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第5話

 ドアを開けた瞬間、魂を吸い込むような青白い光が俺の顔面を直撃した。

 それは月明かりや電灯の光とは全く違う、冷たく、無機質で、それでいて冒涜的な輝きを放っていた。


 目が眩み、一瞬、呼吸が止まる。


 目が慣れてくると、部屋の中の恐るべき光景が、悪夢のようにゆっくりと焦点を結び始めた。


 かつての生物実験室だったこの部屋は、今や冒涜的な儀式場のような変容を遂げていた。

 中央には冷たい光沢を放つ金属製の実験台。

 そこに横たわっているのは、間違いなく中野未来だった。

 しかし、彼女の姿は、クラスで見慣れた優等生の面影を微塵も残していなかった。


 首から下は、もはや人間の身体ではなかった。

 

 無数の、青白く明滅するケーブルが、まるで寄生植物の根のように彼女の首筋から直接生え、床や壁、天井へと血管のように張り巡らされている。

 それらは微かに、しかし不気味に脈動し、低いハム音のようなものを発していた。

 部屋全体が、巨大な電子生命体の臓器の内部であるかのようだ。


 未来の首筋には、皮膚と金属の境界が曖昧な、青白く光る奇妙なデバイスが埋め込まれていた。

 

 肉体と機械の、おぞましい融合。

 その継ぎ目からは、粘性のある青白い液体が、じわり、じわりと滲み出し、実験台を伝って床へと滴り落ちている。

 床に落ちた液体は、アメーバのように蠢き、微かな電子ノイズを立てていた。


 さらに恐ろしいことに、実験台の上、未来の頭上には巨大なARグラスが禍々しく宙に浮かんでいた。

 

 それは学校で見たことのあるオムニサイエンスのシステムに似ているが、はるかに大きく、そしてより有機的で、まるで昆虫の複眼のような形状をしていた。

 そのディスプレイには無数の瞳がランダムに映し出され、それらすべてが、冷たい好奇心をもって部屋の中を見回しているようだった。


「なんだ、これは……?」


 俺の掠れた呟きが、死んだように静かな部屋に響いた瞬間、ディスプレイの全ての瞳が一斉に俺の方を向いた。

 そして、実験台の上で未来の目が、カッと見開かれた。


 その目には、もはや人間の持つ虹彩も瞳孔も白目もなく、ただ、魂を凍らせるような青白い光だけが満ち満ちていた。

 虚無そのもののような、底なしの光。


「見つかっちゃったね、トゥルースハンター君」


 未来の口から発せられた声は、彼女のものではなかった。

 まるで壊れたスピーカーから流れるように、複数の声が重なり合った、機械的で不自然な響きだった。

 低い男性の声、甲高い子供の声、そして未来本来の澄んだ声が不協和音を奏でながら混ざり合い、共鳴している。


 俺のSNSアカウントを知っている……?


「中野……お前、一体何が……どうして俺のアカウントを……」

「私は『門』よ。こっち側の世界と、あっち側の……『視る者』の世界をつなぐ『門』」


 未来(あるいは未来の身体を乗っ取った何か)は、俺の問いには答えず、ゆっくりと続けた。


「あなたの『目』、素敵ね。嘘を見抜く目……でも、本当は『真実を見る力』の、ほんの未熟な形に過ぎないのよ。だから、よく『視える』。あなたのことも、あなたの隠している孤独もね」


 その言葉に、俺の心臓が氷水で掴まれたように早鐘を打った。

 自分の能力の本質を、誰かに、しかもこんな存在に見抜かれたことはなかった。


 こいつは、俺のことを……俺の孤独や恐怖を、何もかも知っているというのか?


「あ、驚いた顔。可愛い。でもね、『視る者』はすべてお見通しよ。あなたの『目』も、あなたの記憶も、あなたの魂も……もうすぐ私たちのものになる」


 未来の声が低く歪み、部屋中に反響した。

 彼女の周りのケーブルが蛇のように蠢き、俺の方へと伸び始める。

 と同時に、床を這う青白い液体から、半透明の、しかし確かな輪郭を持つ人間の手のような形が現れ始めた。

 それはまるで、溺れる者が助けを求めるように、あるいは獲物を引きずり込もうとするかのように、俺に向かって伸びてくる。


「本当の中野未来はどこにいるんだ!?」

「ここにいるわ。でもね、彼女は自分からこの力を望んだのよ。『誰かに見てほしい』『本当の私を認めてほしい』……その切なる願い、その渇望が、『視る者』を呼び寄せたの。彼女は、自ら『門』になることを選んだ」


 一瞬、未来の口元が歪み、苦痛に満ちた、彼女自身の声にならない声が漏れた気がした。

 

 だが、すぐにそれは嘲笑うような異質な響きに掻き消される。


 未来の口から溢れ出す青白い液体は、もはや止めどなく、部屋の床全体を覆い始めていた。

 その粘つく液体の中からは、次々と半透明の手が生まれ、俺の足元に伸びてくる。

 壁からも同様の腕が生え、まるで檻のように俺を取り囲み、逃げ場を塞いでいく。


「『視る者』は人間の『視る』という行為、その意識を通して、この世界に顕現するの。人間の『目』こそが、私たちの糧であり、通路ゲートなのよ。いにしえより、信仰という名の視線を集めてきたようにね」


 俺は後ずさりしながら、必死に出口のドアに手を伸ばした。

 しかし、ドアノブに触れた瞬間、それは熱い鉄に触れたかのように溶け始め、ずるりと形を失い、青白い液体へと変わってしまった。


「逃げられないわ。あなたのその特別な『目』も、あなたの孤独な魂も、全部もらうわ」


 未来の笑みが、不自然なまでに大きく、耳まで裂けるように広がったように見えた。

 彼女の口からは更に多くの青白い液体が嘔吐するように溢れ出し、床全体を覆い尽くしていく。

 

 その液体から立ち上がる無数の半透明の手が、俺の足首を、腕を、体を掴んだ。

 氷のように冷たく、しかし墓石のように重い、確かな感触。


「放せ! 中野、目を覚ませ! こんなのはお前じゃないだろ!」

「無駄よ。彼女は『視る者』と一体になることで、永遠の『注目』を得た。もう誰にも無視されない。彼女は満足しているわ。もう、元の孤独な彼女には戻れない」


(やめて……! 助けて……!)


 未来自身の悲鳴のような心の声が、俺の脳内に直接響いた気がした。

 だが、彼女の体は意思とは裏腹に、俺を捕らえようと動き続ける。


 未来の体から伸びるケーブルが、天井や壁をびっしりと覆い尽くし、俺を取り囲むように迫ってくる。

 青白い光を放つそれらは、まるで巨大な捕食者の触手のように、俺に向かって這い寄り、その先端を開閉させている。


「これが……オムニサイエンスの……正体なのか?」

「そうよ。最新技術を装った、いにしえからの『門』。人間の視覚と意識を通じて『視る者』をこの世界に大量に招き入れるための装置。そして今、この学校全体が巨大な『門』となる準備が整いつつある。文化祭の夜……多くの『視線』が集まる、その時にね」


 恐怖で全身が硬直し、呼吸すらままならない。

 青白い液体から生まれた手が次々と俺の体を覆い、ケーブルが俺の首元に絡みつこうと迫る。

 万事休すかと思われた、その瞬間。


 廊下から、複数の足音が聞こえてきた。

 

 足音が近づき、半壊したドアが勢いよく開かれた瞬間、部屋全体が異なる二つの光によって、一瞬、昼間のように明るく照らし出された。

 

 未来から放たれる魂を吸うような青白い光と、新たに出現した二つの聖なる光源が混ざり合い、部屋の中は神聖さと冒涜が入り混じる、奇妙な光景に包まれる。


「穢れなき神域かみいきを侵すものよ、祓え給い、清め給え!」


 低く、しかし鋼のように凛とした女性の声が響いた。

 入り口の左側に立っていたのは、先ほど旧校舎を調査していた神城澪だった。

 

 彼女は片手に白い和紙のお札を掲げ、もう片方の手で複雑な印を結んでいる。

 お札から放たれた清浄な白い光が、部屋に充満していた青白い液体を、まるで陽光が霧を払うように、一瞬ひるませた。


「In nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti! Impure spirit, depart!」

(父と子と聖霊の御名において! 不浄なる霊よ、去れ!)


 力強いラテン語の祈りが右側から響き渡る。

 そこには、金髪を逆立て、碧眼を怒りに燃やす少女が立っていた。


 (外国人の女の子? 誰だ?)

 

 彼女は胸元の十字架のペンダントを高く掲げ、それが夜空を切り裂くような青い閃光を放っている。

 その聖なる光は壁から伸びてきていた半透明の手を焼き払い、押し返していた。


 二人の力が同時に発動することで、俺を取り囲んでいた半透明の手は一時的に後退した。

 息をつく暇もなく、二人は部屋に飛び込んできた。


「下がりなさい!」


 澪は俺の前に立ちはだかり、袖から次々とお札を取り出して周囲に放った。

 お札は壁や床に吸い付くように貼り付き、微かに白い光を放ちながら小さな結界を形成していく。

 その動きは洗練されており、迷いがない。


「危ないデスよ!  早くこっちに来て、少年!」


 金髪の少女も反対側から俺に手を伸ばし、十字架から放たれる青い光の盾で、床から伸びる青白い液体を押し返している。

 彼女の動きは素早く大胆で、澪の静かで精密な動きとは好対照だった。


 しかし、二人が俺を庇うように位置取った瞬間、互いの存在にはっきりと気づいたようだった。


「東洋の巫女……!?  なぜ神域でもないこんな場所に! ここは教団の管轄エリアのはず!」


 金髪の少女が驚愕と敵意を込めて声を上げる。

 彼女の表情からは、縄張りを侵された獣のような警戒心が窺えた。


「西洋の使徒ですか……。この土地の穢れは、古来より我ら神城が鎮めてきた。余所者は手を引きなさい!」


 澪の声は氷のように冷たく、その眼差しには侮蔑の色さえ見える。

 二人は互いを、相容れない異物、排除すべき障害と認識しているようだった。

 

 一瞬にして、部屋の中には未来(視る者)との対立に加え、澪と金髪の少女の間の激しい敵対関係という、新たな緊張が生まれた。


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