第18話 報告:討伐完了《愛を乞うなと言った男》
「ティナちゃーん」
フェリシアに呼ばれていそいそとキッチンへ行く。
渡されたのはさっきからずっと良い匂いをさせているアップルパイで、ティナの大好物である。
渡されたアップルパイをダイニングに持っていくと、テーブルにクッキーとマフィンを並べていたリラが振り返って朗らかに言った。
「昇級おめでとう」
近所の人たちがレシピを聞きにくるほどの逸品をフェリシアがティナのために焼いてくれたのは、ティナの冒険者ランクがBからAに上がったお祝いのためだった。
照れながら「ありがとう!」と返したティナに微笑んでくれるリラは、あれから冒険者ギルドのギルド長に誘われて、ギルドの商会窓口を担当する職員になった。
今の仕事にとても前向きで、離婚直前にまとっていた影などさっぱりない。
ティナたちがモルレンデ家の男たちと離婚してから、三年が経った。
ワイバーンを正規の方法で売却したティナは、得たお金で小さな一軒家を借りて、今はリラとフェリシアと住んでいる。
フェリシアの出産をサポートするつもりで三人で住むことにしたのに、家事が苦手なティナと忙しいリラは出産後のフェリシアに完全にお世話をされていた。
その代わりに彼女の生活費や身の安全を保障しているのはティナとリラなので、事情を知っているポムには「家族みたいですぅ」と言われていて悪い気はしない。
ティナがアップルパイをテーブルの中央に置くと、「ティー、だっこ~」と小さな子がティナへと両手を上げて言った。フェリシアの娘プリシラである。
「プリたん今日も天使だね~」
フェリシア譲りのピンク色の髪をふわふわさせ、抱っこされることを信じて疑わない青い目でじっと見上げられたティナの相好は土砂崩れだ。
教育に悪いとフェリシアに注意されたから控えているが、ティナの財布の紐はプリシラに関してはないに等しい。ちなみににこにこしながらプリシラを見るリラも似たようなものである。
プリシラを抱き上げて彼女のお気に入りの歌を歌っていると、「リラさん、紅茶の茶葉は何がいいかなあ?」とフェリシアがリラを呼んだ。
同時に玄関のほうで弱い気配とノックの音がした。
「あたしが出るよ」
少し前に自宅警備用の結界の魔道具を新調したばかりだが、女三人と幼児一人が住む家だ。警戒に越したことはないので気配を探る。人数は一人、強者が力を隠蔽して潜んでいる様子もない。
これなら何かあってもプリシラを抱っこしたままでも簡単に制圧できると考えたティナは、プリシラと歌を歌いながら玄関へ行ってドアを開けた。
「……え、まじで? 今さら?」
重ためのドアを開けるとそこにいたのは、真っ赤なバラの花束を抱えたステファンだった。
目の下にくまを作って無精ひげを生やした元夫の服装はくたびれていて、ティナが騙された時のキラキラしさは見る影もない。
三年前、リラの離婚が成立したあと、ティナはギルドから紹介してもらった弁護士と一緒にこの男に離婚届を突きつけた。
リラを見習って、すぐにサインすれば不貞の慰謝料も財産分与も請求しないと交渉を持ちかけたステファンの隣には、案の定姑が幼児の診察に付き添う母親の顔で座っていた。
その親子の様子を見た弁護士が、薄めた酒のような笑みで交渉を進めていたのが印象的だった。
夫婦の最後の話し合いは結局、「ステフにはもっといい嫁がすぐに見つかるわ!」と絶叫した姑の言葉によって無事離婚という形で終着した――はずだった。
「だぁれー?」
ティナに抱っこされたプリシラが舌足らずに言って首を傾げた。
幼児特有の澄んだ声と調節できてない大きめの声にステファンは、びくりと肩を揺らし、持っていたバラの花束でなぜか顔を半分隠しながら口を開いた。
「久しぶりだね。それは……君の子かな……?」
「どこに目玉ついてるの? どう見てもフェリさんの子でしょ」
三年前に自分の兄の妻が妊娠していたことと、目の前の子どもの見た目を合わせて考えれば普通はわかる。
しかもフェリシアとプリシラは髪色も似ているが顔もよく似ている。妖精のような容姿のフェリシアの子は天使だった。
というか、人を「あれ」とか「それ」と呼ぶところが全く変わっていなくて、ティナはうわあと思った。
「ああ、ブルーノ兄さんの……」
ステファンが顔をしかめるのは、ブルーノがいまだに神殿の収容施設から出られないからだろうか。
あそこは決まった収容期間の無い施設で、戒律違反を心から反省したと認められた時点で出てくることができる。
それがいまだに出てこられないのは全く反省していないか、そもそも何が悪かったのかわかっていないのか。
ブルーノがずっと出所しないことと、なぜかジェロームの所業が市井に広まったせいでモルレンデ家の評判は下がり続け、ついにモルレンデ商会は店をたたんだ。
二年前にそれを聞いた時、ティナのバトルアックスはいつもより多く魔物の頭を割ったし、リラは突然高いワインを買ってきたし、フェリシアは三日間すごく良いお肉を焼いた。
「実は今、僕たちの実家は大変なんだよ」
僕たちという言葉に眉根が寄った。ティナの実家はシスルにあるが、ステファンの実家ではもちろんない。
「ブルーノ兄さんは収容施設だし、ジェローム兄さんは噂のせいで家に引きこもったまま出てこないし、ママは……」
ぐずっと鼻を鳴らし、ステファンが続けた。
「ママは転んで骨折しちゃって、そのせいで寝たきりになっちゃったんだ。僕が仕事からもっと早く帰ってこれてたら、神殿の治療も間に合ったんだけど、僕も忙しくて……お金もないし」
神殿の治療も万能ではない。怪我をしてから時間が経つほど完治が難しくなるし、難しい治療にはお金がかかる。
事情通のポムによれば、ステファンがモルレンデ家唯一の働き手だというが、何かの技術を持っているわけでもなく根性もない彼は定職に着けず、臨時雇いの荷運びが主な仕事だという。
「君がいなくなって痛感したよ。君の態度が僕に厳しかったのは、僕を愛してくれてたからだよね? だから今なら僕ら、やり直せると思う。今ならママも勝手をした君を許してくれると思うんだ。一緒にママへ謝ってあげるから、また僕と愛を築いていかないか?」
体中からキラキラの残滓をかき集めたような笑顔を向けて、ステファンは持っていたバラの花束を差し出して続けた。
「女三人で寂しく住んでるんだろう? ちょうどいいから他の二人も呼んでいいよ。ジェローム兄さんもまだ一人だし、そっちも僕が一緒に頼んであげるから。そのうちブルーノ兄さんも出てくれば、またにぎやかな家族に戻れるよ」
「なにその地獄でしかない復縁要請。脳みそ湧いてるの?」
お荷物を抱えて生活が苦しいうえに、大好きなママが倒れてさらに苦しくなったのだろう。ママの介護に手がかかるのかもしれない。
ママに指図されたのか、それとも自分で必死に考えたのかはわからないけれど、ステファンはまたティナに愛を囁いて、モルレンデ家にとって都合のいい嫁の確保を目論んだらしい。
「あのさ、あたしたちはあんたたちをもう愛してもないし、正直言ってモルレンデ家がうまくいかないとかママが大変だとか言われても、あっそ、って感じでまじで関心ないわけ」
花には罪がないが受け取りたくない。ティナはプリシラを両手で抱きしめて首を振った。
「僕らを見捨てるのか⁈」
「見捨てるも何も、離婚したら他人なの。なんで離婚したかって言うと、あんたも、あんたのお兄さんたちもママも、あたしたちを大事にしなかったから」
もしもブルーノがフェリシアを信じて一途に彼女を愛していたら、今ごろ温かい家で娘もいて、彼女特製のアップルパイを焼いてもらっていたのはブルーノだっただろう。
ジェロームが自分の体のことをリラに打ち明けて、きちんと二人で話し合って誠実に対応していたら、子どもの代わりに商会を立派に育てようとリラは言ってくれただろう。今でもまだモルレンデ商会は健在だったはずだ。
そしてもしもステファンがちゃんとティナを愛してくれていたら、きっと彼を産んで育ててくれた義母のことを大事にしたと思う。「母のために介護を手伝ってくれ」と言ったなら、精一杯手伝ったはずだ。
元姑だって、自分の夫やその母親にされてきた〝嫌なこと〟を反面教師にして、同じ境遇にあるティナに接すればよかった。
自分に親切な人を軽んずるようなことを、ティナはしない。きっとリラとフェリシアだってしなかった。
「ティー、あっぷんぱいはぁ?」
「食べるよー。すぐに行くからちょっと待っててって、ママに伝えてくれる?」
プリシラを床に降ろして言うと、彼女はぷっくりおててをはーいと上げて廊下を走っていった。
「あたしたちは幸せだし、今すごく忙しい。帰ってくれる?」
ティナのきっぱりした態度に復縁の目はないと悟ったのか、ステファンがバラの花束を抱きしめて泣き崩れた。
結婚初夜に「僕の愛を得ようとして、見苦しい真似はしないでくれ」と言い捨てた彼は、玄関ポーチのタイルに膝をついて背中を丸め、ティナの同情を乞うている。
その姿に相手をするのが心底面倒臭くなったティナは、「威圧!」とスキルを放った。
威力を弱めた人間用の威圧を浴び、ステファンは花束を抱きしめたままタイルに倒れた。その足を持って引きずり、敷地の外に横たえる。
「さ、アップルパイ!」
結界のチェックをして玄関の鍵をかけ、ティナはいそいそとダイニングに戻った。
「なんだったの?」
プリシラを抱っこして首を傾げるフェリシアと、皿の隣にフォークを並べながらこちらを見てきたリラへ、ティナは笑顔で肩をすくめた。
「押し売りだったから帰ってもらったわ」
ステファンが言った、〝にぎやかな家族〟は間に合っているし、せっかく脱出したというのにまたあの地獄のダンジョンへ戻るだなんて考えたくもない。
ティナの言葉になるほどとうなずいた二人の視線は、さっさとテーブルの上に戻っていった。
アップルパイは艶々していて端のちょっと焦げたところまでおいしそうだし、リラが淹れてくれた紅茶が湯気を立てて飲みごろを教えてくれている。
フェリシアに抱っこされたプリシラが、手に持ったクッキーを得意げに見せびらかしてきた。
何かと思えば、作るのを手伝ったのだと胸を張った。
小さな手が掲げた大きな大きなハートのクッキーが、たまらなく可愛かった。
end.
兄嫁救出とダンジョン脱出おめでとう!と思った方は★でお祝いをしてくださると嬉しいです!




