第7話 ネームドモンスター:ベアトリス(姑)
仁王立ちの姑の後ろで、ステファンが顔だけ出してこちらをじっと見ている。
三歳児がママの後ろから覗いてくるのなら可愛いが、成人男性がママの背後で上目遣いなのは怖いを通り越して何か物悲しさを感じる。それが自分の夫だからだろうか?
「水汲み、庭の雑草取りに庭木の剪定、門扉の直し……お前には山ほど仕事があるというのに、寝坊をしたあげく遊びにいくなどモルレンデ家の嫁として許されませんよ!」
「そうだよ! どこで遊んでたんだ!」
腰に手を当てて怒鳴る姑とステファンの背後で、大きな花瓶に花を生けていたフェリシアが手を止めて恐々とこちらの様子をうかがっている。その隣では、リラが黙々と床を磨いていた。兄嫁二人の夫は姿が見えない。
「僕の――いや、モルレンデ家の嫁としての自覚が足りないぞ!」
「はー……」
もはやステファンの容姿にときめきなど微塵も感じないが、ママの後ろに隠れてヤジを飛ばす姿を見ていると、熱に浮かれて結婚してしまった自分にブチ切れそうになる。
「見ての通り、私、冒険者なので。冒険者が冒険者ギルドへ行くのってそんなに変ですかね」
腰のバトルアックスをホルダーから抜くと、重さなどないかのようにふわりと回した。そしてたたんだ扇子で手のひらを叩くように、ポン……ポン……と刃の背で手のひらを叩く。
見てほしかったのは刃物の持つ単純な狂暴性ではなくて、重くて扱いづらいとされるバトルアックスを、まるで扇子かのように自在に動かせるまでになったティナの努力だ。
「あたしに仕事をさせたいなら、ちゃんと冒険者ギルドを通して依頼してくださいね」
ティナが帰ってきた時に見せた強気な態度はどこへ行ったのか、二人はこれまで反っていた背を丸めて手を取り合い、ティナの手のひらで弾むバトルアックスの刃を凝視している。
「あ、あなた……嫁なのに、家の仕事をするのに、お金をとるって言うの⁈」
「あさましいぞ!」
言い返してきた姑の根性は少しだけ見直したけれど、吐いた言葉の内容に、ティナの顔は素人彫刻家が石に顔を彫ったようなのっぺりとした表情で言い返した。
「いえ、嫁である前に冒険者なんでね。そりゃ依頼料はとりますよ」
庭木の剪定などは駆け出しのFランク冒険者へと回される依頼である。
孤児院から独り立ちしてすぐの者や、何らかの理由で未成年でギルドに登録することになった者などが、生活基盤や装備を整えるのに必要な金を稼ぐために振られる仕事だ。高ランクの冒険者がその仕事を受けるのは彼らの生活を奪うことになるので推奨されない。
「こう見えてBランクの冒険者なんで、私を雇おうっていうのなら高いですよ」
営業用の笑みで付け足すと、途端に彼らは「昨今の冒険者は金に汚い、仕事を金で選んでいる!」と騒ぎだす。クビにした荷運びたちの代わりを冒険者で賄おうとしたが、なり手がなかったことを言っているのだろう。
だがそれは冒険者を見下した態度な上に、低賃金でこき使おうとするからだ。
「家族を思いやって自ら頭を下げて仕事をいただく、そういう奥ゆかしさはないのかしら?」
姑がフンッと鼻息を一発大きく吐き出した。その反動だろうか、姑の背中が反り返る。
「シスル人だからって甘やかしませんよ。ヴォリュビリス王国の名家へお嫁にきたのなら、こちらのやり方に則っていただかなくっちゃ」
つまりただでやれと。
ふんふんうなずくステファンが、なぜか感銘を受けたように目を潤ませている。
その様子を見て、こちらが黙っていたらその分だけどんどんこの親子の意見を押し付けられる危険性にティナは気づいた。
そうなる前に、言いたいことをしっかりと告げることにする。
「いやいや、もしも隣人が散髪の資格を持っている神父様だったとして、〝ただで散髪してくれ〟なんて言わないでしょ? ちょちょいと前髪だけ整えてくれたらいいから、とか言ったら健康の守護天使様にぶん殴られますよ」
ぶおんと音を立ててバトルアックスを回しつつ、ティナはこの武器の扱いを習得するまでの努力を思い出す。
「資格持ちの神父様たちはちゃんと修行して人の髪を切る技術を身に着けたんです。その技術は隣人に無料で提供するためにあるわけじゃない。私の冒険者としての技術も同じですし、リラさんが……」
そう言ってティナは床を磨く手を止めて、菫色の目でこちらを凝視するリラへと視線を投げる。
目が合った瞬間にピクッと震えたリラの、長袖から見えた青紫のあざが痛々しい。ギルド長の言っていたことは正しかったのだ。
「リラさんがジェロームお義兄さんの代わりにしている商会の仕事だって、冒険者ギルドのギルド長が認めるほどで、そのおかげで商会がもっているんだからちゃんと給料を払うべきです」
ギッと睨みつけた姑の視線に怯えたように肩をすくめたリラは、持っていたたわしに付いた汚れを指でつまむふりをしながら下を向いた。
「フェリシアさんにだってそうです」
そもそも妊婦を働かせるなっていう話ですが……と、ティナはお腹を庇いながらぎこちないしぐさでフリージアを水切りするフェリシアを見ながら続ける。
「家庭のことをしてくれるのなら、それに対して感謝があって然るべきです。一流のメイドや侍女は雇うと高いですよ。嫁はただで使える奴隷じゃないって、わかってますよね?」
だってお義母さんだってかつては嫁の立場でしたもんね? と、ティナは首を傾げた。
再びバトルアックスをくるりと回し、ホルダーへと仕舞う。
脳内がお花畑だった期間に鍛錬を休んでいたせいで、ほんのちょっとその動作がぎこちなくなっていることに気づく。戦いではこれが致命傷になりかねない。
これから毎日鍛錬しなくては、偉そうに技術料がどうのと言えなくなってしまう。
素人にはわからないかもしれないが、同業者にはわかってしまうだろう。
「ママ?」
黙ってしまった姑の顔を、ステファンが心配そうに後ろから覗き込んだ。
肩に置かれた最愛の息子の手へ自分の手を重ね、姑が愛おしそうにさすって首を振る。
「……そうかもしれないわね」
姑の伏せた焦げ茶色のまつげの下には、ティナと似たような緑色の目があった。
男尊女卑と嫁を下に見るこの家風を作ったのが姑でないのなら、彼女もまたティナや兄嫁二人と同じように今は亡き舅やその母親に虐げられていたはずだ。
その屈辱や、人格をいたぶられる惨めさを、忘れられるはずがない。
「でもね、嫁は家族のために尽くすべきだという主人やお義母様のおっしゃっていたことを、この歳になって正しいと思うようになったわ。だって、」
顔を上げ、ステファンとよく似た形の鼻をツンと天へ突き上げた姑が、薄い唇の端を歪めた。
その唇の形はジェロームがリラを嬲る時の形によく似ていて、欠け始めの三日月のような目で笑う様子はブルーノにそっくりだった。
「今度は私の番だもの」
姑の声には、お小遣いを握りしめてお菓子屋さんの陳列棚を眺める子どものような高揚感が混じっていた。
そんな姑の肩をさすって抱き寄せたステファンが、「なあ、お前はなんでそんなに偉そうなんだ?」と、心底不思議そうな顔をした。