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第10章:あなたが、次の共鳴者 ― 静けさの中に立ち続ける者へ

ご訪問ありがとうございます。


『レジオニスタ』はいよいよ最終章となりました。


命の沈黙と向き合うこと。

名前のない判断に責任を持つこと。

記録には残らない瞬間を、それでも守ろうとすること。


これまでレジオニスタたちは、そうして誰かの「次の拍動」を支えてきました。


最後に問われるのは、“あなたなら、どう立ち止まるか”。


共鳴する者たちの静かなバトンを、どうか見届けてください。

 「共鳴者って、なんだと思いますか?」


 ある日の帰り道。田所が不意に投げかけた問いに、御影は足を止めた。


 「“正しいこと”に共鳴するんじゃない。


 “揺らいでる想い”に耳を澄ますことが、共鳴だと思う」


 「揺らぎ…………?」


 「うん。“決めきれない自分”や、“迷ってる誰か”に気づける力。


 それを受け取った人が、静かに次へと渡していく。


 …………それが、“名前のないバトン”なんじゃないか」


 その頃、病院では一つの会議が開かれていた。


 テーマは、「災害医療支援における非制度技術者の位置づけ」。


 災害対応で活躍した“名もなき技士たち”の存在が、行政資料の中に初めて記録されることとなった。


 「名称は未定。“レジオニスタ”という言葉が一部メディアで使われてはいますが…………」


 役人の発言に、医師代表の水谷が応じた。


 「名前は要らない。ただ、“誰でも立ち止まれる余白”だけは制度の中に残してほしい」


 会場に、静かなざわめきが広がった。


 その会議を傍聴していた一人の若者がいた。


 かつて、被災現場で御影に命を救われた少女――瀬戸 理子だった。


 彼女は今、臨床工学技士の養成校で学ぶ学生。


 制服の袖口には、目立たぬように刺繍された言葉があった。


 “誰でも、そこに立てる”


 それは、彼女が誰からも教わらずに、自分の中で決めた信念だった。

 夜、彼女は学内の図書室で、1冊の自主記録集を読み返していた。


 『Silent Moments』——田所たちが残した“誰にも知られなかった気づき”の記録。


 ページをめくるたびに、心の奥がじんわりと熱くなる。


 “この人たちは、きっと“特別”なんかじゃない。


 でも、“見ようとしたこと”だけは、本当に特別だったと思う。”


 彼女はそっとノートを開き、自分のページに一行だけ記した。


 “私は、まだ誰の背中にもなれていない。


 でも、誰かの声にならなかった想いに、今日も耳を澄ませていた。”


 「…………もう少し、前に出られなかったかなって、思ったんです」


 放課後の実習振り返り。


 瀬戸理子は、手のひらにしがみつくようにノートを握りしめながら言った。


 今日の実習先は、地域の透析クリニック。


 患者の一人が血圧低下でぐったりとし、現場がざわついた。


 先輩技士が冷静に処置を進める横で、理子はただ立ち尽くしていた。


 「補液の準備を」と言われても、手が震えて、動けなかった。


 「緊張してる自分に、“冷静になれ”って言っても無理でした。


 ただ…………その患者さんの目だけは、今も忘れられないんです。


 なにか、言いたそうで、でも言えなくて。


 助けを求めてるのか、もう諦めてるのか、わからない目でした」


 教員の今井は、ゆっくりと頷いた。


 「動けなかった自分を、責めなくていい。

 でも、“その目を覚えてる”君は、もう“ただの見学者”じゃない。


 それが、最初の共鳴なんだよ」


 夜。理子は実習日誌の欄外に、誰にも見せない一行を書いた。


 “私は今日、“何もできなかった”ことを記録した。


 でも、たぶんそれは、“誰かを見た”という記録だった。”


 その翌週。理子は再び同じクリニックに赴いた。


 前回と同じ患者がいた。名前は田之倉さん。


 驚いたことに、彼の方から声をかけてきた。


 「お嬢ちゃん、こないだ…………立ち尽くしてたね」


 理子は一瞬、身体が凍るような感覚を覚えた。


 「ご、ごめんなさい。あのとき、私、なにもできなくて…………」


 田之倉さんは、笑った。


 「いや、それがね。なんにもできなかったけど、


 ずっと目が合ってた。あれが、一番安心したよ」


 理子は、はっとして顔を上げた。


 「…………安心?」


 「あのとき、“ひとりじゃない”って感じたんだ。


 誰かが、俺の揺れに気づいてくれてるって。


 それが、ありがたかったよ」


 理子はその日の帰宅後、ノートにこう書いた。


 “何もできなかった私の“止まった時間”が、


 誰かの“安心”になっていたと知った。


 それはきっと、“無力の中の共鳴”だった。”


 放課後の図書室。瀬戸理子は、一冊の記録集を開いていた。


 『Silent Moments』――先輩たちが残した“立ち止まった時間”の断片。

 そこには、未熟さも、迷いも、戸惑いも、すべてがそのまま綴られていた。


 “AIの指示に従った。でも、どこかで「違う」と感じていた。


 それを口にできなかった自分を、今も責めている。”


 “誰かが「大丈夫」と言ったとき、患者の口角がほんの少し下がった。


 その違和感を覚えていたのに、動けなかった。…………悔しい。”


 理子は、その一つ一つに、自分の体験が重なるのを感じていた。


 「これを書いた人たちは、特別なんじゃない。


 きっと、“見ようとした”という一点だけで、レジオニスタだったんだ」


 ふと、誰かが近づく気配がした。


 振り返ると、指導教員の今井が立っていた。


 「理子さん、君も…………“書いてみる”気になった?」


 理子は、迷うように少しだけ頷いた。


 「はい。ただ、私なんかの記録に…………意味があるのか、自信がなくて」


 今井は静かに椅子を引き、彼女の隣に腰を下ろした。


 「誰かの迷いが、誰かの支えになることがある。


 “記録”っていうのは、“過去を残すこと”じゃなくて、“未来の誰かに届くこと”なんだよ」


 「…………未来の、誰かに」


 「うん。君が今日、迷いながら立ち止まったことを、


 十年後の誰かが、そっと拾うかもしれない。


 たった一言で、誰かが“止まってもいい”と思えるかもしれない」


 その夜、理子は一人、ノートを開いた。


 文字は震えていた。

 でも、それは“伝えるための震え”だった。


 《記録:透析実習2日目》


 私は補液に手を伸ばせなかった。指が震え、口が乾き、何もできなかった。


 でも、患者さんの目が私を見ていた。


 その時間だけは、“確かにそこにいた”という記憶がある。


 私はそれを、失いたくない。


 だから、書き残す。誰かのためじゃなく、


 今の自分の、揺れていた証として。》


 「…………この記録、誰が書いたんですか?」


 学生ラウンジのホワイトボードに貼られた1枚の紙を、


 実習同期の森川 航が指差していた。


 そこには、瀬戸理子が匿名で提出した“補液に手を伸ばせなかった日”の記録が貼られていた。


 《私はそれを、失いたくない。だから、書き残す。


 誰かのためじゃなく、今の自分の、揺れていた証として。》


 簡素な文字列だったが、読む者の奥底に“痛み”のような静けさを残した。


 「…………俺、あの日のこと、今でも夢に出てくるんです」


 森川はポツリと呟いた。


 「実は俺も、あのとき“心臓のリズムがズレてるかも”って、


 機械より先に思ったんです。でも、間違ってたら恥ずかしいと思って…………黙ってた」


 そばで聞いていた別の学生が、頷いた。


 「私も。記録って、“良いこと”を書くもんだって思ってた。


 でも、あの紙を読んで、“見たけど動けなかった自分”にも意味があるって思えた」


 その日から、ラウンジの一角には小さなメモボードが設置された。

 名もない記録たちが、静かに、少しずつ増えていった。


 “気づいてた。でも、動けなかった。”


 “先輩の動きに圧倒されて、自分の疑問を呑み込んだ。”


 “呼吸の乱れに気づいたけど、“待て”という空気に抗えなかった。”


 数日後、瀬戸理子はその光景を見て驚いた。


 「これ…………みんな、記録を書いてるんですか?」


 今井教員が頷く。


 「“揺らぎ”ってのは、“恥ずかしさ”の影に隠れてしまいやすい。


 でも、誰かが最初に声を出すと、不思議と“自分の影”を出せるようになるんだ」


 理子は少し照れくさそうに微笑んだ。


 「でも、私…………声、出してませんよ。


 ただ、記録を一枚…………貼っただけで」


 今井はその言葉に、静かに頷いた。


 「それが、レジオニスタのやり方かもしれないね。


 “語らない選択”が、“語りたくなる誰か”を生む。


 それって、すごく深い伝え方だと思うよ」


 その夜。理子はボードに集まったすべての記録を、ノートに手書きで写した。


 一人ひとりの“動けなかった理由”が、どれも心に沁みていた。


 ページの最後に、彼女はこう書き足した。


 “名前はいらない。けれど、この揺れは確かに生きていた。


 だから私は、次の誰かに渡す。その証として。”


 「最近、ラウンジのメモボード、ちょっと騒がしいですね」


 そう言って苦笑したのは、臨床歴15年目のCE・佐伯 早苗だった。

 淡々とした仕事ぶりで知られ、後輩たちからも一目置かれる存在。


 ただ、ここ数年は“完璧な手順”を繰り返すのみで、表情に揺らぎはなかった。


 だが、その日。何気なく立ち寄った学生ラウンジで、


 彼女はふと目を止めてしまった。


 《誰にも言えなかった。


 でも、あの患者の手の震えに、私の手も震えた。


 それを今、初めて書いている。》


 文字は歪み、行も揃っていない。


 けれど、そこには「生の実感」があった。


 かつて自分も感じていた、“動けなかった日”の記憶が、胸を刺した。


 「…………こんなこと、書いていいんだ」


 佐伯は呟いた。


 かつて、自分も同じような違和感を覚えた夜があった。


 緊急手術前、患者の酸素飽和度が“ギリギリ正常”に見えた。


 でも何かが違う気がして、眠れなかった。


 あの夜、彼女は手帳にこう書いていた。


 “何もできなかった。ただ、胸がザワついている。


 それが何か、言葉にできなかった。”


 結局、そのページは誰にも見せず、いつの間にか忘れかけていた。


 その日の終業後、佐伯はふらりとCEルームに戻り、


 一枚の紙を、そっとメモボードに貼った。


 《経験が増えて、判断も早くなった。


 でも、あの“揺れ”を感じなくなったら、


 私は何かを見失う気がする。


 …………だから、今日はそれを書いて帰ります。》


 名前はなかった。

 だが、字の端々に“長く現場にいた人”の静かな重みが滲んでいた。


 翌朝。メモボードを見た学生たちは、ざわついていた。


 「これ、もしかして…………誰かの先輩?」


 「すごく静かな言葉なのに、すごく、沁みる…………」


 その日、佐伯は機器点検を終えたあと、


 ふと見学中の理子に声をかけた。


 「…………書いてくれてありがとう。


 私、ずっと“感じたこと”にフタをしてた。


 でも君の記録、響いたよ。


 久しぶりに、“誰かに伝えたい自分”を思い出した」


 理子は驚き、そしてゆっくりと頭を下げた。


 「ありがとうございます。


 でも…………私は、ただ“止まってただけ”で」


 佐伯は静かに微笑んだ。


 「その“止まり方”が、ちゃんと伝わったのよ。


 それが、共鳴ってやつじゃないかな」


 「この記録集、次年度のカリキュラム資料に加えたいと思っています」


 全国臨床工学技士養成校協議会のオンライン会議。


 今井教員のその発言に、画面越しの各校教員たちは一瞬言葉を失った。


 「学生が、自主的に“動けなかった記録”を綴った。


 しかも、“評価されないもの”として、名前もなしに」


 その言葉に、数名の教員が顔を上げる。


 「…………それは、“教育”と呼べるのか?」


 問い返したのは、ある伝統校の主任教員だった。


 “技能習得と即戦力”を掲げてきた彼は、現場の実効性を重視する姿勢を崩さなかった。


  だが、そこに思わぬ反論があがった。


 「私は、それが“いま一番必要な教育”だと思います」


 発言したのは、若手教員の綿貫だった。


 「私が新人のとき、患者の目の揺れに気づいたのに、


 “データが正常だから”と誰にも言えずに見逃しました。


 今でも、あの時間が“記録されていたら”と、ずっと思ってきました」


 綿貫は言葉を継いだ。


 「これは、失敗を肯定するものじゃありません。


 ただ、“揺れを残す”という行為が、


 次の誰かの判断の“幅”になるんです。


 それって、すごく教育的だと私は思います」


 沈黙の後、主任教員は小さく頷いた。


 「…………そうか。揺れを“消す”のではなく、“認める”ということか」


 別の教員がつぶやいた。


 「評価されないものが、“教育”になる時代…………


 悪くないな。いや、必要かもしれない」


 会議の終了後、今井はそっとメールを開いた。


 差出人は、あの“Silent Moments”の最初の提出者、瀬戸理子だった。


 件名:「届いたものが、届くこと」


 本文は、わずか数行だった。


 “私はまだ、なにもできない学生です。


 でも、あの日動けなかったことが、


 誰かの“問い”になったと聞いて、


 初めて、“止まっていた意味”がわかりました。”


 今井は返信にこう書いた。


 “届いたよ。


 君が止まったあの時間は、


 たしかに、教育になった。”


 春の終わり、病院の講堂で小さなシンポジウムが開かれた。


 テーマは「現場で感じた“気づき”を記録する」。


 医師、看護師、臨床工学技士、学生、患者家族――立場を超えて、


 さまざまな“沈黙の瞬間”が語られた。


 壇上には、CEルームのメンバーもいた。


 御影、綾乃、岬、そして新たに加わった実習生・瀬戸理子。


 質疑応答の時間。


 ひとりの来場者が手を挙げた。


 「…………“レジオニスタ”って、具体的にはどうすればなれるんですか?」


 会場が少しだけざわついた。


 その問いは、これまで何度も交わされながら、


 誰も“明確な答え”を持たなかったからだ。


 御影がマイクを取り、ゆっくりと答えた。


 「“なろう”としなくていいと思います。


 ただ、“止まってもいい”って思ったときに、


 もし誰かの気配が感じられたなら…………


 その人は、もう“レジオニスタ”の仲間なんじゃないかな」


 講堂の外。


 参加者たちが立ち去ったあとの夕暮れ。


 理子はひとり、掲示板に新たな記録を貼っていた。


 《私は、まだ揺れている。


 でも、その揺れを“誰かに残したい”と思えるようになった。


 それが、今日の私の記録です。》


 その後も、“Silent Moments”は誰かの手で更新され続けた。


 新しい記録、新しい問い、新しい沈黙。


 書き手の名はなく、評価もなかったが、確かに読まれていた。


 とある地方の養成校で、一人の学生が静かにノートを開く。


 “患者さんの笑顔が、いつもと違って見えた。


 何も言わず、何もせず、でも何かが動いた気がした。


 …………それを、書いておこうと思う。”


 そのページの片隅には、こう記されていた。


 《誰かに届くかどうかはわからない。


 でも、私は今日も“見ようとした”。》


 レジオニスタ。


 それは称号ではない。制度でもない。


 “見えない揺れに気づく人”が、


 今日もどこかで、誰かの隣にいるということ。


 そしてその沈黙は、


 きっと誰かの記憶に、小さく灯る。



 エピローグ 共鳴の呼吸


 人工呼吸器の音は、今日も変わらず“正常”だった。

 数字も波形も、基準値を外れてはいない。

 けれど、その場にいた若きCEは、ふと顔を上げて言った。


 「呼吸が、噛み合ってない気がします」


 看護師が眉をひそめ、医師がデータを確認する。

 画面上は異常なし。それでも彼は一歩前に出た。

 患者の胸の上下動と、呼吸器の空気の送り出しが、ほんのわずかにズレていたのだ。


 呼吸器の設定を“AI最適化モード”から、“感応調整モード”に切り替える。

 吸気圧の立ち上がりを少しだけ緩め、呼気タイミングを微調整する。

 するとどうだろう。患者の眉間がすっと緩み、首の筋肉から力が抜けていった。


 それを見届けた若きCEは、モニターを見つめながら、静かに呟いた。


 「この違和感、先輩も、きっと感じていたと思います」


 彼の胸ポケットには、かつて御影凌真が使っていた古びたスパナが収められていた。

 今はもう誰も使わない規格のもの。でも、その感覚だけは、確かに継承されていた。


 AIが判定できない“命の揺らぎ”を、装置と人間の間で共鳴させる者たち。

 かつて彼らを、人はこう呼んだ。


 レジオニスタ。

 名もなき命の、その“呼吸の声”に気づける者たち。


 — 完 —


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


『レジオニスタ』は、医療の現場において“名を持たぬまま命を支える”存在に焦点を当てた物語です。


この最終章では、記録にも残らず、評価もされなかった者たちの行動が、

次の誰かにとっての“道標”となっていく姿を描きました。


名前が残らなくても、問いは残る。

感性が継がれていく限り、レジオニスタは終わりません。


この物語が、あなたの中の“共鳴”を少しでも呼び起こしてくれたなら、

それが最大の励みです。

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