第11話 報告:討伐完了《人でなし》
ホルダーから引き抜いたバトルアックスを真横に一閃。
一呼吸分のわずかな時間をおいて醜悪な顔から血が噴き出し、目の前の相手が崩れ落ちる。
バトルアックスを円を描くように振って、ティナは刃に付いたゴブリンの血を振るい落とした。
ホルダーに武器をしまって顔を上げると、一緒に依頼を受けたCランクの冒険者パーティーが軽く片手を上げて合図を送ってくるのに応える。
「おー、お疲れ。他に気配はないし、こっちはこれで最後のゴブだよ」
「こっちも始末しました。あとは奥に捕まっているはずの女性を救出するだけですけど……その……」
「わかってる。そっちのパーティーは全員男だもんね、あたしが行くよ」
気まずそうに頬を掻くパーティーのリーダーへ軽く手を振り、洞窟の奥に足を踏み入れた。
岩の隙間から水がしみ出すじめじめした洞窟内は、足元が濡れていてよく滑る。
こちらに殺気を向けてくる生き物はいないようだが、それでも用心して足を進めた。
入り口からの光が届かなくなって、胸に着けていた携帯用照明の魔道具のスイッチを入れる。間を置かずパッと前方を照らした白い光に驚いた足のない虫が、もぞもぞと動いて岩の隙間へ逃げていく。
その様子が先日のブルーノに重なって、なんとも言えない不愉快な気持ちになった。
あのあとティナは、怒りのままにバトルアックスを抜き、ブルーノの頭の毛を剃った。
頭髪を整えるには大きすぎるバトルアックスの刃で、鉄板にこびりついた肉の焦げをヘラで削ぎ取るように金髪をこそげた。
妊娠した妻子の健康と安全な出産を願えず、自分勝手な嫉妬と怒りで妻の髪に宿った天使の加護を切り刻むような男こそ、髪も健康の加護も不要だと思ったので。
後ろ手に縛って転がしたブルーノの背中に乗って、じょりじょりと髪を削ぐ。
身をよじって逃げようにも頭皮をこすっているのは戦斧の鋭い刃で、下手なことをすれば簡単に己の頭が割れることを察したブルーノは、恐怖で顔を引きつらせながらフェリシアへ助けを求めた。
「た、助けてくれ!」
「うんうん。〝助けろ〟って命令しないだけ、ぶどうより軽い脳みそでよくできました。でもなんでフェリさんに助けを求めるかなあ? 自分もおんなじことをしたのに助けを求めるってことは、フェリさんに危害を加えたことを自覚してたってことだよね」
重いため息を吐いたのはフェリシアだった。
空になったポーションの瓶を持って立ち上がり、数歩歩いてソファに座る。
「わたし、この家に嫁いできてから初めてこのソファに座ったわ……」
ぽそっと呟いたフェリシアの声には笑いが含まれていた。それはもちろん楽しくて出た笑みではなくて、本物だと思って大事にしていた宝石がただの石だったと知ったからこそ出る笑みだった。
言いたいことを言いきって、もはや自分の夫を視界に入れることすら拒否するフェリシアを、当の夫本人は不服そうに睨み上げた。
「お前が、他の男と浮気さえしなきゃ……俺だって……」
「あのさ、あたしも近所の人とかに話聞いて確認取ったけど、フェリさんずーっと家にいて、たまに外出するときはあんたがフェリさんと一緒にいて、あんたに用がある時はステファンかお義母さんと一緒って……この監視体制で浮気を疑うほうがどうかしてると思うけど?」
「は? 俺の許可なく男の店員と話したろ!」
「……あんた赤ちゃんてどうやってできるか知ってる?」
近所の人や冒険者ギルドの事情通ポムさんその他大勢の証言では、浮気をしているのはブルーノの方であるという。しかも相手は一人や二人ではないらしい。
自分は他人から浮気と断定されるようなことをしておいて、妻には異性の店員と会話すらできないような貞淑さを求めるとは恐れ入る。
ティナのまじまじとしたツッコミにさすがにいたたまれなくなったのか、ブルーノはフェリシアを睨みつけていた目を伏せた。
「……だって、フェリは……かわいいから、盗られないか不安で……」
何秒かの沈黙のあと、ブルーノが絞り出した言葉はたぶん彼の本音だったと思う。
潤んで赤くなった目をフェリシアに向け、ついに秘めた気持ちを言ってしまったとばかりに頬を赤くしたブルーノへ、フェリシアが返したのはたった一言だった。
「――は?」
だからなんだ。それがどうした。
モルレンデ家の人間としてはめずらしく、省略されたフェリシアの言葉と感情を正確に察したブルーノが青ざめた。
「好きなんだ……フェリ、愛してる……愛してるんだ……」
口元を引きつらせながらブルーノが泣き出した。泣きながら妻へ愛を囁くけれど、フェリシアは曇り空に湿気を感じたような表情でポーションの空瓶をローテーブルに置いただけだった。
ティナの尻の下で動きを止めたブルーノを不審に思って覗き見れば、涙でぐしょぐしょになったブルーノの顔に、薄い色の金髪が張り付いているのが目についた。
それが気になったティナがバトルアックスの刃先で皮膚から浮かして取ってやると、青い目が恐怖でぐるんとひっくり返り、白目をむいて気絶した。
毛が目に入っては痛かろうと気を使ったのに……と、あの時のことを思い出し、ティナは立ち止まって辺りを探るついでに頬を掻いた。
その後、仲良く買い物から帰ってきた姑とステファンによって呼ばれた衛兵に、ブルーノが逮捕された。
姑たちは捕まえるべきはティナの方だと騒いだが、最初にフェリシアの髪をナイフで切ったのはブルーノだったし、ブルーノの髪を切ったティナは冒険者が所有する散髪免許証があったのでお咎めなしだった。
免許取り上げには至らず説教だけで済んだのは、ぼろぼろのフェリシアがとりなしてくれたおかげである。
その後フェリシアはブルーノと無事離婚できたが、健康の加護を大幅に失ったこととブルーノと別れることができてほっとしたことと、覚悟はあっても離婚によって生じるであろうこれから先の問題に心労を感じたことが原因で倒れてしまった。
今は神殿が運営する病院に入院している。
ブルーノは神殿からも戒律違反による処分状が発行され、嫉妬に狂って妻の髪を切った男として社会的にも宗教的にも罰を受けることになった。
どちらかといえば戒律違反の方が重くみられて、今は違反者が悔い改めるまで入る神殿の収容施設にいる。
施設はちょうどこのゴブリンの巣になっている洞窟のような、天然の大岩をくり抜いて作った牢である。
このブルーノが起こした事件でモルレンデ家は大きく評判を下げた。
世間の冷たい目に気づいてしぶしぶ慰謝料や入院費、子どもが生まれた後に養育費を払うことを決めたモルレンデ家の面々は、出て行く金を残っている嫁で埋めようと思ったようだ。
評判低下で失くした取引先に代わる相手を探すようにリラへ言いつけ、ティナにはギルドの依頼を受けて金を渡せと言ってきた。
大型犬が遊びつくしたぬいぐるみのようにぐったりしたブルーノが衛兵に連れていかれるのを見たら、ティナには家の中に関わってほしくないと思ったのかもしれない。
どうしてティナが金を素直に義実家へ渡すと思っているのか心底謎だが、それも彼らにとっては「嫁だから当たり前」なのだろう。
腕を鈍らせないためにも黙って依頼をこなしているが、受け取った依頼料は生活費や家賃を渡す以外は全て口座に貯金している。
今日のゴブリンの巣の掃討と、捉えられている人がいれば救出するという行商人ギルドからの依頼を受けたのもそんな理由だ。
洞窟内を慎重に進んでいき、しばらくして少し開けたところに出た。
中央に毛皮が敷いてあり、何かの骨や食べ残しが散乱している。獣のような体臭がよどんでいて鼻が曲がりそうになった。不幸な旅人から奪ったらしい革のカバンや、冒険者のものと思しき装備品も落ちている。
おそらくゴブリンの生活空間であったその場を抜けて細い通路のようなところを進むと、粗末な柵で蓋をしてある小部屋に行きついた。
木でできた簡素な柵の向こう側は暗く、冷えていた。
腐臭と鉄錆のような臭いが重く沈殿し、肺に空気が届かないような錯覚を覚える。
その柵の向こう側を、胸に着けた照明の魔道具が白く照らす。
きらりと光ったのは歪な形のスプーンだった。丸いカーブの先端部分を岩に擦りつけて尖らせて、刃物のような形をしている。
柄を握った指先は真っ赤な血で汚れていて、力なく地面に落ちていた。
そっか、やっぱり耐えられなかったか……。
ティナが洞窟の奥へと足を踏み入れた時にはあったはずの弱い気配は、すでに途絶えていた。
他種族のメスを攫って繁殖に使うゴブリンの習性は有名だ。だからティナも、依頼を受けた時から覚悟はしていた。
だけどやっぱりきついな……。
たぶん彼女は見たくなかったのだろう。魔物の子を宿した己の姿を。
そんな自分を見る、他人の目を。
◎
「駄目でしたか……」
がっくりとうなだれたのは行商人ギルドの事務員だった。
街のすぐそばの洞窟にゴブリンの巣があることを冒険者ギルドへ報告し、捕まっている女性がいそうだから救助をしてくれと頼んだ依頼人でもある。
ゴブリンは徒党を組めば凶悪だが単体ではさほどの脅威はない。だがやはり数が多く、広く分布しているので、嫌な話だが捕らわれた女性が心身ともに無事だった、という幸運な結末はほとんどない。
事務員も覚悟はしていたのだろう。結果を報告すると力なく依頼書へ依頼完了の印を捺した。
依頼人に報告後、冒険者ギルドへも報告する。
休みだというポムの代わりに依頼完了の手続きをしてくれたのはなんとギルド長で、予想された結果とはいえどんよりした気分になったティナを労ったあと、「話は変わるが……」と続けた。




