第3話 モルレンデ家全員集合!
結界に守られて二度寝したのち、ティナは身支度を整えて二階にある自室を出た。
今朝早くに姑の侵入を防いだ結界石とはまた別の結界を扉と窓に施してから、ぐぐっと伸びをしつつ廊下を歩く。
使用人をクビにしたと姑は言っていたが、確かに二階はどこからも音がしない。
職業柄足音を消すパッシブスキルを持っているティナが間取りを確かめるためにあちこち歩きまわっても、辺りはしんと静まり返っている。
ティナがさっきまで使っていた部屋は夫婦の寝室だと思っていたが、どうやら間取り的に客室のようだった。
廊下の壁にかけられた色が褪せたヒマワリの絵を横目に通り過ぎ、冒険者に必須のマントをさばいて階段を下りる。
朝、少し迷って冒険者としての装備を身にまとうことにした。
ステファンとの出会いはそれほど昔のことではないのに、マントで隠すように腰に下げたバトルアックスや、胸当ての重みを懐かしく感じる。
冒険者の装備を身につけることにした理由は、敵意に反応する結界石が反応したからだ。つまりこの家は敵地である。
少なくとも夫と姑はティナに敵意をあらわにした。そしてティナは敵意に対してとても敏感だった。
冒険者養成学校を卒業したての新米冒険者だとはいえ、下手を打てば草を刈るように簡単に命を刈られる迷宮に何度も潜って卒業資格をもぎ取ったティナである。
学校のないこの国の駆け出し冒険者よりも、よほど経験を積んでいた。
迷宮や魔物が跋扈するフィールドを相手にする冒険者は、いつだって少しの敵意も見逃せば死ぬことになる。
ということで、ティナはここを敵地と定め、しっかりとした装備で身を固めて過ごすことにしたのだった。
安全地帯として確保しておきたい客室にもきちんと結界の魔道具を使って結界を張り、ティナ以外が入れないようにしてある。
昨日までは普通の街娘のようなワンピース姿で過ごしていたのにな……と、ティナは暗器を仕込んだブーツで音もなく階段を下りながら苦笑した。
今は二つのお団子に結い上げている燃えるような赤毛も、昨日まではかわいくツインテールにしていた。
髪飾りもステータスアップの効果がある魔道具ではなく、普通のリボンだった。
それもこれもステファンとデートをする時に少しでも可愛いと思われたかったからだが、ティナの努力は何ひとつ彼に響いてはいなかったようだ。というよりも、ティナのために響く心などなかったのだろう。本命はフィル……なんとかという女性だったようだし。
やっぱり人のために自分を飾るのは不健全なのだとティナは思った。
自分のための装いこそ大事だ。それが武骨なバトルアックスと胸当て、仕込み刃の入ったブーツだったとしても、身に馴染めば魅力に繋がる。
少なくとも祖国の男どもはブラッディベアの頭を戦斧でかち割るティナを、尊敬のまなざしで見てくれていた。
そんなことを考えつつ屋敷の中を軽くマッピングしながら進み、食堂に行ったが誰もいなかった。
確かにティナは二度寝をしたが、朝食に間に合わないような遅い時間に起きたわけではない。
はてと首を傾げながら人の気配があったリビングを覗くと、そこには義実家の面々が全員そろっていた。
戦士のスキルで気配を消したティナは、こっそり覗いたリビングの様子に思わず眉根を寄せた。
ソファには姑と夫のステファンが寄り添い合って座っている。
そしてローテーブルを挟んで向かいのソファには次男のブルーノが、上座の一人掛けのソファには長男のジェロームが新聞を読みながら足を組んで座っていた。
夫と姑の近さは気になるが、昨日の時点でとんでもないマザコンだと判明しているせいで、新婚夫婦のような距離感もどちらかといえば〝三歳児とママ〟の近さなのだと思えば生ぬるく見ないふりもできる。どうせすぐに離婚して他人になるのだし。
そんな二人よりも異様だとティナが感じたのは、義理の兄たちと、彼らの妻たちの様子だった。
ジェロームの妻、リラは手にたくさんの書類を持ち、仮面をつけているような感情のない顔で、ジェロームの背後に立っていた。まるでご主人様の後ろで控える部下か使用人のようだ。
一方次男ブルーノの妻フェリシアは、少し膨れたお腹を庇いながらローテーブルの側に跪き、紅茶を配膳していた。
昨日の結婚式で、フェリシアは妊娠していると聞いた。
幸ある人が自分の結婚を祝ってくれるなんて嬉しいと、ティナはその時そう感じたことを思い出す。
「は? ぬるいんだけど。フェリは紅茶もまともに淹れられないの?」
妊婦に茶を入れさせて文句を言うとは何事か。
はあ……とため息を吐くブルーノのすかした顔面を、ティナは思いきりぶん殴りたくなった。
オーガの顔面も一撃で砕くティナの拳を味わわせたら、とてもスッキリするだろう。
「ご、ごめんなさい……で、でも、さっき、朝食の時は熱すぎて飲めないって、言っていたから……」
「は? オレが悪いの? そういううじうじしたところが他の男にはウケるんだろうけど、オレはさ、母さんやリラ義姉さんみたいにちゃんとオレの気持ちを考えられる人が……いや、お前みたいに男に媚びるしか能がないお姫様にはこれが精一杯か」
「いいえ、フェリシアさんは優秀です。私はこんなにおいしい紅茶は入れられません」
「ほーら、やっぱりフェリはお姫様なんだよなあ。男にも女にも媚び売って、庇ってもらってさ……」
リラの菫色の瞳が一瞬だけ刺すような鋭さでブルーノを見た。そのあと申し訳なさそうにフェリシアを視線でひと撫でしてから、また元の無表情に戻る。
うつむくフェリシアのピンク色の髪の毛が肩にかかり、細かく震えていた。
ゆるくウェーブがかかった金髪をかき上げながらため息まじりに言う小舅ブルーノは、昨日まではフェリシアのことも彼女のお腹のことも労わっていて、紅茶にいれる角砂糖すら数を聞いて入れてあげるような溺愛ぶりだったのに。
今は身重の妻を顎で使い、何もできないグズと馬鹿にして薄ら笑いを浮かべている。
二人の間に何があったのか知らないが、妊娠中の妻に重い茶器を運ばせ冷たい床に跪かせて給仕させる夫に正当性はない。少なくともティナにしてみれば、ブルーノは魔物以下の最低な男にみえた。
魔物であるホーンラビットだって妊娠中のメスにはオスは優しい。
学校では脳筋と呼ばれていたティナも、ここまでくると賢く察した。
あ、これ兄嫁さんたちも「俺はお前を愛さない。だけど嫁としてモルレンデ家に尽くせ」と言ったステファンと同じようなことをそれぞれの夫にやられてるな……と。
「さっきもどっかの嫁がさぼった代わりに水汲みを頼んだのに、できないって泣いてさあ。仕方ないからオレがやってあげたけど……あーあ……オレもリラ義姉さんと結婚してたらジェロ兄さんみたいに成功できたのに、外れクジひいちゃったなあ」
「そうでもない。リラは跡継ぎも産めない出来損ないだ」
ジェロームが鼻を鳴らしてそう言うと、リラが持つ書類の束からクシャっと音がした。
「妊娠できるだけお前の嫁の方がマシだろう」
ティーカップを手に取り、入れた角砂糖をスプーンでかき回しながら言うジェロームに、ブルーノが少しだけ優越感に浸った顔で「は!」と肩をすくめて応える。
「どこの男の子どもだか」
「四六時中ずっと一緒にいて、トイレまでついていくような生活をしていたのに、どこで浮気をするというの? フェリシアさんのお腹の子は、間違いなくブルーノさんの子です!」
たまらず叫んだリラに、ジェロームがうるさい小蠅を追い払うような顔をして持っていたティースプーンを投げつける。
「り、リラさん! ……あ、あなたの子よ、もちろん……」
リラの悲鳴に紛れるようなフェリシアのか細い声に、ブルーノがいらだったようにハッと鼻を鳴らした。
一連の様子を気配を消しながら見ていたティナは、そうかそうかと半眼になりながらうなずいた。
この嫁ぎ先、夫と姑以外の家族もだいぶ……いや、かなりアレだった。
朝、結界石の警戒音に叩き起こされてからずっと寄りっぱなしの眉間に鈍痛がした