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第4話

 新校舎の西側、現代的なガラス張りの壁に夕日が反射して、まるで炎が燃え移ったかのように輝いている。

 その鮮やかな赤色が徐々に紫色へと変わりつつある薄暮の中、風もないのに軽やかにブロンドヘアが揺れていた。


 彼女は標準の制服を大胆にアレンジしたような独特の装いで、スカート丈はやや短く、襟元には小さな銀の十字架のブローチが光っている。

 首にかけられたシンプルな十字架のペンダントは、時折夕日を受けて金色に煌めいていた。


 彼女は校舎の影に半ば隠れるようにして、タブレット端末を熱心に操作している。

 画面には複雑な幾何学模様と、明滅する数値、そして御影学園の立体マップが表示されている。

 校舎の中央部分、特に旧校舎のあるエリアが、禍々しい赤色で点滅していた。


「Hmm……このエネルギーパターン、教団のデータベースにある『汚染区域(Tainted Zone)』の兆候と酷似してマスネ……しかも、この反応……まさか、あの時の……」


 彼女は眉を寄せながら、画面をピンチアウトし、周辺地域とのエネルギー的な繋がりを探っている。

 そして突然、彼女の碧眼がカッと輝き、表情が明るく、しかし獰猛どうもうなものへと変わる。


「Oh!  この特異な波形、間違いなく電子悪魔デジタルデーモンの仕業デス!  しかも、かなり上位の……! Jackpot!」


 彼女の日本語はやや片言だが、声のトーンは獲物を見つけた狩人のように弾んでいる。

 金髪の少女は小躍りするようにタブレットをしまい、首からぶら下がるクロスペンダントを両手で祈るように握りしめた。


 目を閉じ、流れるようなラテン語の祈りを早口で唱え始める。

 それは、ただの祈りではない。

 聖なる力を呼び覚まし、武器へと変えるための起動シーケンスだ。


「In nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti…… Accipe Spiritum Sanctum ad robur et ad pugnandum contra hostes tuos!」

(父と子と聖霊の御名において……汝の敵と戦うための力を、聖霊を受け入れよ!)


 祈りの言葉が終わるとほぼ同時に、彼女の手の中のペンダントが一瞬、夜空を切り裂くような青白い閃光を放った。

 金髪の少女は満足そうに微笑み、ペンダントに軽くキスをする。


「Perfect!  感度良好、いつでもいけマス!」


 彼女はポケットからスマートフォンを取り出した。

 通常の留学生なら友人とのやりとりか家族への連絡だろうが、彼女が開いたのは、高度に暗号化された聖十字教団専用の通信アプリだった。

 インターフェースには、天使の羽と剣を組み合わせた教団の紋章が表示されている。


「シスターより本部ヴァチカンへ。コード:ネフィリム。目標の存在を確認。これより単独での接触及び……可能であれば『浄化』を試みます。増援要請は状況に応じて。Over」


 彼女の声は先ほどまでの明るさはそのままに、しかし確かな決意と、任務の重圧を感じさせるものに変わっていた。

 メッセージを送り終えると、彼女はふぅ、と息をつき、校舎の方角へ視線を向けた。

 その碧眼には、遊び心とは違う、冷徹な光が宿っている。


「日本の学校、ミステリアスでエキサイティング! でも、まさかこんな極東の地に、これほどの大物が潜んでいるとは……教団と、あの古臭い神社の連中との縄張り争いも面倒だけど、これは私の手柄にするチャンス!」


 彼女はスカートのポケットから、戦闘用の聖別された銀のリップスティックを取り出し、小さな手鏡を見ながら唇に塗り直す。

 鏡の裏側には、悪魔祓いの護符と教団の印が刻まれていた。

 口紅を塗り終えた金髪の少女は、唇で「チュッ」と音を立て、不敵な笑みを浮かべた。


「さあて、いよいよ本番デスネ!」


 彼女は鏡と口紅をしまうと、猫のようにしなやかで軽やかな足取りで、旧校舎のある方角へと歩き始めた。

 その後ろ姿からは、これから始まる戦いへの高揚感が滲み出ている。

 

 しかし、その瞳の奥に秘められた決意の強さと、背負った使命の重さは、彼女が単なる陽気な外国人留学生ではないことを雄弁に物語っていた。

 彼女もまた、見えざる敵と戦う宿命を負った戦士なのだ。


 金髪の少女が校舎の影に消えると、辺りは一気に暗さを増した。

 夕日が完全に沈み、夜のとばりが下りようとしている。

 旧校舎からは、依然としてあの魂を吸い込むような青白い光が漏れ続けていた。


 ◇

 

 俺は息を呑むように、旧校舎の入り口を見つめた。

 未来を追いかけていた俺の視界から、彼女の姿が消えた。

 

 入ったのは間違いないはずなのに、旧校舎の入り口には誰もいない。

 日が完全に落ち、辺りは濃密な暗闇に包まれ始めていた。


 月はまだ低く、星の光も弱い。


 旧校舎は、御影学園の敷地の最も奥まった場所に、まるで忘れ去られた墓標のように建っている。

 明治時代に建てられたという木造三階建ての古い校舎は、十年前に新校舎が完成してからは使われなくなっていた。

 

 月明かりにぼんやりと照らされたその外観は、昼間とは全く違う表情を見せている。


 窓ガラスは黒く濁り、壁の染みはまるで血痕のようだ。

 どこか異界への入り口のような、人を拒絶するような雰囲気を漂わせていた。


 俺はためらいながらも、その入り口に近づいていく。

 

 足元の枯れ葉が、カサリと乾いた音を立てる。

 風も無いのに、校舎の二階の窓のカーテンが、内側から誰かが覗いているかのように、わずかに揺れるのが見えた気がする。

 

 そして、最上階の窓からは、いくつもの、魂を吸い込むような青白い光が明滅している。

 その色合いは、俺の悪夢で見た光と全く同じだった。


「まさか……」


 喉が乾く。

 心臓の鼓動が早鐘のように耳元で鳴り響く。

 それでも、中野未来の異変と、この旧校舎で起きているであろう不可解な出来事の関連性を知りたいという好奇心、そして、彼女を放っておけないという衝動が、俺の足を前へと突き動かす。


 扉に手をかけると、ギィ……と、錆びついた蝶番ちょうつがいが悲鳴のようなきしむ音を立てて開いた。

 

 中は予想通り、息が詰まるほどの闇。

 

 埃とカビ、そして何か……微かに鉄錆のような匂いが混じった、淀んだ空気が鼻をつく。

 懐中電灯代わりにスマホの明かりを灯すと、闇の中に長い廊下が亡霊のように姿を現した。


 床には厚い埃が絨毯のように積もり、そこを通った真新しい足跡が残っている。

 未来のものだろうか。

 そして、もっと不気味なことに、壁には無数の落書きが描かれていた。


 よく見ると、それらは全て「目」の形をしていた。

 

 大小様々な、充血したような目、冷たく見開かれた目、嘲笑うような目……それらが、まるで俺の一挙手一投足を見つめているかのように、壁一面を埋め尽くしている。


 噂されていた「旧校舎の目の壁」は、ただの都市伝説ではなかったのだ。

 スマホの光に照らされた目の絵は、ぬらりとした光沢を帯び、まるで生きているように見えて背筋が凍る。


「なんだこれ……悪趣味な……」


 俺の視線は床に向けられた。

 足跡の他に、薄暗い廊下の奥へと続く、鮮やかすぎる赤い線があった。

 まるで、乾ききっていない血のように見えるどす黒い赤色で、埃の上に最近引かれたもののように生々しい。

 

 線は、まるで俺を誘うかのように、廊下の奥へと蛇行しながら続いている。


 好奇心と恐怖心が、天秤の上で激しく揺れ動く。

 それでも、俺はその赤い線を辿ることにした。


 廊下を進むごとに、空気がよりいっそう重く、冷たく感じられる。

 吐く息が、白い霧となって目の前に漂うほどだ。


「なんだ、この寒さは……」


 廊下の途中で、背後から重々しい音が響いた。

 

 ドンッ!と、まるで巨大な何かが叩きつけられたような音。

 

 振り返ると、開けてきたはずの入り口のドアが、風もないのに固く閉ざされていた。

 駆け戻り、ドアノブを力任せに回そうとするが、びくともしない。

 完全に閉じ込められたのだ。


「くそっ……!  開けろ!」


 恐怖で息が詰まりそうになる。

 ドアを拳で叩いても、鈍い音が響くだけで、助けを呼ぶにはあまりにも校舎は人気ひとけがなさすぎた。


 再び赤い線に目を向ける。

 前に進むしかない。

 この建物自体が、俺を飲み込もうとしているかのようだ。


 廊下はさらに奥へと続き、やけに天井が低く感じる。

 やがて分岐点が見えてきた。

 

 その先には、闇へと続く古い木製の階段がある。

 赤い線は、迷いなくその階段を上っていた。


 一歩一歩、恐怖を喉の奥に押し込めながら階段を登る。

 木製の床は一段ごとに、ギシリ、ミシリ、と嫌なきしみ音を立て、俺の存在を建物全体に告げているようだ。


 二階の廊下は一階よりもさらに暗く、窓からわずかに差し込む病的な月明かりだけが頼りになる。

 壁の目の落書きは、より数を増し、より悪意に満ちた表情で俺を見つめている。


 ここでも赤い線は続いている。

 そして廊下の突き当たり、古びたプレートに「生物実験室」とかすれた文字が残る部屋のドアまで伸びていた。


 ドアの隙間からは、あの魂を吸い込むような青白い光が漏れ、内側から奇妙な低い唸り声のような、あるいは電子回路がショートするような異音が聞こえてくる。


 電子機器の発する音だろうか?

 それとも……人間の声?

 あるいは、そのどちらでもない、何か別の存在の声か?


 俺は震える手でドアノブに触れた。

 氷のように冷たい金属の感触に、全身の鳥肌が立つ。

 ゆっくりと、息を殺して、ドアを開ける。


 内側に広がる光景が、俺の思考を、言葉を、呼吸さえも奪った。

 

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