第15話 リラと祈り
「ティナさんが……私の義妹が、夫を殺してしまったと……っ!」
引き戸にすがるように寄りかかり、絶望しきった声を上げてさほど広くない観察室の中を見回したリラは、ティナを見つけるや否や走り寄ってきた。
「ああ、ティナさん! きっとジェロームがティナさんに何か酷いことをしたのでしょう? どうして相談してくれなかったの⁈ ……こんな……こんなことをする前に……!」
ティナはちょうど床にしゃがんでジェロームを絨毯で巻いていた最中だったので、リラも床に膝をつき、ティナにすがりついて泣き始める。
中途半端に巻かれた状態のジェロームを放り出し、ティナはほとんど恐慌状態といってもいいリラを受け止めた。
「司祭様!」
殺してないよと言うために開いたティナの口を制し、リラは涙があふれた菫色の目を司祭へ向けた。
「ティナさんは理由もなくこんなことをする人じゃなくって、本当に優しい人なんです! だから、こんなの何かの間違いで……っ! お願いします、ティナさんを罰さないでっ」
祈りの形に手を組んで頭を下げるリラの肩に、屈んだ司祭は面食らいながら優しく手を置いた。
「大丈夫です。あなたの大切なティナさんは罪を犯してはいませんよ」
「そ、そうだよリラさん! 殺してないよ!」
ペロッと絨毯をめくり、半開きになった口からのんきないびきを漏らすジェロームをみせると、リラは呆然とした顔で呟いた。
「ティナさんは無実……?」
ジェロームの顔をまじまじと覗き込んで生存を確認したリラは、心底ほっとした顔をして、肩から力を抜いた。
◎
床に座り込んで虚脱状態だったリラが、しばらくして顔を上げ、同じように対面で座るティナへ首を傾げた。
「でもいったいどうしてこんな……アスパラの肉巻きみたいなことに?」
絨毯に巻かれた自分の夫をしげしげと見ながら言ったリラの言い得て妙な表現に思わず笑ってしまったティナは、いや、笑っている場合ではなかったと居住まいを正した。
そして咳払いをしてから、自分がおせっかいとともに先走ってしまったことを説明して頭を下げた。
「……そう、不妊の検査というものがあるのね……」
リラがぽつんと呟いた。
もしかしたら嫌な気持ちにさせてしまったかもしれない。
おそるおそるリラの様子をうかがうと、リラの表情は清々しささえ感じるほど凪いでいた。
「いろいろと考えてくれてありがとうティナさん」と、リラが立ち上がって言った。
「私、その検査を受けるわ」
「では日取りを決めて……」
「いえ、もしも司祭様にこの後のご予定がないのなら、今、この場で検査をしていただきたいのです」
手帳を持って予約を取ろうとしたシスターをやんわりと制し、リラが司祭を真っすぐ見て言う。
その強い視線を受けて、今から検査をすることは可能だが……と司祭はやや驚いたように続けた。
「この場で、ですか?」
「はい」
心配になったティナが「あたしのせいで泣かせちゃったし、日を改めた方が……」と言っても、リラの意思は変わらなかった。絨毯の芯になったジェロームを眺め、もう一度より強くうなずいてから司祭を見た。
「お恥ずかしながら、私に子どもができないことを理由に夫が暴力を振るうのは本当です」
さっきのティナよりもさらに事務的な口調で、リラがきっぱりと夫婦の事情を口にした。
そのはっきりした物言いに痛ましさを感じたのか、シスターがそっと目を伏せる。
「これを逃したらもう二度と検査を受ける機会はないでしょう。だから今、この場で私たち夫婦の検査をお願いしたいのです」
祈りの形に手を組んで、リラが司祭へと頭を下げた。
「できればティナさんも一緒に結果を聞いてほしい……。私の結果を聞いた夫が、怒りのあまり私や司祭様たちをぶつかもしれないから」
隣に立ったティナはそっと猫背になってしまったリラの背中に手を添えた。自身の不妊を疑っていないリラの、丸まったまま常より速く上下する肩がたまらなくせつなかった。
「……」
悲壮感すら漂うリラの頼みに、司祭は横に控えた助祭と顔を見合わせた。
「ではまず、身分を証明できるものをお持ちですかな?」
司祭の言葉にリラは弾かれたように顔を上げ、懐から商業ギルドのギルドカードを取り出した。
各種ギルドが発行するギルドカードは魔道具の一種であり、国境を超えて通用する身分証明だ。
カードで本人確認をした司祭が口ひげを撫でながらうなずくと、助祭がベッドのヘッドボードに置いていたカルテを手に取り司祭へと渡した。
中身を確認した司祭は眉間にしわを寄せ、ワインボトルの底に溜まった澱のようなため息を吐いた。
「妻なら知る権利があるでしょう」
跪いたままのリラとティナへ立ち上がるように促がしながら、司祭がリラへとカルテを渡して言った。
「ジェローム・モルレンデ……彼はすでに検査を受けていて、不妊であると結果が出ています」