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第6章:公のまなざし ― 名前なき行動は社会に何を残せるか

ご訪問ありがとうございます。

『レジオニスタ』第6章「公のまなざし」では、

災害現場での“無許可支援”という判断が、制度と社会にどう映るのかが描かれていきます。


命を守ったその行動に「名前」がないとき――

それでも、それは社会に受け入れられるのか。


現場と制度の“あいだ”に立つ者たちの姿に、今回もぜひご注目ください。

 その日、厚生労働省の会議室では、ひとつの議題が静かに波紋を呼んでいた。


 「次世代臨床支援職の制度化に関する予備検討」


 資料の2ページ目に、確かに記されていた。


 《通称“レジオニスタ”と呼ばれる臨床技術支援者に関して、


 現行制度の枠を超えて命の介入判断を行う事例が増加している。


 これを一時的ブームと見るか、制度設計の先取りと捉えるかは、今後の議論を要する》


 役人たちは、その言葉に眉をひそめた。


 「また“自称組織”ですか。現場の美談は現場で完結していただきたい」


 「いや、今回は国内だけの話ではない。


 アメリカやヨーロッパの生体医療学会でも“Legionista”という言葉が採用され始めてる」


 「…………うちの制度ではまだ認定も規定もない。


 “誰でも名乗れてしまう”危うさは放置できない」


 「だが、名乗る者が増えているのは事実だ。


 しかも、彼らは“既存の技士の上書き”ではなく、“補完”として動いている」


 会議室には、誰も正解を持っていない空気が漂っていた。


 “名前が先に歩き出した”とき、制度はどう動くべきか。


 その数日前、御影の元には一本の電話が入っていた。


 「…………厚労省の研究班からです。


 “あなたの発言内容が、制度設計に影響を与えかねない”とのことで、


 一度、非公式に意見を伺いたいとのことでした」

 連絡を入れてきたのは、病院事務局のスタッフだった。


 口調は丁寧だが、どこか“火消し”に近いニュアンスが滲んでいた。


 「非公式って…………要するに、“表に出す気はないけど責任だけ取らせたい”ってことか」


 芹沢が吐き捨てた。


 岬も淡々と言う。


 「“制度化する気はないけど、黙って見てもいられない”って空気だな」


 御影はしばらく沈黙したあと、こう言った。


 「…………行くよ。直接会って話してくる」


 「本気か? どうせ都合のいい言葉だけ切り取られるぞ」


 「構わない。どうせ今までも、


 “名前すら記録に残らないまま、命と向き合ってきた”んだから」


 そして翌週、御影はひとり、霞が関の小さな会議室にいた。


 広いテーブルの向こうには、厚労省の医療政策部の課長補佐と名乗る男が座っている。


 「本日はご足労ありがとうございます。


 “レジオニスタ”について、いくつか確認をさせてください」


 御影はただ、静かに頷いた。


 「あなた方が行っている“命への介入”は、明確に医行為とは異なるとお考えですか?」


 「違います。医行為ではなく、“命との対話”です。


 AIや装置が示す数字と、患者の“生きようとする揺らぎ”をつなぐ行為です」


 「それは、既存の技士制度の範囲内で完結するものですか?」


 御影は目を細めた。


 「制度の範囲が命を超えるなら、それでいい。

 でも、命が制度を追い越したとき、黙って見てろとは言えません」


 課長補佐は、一瞬だけ言葉を止めた。


 「制度化に向けて、何かご要望はありますか?」


 その問いは、まるで“受け入れる前提”で発せられたようだった。


 厚労省の課長補佐は、あくまで事務的な表情で御影を見ていた。


 御影は、少しだけ考えてから、ゆっくりと口を開いた。


 「…………ありません」


 「…………え?」


 「制度化は、“後ろからついてくるもの”であって、


 現場の生き様に追いついてくるものだと、私は思っています」


 一瞬、空気が止まった。


 「つまり…………?」


 「私たちは、資格がないから命を助けないわけじゃないし、


 制度にないから行動しないわけでもない。


 逆に、“制度が整ったから”動くような人間は、現場にはいません」


 「しかし、制度がなければ評価も保障も…………」


 「評価されるためにやってるわけじゃない。


 命が揺れているとき、制度がそこにいないなら、私たちが先に立つだけです」


 課長補佐の表情がわずかに揺れた。


 「ひとつだけ、訊かせてください」


 御影の声が静かに響いた。


 「あなたは、“名前があるから価値がある”と思いますか?」


 「…………どういう意味ですか」


 「“臨床工学技士”も、“医師”も、“看護師”も、


 すべては名前のある仕事。でも、患者が苦しんでいるとき、

 その場に“名前のない誰か”が立ち続けていたら、無価値ですか?」


 課長補佐は言葉を失った。


 「私は、“レジオニスタ”という名前を使いました。


 でもそれは、“新しい資格を求めた”んじゃない。


 ただ、“命と命のあいだに立っていた人たちに、居場所を与えたかった”だけです」


 数日後。


 御影が病院に戻ると、CEルームのホワイトボードには誰かの書き込みがあった。


 “制度の外にいても、命の真ん中に立てる。”


 源太がそれを見てうなずいた。


 「…………なあ、御影。“制度化されないまま”って、


 実は一番、かっこいいんじゃねぇか?」


 芹沢が笑った。


 「名前も守らない、金にもならない、記録も残らない。


 でも、それでいて“誰よりも近くにいる”…………それ、最高のポジションだろ」


 綾乃がそっと言った。


 「それが、私たちが選んだ“沈黙の仕事”ですもんね」


 御影は、小さく頷いた。


 その夜、阿久津看護師がふと尋ねてきた。


 「御影さん、“公に認められる日”が来たら…………レジオニスタは変わりますか?」


 御影は、しばらく考えてからこう答えた。


 「“レジオニスタ”は変わらない。


 変わるとしたら、それは“見ている側の目”だよ」


 《新たな医療職「レジオニスタ」、現場の声から制度へ──“命を守る影のヒーローたち”》


 その見出しは、ある医療系ニュースサイトのトップに大きく掲載された。

 記事の中には、御影の厚労省での発言内容が、やや誇張された形で引用されていた。


 ──「医師でも看護師でも救えない命に手を差し伸べる存在、それが“レジオニスタ”」


 ──「制度より命。肩書よりも“その時、そこにいた者”が大切だ」


 御影のコメントの文脈は、切り取られ、熱いヒーロー像として編集されていた。


 「…………おい、御影。見たか?」


 源太がタブレットを片手に入ってきた。


 「見た。誰が書いた?」


 「たぶん、あの官僚の担当者が裏でリークしたんだろ。話題性だけ切り取って“成果”にされたな」


 芹沢が憮然とした表情を浮かべる。


 「こういう切り取り、俺たちが一番嫌ってきたやつじゃん。


 “ドラマチックな医療”に仕立てられた時点で、“誰も本質なんか見てない”」


 岬も淡々と言った。


 「現場で踏ん張ってるのは、“かっこいいから”じゃない。


 誰かがやらなきゃ、命が黙って死んでいくからだ」


 御影は黙っていた。


 記事に寄せられたコメント欄には、賞賛と批判が交錯していた。


 ──「こういう職業、もっと制度化してほしい」


 ──「医療現場の美談を美化するだけでは意味がない」


 ──「“俺たちが命を救ってる”感が鼻につく」


 ──「でも、名前を名乗った勇気は本物だと思う」


 どれも正しい。どれも違う。


 御影はそれをただ、静かにスクロールしていった。

 その夜、阿久津がそっと尋ねてきた。


 「…………“伝わらないこと”に、意味はあると思いますか?」


 御影はすぐに答えなかった。


 「たとえ、言葉が曲げられても。


 本当の想いが届かなくても。


 それでも、発信することに意味って…………あるんでしょうか」


 御影はしばらくの沈黙のあと、こう言った。


 「意味があるかは、俺たちが決められない。


 でも、“届かなかった悔しさ”の中にも、


 たしかに命を思った証は残ってる」


 阿久津は、ほっとしたように微笑んだ。


 翌朝、CEルームのホワイトボードに、新しい一文が加わっていた。


 “語られる前に届く想いがある。


 でも、語られなければ、誰にも届かない想いもある。”


 下には、名前はなかった。


 でも、誰かの心にだけ届くその言葉は、


 確かに“伝えることの意味”を問い続けていた。


 ある日、病院の広報部に一通の手紙が届いた。


 差出人は、先月ICUを退院した少女・凜の母親だった。


 件名にはこう書かれていた。


 「あの夜、娘の命を守ってくれた“名もなき技術者”の方へ」


 手紙の中身は、こう始まっていた。


 「あの夜、私はナースステーションの隅で、ただ祈っていました。


 もう声も届かない、目も合わない娘の手を握りながら。


 医師が“厳しいです”と告げたあと、


 誰かが静かに、装置のそばで何かを調整している姿が見えました。

 白衣でもなければ、聴診器も持っていない。


 でもその人の背中だけが、ただひたすら娘を見ていた。


 あの人の名前を、私は知りません。


 でも、命がまだ揺れていたことに気づいてくれた“誰か”に、


 どうしてもありがとうを伝えたくて、この手紙を書いています」


 広報担当がその手紙を読んだあと、コピーをCEルームに届けた。


 封筒の中には、手書きのイラストも添えられていた。


 小さな女の子が、たくさんのコードとモニターに囲まれたベッドの上で、


 優しい目をした“白くない服の大人”に手を握られている絵だった。


 源太がそっとつぶやく。


 「…………これ、俺がいた夜だな」


 芹沢も、少し目を細めながら言った。


 「名前なんて、書かれてなくていい。


 こうやって“覚えてくれてる”ことが、もう答えだよな」


 その晩、綾乃がふと思いついたように言った。


 「“見えなかった仕事が、見られていた”って、


 すごく嬉しいですね」


 御影は頷いた。


 「俺たちが残したのは、“記録”じゃなく“証明”なんだと思う」


 「証明…………?」


 「誰かが、“たしかにそこにいた”って感じたこと。


 その人の中にだけ存在する“証”が、レジオニスタの本質かもしれない」


 その翌日、院内の広報掲示板に手紙のコピーとイラストが掲示された。


 その下には、病院長の署名入りで、こう記されていた。

 “制度に名前はなくとも、命の記憶は残る。


 医療の輪のすき間に、確かに立ってくれている人たちがいる。”


 外来患者がそれを読み、足を止める。


 付き添いの家族が、目を細めて見つめる。


 清掃スタッフが、貼り直しながらそっとうなずく。


 “レジオニスタ”という名前は、知らなくてもいい。


 でも、あの日の誰かの背中は、誰かの心に、確かに刻まれていた。


 「…………これ、なんだよ」


 源太がモニター越しに見せてきたのは、とあるSNSの動画だった。


 再生回数はすでに10万を超えている。


 映っていたのは、白衣を着ず、あえてノーマスク姿で“ICU風”のセットの前に立ち、


 「レジオニスタ」と名乗る若者が、医療っぽいセリフを感情的に語るショートドラマだった。


 「“制度に縛られず命を救う者、俺たちはレジオニスタだ!”ってさ」


 御影は無言で画面を見つめた。


 そのコメント欄には、賞賛と揶揄が交錯していた。


 ──「かっこいい!」


 ──「これ、リアルなの?それともただの演技?」


 ──「職業ごっこにしか見えない」


 ──「でも、伝わるものがある」


 芹沢が低い声で言う。


 「真似されるほどになったってことか…………でも、違う」


 岬も続ける。


 「これは“行為”じゃない、“演出”だ。


 本物と偽物の境目が、これじゃ見えなくなる」


 綾乃が苦しげに口を開く。

 「“誰でも名乗れる”からこそ、


 本当に命と向き合ってきた人たちの重みが、


 軽く見られる危険がある」


 御影は、画面を閉じた。


 「でもな、これは…………もう一つの現実だ」


 「え?」


 「“名前”がある限り、それはいつか“演じられる”。


 俺たちが“意志として名乗った言葉”も、


 いつか“見た目だけ”で再現されるかもしれない」


 「じゃあ、黙って見てるのか?」


 御影は首を横に振った。


 「違う。“レジオニスタが何者か”を、俺たちが語り続けなきゃならない。


 “本物の重さ”を、自分たちが発信し続けるしかない」


 その夜、阿久津が御影にこう言った。


 「“名乗った者が真実”ではなく、“真実に立った者だけが名乗るべき”。


 私はそう思います」


 御影は微笑んだ。


 「そう思って名乗るなら、きっともう、君は“本物”だよ」


 翌朝。


 CEルームのホワイトボードには、また一つ新しい文が加えられていた。


 “真似できるのは姿だけ。本質は、その人の“選んだ沈黙”に宿る。”


 その下に、いつものように誰の名もなかった。


 数週間後、志村煌は、再び実習先の病院を訪れていた。


 「今日で実習、最後です」


 御影の前に立った彼の目には、迷いはなかった。


 だが、決意とも違う。どこか“静けさを受け入れた”ような落ち着きがあった。


 「…………結局、最後まで“名乗れませんでした”」

 志村が少し笑った。


 「でも、“名乗らなくてもそこにいる人”っていうのが、


 いちばんレジオニスタっぽいなって、思えてきて」


 御影は頷いた。


 「それでいい。“名乗った者”がレジオニスタなんじゃない。


 “名乗らなくてもそうであろうとする者”が、未来をつなぐんだ」


 志村は、そっと一枚の紙を差し出した。


 そこには、実習記録の最後にこう書かれていた。


 “私は、制度がなくても、名前がなくても、


 命の隣で迷い、立ち止まる者でありたい。


 レジオニスタという言葉は、


 私に“沈黙を信じる勇気”をくれました。”


 御影は読み終え、黙って紙を折りたたんだ。


 数日後、CEルームのホワイトボードは、久々に綺麗に拭き取られていた。


 芹沢が言った。


 「共鳴者リスト、もう入りきらないからさ。


 ちゃんとファイルにまとめたんだ。“沈黙の手帳”って名前でな」


 源太が笑う。


 「なんだそれ、厨二っぽいな」


 綾乃がそっと言う。


 「でも、いい名前だと思います。誰にも言えなかった想いが、ちゃんと記録される場所」


 御影は、そのファイルの背表紙に貼られたラベルを見た。


 “名を超えて、意志が残る”


 その一文だけで、すべてが言い尽くされていた。


 数ヶ月後、厚労省の議事録に、こんな記載が加わった。


 《レジオニスタ:現時点で制度化の予定なし。

 しかし、既存医療職との連携と支援の一形態として、


 “現場に残る記憶と行動”が新たな価値を創出していることに留意》


 制度にはならなかった。


 けれど、“在ること”は認められた。


 御影たちは、今日も静かに命の傍に立ち続ける。


 誰に呼ばれなくても、誰にも認められなくても。


 彼らの沈黙は、やがて誰かの勇気となり、


 名乗ることのないレジオニスタが、またひとり生まれていく。


最後までお読みいただきありがとうございました。


第6章では、「制度の外にいる存在」として活動するレジオニスタたちが、

公的な目に触れ始め、“名前”と“評価”という二重の現実に直面します。


命のそばにいたという事実が、制度や記録の中にどのように扱われるか。

そして、「名乗らない意志」は、果たして社会に届くのか。


次章では、いよいよその問いが“交差点”で交わります。

引き続き、応援よろしくお願いいたします。

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