第17話 報告:討伐完了《不誠実な男》
カルテの書類を一枚めくってリラがジェロームへ見せたのは、離婚届だった。
ティナが引き受けたひとつめの頼みごとで隣の役場まで走って取りに行ったものだ。
リラの名前と、立会人の署名として司祭・助祭・シスター三名の署名がすでに記入済みである。
彼らが神殿の観察室を占領して話し合うリラとジェロームに黙っていたのは、自分たちのサインがあるこの離婚届を出すか否かを見極めるためだった。
リラとティナの話だけでは公平性に欠ける。話し合いの結果、もしもジェロームが本当に道義にもとる人物であれば、そのときは離婚届を提出してもいいと。
そのかわり、司祭たちはジェロームが反省したり、己の行いを悔いるような様子があれば、自分たちが神に誓って彼を正しい道に導くとも言った。
そしてジェロームの蛮行の理由が子どもが欲しくてもできないと追いつめられたせいであり、そもそも子を望む理由がリラへの愛ゆえであれば、リラも夫を司祭様たちへ任せてやり直すと言っていたのだ。
ティナはそんな展開はないだろうと思っていたが、やっぱりジェロームはその全てを裏切った。
「これに今、サインをして離婚をしてくだされば、私は何も言わずモルレンデ家を出て行きます」
シスターからペンを受け取ったリラが、そこにだけサインがない夫の署名欄をペン先で指し示す。
「財産分与も請求しないし、私を殴ったことへの慰謝料もいりません。お義母様の罵倒やあなたの所業も何も言いません。今、ここで、司祭様たちの立会いのもと、この空欄をあなたの名前で埋めてくだされば」
リラの言葉は魅力的に思えたのだろう。ジェロームの喉ぼとけがごくりと震えた。
「サインをすれば、お前は一生黙ってると誓うんだな?」
慎重に口を開いたジェロームへ、リラはうなずいた。
「司祭様たちの前で約束を違えることはしません」
「赤椋鳥も雇わないな?」
「もちろんです」
「何を黙っているべきか、言ってみろ」
肉巻きアスパラのくせに何を偉そうな。と思ったのはティナだけではなかったらしい。
シスターと助祭の眉間にカードが挟まりそうなくらい深いしわが寄っていた。
「このカルテに書かれていること、それが理由であなたやモルレンデ家がしたことの全てです」
リラの答えを聞いて、絨毯巻きジェロームが満足そうにうなずいた。そして絨毯から出ていた右手でペンをとり、サインしようと離婚届にペン先を近づけたところでハッと顔を上げた。
「待て。お前が黙っていても司祭様たちが言いふらさないとも限らないじゃないか」
それを聞いた司祭が、はっきりと嫌悪の表情を浮かべて口を開いた。
「我々には守秘義務がある。特に患者のことを許可なく第三者へ言うことは、神に誓ってない」
氷よりも冷たい六つの目で見られてジェロームが固まる。
そして「すみません……」と蚊の鳴くような声で謝った彼が、司祭たちの視線を避けるようにそそくさと離婚届にサインをしたのを見届けると、ティナは横からそれを取り上げた。
驚いて目を見開くジェロームに向けて、ティナは満面の笑みを向けて言った。
「リラさんも司祭様たちも黙ってると思うけど、あたしはそんな約束した覚えはないからさ」
リラに頼まれてジェロームの死角で気配を殺して黙っていたのはこの瞬間のためだった。
「……リラ! お前騙しやがったな!」
立ち上がったリラの腰をジェロームから庇うように抱き、ティナはカルテを彼女に渡した。
「あたしにもシスルに赤椋鳥の知り合いがいて、こっちのも見分けられると思うんだよねー。だいたい酒場にいるよね……今夜飲みに行こうかな」
「おい! やめろ!」
絨毯に巻かれたまま体を揺らし、唯一自由になる右手で絨毯の縁を引っ掻くジェロームを見下ろしてティナは続けた。
「自分の体の、自分ではどうしようもないことを悪く言いふらされるって、リラさんにやったことを返されるだけじゃん。あたしに股間殴られないだけよかったって思おうか」
「っ! リラ! リラ! リラァァァァァ!」
「行きましょうティナさん」
しっかりと離婚届を胸に抱きしめたリラが微笑んだ。
少し前に手を当てた時とは違い、リラの背中はぴんと伸びていて真っすぐだった。
◎
次の日、冒険者ギルドに行くと、ギルド長が心配そうにティナに近づいてきて言った。
「リラさん大丈夫か?」
「あ、ジェロームの話聞いたんですか」
「あんなひどい目に合ってたとは……」
赤椋鳥の仕事は迅速で、この日を境にジェロームの所業はリュイン中に知れ渡ったのだった。




