第四章:誰が命を繋いだのか
『レジオニスタ』第4章へお越しいただきありがとうございます。
今章では、命を支える“連携”の力――
すなわち「誰かがつないでくれた命」を、今度は“自分が誰かにつなぐ”という、
受け継がれる技術と意思の物語が描かれます。
命を繋ぐとは、ただ技術を施すことではありません。
静かに引き継がれてきた“見えない仕事”の意味が、少しでも伝われば幸いです。
院内報の片隅に、その症例の経過報告が掲載されたのは、それから二週間後だった。
「“原因不明の代謝異常”に対して、人工呼吸・ECG補正・血液浄化・複数機器連携を活用。
AIモデルでは予測不可能だった生体変動を、現場チームが感知し、適応処置。
結果、患者は意識を回復し、社会復帰を視野に入れたリハビリへ移行中」
報告書には、医師と看護師の連名が並んでいた。
だが、そこに“CE”の文字はなかった。
御影は、昼食を終えた帰りの廊下でそのコピーを見つけ、立ち止まった。
(まあ、いつものことか)
そう思いながらも、ページの片隅に指先を添える。
機械が命を繋いだ――のではない。
命を“機械の先”で守っていた者たちがいたことは、やはり記されなかった。
「怒らないんですね」
綾乃が背後から声をかけてきた。
「いつもなら、“またか”って毒づくのに」
「怒る理由があるなら、そもそも俺たちのやり方が間違ってるんだよ。
“評価されること”を求めてるなら、最初からこの仕事、向いてない」
御影の言葉は冷静だった。
でも、その言葉の奥には、どこか“諦めにも似た穏やかさ”があった。
綾乃は、一拍おいてから言った。
「でも私は…………あの子が目を開けた瞬間を、ずっと忘れません。
たとえ名前が載らなくても、
“記録じゃなく、記憶に残った仕事”だったと思ってます」
その言葉に、御影はわずかに笑った。
「…………それ、いいな。記録より、記憶」
その日の午後、御影は医局から一本の電話を受けた。
「医療安全委員会から照会があった。
例の少女の症例、“AI予測を超えた処置”の詳細を知りたいってさ。
どうやって判断したのか、機械の設定は誰が行ったのか」
「…………誰、ですか? 話を通したのは」
「厚労省の外郭機関だってよ。なんか、今“次世代医療職の制度見直し”ってやってるらしい」
「…………は?」
「つまり、“AI時代に必要な職種とは何か”って議論が動いてるってことだ」
御影は一瞬、息をのんだ。
いつもは記録に残らない。
名前も出ない。
それで構わないと思っていた。
でも今、
“名もなき誰かがいた”という事実が、制度の外から問われようとしていた。
会議室には、妙な静けさがあった。
御影、芹沢、岬、源太、そして綾乃。
チームCEが揃うのはいつも実働現場だったが、今日は違った。
机の中央には、医療安全委員会からの文書と、院内研究支援室の通知が置かれている。
「内容は、例の少女の症例について。
“AIが予測できなかった回復経過の理由と、その背後にあった技術判断”を知りたいと」
綾乃が淡々と読み上げた。
「加えて、“誰がその判断を行ったか”、個人ベースでの記録提供も求められてます」
「個人ベース…………?」
源太の表情が曇る。
「俺たちはチームだ。誰か一人の判断じゃない。
“名前を分ける”ような聞き方、あまり好きじゃねぇな」
芹沢も苦笑した。
「ようやく“何か”がこっちを見始めたと思ったら、いきなり“切り取り”か」
だが、御影は違う視点で捉えていた。
「…………切り取りでもいい。
初めて、“名もなき技士”に光が当たるなら、それも悪くない」
その言葉に、全員の視線が御影に集まった。
「ずっと、俺たちは装置の背後にいた。
命を繋いでも、機械の陰に隠れていた。
でも、もし今その“陰”が照らされるなら──それを拒む理由は、もうない」
岬が静かに言った。
「…………じゃあ、“レジオニスタ”って名乗っていいんじゃないか?」
「え?」
「俺たちが誰かと問われたら、
“ただの技士”じゃなく、“レジオニスタ”だったって、そう言えばいい」
芹沢が笑う。
「世の中に一番届くのは、“思想”じゃなく“名前”だからな」
綾乃も続けた。
「その言葉の裏に、“どんな命を扱ってきたか”が込められるなら、
きっとそれは、名乗る価値のある名前だと思います」
御影は、机に視線を戻した。
照会文書の最下段には、こう書かれていた。
「なお、現場判断を下した職種および個人が“既存制度の範囲を超える場合”は、
今後の制度設計において新職種認定の議論対象とする可能性がある」
制度は、静かに動き出していた。
その夜、御影はいつものようにICUの装置前に立っていた。
血液ポンプの音。人工呼吸器のリズム。
命を支える音に、名前はない。
だが――
(この仕事に、“言葉”がついたとしたら)
御影は、静かに胸の奥でその問いを反芻した。
(それはきっと、“記録されるため”じゃなく、
“未来と繋がるための言葉”になるんだろう)
「では、はじめさせていただきます」
医療安全委員会の担当者は、形式的な挨拶とともに、レコーダーのスイッチを押した。
部屋はシンプルな会議室。
白壁、長机、資料ファイル、録音機材。
御影凌真は、静かに座りながら、目の前の質問を待っていた。
「今回のケース、患者は人工呼吸器、ECMO、血液浄化装置、脳波モニタなど、複数の医療機器を使用されていましたね」
「はい」
「それらの機器の設定、タイミング、調整方針…………どなたが判断されたのですか?」
御影は少しだけ考えた。
「“私たち”です」
「“私たち”というのは?」
「チームCE。臨床工学技士の専門部門です」
「なるほど。では、AIが示した処置との乖離について説明いただけますか?
なぜ、あえてAIの判断から外れたのか」
御影の目が、一瞬だけ揺れる。
だがすぐに、芯のある声で語り始めた。
「AIは正しかったと思います。
少なくとも、“医学的に安全で標準的な判断”を示していた。
でも──命は標準化されていないんです」
担当者が手を止めた。
御影は続ける。
「私たちは、数値の異常ではなく、“揺らぎ”を感じた。
それは波形でもなく、ノイズでもない。
まるで命が、“まだあきらめていない”と語ってくるような──
言語にならない信号でした」
「…………つまり、経験に基づく判断と?」
「はい。でもそれは“勘”ではありません。
私たちの仕事は、“命と機械の間にある沈黙”を読むことなんです」
「沈黙…………?」
御影は、少し笑って答えた。
「誰も気づかないうちに、命が変化を始めることがある。
装置は正常。AIは安定と判断する。
でも、命だけが“静かに反抗”してることがある。
それを見逃さないのが、私たちの役割です」
部屋が静まり返った。
担当者はページをめくる手を止め、顔を上げた。
「御影さん。…………あなたたちは、“自らを技士”と定義されますか?」
御影は、ゆっくり首を横に振った。
「“技士”という肩書きは、与えられたものです。
でも、私たちのしていることは、
命の個性と、技術の限界の“隙間”に入り込む仕事です」
「もし、その“仕事”に制度上の定義がないとしたら?」
御影は静かに答えた。
「ならば、これから生まれるべきです。
“命と命をつなぐ者”に名前が必要だとしたら――それは、“レジオニスタ”です」
「…………言ったんだって? “レジオニスタ”って」
翌朝、CEルームに入るなり、源太がそう言った。
御影は黙ってコーヒーを口に運ぶ。
「おい、否定しろよ。まさか本当に言ったのか?」
「…………言ったよ」
沈黙。
次の瞬間、芹沢が噴き出すように笑った。
「まじかよ…………言っちゃったか。あれ、ただの俺らの“裏ネーム”だったのに」
「でも、それでいいんじゃないですか?」
綾乃が言う。
「名前がついたことで、
今まで誰も気に留めなかった“行為”に、意味が宿るかもしれない」
岬がログファイルを開いたまま、口を開く。
「“意味”はもともとあった。ただ“認識されてなかった”だけだ」
芹沢がにやりと笑う。
「それ、なんか詩人っぽいぞ、岬」
「本気で言ってる」
御影は、ぼそりと呟いた。
「言葉にしたことを後悔してない。
ただ…………これで、もう隠れてるだけじゃいられなくなったとは思ってる」
源太が腕を組んだ。
「ま、出る杭は打たれるが──
出過ぎた杭は、“制度のほうが動く”こともあるからな」
その日の午後、院内ミーティングで“あのヒアリングの記録”が回覧された。
驚いたことに、報告書の末尾にこう書かれていた。
「命と命をつなぐ者たち。彼らの語る“間の医療”は、
新しい臨床支援の定義を更新する可能性を持つ。
仮称:レジオニスタ」
医師の間でざわつきが起こった。
「レジ…………なんだって?」
「新しい認定職? それとも概念?」
「ただの自己命名だろ? 技士が勝手に名乗ってるだけだ」
だが、一部の若手医師たちは違った反応を見せていた。
「この人たち…………本当に何か“見えてる”よ。
だって、AIがミスリードした判断を、現場で修正できたのは彼らだけだったんだろ?」
「単なる技士じゃない。
これは“命の読解者”だよ」
“レジオニスタ”という言葉が、
静かに、だが確実に医療の輪郭を揺らし始めていた。
その夜、御影はICUの片隅で、一通のメールを受け取った。
差出人は不明。
だが、内容は一文だけだった。
「あなたたちのような存在を、私たちの国にも必要としています」
英語だった。
そして、署名にはこう書かれていた。
— National Biomedical Alliance(国際生体医工連盟)
「御影さん、ちょっと…………これ」
綾乃がタブレットを手に駆け込んできた。
画面には、ある医療系ニュースサイトの記事が表示されていた。
《日本発、“レジオニスタ”という新しい医療概念が注目集める》
見出しに目を通す間もなく、御影の名が文中に現れる。
──《先月、国内某病院で行われた命の再起動支援プロジェクトにおいて、
臨床技術者がAIに頼らず患者を救った例が注目されている。
この職能はまだ法的定義を持たないが、関係者は“レジオニスタ”という名称を使っているという。》
「…………誰だ、書いたのこれ」
「医療安全委員会の担当者がリークしたらしいです。
さっきからXでもレジオニスタってワードが拡散してます」
御影は、少し顔をしかめた。
「名前だけが、歩き出したってことか…………」
その日の午後、病院には一通の文書が届いた。
「国際生体医工連盟より、ヒアリング依頼」
日本国内の技士制度に関心を持ち、
「AI時代における臨床判断者の役割再定義」について意見交換を求めてきたという。
「…………どうなってるんだよ、これ」
源太が思わず声を漏らす。
芹沢も苦笑い。
「最初は“裏の呼び名”だったのにな。“レジオニスタ”ってだけで、
海外の組織がこっち向くなんて…………現実感なさすぎる」
だが、岬は静かに言った。
「でも…………これが、俺たちが積み重ねた“沈黙の信用”の結果かもな」
綾乃が頷く。
「誰かの注目がなければ、あの子の命は“AIで止められてた”かもしれない。
その意味に、世界が少しだけ“感度を上げてくれた”んですよ」
御影は、ゆっくりと呼吸を整えた。
「…………レジオニスタって言葉は、
俺たちのためにあるんじゃないのかもしれないな」
「え?」
「“これから、命とAIの間で迷う誰か”のために必要になる。
俺たちが名乗ったその言葉は、もう“他人の手に渡った”んだよ」
その夜、院内の掲示板に貼られた記事コピーに、誰かが赤ペンでこう書き込んでいた。
“これが、未来の臨床支援者の姿かもしれない”
サインはなかった。
でも、見た者は、静かに“何かが変わり始めている”ことを感じていた。
「制度化の可能性、って話が正式に出たぞ」
源太が、プリントアウトした資料を持ってきた。
厚労省内の次世代医療職検討会議、会議録の一部。
そこには確かに、“レジオニスタ”という言葉が仮称付きで記載されていた。
「“臨床工学技士の業務拡張または新たな専門認定の必要性”…………だってさ」
芹沢が鼻で笑う。
「拡張? いまさら枠を作り替えるのか?」
岬は、冷静に続けた。
「制度が追いつくのに、何年かかるかわからない。
でも、“言葉”はもう歩き始めてる」
綾乃がそっと言った。
「これが、私たちが生きてる証明になるなら…………悪くないですね」
御影は何も言わず、そのプリントを見つめた。
名前が生まれ、言葉が社会に届き、制度が動き出す。
だが、そのすべての根底には――“現場”がある。
数日後。
国際医療カンファレンスで、御影の発言が簡単なビデオコメントとして紹介された。
「私たちは、名乗らない者たちでした。
でも今、“誰が命を繋いだのか”と問われたとき、こう答えます。
“レジオニスタ”は、職種ではなく意志です。
機械の陰で、命の声に耳を澄ます者たち。
見えなくても、必ず“そこにいた”者たちのことです」
拍手はなかった。
だが、数秒の静寂が、敬意という名の余韻となって広がった。
その夜、CEルームのホワイトボードに小さな落書きが増えていた。
《レジオニスタ作戦報告書 No.003》
— “名乗ったその日から、沈黙は意志になる” —
横に赤いペンで、芹沢らしい字が添えられていた。
「沈黙は逃げじゃない。“在る”という選択だ」
誰かが消しかけた形跡があった。
でも、消しきらずに残していた。
御影は、ログを見ながら心の中で呟いた。
(これから名乗るかどうかは、誰かが決めるものじゃない)
(“そこにいたい”と願う命のそばに、俺たちは立ち続ける)
(そして、その姿がまた、どこかの誰かを“レジオニスタ”に変えていく)
彼らは、静かに動き出す。
名を超えて、意志となる者たちとして。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本章で描いたのは、命の現場における“無名の連携”です。
「誰が助けたか」はわからなくても、「誰かがつないでくれた」という事実がある。
CEという職種は、誰の記憶にも残らないことが多いかもしれません。
けれど確かに、その手のひらは命のリレーをしている――
そんな想いをこめて書きました。次章もよろしくお願いいたします。