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第7話

 朝日が窓から差し込み、埃の舞う光の筋を、まるで教会のステンドグラスのように床に描き出していた。

 頭が割れるような激しい痛みと共に、俺はゆっくりと目を開けた。

 

 硬く冷たい床の感触。

 

 背中に伝わるのは、昨夜の異常な冷気の名残か、それともただの床の冷たさか。

 視界がはっきりするまでに、重いまぶたを何度か瞬かせなければならなかった。


「ここは……?」


 周囲を見回すと、今は使われていないはずの古い教室だった。

 黒板、教壇、整然と並ぶ埃をかぶった机と椅子。

 

 古びてはいるが、昨夜の恐怖と狂気に満ちた旧校舎の実験室とは明らかに違う。

 

 ただの、忘れられた教室。

 窓の外には、嘘のように穏やかな、晴れた朝の光景が広がっていた。


「あれは……夢じゃ、なかったのか……?」


 言葉を口にした瞬間、断片的な記憶が激痛と共に脳裏に蘇ってきた。

 魂を吸うような青白い光、壁から無数に生えてくる半透明の手、そして中野未来の……あの変わり果てた姿と、最後の絶叫。


 全ては、悪夢ではなかった。

 

 あの金と白銀の光の奔流の後、俺たちはここに飛ばされたのか?


 俺の声に反応したように、同じく床に倒れていた二人の少女が、呻きながら身動きを始めた。

 右側には神城澪、左側には金髪の少女。

 二人とも昨夜の激戦の影響か、巫女装束風の制服も、シスター風の制服も埃で汚れ、黒髪も金髪も乱れていた。


「うっ……頭が……割れるように痛い……」


 澪が苦しそうに呻きながら、か細い腕で上体を起こす。

 普段の氷のような厳格な雰囲気が崩れ、深い混乱と疲労を浮かべた表情をしていた。

 

 彼女は周囲を素早く確認し、自分の身に何かが起こったことを察知したように、胸元にそっと手を当て、眉をひそめた。

 何か、決定的な違和感を覚えているようだ。


「Mamma mia……何が起きたの……?  体が……重い……それに、この感覚……?」


 金髪の少女は大げさにため息をつきながら、乱れた金髪を掻き上げる。

 彼女も同様に身体に異変を感じているのか、首を傾げながら自分の手を見つめ、指を開いたり閉じたりしている。

 まるで、自分の体ではないかのように。


「二人とも、大丈夫か……?」


 俺の問いかけに、二人は同時に顔を上げた。

 その瞳には、混乱と不安、そして互いに対する消えない警戒心が色濃く浮かんでいる。

 昨夜、俺が無理やり手を繋がせた瞬間の記憶が、気まずい空気として残っている。


「何が起きたのかは分からないけど……」


 澪は静かに立ち上がり、制服の埃を丁寧に払いながらも、警戒を解かない視線で金髪の少女を一瞥した。


「あの『門』が開いた忌まわしき場所から脱出できたことは確かね。でも、この感覚は……何?  私の霊力が……霧散したかのような」

「なんだか体がヘン……力が、上手く循環しない感じ……何かが、決定的に違うデス……」マ


 金髪の少女は肩を揺すりながら言った。

 二人は、昨夜の記憶と自身の異変を確かめるように、無意識のうちにそれぞれの力を試そうとした。


 澪は背筋を伸ばし、姿勢を正すと、右手をすっと前に差し出し、古式ゆかしい祝詞を唱え始める。

 彼女の唇から紡がれる言葉は、清浄な響きを持っているはずだった。


天津神あまつかみ国津神くにつかみ八百万やおよろずの神々よ、我が清き言葉に力を……」


 言葉が、途切れた。

 彼女の手の前に現れたのは、和紙のお札でも、清浄な白い光でもなく――複雑な幾何学模様を描く、青い光の魔法陣だった。


「なっ……!?  これは……ありえない……!  なぜ、こんな穢れた力が私から……!」


 澪の黒曜石のような目が見開かれ、血の気が引いていく。

 彼女は呪われたものでも見るかのように、自分の手から発せられた青い光を凝視し、慌てて手を引っ込めた。


 一方、金髪の少女は澪の異常な反応に気づかず、自分もまた胸元の十字架を握りしめ、祈りを力強く唱え始めた。


「In nomine Patris, et Filii, et Spiritus—」

(父と子と聖霊の御名において—)


 同様に、言葉が途切れた。

 彼女の手からほとばしったのは、聖なる青い閃光ではなく――ひらり、と舞い上がる、一枚の白い和紙のお札だった。

 それは淡い光を放ちながら、空中に静かに漂った。


「Oh my God!?  What!?  なぜデスか!?  私のHoly Powerはどこへ!? なぜ、こんな古臭い紙切れが……!」


 金髪の少女は驚きのあまり、祈りの言葉も忘れ、自分の手から出現したお札と、力を失ったように見える十字架を交互に見つめた。

 その碧眼は、信じられないという感情で大きく揺れている。


 二人は、しばし呆然と互いを見つめ、そして一瞬で理解した。

 あの光の奔流の中で、何かが起こったのだ。

 二人の力が――東洋と西洋の、巫女とシスターの、神道と教団の力が、入れ替わってしまったのだ。


「あなたが何かしたのね! この異教の魔女め! 私の力を返せ!」


 澪が、普段の冷静さをかなぐり捨て、冷たい怒りを込めた視線で金髪の少女を睨みつける。


「アナタこそ!  私のHoly Powerを盗んだデスね! この古臭い巫女!」


 金髪の少女も負けじと食って掛かる。

 普段の明るさは消え失せ、神聖な力を奪われたことへの憤りに満ちた表情で、澪を指さしていた。


 二人は教室の中央で向かい合って立ち上がった。

 まるで互いの存在そのものを否定するかのように、バチバチと敵意の火花を散らしている。

 そのコントラストは、悲劇的でありながら、どこか滑稽こっけいですらあった。

 和装の巫女が西洋の魔法陣を、金髪碧眼のシスターが東洋のお札を、それぞれ困惑と怒りをもって見つめているのだから。


 互いのアイデンティティの根幹を揺るがされた二人の非難の言葉が、埃っぽい教室に虚しく響く。

 二人の間の緊張は高まるばかりで、このままでは再び戦いになりそうな、危険な雰囲気が漂っていた。


 俺は、二人の激しい言い争いを、頭の鈍い痛みと共に聞いていた。

 そして、自分自身の状態を確認していた。

 

 体には特に異変はないように思える。

 

 だが、頭の中が、まるで霧がかかったようだ。

 昨夜の記憶が、やけに断片的で、繋がりが悪い。


 特に、あの最後の光の奔流の中での出来事が、もやの向こう側のように霞んで思い出せない。


「二人ともまずは落ち着けよ……」


 俺の呟きに、言い争っていた二人はピタリと言葉を止めた。

 そして同時に、射殺さんばかりの勢いで俺の方を向く。


「あなたは何か知っているの?  あの時、無理やり私たちの手を……!  あなたのせいではないでしょうね!?」


 澪の冷たい視線が俺を貫く。

 彼女の物腰は厳しいままだが、その瞳の奥には、自身の異変に対する僅かな不安と、俺への疑念が浮かんでいた。


「もしかして、アナタが原因デスか?  あの時、ワタシたちの手を握ったあのとき……アナタが、何か……!」


 彼女は頭を傾げながら、昨夜の光の奔流と、俺が中心にいたことを結びつけようとしている。

 その碧眼には、非難の色が浮かんでいる。


 俺は、二人の厳しい視線を受け止め、窓からさす朝日を浴びながら、必死に考えを整理した。


 昨夜の異常事態。

 二人の能力の入れ替わり。

 そして、俺自身の曖昧な記憶。

 

 全てが、あのとき、三人が手を繋いだ瞬間に繋がっているような気がする。


「落ち着けよ、二人とも。俺のせいだって言うのか?  俺だって、何が起きたのか分からないんだ。ただ……」


 俺は言葉を選びながら続けた。


「あのとき、俺たちの間で何かが起きたのは確かだ。俺たちが手を繋いだ瞬間、あの金と銀の光が……あれは、ただの脱出のための力じゃなかったのかもしれない……」

「奇跡の共鳴……あるいは、力の暴走……」


 澪が、忌々しげに小さく呟いた。

 彼女は自分の手をじっと見つめ、そこに宿ってしまった異質な力の感触を確かめているようだった。


「能力の反転……でも、もしそうだとしたら……」


 金髪の少女も、信じられないといった表情で言葉を漏らした。


 二人は互いに視線を合わせ、そして再び俺に向き直った。

 そこには先ほどまでの激しい敵意はなく、共有された混乱と、未知の現象に対する好奇心、そして……俺に対する複雑な感情が混じった表情があった。


「これは……一時的なものなのでしょうね?」


 澪が問う。

 その声には、切実な響きがあった。

 巫女としての自分を取り戻したい、という強い願いが。


「元に戻る方法があるはず。そうでなければ、私は……教団に……なんて説明すれば……」


 金髪の少女の声も震えている。

 彼女にとっても、この力はアイデンティティそのもののようだ。


 二人の問いかけに、俺は答えを持っていなかった。


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