雲に汁 5-1
大丈夫だと思っていた。いつも通りに出来ると思っていた。
もともと自分のことを偽るのも隠すのも得意だ。
いつも通りに『友だち』として洸の傍に居ればいい。初恋に縛られていた時の俺は、自分の本心が漏れださないように四六時中意識していたし、その時に比べれば洸といる時間は少ない。その時間だけ自分を偽ればいい。簡単なことだと高を括った。
なのに、出来なかった。
いつも通りに、と頭ではわかっているのに、いざ行動に移そうとすると、うまく立ち回れなかった。洸と一緒にいると、洸が恋人の話をしたわけではないのに、恋人の影が頭にちらつく。
その度に自分の本心が、嫌だ、と喚いた挙句の果てに、喉を締め付けられるような感覚が襲って苦しくなる。そうなると何も言えなくなって、笑顔でいることも難しくなる。
俺の方が洸をすきなのに。俺の方が洸を先に知ったのに。
俺の方が洸のこと分かってるのに。
俺のことを、俺だけを見てよ。俺をすきになってよ。
そんな言葉たちが頭に浮かんでは消えていく。
ヤバイ、と思った。
どうにかして隠しきらないといけなかった。この自分の声が漏れだしてしまったら、ろくでもないことを口走ってしまうと確信があった。よかったじゃん、と言った舌の根も乾かない内に、そんな女子なんてやめて俺にしてよ、と言ってしまいそうで怖かった。
そんなことを言ってしまったら、想いを隠してまで傍にいる為にしてきた、今までの努力がすべて無駄になる。絶対にそれだけは避けなければ。
避ける方法を考え抜いて、俺に出来たことと言えば、洸と距離を取る事だった。
ずっと距離を取るわけじゃない。ほんの少し、自分の胸の内の嵐のような想いが収まるまでだ。物理的に洸といる時間を少なくすればマシになると思った。
講義中は余計なことを考えなくて済んだから良かった。
でもいつボロが出るか分からなかったから、極力二人きりになる事を避けていた。
それを、洸は見逃しはしなかった。
逃げるように講義室を出ようとした俺を、逃がしてはくれなかった。リュックの紐を掴んで、俺を真っ直ぐに射抜いてきた。不安げなのに、確信がある光を持った目。そして、洸は言った。
「お前最近俺のこと避けてるよな? 俺、お前が嫌がるようなこと、なんかしたか?」
何も、言えなかった。薄っぺらい笑みに隠して思ったのは、それ以上何も言わないでくれ、なんていうなんとも情けないことだった。
洸は何もしてない。ただただ俺が悪いだけなのに。
こんなふうに不安にさせて、何が友だちなんだ。嫌なことをしたのなら直したい、と言ってくれる洸の優しさを無下にして、ただただ逃げるだけの俺。情けなくて仕方なかった。
だとしても正直に言えるはずもなかった。俺のことを好きになって、なんてどの口が言うんだ。
とりあえず、何か言わないと。取り繕わないと。もうこれ以上、洸が悲しまないように。
この時に、お前のせいじゃない、と素直に言ってやればよかったのに、俺の頭はもう半分回らなくなっていて、嘘に嘘を重ねるしか能がなかった。
気のせい、なんて。
絶対に洸が納得するわけないと、普段の俺ならすぐ理解できたはずなのに。
「気のせいって何だそれ。じゃあなんで講義以外で俺と会うの避けるんだ?」
めったに怒らない洸が怒りを滲ませた。やってしまった、と思った時には、目を逸らしていた。それが何よりの肯定になるのに、そんなことすら頭が回らないほど、気が動転していた。
これ以上胸の内を覗かれたら、洸はたどり着いてしまう。
絶対に隠しきらなければいけない本音に、触れられてしまう。
もう覗かないでくれ。見ないふりをしてくれ。
頼むから。
これ以上、俺の心を暴かないで。
限界だった。気付いた時には、俺に向かって伸ばされた洸の手を払っていた。
違う。こんなことするつもりだったんじゃないんだ。ごめん。傷つけてごめん。でも、ダメなんた。今の俺は、洸とまともに話せる自信がないんだ。
「ごめん、本当に洸は何も悪くないよ。全部、俺の問題なんだ。本当にごめん」
咄嗟に口を回して、逃げるようにその場から離れた。
胸が軋むように痛かった。握りつぶされてるみたいに、痛くて仕方なかった。
洸は追いかけてこなかった。それ以来、連絡もなかった。
当然だ。あんなことをして、自分勝手なことを言った奴に、どれだけ人が良い洸でも呆れるに決まっている。
本当に馬鹿なことをしたと思う。
友だちを取られたみたいで嫉妬してるんだ、とでも最初から茶化して伝えていれば、こんなことにはならなかった筈なのに。自分から連絡してみようか、と思ったけれど、いざトーク画面を開いたら、何も打ち込めずに画面を閉じる、という繰り返しだった。
連絡も取らず、会えないまま夏休みに突入した。
淋しいと思う反面、洸に会わなくていいと思うとホッとしている自分に気付いて、また自己嫌悪に陥った。でもしばらく会わなくていいのは、俺にとっても良いことだと考えるようにした。今度こそ、ちゃんと振舞えるように準備が出来ると思ったから。
なのに。
一体全体どうしてこんなことになっているんだ。
「かんぱーい!」
掘り炬燵の向こう側。
ハイボールのジョッキを持っている洸と、その隣でビールジョッキを掲げている縁。そして、ジンジャエールのジョッキを持った俺。頬を引き攣らせている俺に構うことなく、二人はジョッキ同士を軽くぶつけて一気に煽っている。
「ごめんなぁ、急に呼びつけて」
「いいのいいの! 僕も璃空もファミレスで駄弁ってただけだし」
「うううお前の優しさにカンパイ」
ちん、とまたジョッキをぶつけている。
もう酔っているのか、洸の頬はすでに少し赤い。
もしかして俺たちが来る前から飲んでたのか、お前。
そう聞きたくなるが、洸が羽目を外すことは余程ない。誕生日が来てすでに二十歳になっている二人とは違い、俺はまだアルコールを飲むことができない。でもかえって良かったかもしれない。もしも酔いつぶれても介抱できるから。
こんなハイペースで飲んでいるなんて、何かあったんだろうか。
「洸ちゃんが飲みたい、なんて言うの珍しくてびっくりしたよ。何かあったの?」
俺が聞きたかったことを先に縁が聞いてくれた。グッジョブ、縁。
「ふっふっふ、聞きたいか?」
「うん、すごーーく聞きたい。ね、璃空。璃空もそうだよね?」
急に振られて、一瞬反応できなかった。え、と間の抜けた声を出してしまった俺を、洸と縁が見る。縁の目がほんの少し細められて、眉が中央に寄っているのを見て、すぐに肯定した。
「うん。聞きたい」
聞きたいのは本当だ。でも少し怖くもあった。洸が飲みたいなんて、本当に珍しいことなのだ。洸が酒を飲むのは付き合い程度で、母ちゃんが酒強いから、とは言っていたが、好んで酒を飲むようなタイプではない。だから何かよほどのことがあったんだと思うから。
妙に真剣な声になってしまった俺に、洸は満足げに笑う。
だよなぁ、なんて言う呂律がすでに怪しくなってきているのが気になるが、とりあえず洸に意識を向ける。
ふにゃっと柔らかく笑って、洸は言った。
「おれ、山川さんと、別れた!」




