第13話 「くるっぽー」
調べてみる価値はありそうだと、ティナはギルドを出たあと神殿へ行って不妊症を調べるにはどうしたらいいかという説明をじっくり聞いてきた。
検査自体は神殿の司祭ができるという。健康の守護天使の強力な加護を持つ神殿の司祭のスキルに、そういう健康診断のスキルがあるそうだ。
ティナが力の守護天使の加護によって〝威圧〟や〝怪力〟のスキルを持つようなものである。
ただやはり繊細な問題だからか、調べに来る人は少ないようだった。
だがティナは、子を産めないことで人生をあきらめているかのようなリラの気持ちが変わるのなら、調べたらいいのではないかと思う。
もしもジェロームではなくリラの方が不妊だったとしても、髪や目の色の違いと同じように、そういう個性なのだからと納得できるのではないだろうか。
ティナが能天気で、しかも夫ステファンを今は少しも愛していないから、そういう結論を出してしまうのかもしれない。
だけど自分たちのことなのに何も知らないまま停滞し、その停滞の苛立ちをぶつけられたり、一人で抱え込んだりするよりはよほど健全な気がする。
ということで、多少おせっかいかなと思いつつも、ティナは神殿から出た足でモルレンデ商店へ向かった。
「どうもー、ティナですけどリラさんとジェロームお義兄さんいます?」
「あ、どうも。商会長は裏の事務室にいらっしゃいますが……その……」
ティナの結婚前に人員削減の嵐が吹き荒れた商会での数少ない生き残り店員が、歯切れの悪い返事を返してくる。
首を傾げるティナの顔をしばらく見つめ、やがて思考を放り投げた「もうどうにでもなーれ」という顔で事務室に続く扉を顎で指し示した。
「お客様もいらっしゃいます!」
言い捨てて店の表へ飛んでいった店員の背を見送ったあと、ティナは事務室のドアを開けた。
店員がティナの顔を見てあんな反応をする客について思い当たる節があったし、それなら自分が堂々と中に入る権利があるな、と思ったので。
「こんにちはー、ティナです。ジェロームお義兄さんに用があってきました」
名乗りながら要件を告げたティナを見てきたのは、四人。
ローテーブルを挟んで右手のソファに一人で座ったジェロームと、左手に座った見知らぬ女性。彼女を間に挟んで座る姑とステファンだ。
女性は黄色に近い金髪に若葉のような緑色の瞳をした綺麗な人だったが、姑とステファンに挟まれて微笑んでいる時点で背筋がぞっとした。
ダンジョンでうっかり発見してしまった、呪われた扉を見てしまった時のような感覚だ。
見なかったことにしようとティナの視線が彼女たちを素通りし、空色の絨毯を踏みしめて足を組みかえたジェロームへと向いた時、呪われた扉が目を輝かせて口を開いた。
「ティナってあなたのお飾りの妻でしょう? 話に聞いてはいたけれど本当にみすぼらしいのね!」
キンッと後頭部に刺さるような金属的な声を上げた女性の頭を、ステファンが甘やかすようにぽんぽん撫でながら自分の肩へと引き寄せて言った。
「フィルミーヌとは比べ物にならないくらい貧相な女だけど、あれでも冒険者だから一応我が家の役には立っているんだよ」
「ステフの言う通り、石ころが側にいるからこそ宝石が光り輝くというものだわ」
ステファンと姑の息の合ったよいしょによって、女性の正体がわかった。
なるほど、やっぱりこの女性がステファンの真実の愛の相手、フィルミーヌか……と思ったが、初夜開始数分でステファンへの愛が完全に消滅したティナには、彼女が誰であろうと全く興味がない。
そして今、用があるのはジェロームだったので、
「あ、お義兄さん今からちょっと時間あります? 一緒に神殿に行ってほしいんですけど」
と愛人たちを無視して義兄に声をかけたその瞬間、フィルミーヌがバッと扇子を広げた。
「これだから平民は礼儀がなってなくって嫌だわ。挨拶もおできにならないの?」
広げた扇子でふぁっさあと口元を隠すフィルミーヌから、おしろいの匂いがきつく臭ってくる。
「ごめんねフィルミーヌ」
「帰ったらこの不出来な嫁をよく躾けておきますわ」
普段から仲のいい親子だが、今日は一段と息がぴったりだ。
間に挟んだフィルミーヌへゴマをするのに、「いち、に、さん、よいしょーっ!」という声なき掛け声が聞こえてくるようである。
ティナが視線を姑たちに戻してまじまじと見ていると、横から面白がるようなジェロームの視線を感じた。鬱陶しい。
「申し訳ないねフィルミーヌ嬢。これにはよく言って聞かせるから。ああ、もしよかったらジャコー伯爵家で躾けてくれてもいいよ。メイドとして仕事を教えてくれれば、これから家のこともやらせられるからちょうどいい」
「そうですわねえ、我が家で雇うには少しばかりお品が……」
ジェロームの言葉を受けてじろじろとこちらを品定めしてくるフィルミーヌの陰険な視線を無視しつつ、ジェロームの言葉の中にあった聞き覚えのある家名にティナはぽんと手を打った。
「ああ、ジャコーってあたしのワイバーンをルール違反して買い取ろうとしてる貴族か!」
「平民が貴族の家名を呼び捨てにするなど無礼な!」
「いやいや、商会を通さずに直接素材を買い取ろうとする貴族も結構無礼ですよ? しかも指名依頼にしてやるとか、ルールを捻じ曲げて事実を改ざんしようとするのもどうかと思うし」
いつ死ぬかわからない冒険者稼業だから、確かにフェリシアにはまとまった額のお金を渡しておきたかった。だからさっきはお金が早く手に入ることには少し惹かれたが、正直、暗黙の了解を無視してくる貴族と繋がりを持つのは長い目で見ればマイナスだと思っている。
色を付けると言われて提示された金額も、正規の入札額に比べれば魅力的ではなかった。
ティナの収納の魔道具に入れておけば腐ることはないのだし、焦って不本意なところへワイバーンを売ることもない。
「ジャコー伯爵家ねえ……そっかそっか」
言いながら、ティナは収納の魔道具から一枚の紙を取り出した。これは全冒険者へ年に十二枚配布される、ギルドへ連絡するための伝書鳩型魔道具である。
だいたいは緊急連絡に使われ、要件を吹き込んで起動させると鳩の形に変わり、最寄りの冒険者ギルドへ飛んでいく仕組みになっている。
「えーっと……Bランク冒険者のティナよりギルド長へ。ジャコー伯爵家とのワイバーンの取引は拒否。ジャコー伯爵家の令嬢フィルミーヌが夫ステファンの愛人だったため、伯爵から謝罪と慰謝料を要求したいのでよろしゅう……っと」
「なんてことを……!」
赤い唇をわななかせ、フィルミーヌが身を乗り出して鳩型魔道具をひったくろうとする。しかしそれより速く窓際に移動し、魔道具を起動させた。
彼女が慌てているのはワイバーンの取引のことを知っていたからだろうか。
それとも単純に、ステファンとの真実の愛がはたから見ればまずいものである自覚があるからかもしれない。
「王太子殿下がリュインへ視察に来るのに、騎士団の装備が弱くて見栄えしないんだって? お父さん大変だね、娘のせいでワイバーンも手に入らないし、そのうえ不貞の慰謝料まで払わされて」
「あ、あなたが私とステフの間に割り込んできたのでしょう⁈」
「ステファンがあたしを騙したから結果的にはね。でも夫婦どちらにも愛がなくたって、結婚したらあたしが妻なんだよ。父親がルールを無視するタチだから娘もそうなのかな? 法律ではあなたが割り込んできたほう」
フィルミーヌが顔を赤くして睨みつけてきた。
ティナは威嚇にもならない視線を無視して窓を開け、「くるっぽー」と可愛らしく鳴く鳩を外へと放る。
棒立ちのフィルミーヌの両端で、ようやく事態をのみ込んだ姑とステファンが立ち上がる。
それを目の端に収めながら、ティナは笑った。
「真実の愛だかなんだか知らないけどさ、それ、ただの浮気だから。妻のあたしには慰謝料をもらう権利があるんだよ」
貴族令嬢の不貞である。いかほどいただけるかは冒険者ギルドから紹介してもらった弁護士の腕にかかっているが、ティナは一歩も譲る気はない。
ステファンに愛はないが、愛人と比較されて貶められるたびに苦痛だったのだ。
それに……と、大空へ羽ばたいていった鳩を見送りながらティナは思う。
ワイバーンにこだわらなくても、フェリシアに渡すためのお金がそれなりの額で懐に入りそうでよかったな、と。
とはいえ、「ティナちゃんのお金なんだからもらえないわ!」とお金の話を出すたびに拒否してくるフェリシアを、どう説得して受け取らせるかという問題は残っているけれど。
父親のジャコー伯爵に弁明するためか、それとも冒険者ギルドへ行って鳩を回収しようとでもいうのか、フィルミーヌと姑とステファンが大慌てで部屋を出て行った。
「帰ったら覚えていなさい!」と、姑が去り際に吐き捨てていったのはいっそあっぱれである。
そんなことを思いながら窓を閉めていると、背中に突き刺すような視線を感じて振り返った。
「貴様!」
立ち上がって大股で歩み寄り、拳を振り上げてくるのはジェロームだ。
「ジャコー伯爵家は我が商会で唯一貴族の取引先だったんだ! どうしてくれる!」
そう吠えたジェロームは、振り上げた拳をティナの顔めがけて振り下ろしてきた。




