第8話 いいわけないだろ
「ママはパパに逆らったりなんかしなかったぞ。家長の言うことをよく聞いて、本当に俺たち兄弟のために尽くしてくれてた。今もよくしてくれてる」
「お、おお……」
この言葉でステファンがティナの言うことを何も理解していないことがよくわかり、ティナは何度目かわからない〝話の通じなさ〟を感じて唇をひきつらせた。
シスル国とヴォリュビリス王国は以前は同じ国に統治されていた。そのため同じ言語を使うはずが、〝言葉は通じるのに話が通じない奇妙な恐ろしさ〟を覚えて後ずさる。
最初からママのために労働力を欲して、ステファンがティナを妻としたというのはわかっている。けれどティナとしてはせっかく縁あって夫婦になったのだから、離婚の意思は揺るがないものの、できれば円満に別れたいとも思っていた。
妻を虐げることが日常と化している兄二人に比べて、〝ママの言う通り〟にしているだけのステファンはまだましに見えたから、というのもある。
話し合い、お互い納得して別れられたら、苦い経験も今後の糧となるかもしれないと、そう思いたかったのかもしれない。
「僕の愛がフィルミーヌにあるからって拗ねてるのか? だからってそんな反抗的な態度でママを困らすのは逆効果だぞ」
フィルミーヌ、誰だよ。と一瞬思って、そういえばステファンの愛人がそんな名前だったと思い出す。
「ステフ、いいのよ」
肩を撫でさする息子の手に上から手を重ね、姑がステファンの胸に体を寄せる。
その恋人同士のような親子の様子に、ティナは再び素人が石に彫った顔のような起伏のない表情になった。
狂い咲いていた脳内のお花畑が枯れたティナにはステファンに対して愛など微塵もないので、彼の愛が愛人にあろうが姑にあろうがどうでもよかった。
「あのさ、ステファン」と、ティナは続けた。
「さっき冒険者ギルドに頼んで弁護士を手配してきたの。諸々手続きが済んだら離婚するから」
話し合いなどもうどうでもいい。どうせこの男からは「ママが大事」「ママみたいに家に尽くせ」「真実の愛は愛人のもの」の三つ以外出てこないだろう。
「え⁉ なんで⁉」
めずらしく姑よりも先にステファンが反応を返した。
ステファンに遅れて数秒後に、姑もその緑の目を剥いてのけ反っている。
このリアクションから察するに、二人はティナが離婚を言い出すとは微塵も思っていなかったのだろう。
ティナよりも長くこの家にいる兄嫁二人が離婚を口にしなかったことも、〝一度嫁になったら永遠にうちのもの〟と彼らが信じて疑わない理由でもあるかもしれない。
「なんでって、誰だって敬意を払ってくれない人の側にはいられないよ。愛されてないのに好きでい続けるなんて絶対無理」
なぜか驚愕に目を見開いたステファンが、ややあってアッと何かに気がついたように手を打った。そして急に笑みを浮かべてティナへと手を差し出した。
「ああ、初夜のことを気にしてるのか? しょうがないな。真実の愛はフィルミーヌにあるけど、僕は愛情深い方だから、お前に分け与えることもできるよ。それでいいかい?」
「まあああステフったら! なんって優しいのかしら!」
打てば響くように息子を褒めそやす姑に、この二人は自分とステファンよりも夫唱婦随なのだとティナは思った。
今後、弁護士を挟んで離婚の話し合いをする時にも、ステファンの隣には部外者の姑がどーんと鎮座ましましているに違いない。今からすでに気が重くなった。
頭痛で重い頭を振って、ティナはため息を吐きながら口を開く。
「いや、断る。本命は違う女なんでしょ? それがそもそもキモいし、間違って子どもができたら、あたしへのカスみたいな愛情をさらに割いて子どもに向けることになるんだから、子どもも私も不幸にしかならないじゃん」
ハッと目を見開いて、持っていた花を取り落としたのはフェリシアだ。
そして離婚という具体的な手段で本格的に歯向かう姿勢を見せたティナへ、おろおろと気づかわし気な視線を向けてきたのは意外にもリラだった。
「〝嫁だから〟っていう理由で虐待されている時点で、どう考えても一緒にいる意味ないし」
ステファンと姑の後ろにいる兄嫁二人によく届くよう、ティナは少しだけ彼女たちの方へと体をずらしてきっぱりと言った。