表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/17

第6話

「この穢れは、八百万の神々の領域を侵す、外つ国の呪詛に近い。古来よりこの地を守護してきた我が神城神社の管轄」


 澪は毅然とした態度で言い放った。

 彼女の周りにはお札からの白い光が強まり、清浄だが排他的な結界が広がっていく。

 その力は古式ゆかしく、厳かだが、どこか閉鎖的だ。


「違いマス! これは電子回路と霊的汚染が融合した、最新型の電子悪魔デジタルデーモンの仕業デス。我ら聖十字教団が長年追ってきた敵。これは、信仰と科学の力で祓うべき、我々の専門分野ネ!」


 彼女は天使のような笑顔を浮かべながらも、その碧眼は挑戦的に輝いている。

 十字架を複雑に動かし、青い光で描かれた幾何学的な魔法陣が空中に形成されていく。

 その力は近代的で、合理的だが、どこか独善的だ。


「やめろよ、二人とも!」


 俺は思わず叫んだ。


「ケンカしてる場合じゃないだろ!」

「黙りなさい!」


 澪が鋭く俺を制する。


「これは我々の問題。君のような素人が口を挟むことではない」

「少年は正しいデスヨ?  でも、この巫女さんには分からないみたいネ」

「方法が違うと言っている!」

「アナタのやり方じゃ手遅れになる!」


 二人は互いに一歩も譲る気配もなく、激しく睨み合っていた。

 それぞれのエネルギー――澪の静謐な霊力と、金髪の少女の熱い聖力――が部屋の中で火花のように衝突し、奇妙な共鳴と反発を起こしている。

 その様子はまるで、何世代にもわたって繰り返されてきた、二つの異なる信仰、異なる救済の形、その代理戦争のようだった。


 俺は呆然とその光景を見つめていた。

 目の前で繰り広げられる非現実的な光景と、二人の圧倒的な力の発露。


 そして何より、この絶体絶命の状況下での、二人の奇妙なまでの対立関係。

 救われたはずなのに、新たな、そしてより根深い混乱に巻き込まれている感覚だった。


「おい! いい加減に……!」


 思わず叫んだ俺の声は、しかし、二人には届いていないようだった。

 彼女たちは互いの力を牽制し合い、どちらが主導権を握り、どちらの「正義」でこの事態を収拾するかで争っている。

 その間にも、部屋の状況は急速に悪化していた。


 実験台に横たわる未来の口から溢れる青白い液体はさらに増量し、床全体を覆い尽くさんばかりになっている。

 液体からは次々と半透明の手が生み出され、その数は明らかに増え、より強力になっている。


「二人とも、見てくれ!  敵が増えてる!」


 俺の必死の警告にも関わらず、澪と金髪の少女は互いへの牽制を優先しているようだった。


 未来の体から伸びるケーブルが、より一層活発に動き始め、天井や壁を伝って部屋全体を覆い始めた。

 床や壁が、ぶくん、ぶくん、と不気味に脈打ち、まるで建物自体が邪悪な心臓のように呼吸しているように見える。


「ククク……東と西の力が衝突するのね。異なることわりがぶつかり合う、その歪み……素敵な響き……私たち『視る者』にとって、最高のごちそうだわ」


 未来の口から発せられる声は、より複雑に、より力強くなっていた。

 その言葉には、俺たちを嘲笑うかのような余裕すら感じられる。


 状況は、破滅に向かって急速に悪化していた。

 青白い液体から生まれる半透明の手は、二人の防御を徐々に侵食し始めている。

 二人も次第に押されつつあり、それぞれの結界や魔法陣が、ノイズが走るように歪み、弱まりつつあった。


 俺たち三人は、部屋の中央へとじりじりと追い詰められていく。

 澪の放ったお札が次々と黒く変色し、力を失って床に落ちる。

 金髪の少女の描いた青い魔法陣も、形を保てずに霧散し始めていた。


「くっ……!」

「まずいデス……!」


 二人の焦りの声が重なる。

 絶体絶命。

 このままでは、三人とも「視る者」の糧となるだけだ。


 俺たちは、かろうじて残っていたドアの残骸へと走り出た。


 しかし、廊下に出た瞬間、息を呑んだ。


 先ほどまでの旧校舎の姿はどこにもない。

 廊下は不自然に伸び、曲がりくねり、まるで巨大な生物の腸内のようだ。

 

 天井からは青白いケーブルが粘液を滴らせながら垂れ下がり、壁からは無数の半透明の手が、まるで助けを求める亡者のように次々と伸びてくる。


「出口はどこデスか!?」


 金髪の少女の声には、隠しきれない焦りが混じっている。

 彼女は十字架を掲げ、迫りくる半透明の手の群れを聖なる光で焼き払おうとするが、数が多すぎる。


「この建物全体が……精神世界と物理法則が混濁している……!」


 澪の言葉は、背後から聞こえる、ずるり、ずるり、という重く湿った足音に遮られた。

 振り返ると、そこには未来の姿があった。

 しかし彼女はもはや人間というよりも、這い寄る混沌、歩く悪夢と呼ぶべき存在だった。


 首から下は、完全に青白いケーブルと粘液で構成された異形の塊となり、蛇のように床を這って近づいてくる。

 首筋に埋め込まれたデバイスは、まるで邪悪な第三の目のように、禍々しい光を明滅させている。

 その顔には、人間的な感情を一切感じさせない、ただ捕食者のような、歪んだ笑みが浮かんでいた。


「あなたたちのその『目』、その魂……全部、全部、頂戴するわ」


 未来の声は、もはや複数の声の合成音ですらなく、空間そのものを震わせるような、非人間的な響きを持っていた。

 その言葉に合わせて、壁や床からも青白い液体が間欠泉のように噴き出し、廊下の床を急速に覆い尽くし始める。


 澪は懐から最後のお札を取り出そうとするが、足元から這い上がってくる液体に阻まれる。

 金髪の少女も十字架から放たれる聖なる光が、まるで風前の灯のように、少しずつ弱まっていくのが見えた。


 絶体絶命。逃げ場はない。希望もない。

 

 その極限状況の中、俺は、左右に立つ二人の手を、強く、強く握った。

 咄嗟の判断というより、もはや本能的な行動だった。

 

 二人は一瞬、驚愕に目を見開いて俺を見つめた。

 そして、何かを感じ取ったのか、強く、強く、俺の手を握り返してきた。


 その瞬間、世界の景色が、音を立てて、一変した。


 俺たちの接触点から、太陽が爆発したかのような、眩い光が放射状に広がり始める。

 それは澪のお札の清浄な白い光でもなく、金髪の少女の十字架の聖なる青い光でもない、何か全く新しい、金色と白銀が混じり合った、神々しくも恐ろしいほどの輝きだった。


 その光は廊下全体を瞬時に満たし、半透明の手の群れを、まるで存在しなかったかのように消滅させていく。

 床や壁を覆っていた青白い液体も、光に触れたそばから蒸発するように消えていき、未来の体から伸びるおぞましいケーブルも、怯えるように後退していく。


「な、何が起きているの……?  私の霊力が……!」

「わたしの聖なる力が……どこかに行く!? Nooooo!」


 未来は、その圧倒的な光に怯むように後退しながら、初めて恐怖に歪んだ声で叫んだ。


「まさか…… ありえない!  やめろぉぉぉっ!」


 金色と白銀の光はさらに強さを増し、廊下全体を、いや、この旧校舎全体を包み込む。

 壁や床が激しく震え始め、建物全体が大きく揺れる。

 天井からは木片や埃が滝のように落下し、壁のいたるところに亀裂が走り、空間そのものが悲鳴を上げているかのようだ。


 光は三人を中心に巨大な渦を巻きながら回転し、まるで天変地異のようなエネルギーとなって上昇していく。


 未来の姿は光の中に霞み、彼女の断末魔のような絶叫が、遠くから木霊こだまのように聞こえてくる。


「このままじゃ済まさない……!  必ず、お前たちの『目』を、魂を……!」


 光の渦は、もはや制御不能なレベルまで強さを増し、俺たち三人の体を完全に包み込む。

 俺の意識が、熱い奔流の中で急速に薄れていく。

 左右で握っていたはずの澪と金髪の少女の手の感触も、遠い世界の出来事のように感じられる。


 最後に俺が見た景色は、轟音と共に崩れ落ちていく旧校舎の残骸と、光に焼かれながら後退していく未来の憎悪に満ちた顔。

 そして、自分たち自身を飲み込み、どこかへと連れ去ろうとする、金色と白銀の、破壊と創造の光の渦。


 視界が、純粋な白に塗りつぶされる。

 耳の奥で、宇宙が弾けるような、巨大な破裂音が響いた。


 そして、世界が、深い、深い闇に沈んでいった。

  

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ