表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/11

第5章:共鳴者たち ― 沈黙の最前線で命をつなぐ者たち

ご訪問ありがとうございます。

『レジオニスタ』第5章「共鳴者たち」では、

CE(臨床工学技士)たちが単なる“装置の扱い手”を超え、

命の本質に触れる“共鳴者”としての姿が描かれていきます。


AIにも数値にも頼れない現場で、

命と機械の“あいだ”に立ち続ける者たちの静かな決意。

どうぞ、ご覧ください。

 日曜の朝。


 ICUの監視モニターから聞こえるアラーム音も、どこか控えめだった。


 御影凌真は、当直明けの廊下を歩いていた。


 夜を越えて無事に朝を迎える――それだけのことが、ときに尊い。


 「御影さん、少しよろしいですか?」


 声をかけたのは、初めて見る若い看護師だった。


 名札には“阿久津”とある。新卒か、まだ数年目の印象。


 「先日、院内研修で“レジオニスタ”って言葉を聞きました。


 あれ…………御影さんたちのことですよね?」


 御影は驚かなかった。


 もはや“その言葉”が、閉じた世界の符牒ではないことを知っていた。


 「そうかもしれないし、違うかもしれないな」


 「でも、私…………あの言葉に、救われた気がしたんです」


 「救われた?」


 阿久津は、少し息をつめたように語りはじめた。


 「先週、夜勤中に患者さんの容態が急変して、


 医師もAIも“正常範囲”だって言ってたのに、私だけ違和感があって…………


 どうしても放っておけなくて、勝手に循環の再チェックをしました」


 「…………で?」


 「そしたら、ほんの小さな血圧の揺れがあって、


 後から医師が“よく気づいた”って。でもそれって、


 “私の仕事じゃない”って言われかけたんです」


 御影は黙って聞いていた。


 「そのとき、私、“レジオニスタって、こういうことかもしれない”って思ったんです。

 役割じゃなくて、命と向き合った結果、生まれる在り方なんだって」


 御影は、ようやく口を開いた。


 「…………それで、あんたはどうした?」


 「名乗ってません。でも、自分の中でだけ、“私はそうなりたい”って思いました」


 数時間後、御影はCEルームに戻り、ホワイトボードを眺めていた。


 そこには先日書かれた“作戦報告書 No.003”の跡がまだ残っていた。


 そして、新たに小さなメモが貼られていた。


 《レジオニスタ共鳴者リスト(自主登録)》


 そこにはまだ、たったひとつの名前しかなかった。


 看護師・阿久津結衣


 それを見て、芹沢が笑った。


 「なにこれ…………俺ら、いつから会員制になったんだよ」


 源太が腕を組んで言う。


 「いや、むしろ…………ようやく、広げるときなんじゃねぇの?」


 「御影さん、また増えてましたよ。“リスト”」


 芹沢がホワイトボードを指差す。


 そこに並んでいたのは、数日前には存在していなかった名前の数々だった。


 ・看護師 阿久津結衣


 ・理学療法士 上原航


 ・薬剤師 村野圭子


 ・栄養士 井出瑠香


 ・研修医 水谷聡


 その下に、小さな手書きの文字が添えられていた。


 “自分の仕事の輪郭を超えて、命を見に行った者”


 御影は、しばらく黙ってそれを見つめていた。


 「…………誰が書いた?」


 「知らない。匿名だった。

 でも、共鳴ってのはきっと、そういう風に広がるんだな」


 岬がつぶやく。


 その日の夕方、リハビリテーション室にいた上原航が言った。


 「正直、“レジオニスタ”って言葉、最初は照れくさかったんですよ。


 でも、あの日の患者の脚の筋緊張の揺れを見て、“これはルールじゃない”って思った」


 「ルールじゃない?」


 「“この動き方なら教科書では×、でも生きようとする方向にしか見えない”。


 だから僕は、手技を全部変えてみた。


 そしたらその患者さん、翌日から自力で呼吸の回数が上がったんです」


 「機械を動かしたわけじゃないのに?」


 「ええ。でも、そのとき思ったんです。


 ああ、自分は“命の余白”を扱ってるんだなって」


 研修医の水谷は、御影に言った。


 「僕も、“ただの医者”にはなりたくないと思いました」


 「研修、厳しいか?」


 「ええ、正直しんどいです。でも、


 御影さんたちを見てると、“命に応える形”って、もっとあるはずだって思えるんです」


 御影は静かに頷いた。


 「たぶん、“レジオニスタ”っていうのは、職種じゃないんだ。


 誰が呼ばれるかじゃなくて、“誰が自分でそうありたいと願うか”なんだよ」


 その夜、御影はふと気づいた。


 共鳴者リストの端に、小さな付箋が一枚、重ねて貼られていた。


 “私はまだ名乗れません。でも、あの人たちの隣に立てるようになりたい”

 署名はなかった。


 だがその言葉に、御影は“言葉が誰かの灯りになった”ことを確信した。


 「…………このままじゃ、技士になれたとしても、僕、意味ないと思うんです」


 その言葉は、少し震えていた。


 話していたのは、見学に来ていた専門学校の学生――志村 こう


 設備見学の最中、御影のもとに歩み寄ってきて、急にそう切り出した。


 「授業では、装置の仕組みも操作手順も習います。


 でも、それを“どう使って命をつなぐか”は、教えてくれないんです。


 命が苦しんでるっていう感覚に、“正解”はないのに…………みんな正解だけを教えようとする」


 御影は、黙って聞いていた。


 「御影さんたちが“レジオニスタ”って呼ばれてるって聞いて、


 調べてみたんです。…………誰かが勝手に広めたって書かれてる記事もありました。


 でも、僕は…………それでも、あの言葉に“体温”を感じたんです」


 「体温、か」


 「はい。正確な数値でも、整った記録でもなくて。


 “命に触れようとした人の手の跡”みたいな、そんな感じです」


 御影は、小さく息をついた。


 「君が見たのは、まだ名もなかった“願いの形”だ。


 でも、そう思えた時点で、君はもう“どこかの誰かのレジオニスタ”になってるよ」


 志村は驚いた表情で顔を上げた。


 「…………なれるんですか?」


 「誰かに許可されるものじゃない。

 自分で、“そう在りたい”って選ぶだけで、もう十分だ」


 数日後。


 CEルームに、見学学生からのメッセージが手書きで届いた。


 “いつか、自分が扱う機械が命と通じ合えるようになるその日まで。


 僕は“レジオニスタ候補生”でありたいと思います。”


 名前の横には、


 まだぎこちない文字で――“志村 煌”の署名があった。


 その日、源太がつぶやいた。


 「ガキが俺らの背中を見て、名乗ってくれる時代が来るとはな…………」


 芹沢も、ホワイトボードの“共鳴者リスト”を見ながら言った。


 「これ、そろそろボードじゃ収まらねぇぞ。


 ファイルでも作るか? “沈黙の継承者たち”の名簿」


 綾乃が、少しだけ照れたように微笑む。


 「じゃあ私は、“記憶係”をやります。


 誰にも言えない想いごと、全部拾って、残しておきたいんです」


 御影は、それを聞いてそっと言った。


 「…………そうだな。


 記録されないものこそ、誰かが“記憶”していかないとな」


 「最近、“レジオニスタ”について話してくれっていう学生が増えてるんですよ」


 その言葉は、臨床工学技士養成校で講師を務める佐伯圭吾のものだった。


 御影たちが呼ばれて臨床機器の特別講義に訪れたその日、控え室で彼がふと漏らした。


 「講義の後、“どうすれば現場で信頼されるようになるのか”って聞かれたとき、


 以前なら“知識とスキルを磨け”で済んだ。でも今は、もうひとつ足りない気がしてる」

 御影が静かに頷く。


 「“気づく力”ですね」


 「そう。“何を扱うか”じゃなく、“どう感じるか”が問われる時代が、


 ついに技士にも来たのかもしれない」


 佐伯はタブレットを開いて、一枚のスライドを見せた。


 そこには、数日前に届いた学生からのメッセージが映っていた。


 “私はまだ不器用だけど、“命の隣で迷える技士”でいたい。


 現場の“感覚”を信じられる人になりたい。”


 「彼らは、言葉にならないものを拾おうとしてる。


 それを教える教育の側も、“感じる覚悟”が必要なんだと思います」


 御影は、そのスライドをしばらく見つめていた。


 「…………いつか、現場じゃなくて、教室からレジオニスタが生まれる日が来るかもしれませんね」


 講義終了後、実習室でひとりの学生が御影に声をかけた。


 「御影先生、今日はありがとうございました。


 “レジオニスタ”って、やっぱり資格とは違うものなんですね」


 「そうだね。“名前を得ること”より、“気づくことを恐れない姿勢”が大事だ」


 「気づいた後、何をすればいいんですか?」


 御影は少し考えたあと、こう言った。


 「気づいたら――“立ち止まること”ができるようになること。


 数値が安定してても、波形が綺麗でも、心がざわついたなら止まっていい。


 それが、“命と向き合う第一歩”だよ」


 学生は、まっすぐな目で頷いた。

 数日後、CEルームに一通の封書が届いた。


 差出人は、先日訪れた養成校の佐伯講師。


 中には、学生全員の寄せ書きとともに、こう書かれた言葉があった。


 “記録より、記憶に残る存在に。”


 私たちは、“迷う技士”でいられる勇気を持ちます。”


 御影は、その文字を指先でなぞりながら、静かに思った。


 (レジオニスタは、たぶんもう“生まれ続ける存在”なんだ)


 CEルームの一角、源太がPCモニターをのぞき込みながら首を傾げていた。


 「これ…………英語だな。なんか海外の学会からPDFファイルが届いてる」


 「またウイルスメールじゃないのか?」


 芹沢が冗談まじりに覗き込む。


 「いや、マジっぽい。ほら、差出人。


 “NBIA”…………“National Biomedical Innovation Alliance”。アメリカの生体医療工学の連盟だ」


 御影が顔を上げた。


 「…………本当に来たか」


 数週間前、国際医療カンファレンスで御影の発言が紹介された。


 その記録映像は、じわじわと専門家の間で共有され、ついには世界中のバイオエンジニアたちの関心を集め始めていた。


 PDFは報告書の翻訳付きサマリーだった。


 その冒頭に、こう記されていた。


 《新時代の臨床介入者:“レジオニスタ”の提唱にみる日本の現場哲学》


 「これ、すごくないか…………?」


 岬がつぶやいた。

 「俺たちが日常でやってることを、“思想”として取り上げてる」


 「いや、“新しい臨床スタイル”ってはっきり言ってるぞ」


 源太が驚いたように読み上げる。


 「『AI時代におけるヒューマン・インターフェース職能の再定義』──


 臨床工学技士という役割を越え、“命の間に立つ存在”として評価されてる」


 御影は、静かに頷いた。


 「…………ようやく、“技術”じゃなく“行為の意味”を見てくれる場所に届いたんだな」


 その日の夕方、阿久津看護師がそっと言った。


 「御影さん…………あの、海外のやつ、見ました」


 「ん? あぁ、あれか」


 「…………なんか、鳥肌が立ちました。


 “あの夜の感覚”が、世界とつながった気がして」


 御影はふと、少女の命を支えたあの深夜を思い出した。


 沈黙のICUで、彼女の小さなまぶたが震えた瞬間。


 言葉も、記録も、拍手もなかった。


 それでも、確かにそこに“生きる”があった。


 「…………あの時、君が立ち止まってくれてよかったよ」


 「…………それ、“レジオニスタ”だからですか?」


 「違う。“阿久津結衣”だからだよ」


 阿久津は、少し泣きそうな笑顔を浮かべた。


 その夜、CEルームのホワイトボードに、誰かが新たな言葉を書き残していた。


 “名前は届く。でも、想いは残る。”


 —— From the shadows, we still hold the line.

 御影は、その言葉をそっと指先でなぞった。


 (届いたんじゃない。想いが“共鳴した”んだ)


 「…………レジオニスタって、結局なんなんですか?」


 それは、教育実習を終えて帰る学生・志村煌が御影に投げかけた最後の質問だった。


 ICUの前、夕暮れのカーテン越しに陽が差し込み、静かな余韻が空気を満たしていた。


 「他の先生は“思想”とか“流派”とか言ってたけど、


 僕は…………あえて、答えを聞いてみたいんです」


 御影はしばらく黙っていた。


 いつものように、すぐに答えることはしなかった。


 代わりに、機械のモニターの波形を見つめ、ひと呼吸置いて言った。


 「…………答えたら終わっちまうよ」


 「…………え?」


 「誰かに“こういうものだ”って定義された瞬間に、


 その言葉は“枠”になってしまう。


 でもレジオニスタってのは、“問い続ける側”なんだよ」


 志村は黙って聞いていた。


 「命のそばで、“このままでいいのか”って迷い続けられるか。


 それだけなんだ。


 迷いながら立ち止まれる人間のほうが、きっと命に近い」


 志村は、小さくうなずいた。


 「じゃあ…………僕はまだ、“その手前”なんですね」


 御影は笑った。


 「いや、手前じゃない。“もう中にいる”よ。


 だって、“わからない”って言葉を手放してないから」


 その夜。


 CEルームのホワイトボードの端に、ふとした書き込みがあった。

 “レジオニスタとは何か?”


 それに対する答えは、誰も書かなかった。


 代わりに、共鳴者リストにひとつだけ、新しい名前が加えられていた。


 志村 しむら・こう/臨床工学技士養成課程在学中


 —— Status:まだ迷っている。でも、それでいい。


 後日、病棟の廊下で若手医師・水谷が御影にこう言った。


 「御影さん。…………“レジオニスタ”って、制度にならないんですか?」


 御影は答えた。


 「なるかもしれない。でも、制度になる前に、“伝わってほしい”って願いが先だった」


 「それ、伝わってると思います。


 少なくとも僕の中では、“医者よりも先に命を見つけた人たち”だって、そう思ってます」


 「それは言いすぎだ」


 「でも事実です。…………誰かに名前をもらう前に、“名乗った”んですから」


 そして今夜も、彼らは誰にも知られない場所で、誰かの命の隣にいる。


 波形のノイズ。人工呼吸器の圧変動。


 誰も気に留めないその“揺れ”に、ただ静かに寄り添う。


 名前は必要ないかもしれない。


 でも、想いが残るなら、それでいい。


 それが、レジオニスタ。


 問い続ける者たちの、“まだ定義されない生き方”。


最後までお読みいただきありがとうございました。

第5章では、CEたちがそれぞれの“感性”と“経験”を武器に、

命に直接触れていく姿を描いています。


名前のない職域に、“レジオニスタ”という呼び名が生まれ、

彼らが単なる裏方ではなく“命の設計士”として機能していく姿が浮かび上がってきました。


次章では、社会や公的視点との衝突が描かれていきます。

引き続き、応援いただけましたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ