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第8章:名前なき選択 ― 裏方では終われない命の現場

ご訪問ありがとうございます。


『レジオニスタ』第8章「名前なき選択」では、これまで“無名の技士”として命を支えてきたCEたちが、

その選択に“名前を与えるべきか”という問いに向き合います。


医師やAIでは救えなかった命が、技士たちの“感性”によって守られてきた事実。

それをただの偶然にせず、伝えるべき“記録”として残していくべきなのか――


表に出ない職業だからこそ、誰かの命に深く関わった「その瞬間」を見つめ直す章です。

 「現地、相当ひどい状況らしい。電源系統も自家発に切り替えて数時間ってところか」


 病院の災害医療連携チーム会議。


 御影は、モニターに映し出された現地の衛星写真を見つめていた。


 震度6弱の地震により、市内北部の地域病院が機能停止寸前という報告が入ったのだ。


 「今のところ、支援要請は“医師・看護師・薬剤師・DMAT(災害派遣医療チーム)”のみに限定されています。


 CEの派遣は、まだ正式には…………」


 「でも人工呼吸器が止まりかけてるんだろ?」


 「はい。情報によれば、病院内に6名、在宅で3名の人工呼吸器使用者が残っている可能性があります。


 地域ネットワークが分断されているので、確認が取れません」


 そのとき、御影は立ち上がった。


 「…………俺が行く」


 「ちょっと待て、御影さん。あくまで支援要請は――」


 「関係ない。“要請がないから行かない”って、それが命の前で言える言葉か?」


 数時間後。


 防災ヘリの音が上空に響く中、御影と芹沢、綾乃の3人は最小限の装備で被災地に降り立った。


 電力の切れた病院内は、まるで時が止まったようだった。


 発電機はわずかに動いていたが、ICUのベッドには“数値のない沈黙”が広がっていた。


 「人工呼吸器、バッテリー残量9%。


 AI制御停止。手動切替不能。…………マスクフィットも不完全だ」

 「こっち、透析中断。血圧計測不能。


 家族が避難してしまい、患者の状態把握が全くされていない」


 綾乃が一人の高齢女性の手を握ると、微かに指が反応した。


 「反射残ってる。完全意識消失じゃない。


 でも、このままじゃ、“何もされないまま逝く”状況だ」


 御影は呼吸器のバッテリー残量を確認しながら言った。


 「医師も看護師も手が足りない。今ここで“誰かが名乗る”しかない」


 芹沢が応える。


 「名前、要るか?」


 御影は首を振った。


 「いらない。ただ、“この人の代わりに迷える誰か”が、


 ここにいればいいだけだ」


 そして、3人は黙ってそれぞれのベッドに向かった。


 誰にも許可されず、誰にも求められず、


 ただ“必要な場所”に向かって手を伸ばす。


 制度の外側に、命が置き去りにされたとき。


 その隙間にこそ、“名前なき選択”が必要だった。


 翌日、現地の仮設医療本部に緊急の連絡が入った。


 差出人は、中央の医療調整本部。文面は簡潔だった。


 「派遣要請外の医療スタッフが現地活動中との情報あり。


 無許可介入による混乱や責任の所在について、速やかに報告を求む」


 それを読んだ現地統括の医師、武蔵は眉をひそめた。


 「…………“混乱”? むしろ、あの3人が来なかったら、3人は命を落としていた」


 彼は即座に返信を打った。


 「該当者は、CE(臨床工学技士)であり、

 既存スタッフでは手の届かない医療機器管理と生命補助対応を独自に実施。


 当方としては“命を守った者”として処理する。追って正式報告予定」


 その頃、病院内の一角では御影たちが黙々と活動を続けていた。


 「人工呼吸器の圧設定、やや高めだったな。被災前の設定がそのままだ」


 「この患者、腎機能ギリギリ維持されてる。水分制限の張り紙だけじゃ限界ある」


 「看護師が少なすぎて、ルート確保すら後回しにされてる」


 綾乃は、病棟の奥で一人きりになっていた高齢男性の手を握って言った。


 「…………ご家族、もう避難されてるそうです。


 でも、“ずっとこの人の目が、誰かを探してる”ような気がして」


 御影は言った。


 「“誰かを探す目”に気づいた時点で、もうその人の隣にいる責任が生まれる。


 制度とか命令とか関係ない。“そこにいた”って事実だけが、答えだ」


 その日の夜。


 避難所から戻った一人の家族が病棟に駆けつけた。


 透析患者の妻で、御影たちが介入して処置を続けていた男性の家族だった。


 「…………間に合った、んですね。私たちがいない間に…………」


 綾乃が小さく頷いた。


 「最初、呼吸止まりかけてました。でも、機械の調整で少しずつ戻って。


 …………ご本人、あなたの名前を何度も呼ぼうとしてました」


 妻は泣きながら頭を下げた。


 「あなたたちは…………どちらの病院の、何先生なんですか?」

 御影は、少しだけ微笑んで言った。


 「…………名乗るような役じゃないんです」


 「でも、お名前を…………」


 「“名乗らなくても、あなたが笑ってくれたら、それで充分です”」


 《名前を持たぬ者たちが、命の現場を動かした——災害医療現場で“沈黙の支援者”に脚光》


 その記事は、震災から3日後に公開された。


 取材元は医療系専門メディア。


 現地からの証言として、御影たちの存在が取り上げられていた。


 ──「“名乗らなかったが確かにいた”。人工呼吸器の再起動を1人でやりきった若い女性スタッフ」


 ──「“何者かわからないが、あの時だけ、確かに患者の側にいてくれた”」


 記事では名前や所属は伏せられていたが、


 “レジオニスタ”という言葉が、あたかも“組織名”のように書かれていた。


 CEルームでその記事を読んだ芹沢が言った。


 「…………始まったな」


 源太が眉をひそめる。


 「“組織”じゃないって何度も言ってきたのにな」


 綾乃がため息をついた。


 「“無名の行動”が評価されるとき、


 人はどうしても“名前”を欲しがるのよ。


 そうじゃないと、“理解できない”から」


 御影は、画面を閉じた。


 「でも、俺たちは“理解されない自由”も引き受けてきたはずだ」


 その日の午後、御影は一本の電話を受けた。


 「御影さん、厚労省です。あの災害現場での対応について、

 一部で“新たな医療資格か支援職の設立が必要では”という議論が始まっています」


 「…………また“制度化の話”ですか」


 「いえ、今回は“制度ではくくれない判断を、誰が担うか”という論点です。


 名前がないまま責任を果たした人々が、


 制度外で活動していることに“敬意と不安”の両方が向けられているんです」


 御影は、少し考えてから言った。


 「俺たちは、答えを出すために動いてるんじゃない。


 “誰かが取りこぼされそうなとき、ただそこに立つ”ことを選んだだけです」


 「承知しています。でも、


 世の中は今、“その選択肢の名前”を欲しがっているんです」


 その晩、CEルームのホワイトボードには、御影の字でこう記されていた。


 “名を持たぬまま届く想いは、美しい。


 でも、名を与えることで守れる命もある。”


 「名前がつくって、どういうことなんだろうな…………」


 源太の呟きに、誰もすぐには答えなかった。


 その夜のCEルームは、少しだけ重たかった。


 「“レジオニスタ”って言葉さ、


 俺たちにとっては“行動の手前にある気配”だっただろ?


 それが今じゃ、“組織の名前”みたいに扱われてる」


 芹沢が苦笑した。


 「そうだな。


 “何をしたか”じゃなくて、“誰がやったか”に変わる。


 でも一番困るのは、それが“誰でも言える言葉”になっちまったことだ」

 綾乃が静かに口を開いた。


 「私は、あの言葉に“救われた側”だったから…………。


 でも、今のこの流れは、ちょっと怖い。


 “名前に憧れて名乗る人”が出てきたら、本当に迷ってる命を見落とす気がする」


 御影は、みんなの言葉を黙って聞いていた。


 やがて、視線をホワイトボードに向けながら、ぽつりと口を開いた。


 「“名を持たない”って、たぶん“誰でもなれる”ってことだったんだよ。


 でも今、“誰でも名乗れる”になってる」


 岬が眉を寄せた。


 「…………その違い、結構大きいな」


 「“誰でもなれる”ためには、自分の中で静かに問い続けなきゃいけない。


 でも“誰でも名乗れる”ってなった瞬間、中身がなくても言える看板になってしまう」


 そのとき、阿久津がそっと部屋をのぞいた。


 「ちょうど今、記者の人が来てるんです。


 レジオニスタの誰かに話を聞きたいって…………」


 全員が顔を見合わせた。誰も、名乗ろうとはしなかった。


 御影は阿久津に向かって言った。


 「もし訊かれたら、“その人たちは、誰でもありません”って答えてください」


 「…………それでいいんですか?」


 「うん。“誰でもない”って言葉が、


 “その場で命に立ち会った”という証明になるような世界にしたいんだ」


 阿久津は、ゆっくり頷いた。


 その夜、ホワイトボードにはこう記されていた。


 “名乗らないことは、逃げではない。

 誰かの命に向き合うための、静かな誓いだ。”


 その言葉の下には、誰の名前もなかった。


 でも、全員がその意味を噛みしめていた。


 「…………失礼します。突然すみません。少しだけ、お話させてもらえませんか?」


 休日のCEルーム。


 入口で頭を下げたのは、災害現場で活動していた他院のCE、西嶋 にしじま・まことだった。


 「以前、震災対応でそちらの方々と連携した者です。


 あのとき…………あなたたちの働き方に、何か“言葉にできない気配”を感じていて」


 御影が、席を勧める。


 「名前は…………?」


 「言いたくないんじゃなくて、名乗る必要がない気がして。


 あのとき、呼吸器の前で見かけた女性が、黙ってフィットチェックをし直していた。


 あの後ろ姿に、“なりたいと思った”んです」


 綾乃が少し笑った。


 「それ、私かも。でも、あのときは自分でも“何者でもなかった”気がします」


 西嶋は、手にした小さなノートを開いた。


 中には、現地で出会った患者たちの状態と、“自分にできたこと・できなかったこと”がぎっしりと記録されていた。


 「僕は、正直“正しい技術”よりも、“あの瞬間に立ち止まった人たち”に強く惹かれた。


 名前のない意志って、こんなにも人の行動を変えるんですね」


 岬が言った。


 「もしかして、君…………誰にも“レジオニスタになりたい”とは言ってないのに、

 気づけばそういう行動をしてた、ってやつ?」


 西嶋は頷いた。


 「周囲には、“自己判断が多すぎる”って怒られもしました。


 でも、AIの言う“正常”に従ってたら、絶対に手を伸ばせない気がして」


 御影が静かに言った。


 「君は、もうなってる。


 “なりたい”と思った瞬間じゃなくて、“迷っても動いた”その時から」


 西嶋は、深く頭を下げた。


 「もしよければ、また何かあったとき…………そちらと一緒に動かせていただけませんか?」


 綾乃がすっと言った。


 「“一緒に動く”って、合言葉も契約書もいらないんです。


 ただ“同じ方向を見てる人”なら、もうそれだけで仲間です」


 その日の記録簿に、西嶋の手によってこう書かれていた。


 《記録されなかった命のゆらぎと、気づけた自分を忘れないために。》


 署名はなかった。


 でも、その一行だけで、十分だった。


 「御影さん。ちょっと信じられない話かもしれないんですが…………」


 そう切り出したのは、地域医療連携室の統括・岩淵だった。


 「来月の“多職種連携研修”で、“レジオニスタ枠”が設けられたんです。


 …………うちの病院の推薦で、“制度外で命に寄り添う実践者”として、って」


 御影は静かに聞いていたが、やがてぽつりと返した。


 「つまり、“名乗らなかった者”に、枠が与えられたと」


 「はい。でも、そのことで混乱も起きています。

 “選抜基準が曖昧すぎる”“活動がグレーでは?”という意見も出ていて」


 岩淵は申し訳なさそうに続けた。


 「…………でも、“何かに名をつけなければ、他人には説明できない”というのもまた現実で。


 “レジオニスタ”という名前が、“逃げではない行動の証”になってきてるんです」


 その日の夕方、CEルームでは源太が眉をひそめていた。


 「“制度外なのに、推薦された”?…………冗談じゃねえ。


 “名乗らなかった”からこそ守れた“自由”があったんだろ」


 綾乃が、少しだけ間を置いて口を開いた。


 「でも、“名乗らなかった者を選んだ”人がいたってことでもあるよね。


 本質をちゃんと見てくれてる誰かが、いたってこと」


 芹沢が頷いた。


 「俺らが拒絶すべきなのは“名前”じゃない。


 “本質を見ずに、名前だけを消費する態度”なんだよな」


 御影は、ホワイトボードの前で立ち止まっていた。


 やがてペンを手に取り、こう書いた。


 “名乗ることは、誇示ではない。


 誰かに気づかれることで、また誰かを守れることがある。”


 それを読んだ岬が、つぶやく。


 「“見えないからこそ届く想い”と、


 “見えるからこそ守れる命”…………


 どっちも、間違ってないんだな」


 御影は頷いた。


 「だから俺たちは、“名乗るかどうか”じゃなく、


 “何のために立ち止まったか”を忘れずにいればいい」

 その夜、御影は岩淵に一通のメールを返した。


 「推薦、受けます。


 ただし、“レジオニスタ”という言葉は、肩書きではなく、


 想いに宿る姿勢として扱ってほしい」


 返信には、一行だけ。


 「その姿勢が、誰かの選択肢になりますように。」


 あの地震から、半年が経った。


 被災地の地域病院では、少しずつ通常診療が戻りつつあったが、


 いまだ仮設ベッドや支援診療の名残が残っていた。


 その日、御影宛に一通の手紙が届いた。


 差出人は、かつて災害時に“自宅で意識消失状態”に陥っていた少女の家族だった。


 彼女は在宅人工呼吸器を使っており、電力断によって呼吸が止まりかけていた。


 あのとき、御影たちが偶然居合わせ、手動換気と緊急電源確保で命をつないだ。


 「あのとき、娘はもう、誰にも届かないところにいるように見えました。


 でも、どこからともなく現れた誰かが、静かにマスクを直し、


 背中を丸めてポンプを握ってくれていた。


 娘の名前も知らず、誰かの命令もなく、ただその場にいた人——


 それが“レジオニスタ”だったと、あとから知りました」


 その手紙には、娘の手書きの文章が添えられていた。


 「わたしは、もうすこしで消えてしまうところでした。


 でも、しらないだれかが、“わたしの息”を取り戻してくれました。


 大きくなったら、今度は“わたしが”だれかの“息をまもる人”になりたいです」

 御影は手紙を読んだあと、しばらく窓の外を見つめていた。


 静かな光が病院の屋上を照らしていた。


 「…………この子は、“名前を聞かなかった人”に、人生をもらったんだな」


 綾乃がそっと言った。


 「そして今、その子が“誰かのために”って思ってくれてる。


 “レジオニスタ”って、そういうふうに生きていく人のことかもしれませんね」


 芹沢が微笑んだ。


 「名前は広まったかもしれない。でも、大事なのは、


 “どこで生きるか”じゃなくて、“どう立ち止まるか”だな」


 源太が白板のペンを取り、静かに書いた。


 “誰にも知られずに救われた命が、


 誰かのために動き出すとき、


 そこに“レジオニスタ”がまた一人、生まれる。”


 その日、新しく届いた実習希望者のリストには、ひとつの見慣れない名前があった。


 “瀬戸せと 理子りこ


 —— 被災時に御影たちが救った、あの少女だった。


 彼女の志望理由には、こう記されていた。


 「名前を聞きそびれた人のように、


 “いなくても確かにいた”と言ってもらえる人になりたいです」


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


第8章では、命を“支えた”というだけでなく、“命と対話し、決断してきた”という事実に、

レジオニスタたち自身が気づいていく過程が描かれました。


裏方としての誇りと、名前を持たないことの意味。


けれど、それでもなお「何かを残したい」と願ったとき、

それは“名乗る”ことではなく、“名付ける”ことなのかもしれません。


いよいよ物語はクライマックスへと向かいます。次章もぜひご期待ください。

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