどうして良いのか上手く考えも浮かばなくなっていた。
「じゃあ食べようか。いただきます」
「いただきます」
葵は緊張で料理の味など感じないだろうと思いながら味噌汁を啜る。
「美味しい…」
カツオと昆布の出汁がしっかりと効いた優しい風合いに、何より味噌が旨いのか味噌の香りと風味が葵の知る味噌汁とは断然違っていた。
「お褒めに預かり光栄だ。何しろ味噌も手作りだからね」
イケオジはうんうんと満足げに頷いている。
メインの焼き魚に筑前煮の様な煮物とぬか漬けとご飯に味噌汁という和風のメニューはどれも素朴で美味しいく、普段食べ慣れていない葵も気付けば無言で夢中になって食べていた。
「ご馳走様でした!」
葵の心からの感想だった。
「見ていて気持ち良い食べっぷりだったね。作った私も嬉しいよ」
褒められたのか疑問を感じながらも恥ずかしさを覚え、葵は誤魔化す様に口を開く。
「後片付けは私にやらせてください」
「では手伝ってくれるかな」
イケオジはまたも満足気に頷いた。
そして台所へと案内され一緒に片付けをした後、イケオジに淹れて貰ったお茶を飲みながら唐突に面接が始まった。