第14話 これは持って帰りなさいと諭される
蠅が止まったような義兄のパンチを、当然避ける。
避けながら、え……この人あたしが戦士職の冒険者ってこと忘れてるのかな? と首を傾げ、無防備にさらされた脇に何度か手のひらをぽふぽふと当ててみた。
ティナのほうが背が低いので、振りかぶるジェロームの脇はがら空きである。
実戦であればジェロームはすでに死んでいる。だけど全く危機感のない小舅は空を切った拳を引き寄せ、たたらを踏んでティナを振り返った。
そしてもう一度、腰の入っていないパンチをティナめがけて振り下ろしてくる。
「ちょ……めんどくさいんですけど……」
冒険者はめったなことでは一般人に手を出してはいけない。
ブルーノはフェリシアの命の危機だったから遠慮なく蹴ったけれど、肩を回して突っ込んでくるジェロームのこのぐるぐるパンチでティナが命の危機に陥るわけがない。
彼が疲れるのを待つべきかと思ったが、今日はとにかく嫌なものを見過ぎたせいでティナの我慢は限界だった。
そしてこのあと神殿へ行こうと考えていたことも思い出す。
ティナが冒険者だから余裕で避けることができているとはいえ、一方的に殴ってくる男と意識がある状態で道中一緒に移動することが心の底からだるいと思った。
なので。
「威圧!」
ワイバーンすら怯ませ地面に叩き落した〝威圧〟のスキルを、ティナは百倍に弱めてジェロームに放った。
ジェロームはぐるぐるパンチの途中でバタンと絨毯の上に気絶した。
拳を握った右腕を突き出したままうつぶせに倒れたジェロームは、絨毯の色が空色なせいでまるで空を飛んでいるようにも見える。
不自然な格好で倒れているジェロームを足先でつつき、全く動かないことを確認する。
邪魔なソファやローテーブルを動かして、ジェロームを絨毯で巻いていこうとしたその時、「ヒッ!」と短い悲鳴が上がった。
「し、死んで……る?」
拳を突き出したまま倒れるジェロームを指さして、ドアの影から店員が呟く。
どうやらステファンの愛人や姑たちがバタバタと店を出て行ったうえに、ジェロームが暴れたせいで事務室から大きな音が聞こえてきたことを不審に思い、様子を見にきたらしい。
てきぱきとジェロームを絨毯で巻きながら、ティナは店員を安心させるために微笑みを向けた。
「これ持って、ちょっと神殿に行ってきます。リラさんが帰ってきたらジェロームと一緒に中央役場の横にある神殿で待ってますって伝えてくれます?」
店員がこくこくと顔面蒼白でうなずいたのを確認し、ジェロームを巻いた絨毯をセカンドバックのように小脇に抱えて立ち上がった。
「じゃよろしくお願いしまーす」
店員の隣をさっさと大股で通り抜けると、ティナは神殿へ向かった。
◎
険しい顔をした司祭が見守るなか、ティナはジェロームをベッドの上に横たえた。
ここは神殿の横に併設された医療施設である。フェリシアが入院している病院とはまた別で、医師の診察を受けたあと患者の様子を見るためのベッドが置かれた観察室だ。
今日はジェローム以外に患者はいないようだった。
気絶したまま意識が戻らないジェロームがベッドに置かれると、だらしなく口を開いた彼の顔が司祭の方を向く。
助祭が音もなく寄ってきて金属板に留めたカルテをヘッドボードへ伏せ、シスターがジェロームの体に健康の守護天使のシンボルマークが刺繍された薄手の毛布を掛ける。
ベッドに置かれたことで体の緊張が解けたジェロームの口からいびきが漏れ始め、その様子を見た司祭が口ひげを震わせてため息を吐き、ティナへと口を開いた。
「ご遺体を持ち込んだのかと思いました」
「びっくりさせてしまって大変申し訳ありませんでした!」
素直に頭を下げるティナになんとも言えない表情を向けたあと、司祭が気持ちを切り替えるようにジェロームの顔を覗きこんだ。
「さて……あなたは先ほど不妊について尋ねてきた信徒ですね? 彼は夫ですか?」
「あ、いえ、この人はあたしの夫……? の兄です」
ステファンを夫と紹介する場面など結婚してからついぞなかったために、微妙に疑問符を挟んでしまった。その曖昧な口調に眉をしかめた司祭が、真正面からティナを見てくる。
「夫の兄を気絶させ、絨毯で巻いて神殿に持ち込んだ理由をお聞かせ願いたい」
当然の疑問である。
ティナはこれまでのことを話した。自分の結婚のこと、義実家の男尊女卑な方針、兄嫁二人の身の上と、身勝手な嫉妬から髪を切られたフェリシアの話。
子ができないことで暴力を振るわれても我慢するリラのこと。
冒険者ギルドで依頼完了の報告をするように簡潔に述べたティナの言葉を聞いた司祭には、無駄のない言葉だからこそ事情はよく伝わったようだった。
「その事情が本当ならば、そのリラさんには私も大変同情いたします。しかしそれは夫婦間の繊細な問題で、義妹の立場で勝手に答えを求めるものではありません」
説法をするようにゆったりと聞きやすい声で言った司祭は、ティナの肩へ優しく手を置いて続けた。
「悩む夫婦のために問題解決の道を探ったあなたの親切心は立派だと思いますよ。……人を絨毯で巻いて持ってくるのはやめてほしいですが」
司祭に諭されて、あらかじめ不妊症の話を聞きに行った時も少し思ったけれど、やはりおせっかいだったとティナは反省した。リラかジェロームにお願いされないかぎりは、他人のティナがジェロームを神殿に持ってくるべきではなかったのだ。
「こういう方法があるとリラさんに教え、それでどうするかは夫婦で決めるべきでしょう。彼の目が覚めたら持ってかえ……いえ、一緒にお帰りなさい」
帰宅を促がされて気付いたが、話し込んでいたせいでそれなりの時間が経っていたらしい。
「これ以上ご迷惑をおかけできないので、巻いて帰ります……」
収納の魔道具に一時的にしまっていた空色の絨毯を取り出しながら言うと、司祭が静かにうなずいた。
バサッと床に絨毯を広げたティナに対して何も言わない司祭に、側に控えていたシスターが正気かと目を剥いたが、同じく司祭の横にいた助祭が無言でティナの作業を見守っているのを見て黙って目を閉じた。
彼らの様子にちょっと変だなと思いつつ、右拳を握り締めたままのジェロームを抱き上げて絨毯に下ろし丁寧に巻き始めたその時、「すみません……!」と取り乱した声が室内に響いた。




