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第7章:交差点の真ん中で ― 名前を持たぬ者たちの、静かな証言

ご訪問ありがとうございます。


『レジオニスタ』第7章では、災害支援後の余波と、社会に現れ始めた“名前”の輪郭が描かれます。


レジオニスタたちは制度に名を残さずとも、誰かの命に立ち止まり、沈黙を共有してきました。

そんな彼らの“意志”が、ついに交差点に立つ瞬間。


名を持たずに支えてきたものに、社会は何を求めるのか。

静かな問いが重なる章です。

 「今夜の当直、全員そろってるな?」


 御影がCEルームに入ると、源太、芹沢、綾乃、岬がそれぞれモニター前で機器チェックをしていた。


 ICU内で気になる患者が複数いる夜だった。


 「こっちはECMO稼働中、チャンバー(血液を一時貯め、酸素を加える装置)側の違和感は継続。


 ドレナージにわずかな変化があれば、交代で即対応する。」


 「人工呼吸器側、気道内圧の小波が微妙に揺れてる。AIは“正常変動”と認識してるけど、


 実際には気道抵抗のベースが少しずつ上がってる可能性あり」


 「循環側、IABPの同期ずれが数分おきに再発。


 心拍数よりもR波検出のノイズが影響してるっぽい」


 「こっち、ABL(動脈血ガス分析)の値が“正常”になった瞬間から、


 AIナースが“モニタリング解除”を提案してきた。…………でも、患者のまぶたが微かに動いた」


 御影は、静かに手を広げた。


 「…………行こう」


 彼らは、無言で動き出す。


 ナースコールが鳴ったわけでもない。


 主治医からの指示が出たわけでもない。


 ただ、各々が読み取った“命の揺らぎ”の断片を持ち寄り、


 交差点の真ん中に向かうようにICU中央ベッドへと集まってきた。


 「動脈圧、周期的にゆらぎ出してる。中枢の再活動か?」


 「脳波、まだフラットだけど、局所的な鋭波が浮かび始めてる」


 「呼吸同期、人工的なタイミングに逆らうような動き…………本人の自発かも」

 「ABL再測定。pH微上昇、でもNa+とCa2+のバランスが“生体の再調整域”にある」


 御影は、患者の足元に回り込みながらつぶやいた。


 「このタイミングで回路バイパスかける。


 心臓は沈黙してるけど、“命”はまだ生きようとしてる」


 医師が駆け込んできたとき、彼らはすでに手を差し出す準備を終えていた。


 「御影さん、状況は?」


 「生体は“戻るかもしれない”と判断している。


 機械もAIもそれを“数値の誤差”としか見ていないが、


 僕たちはこの“揺れ”を見逃すわけにはいかない」


 主治医は、わずかにためらった。


 「判断は、君たちに任せる」


 その言葉が下された瞬間、チームCEは、医師を超えた場所に立った。


 そして数時間後。


 心拍が戻った。


 完全ではない。呼吸も補助が必要だ。


 だが、確かに“命”がそこに戻った。


 御影たちは言葉を交わさなかった。


 誰が主導したわけでもない。


 誰が正しかったわけでもない。


 ただ、交差点の真ん中で、四方向から集まっただけだった。


 その日の記録には、こう記された。


 《対応:CEチームによる観察的介入および協働的判断》


 記録のどこにも、“レジオニスタ”という言葉はなかった。


 だが、その夜、確かに“名もなき判断”が命をつないだ。


 「ねえ、昨日の“あれ”…………本当にCE主導だったの?」

 看護師の阿久津が、綾乃に小声で訊いた。


 休憩室の空気は、何かを“噛み締めた”ような緊張に包まれていた。


 「主導じゃないよ。“誰かが動いた”んじゃない。


 “全員が、同時に察知した”って感じだった」


 「そんなこと、あるんだ…………」


 「ある。CEは、装置の数値と同時に、“違和感の記憶”を重ねて見てる。


 AIが拾えない波形の“くすみ”とか、動脈波の“呼吸に逆らう揺れ”とか。


 その一つひとつが、“生きてる気配”なんだよ」


 阿久津は、そっと呟いた。


 「…………それって、“命の言語”みたいですね」


 その日の夕方。


 医局では医師たちが、昨夜の症例について非公式に検討していた。


 「判断の根拠が曖昧すぎる、という声も出ている。


 “生体の意志”なんて言葉では、記録として通らない」


 「でも実際に心拍は戻った。結果論かもしれないが、


 あの場で医師が判断を下しても、同じ結果が出たとは限らない」


 「問題は、“判断の責任”だ。


 もし失敗していたら、それは誰が背負うことになっていたか」


 静まり返る医局の空気。


 その重さを破ったのは、若手医師・水谷の一言だった。


 「責任を“背負えるかどうか”よりも、


 “迷って立ち止まれたかどうか”の方が、よっぽど命に近いです」


 「…………水谷?」


 「僕はあの夜、御影さんたちの判断に驚いた。でもそれ以上に、

 “判断を急がなかったこと”に安心したんです。


 今の医療は“すぐに答えること”ばかりを求められている。


 でもCEたちは、“揺らぎの中に答えがある”って教えてくれた」


 誰も、言い返さなかった。


 その夜、CEルームでは御影が静かに口を開いた。


 「俺たちは、たぶん“医療の中心”にはなれない。


 でも、“中心が動けなくなった時”、その周りにいる誰かが、


 代わりに手を伸ばすことはできる」


 源太が頷いた。


 「俺たちがやってるのは、中心じゃなくて“余白の仕事”だな」


 「でも、命はいつもその“余白”から崩れるんだよ」


 その日から、院内の一部に新しい言葉が静かに広まり始めた。


 “命の交差点に、誰が立てるか”


 それが、これからの医療連携における、見えない問いになりつつあった。


 「…………実は、ひとつお願いがあって」


 その日、心臓血管外科の若手医師・今泉がCEルームを訪ねてきた。


 言葉は慎重だったが、その奥にある“本音”は隠しきれていなかった。


 「明日のオペ後、ICUじゃなくてHCU(ICUより軽症の患者用の治療室)に移す患者がいるんだけど…………


 搬送直後、30分だけでいい。そちらの“チームCE”で見てもらえませんか?」


 御影は、しばらく黙ったあと応えた。


 「正式な依頼じゃないんですね」


 「はい。“HCUのナースたちにも十分な対応力がある”って建前になってるので…………」

 「でも、“数値の向こう”に何かある気がするんですね」


 「…………正直、感覚です。でも、そういう時にAIより先に気づくのは、あなたたちなんです」


 翌日、患者がHCUへ搬送された直後、


 御影、芹沢、綾乃、岬が何気なく装置のメンテナンス名目で同室した。


 表向きは“人工呼吸器の搬送適正確認”。


 だが、彼らの目と耳は、機械と患者の間にある“揺らぎ”を探していた。


 「心拍、わずかにST低下(狭心症が疑われる波形)。


 でも、それより脈圧の広がり方が気になる」


 「呼吸圧の同調率が落ちてる。AIは“リラックス傾向”と判断してるけど、


 これ、むしろ交感優位の強まり(落ち着いているようで、実は緊張が高まっている)」


 「酸素化は保たれてる。でも、“息を止めているような”反射がある。


 呼吸の“引き込み”が不自然」


 御影がそっと、患者の耳元に視線を落とす。


 「…………耳介温、1.1℃低下。体幹は変化なし。


 “中枢の冷却”が始まってる。これ、静かに崩れる前兆だ」


 その直後、今泉医師が駆けつけた。


 「なにか変化、ありましたか?」


 「あります。“まだ起きていない異変”の兆しが、


 患者自身の反応として浮かび始めています。


 今のうちに薬剤管理と循環補助の再検討を」


 今泉は、ためらいなく頷いた。


 「…………やっぱり、頼んでよかった」


 御影は微笑んだ。


 「“名前ではない信頼”があるなら、僕らはそれに応えるだけです」

 その日の夕方、今泉はカルテにこんな一文を残していた。


 《非公式協働:CEチームによるリアルタイム生体反応確認と予兆対応提案》


 医師も、看護師も、AIも気づかなかった“沈黙の兆し”を、


 確かに“誰か”が拾っていた――その証として。


 「突然ですみません。うちの病院でも“チームCE”の取り組みを始めたいと考えていまして…………」


 その日、地方の中規模病院から派遣された医療機器管理部の主任が、見学を申し込んできた。


 資料には、“CE主導のバイタルモニタリング連携”


 “AI補完介入の成功事例”などのキーワードがずらりと並んでいた。


 御影は一読して、静かに言った。


 「これは…………“成功事例のコピー”を目的にされていませんか?」


 「え? いえ…………“再現性のあるチームモデル”としての導入を目指してまして…………」


 「私たちは、“正解のプロトコル”なんて提示していません。


 命に寄り添った“迷い方の形”を、日々考え続けているだけです」


 派遣主任は、一瞬言葉を失った。


 その夜、CEルームでは源太がやや苛立ちを見せていた。


 「“あの病院の成功例”、みたいな取り上げ方…………本気でムカつくな。


 俺たち、マニュアル通りにやったことなんて一度もないのに」


 芹沢が言う。


 「現場の“間”とか“揺れ”って、


 数値化も映像化もできないんだよな。本当に伝えたいことほど、他人には残せない」

 綾乃が静かに言葉を継ぐ。


 「でも、真似されること自体は悪くない。


 問題は、“かっこよさ”や“結果”だけが切り取られること」


 御影は、ふっとつぶやいた。


 「“真似”と“継承”の違いは、


 “何を受け取ろうとしたか”に現れるんだよ」


 数日後、模倣を始めた別施設での“チームCE導入初期トラブル”が報道された。


 AIとの役割分担が曖昧なまま、CEが意図的な介入をしたことで、医師との対立が表面化したという。


 ネットでは“レジオニスタごっこ”などという言葉まで出回り始めた。


 「ふざけんな…………」


 源太が画面を閉じた。


 「“言葉だけ”が歩き始めた」


 御影はゆっくりと応えた。


 「言葉だけが先に行ったとき、本当の意味で“立ち止まれる”か。


 そこで初めて、“その人の中にレジオニスタがいるかどうか”が問われる」


 その晩、CEルームのホワイトボードには、誰かがこう記していた。


 “模倣されるのはかまわない。


 でも、“魂まで運ばれること”を願えるかが、本当の継承だ。”


 「御影さん、質問いいですか?」


 そう言って声をかけてきたのは、先月から実習に来ているCE専攻の学生、田所 翼だった。


 実習中は真面目で寡黙なタイプだったが、今日は珍しく目が燃えていた。


 「昨日のHCU対応、モニター越しに見てました。


 僕には、データは正常にしか見えませんでした。でも……何かが“動いてる”って空気だけは、確かに感じたんです」

 御影は、黙って頷いた。


 「それが、“揺らぎ”だよ。


 数字には表れない、“命の中の違和感”。


 感じるには、“正解を求めない目”と“余白に気づく感覚”がいる」


 「それって…………学べるんですか?」


 御影は少し考えたあと、こう答えた。


 「“学ぶ”というより、“失敗の中でだけ掴める”ものだ。


 迷った記憶と、見過ごした後悔が、そのまま次の“直感”を育ててくれる」


 田所は目を見開いた。


 「…………じゃあ、今の僕が何もわからないのは、


 まだちゃんと“失敗してない”から、ですか?」


 「そう。命の隣で、初めて“迷う自分”に出会った時、そこに“レジオニスタ”の入口がある」


 その日の夕方、田所は自習ノートにこう記した。


 《記録されない反応、説明できない変化。


 でも、その瞬間に“誰かが気づいてくれた”ことが、命を守る形になる。》


 ノートの端には、控えめにこう添えられていた。


 “いつか、名乗らなくてもわかる技士になりたい”


 数日後、綾乃が休憩中にポツリと言った。


 「…………最近、若い子たちの目が変わってきた気がする」


 岬も頷く。


 「“何をすれば評価されるか”じゃなくて、


 “何に気づける自分になれるか”を探す目になってきてる」


 芹沢がタブレットを指差した。


 「実習報告、前よりも“揺れ”や“沈黙”に関する記述が増えてる。


 言葉にならない何かを掴もうとする文章が、ちょっと熱い」

 源太が笑った。


 「ガキども、いつの間にか“黙って背中見る側”から、“黙って背中を見られる側”に近づいてきたな」


 御影は窓の外を見つめながら言った。


 「それが継承だ。制度にも教科書にも残らない、“空気の記憶”がつながっていくこと」


 その夜、ホワイトボードには新たな一文が加えられていた。


 “迷うことを恐れない。


 それが、誰かの命に届く選択になる。”


 そして、その下に――


 “田所 翼(実習中)”と小さな署名が、初めて刻まれていた。


 「正式に記録を提出してほしい」


 そう告げたのは、院内の医療安全委員会に出席していた医療機器部の統括責任者だった。


 会議の場で、CEチームによる一連の介入と判断が改めて取り上げられたのだ。


 「ただの定時点検や補助介入では説明がつかない。


 これは、“チームとしての意図ある観察と行動”だ。


 名前がないのはわかっている。でも、これはもう“記録に残すべき仕事”だよ」


 御影は、少し驚いたような目をした。


 「…………今までは、あえて記録を避けてきたんですが」


 「でもね、未来の技士たちが“何を見て、何に気づいたか”を知る手がかりにしたいんだ。


 制度にはならなくてもいい。でも、誰かの手が迷ったとき、


 その指先を支える記録が、必要になるかもしれない」


 その日から、CEルームには新たな記録簿が置かれるようになった。

 名前はつけなかった。


 “ケースレポート”でも、“活動報告”でもない。


 表紙にはただ一行だけ。


 “誰かが、気づいたこと”


 源太が言った。


 「すげぇな。記録に残る“沈黙”ってのは、初めて聞いた」


 芹沢が笑った。


 「記録じゃなくて、“証言”に近いな。


 たぶんこれ、未来の誰かにとっては“バトン”になる」


 数日後、阿久津が医局会でこう発言した。


 「この病院に来て、初めて“答えのない問い”を共有する仲間に出会いました。


 それが、私にとっての“レジオニスタ”です」


 会場は一瞬、静まり返った。


 そして、水谷医師が続けた。


 「僕にとってレジオニスタは、“記録の外側にある責任”だと思っています。


 “何も書かれていない瞬間”に手を伸ばせる存在」


 それらの発言が、院内ニュースの小さなコラムとして取り上げられた。


 タイトルは、編集担当のひとことから決まった。


 《交差点の真ん中に立つ人たち》


 本文の最後にはこう記されていた。


 “レジオニスタ”という言葉は、制度でも肩書でもない。


 それは、“命の揺れに立ち止まる力”の名前だ。”


 その日の夜、CEルームのホワイトボードにはこう残されていた。


 “誰かが見ていた。そのことだけで、今日も立ち止まれる。”


 そしてその横に、全員の名前がひっそりと並んでいた。


 御影凌真。源太。芹沢。綾乃。岬。

 —— チームCE。


 —— “交差点の真ん中に立つ者たち”。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


第7章は、「名前」と「制度」の間に立つ人々の葛藤と、

それでも“在る”という意志の力が描かれました。


名乗らずに命と向き合う姿勢は、ときに理解されず、

しかしそれは“理解を超えて届くもの”でもあります。


次章では、制度と行動、責任と記憶がいよいよ交錯します。

“選ばなかった判断”の重みを引き継いでいく物語を、引き続きお楽しみください。

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