第6話 なんでみんなうんこを踏んだ人を見る目で見るんだろうなあ
ティナが収納の魔道具から取り出したワイバーンを見て、大型魔物用の倉庫中に響き渡るような声でうなったのはリュインの冒険者ギルドのギルド長だ。
ティナのバトルアックスで長い首を一刀両断にされた以外は、ワイバーンに傷はない。
「見事なもんだ」
ワイバーンの首の断面をしげしげと眺めながら、ギルド長が感嘆の声を上げる。
「このワイバーン、どのくらいになりますか?」
「そうさな、見たところ傷も汚れもないし、入札にかけるとして二千からってとこかな。……離婚するから金が欲しいんだっけ?」
顎の無精ひげをザリザリ撫でながら、ギルド長が横にいるティナへ問いかけた。
元Sランク冒険者で戦士職でもあったギルド長は、ティナよりはるかに背が高い。引退してかなり経ち、茶色い無精ひげにも白いものが混じっているにもかかわらず、山のような厚みと存在感がある。
「ええまあ。ちょっとしくじりまして」
気まずそうな顔をしたギルド長を見上げて、ティナは苦笑した。
「モルレンデ商会だろ?」
押されて転んだ拍子にうんこの上へ尻もちをついてしまった気の毒な人を見るような目で、ギルド長がティナを見下ろしてくる。
今のところポムとギルド長にしか結婚のことは言っていないが、どうしてそろって同じようなリアクションをするのか。
「旦那の実家にワイバーンを卸せば、少しは待遇もよくなるんじゃないか?」
「ただで取り上げられて終わりそうなんで、嫌です」
下手をするとティナの持っている魔道具も「嫁にこんな魔道具は分不相応」と奪われて、駆け出し冒険者のような装備で「もう一頭狩ってこい」と言われかねない。
「というか、なぜギルド長は義実家の中で私の待遇が悪いって知ってるんですか?」
「ああ、いや……俺も立場的にモルレンデ商会の現商会長と話すこともあるんだが、それでまあなんとなくは察せるというか……」
「現商会長というと、ジェロームですか」
ギルド長はうなずいて続けた。
「冒険者を見下したことばかり言うんで一度取引を拒否したら、それから気分を害したのかだいたいうちへ来るのは奥さんのリラさんばっかりになった。で、こっちはジェロームなんか足元にも及ばないほど仕事ができる」
書類の束を持って部下のようにジェロームの背後に控えていた兄嫁の姿を思い出す。
眉の上で一直線に切りそろえられた濃紺色の髪の毛と、その下にあった菫色の切れ長の瞳はいかにも仕事ができそうな理知的な光を放っていた。
けれどそれもジェロームの前では委縮してしまって、瞳の色と同じような、野に咲く菫が風に吹かれて儚げに揺れているような印象が勝つ。
「……うん、そうだな。〝剛腕のティナ〟があのカトンボに負けるとは思わんが、リラさんを見てると逃げられるうちに逃げた方がいいだろうな」
何かを思い出して不愉快そうな顔をしたギルド長を見上げていたら、ティナの視線に気づいた彼は腕組みをして小山のような肩をすくめた。
「リラさんの歩き方が、たまにおかしいことがある。他にも腹を庇ってたり腕の動きがぎこちなかったり、怪我で動きが鈍った冒険者と同じだな。夫婦二人でうちに来るときは表情死んでるし」
ティースプーンをリラへ投げつけたジェロームの姿を思い出して目が座る。
なるほど、やっぱりあれが日常で、人目のないところではもっと暴力的なのだろう。
「あと話している感じだと、どうも無給で休みなく働かされてるらしい」
ワイバーンを収納の魔道具へしまうように促がしながら、ギルド長が話を続ける。
「あんまり人の家庭に首突っ込む気はねえんだが、離婚するならリラさんのことも気にかけてやってくれねえか」
「それはまあ、もう一人の兄嫁さんも含めて、言われなくとも気にはかけてましたけど。リラさんに関して、ギルド長なんかけっこう熱入ってません?」
首を傾げたティナに、ギルド長は少しだけうろたえたあと観念したように吐き出した。
「あの子、死んだ妻にちょっと雰囲気と目の色が似てるんだよ。だからなんかほっとけなくてな……」
妻に似ているからと虐げられている女性を気にかける男もいれば、自分の嫁を奴隷のように扱って暴力を振るう男もいる。
どうして自分や兄嫁たちは妻を大切にしてくれる夫を見つけられなかったのだろう。
そんなセンチメンタルな気持ちになった瞬間、ポムのラメ入りピンクの唇が脳内で「えぇ?」と声を上げた。
――ティナさんはぁ、脳内のお花畑が狂い咲いてたせいでしょお?
まったく反論できずに、ティナは素直に猛省した。
自分のやらかしにしゅんとしながらワイバーンの買取について打ち合わせを終え、ギルド長にいとまを告げる。
あまりに情けない顔をしていたせいか、帰り際に「離婚勝利祈願で〝勝利〟の祭壇に祈ったらどうだ」と言われたので、ティナは冒険者ギルドの中にある〝勝利〟の天使と、ついでに〝健康〟の天使を祭ってある祭壇に祈りを捧げることにした。
唯一神から勝利や健康、芸術、恋愛といった各分野の守護を命じられた天使たちが祭られた祭壇は、神殿以外にもその加護が必要な施設にある。
冒険者ギルドにはだいたい〝健康〟や〝勝利〟の守護天使の祭壇があった。
ちなみに勝利の加護はその行いに宿るとされるが、健康の加護は少し特殊で、髪の毛に宿るとされている。だから民は神殿の許しなしに髪を切ることを許されていない。
散髪は神殿へ行って、散髪の免許を持っている神父や助祭に散髪料を払ってしてもらう。これに違反して勝手に髪を切ってしまうと、理由によっては神に背いたとして重罪となる。
冒険者や船乗りなどの長期に渡って旅をし、なかなか神殿へ行けない職業の人間は、その職業のギルドを通して神殿から散髪の免許証をもらって自分で切るため、ギルド内に〝健康〟の守護天使を祭る祭壇があるのだ。
さっきポムに手続してもらった書類の中にも、散髪免許証があった。
ティナは勝利の天使へ「離婚をもぎ取れますように」と祈り、健康の天使へ「どうか三兄弟と姑の髪がハゲ散らかって弱り、風邪をひきますように」と呪いを捧げた。
どちらにも跪いて計一時間近く祈ったので、ティナの思いは聞き届けられたと思ったのだが……。
「遅いじゃないの!」
と、帰宅するなりエントランスで待ち受けていた姑に吠えられた。
健康の天使がティナの祈りを聞き届けてくれた様子は、全くなかった。