幼女
「電車は危ない! 事故があまりに多い!」
「おい、キショオス、いい加減死ねボケが」
新宿駅。山手線、池袋・上野方面がホームに発着すると同時、僕の心を途轍もない恐怖が支配する。この電車に乗ってはだめだ、死んでしまう。
僕は隣の美少女に語りかけた。
「飛行機に乗ろう!」
「あ?」
「飛行機は世界一安全な乗り物だ! 電車ではなく飛行機に乗ろう! すると死なない」
「いいよー」
しかし、新宿に空港は存在しないので、僕たちは電車に乗った。
「くっさ」
僕の横にホームレスが乗り込んで来て、すさまじい異臭を放つ。
美少女が小声で僕に耳打ちする。
「離れなよ」
「しかし、僕がここを離れたら、他の誰かがここに立つかもしれない」
美少女は僕の乳首をまさぐりながら言った。
「好き好き愛してる♡」
お返しに僕も美少女のおっぱいをわしずかみにしたら、痴漢に仕立て上げられ、新大久保で降ろされてしまった。電車は危ないので、僕は徒歩で池袋へ向かった。
***
「待ってる間にナンパしてきたイケチンとセックス済ませちゃったよ~ん」
「そんな……」
僕たちは池袋のサイゼリヤに入店した。
サイゼリヤで喜ぶ美少女は、メニューを開くなり「値上げされていない! この国は終わりだ!」と叫んだ。
「死んで護国の鬼となろう」
「それでもあなたを愛したいの!」
「プチフォッカを頼もう」
「それがよかろ」
僕たちは税込100円グラスワイン赤を注文した。
「税込100円のおいしさだ」
「嘘ついてなくていいと思うなー」
「ところで、赤ワインを口移しで飲ませるというのは、どうだろう」
「それは、下品」
「その通りだ」
美少女が僕に口づけをして、僕たちは出禁になった。
「池袋、完全制覇~」
「もう寄る場所がないのだ」
「寄る辺のない私たちは、放浪の旅に出る」
放浪の旅に出ることとなった。明日の大学は、単位取得に欠かせない小テストがあり、大学と、美少女との旅は、ギリギリ大学の方が大事だったので、僕は大学を選んだ。
「私も明日は大学に行くっ」
「美少女、きみはすでに取得すべき卒業要件単位数を満たしている」
「でも、あなたへの愛が満たされてないの、寂しくて死にそうなの」
「大学へ行こう!」
あくる日、僕たちは愛し合うべく大学の講義に出席した。助手の院生が壇上に立ち、
「教授は昨夜の山手線の脱線事故で死亡しました」
僕はいきり立って反論した。
「そんなわけがない! あの電車は安全だったぞ!」
「で、でもそれは今まで事故が起きていなかったから、みんななんとなく安全だと思っていただけで、昨日突然事故が起きた可能性は否定できないですよね。科学ってそんな程度のものじゃないですか」
そういうこともあるのか、と僕は学んだ。
「簡単に論破されてんじゃねーぞ」
美少女は不服そうである。
「しかし、相手が正しい」
「ひろゆきなら、相手が正しくても論破できるよ」
「相手が成田悠輔なら、どうだろう」
「そもそも議論が発生しないよね。ひろゆきは勝てない相手には歯向かわないし」
「まさに今のように!」
壇上に立っていた院生は、若かりし頃の成田悠輔の偽物だった。メガネが普通だ。
「なら仕方ないね」
美少女が諦めてしまったので、義憤に駆られた僕はその場で陰茎を露出し、彼女にイラマチオをさせた。
「仕方ない!? 世の中に、仕方がないなどということはないのだ! それは美少女の努力不足だ! あるいは神の意志だ!」
美少女は僕にイラマチオされて涙目であり、誰が見ても反論の余地はなかった。
「いいか、僕のペニスで言論を封じられている美少女、きみはな、ものなのだ。人間ではない、オナホだ。データを重視し、統計を取る際には、僕たちは男という1、女という1だ。ここで僕がきみという美少女にイラマチオをさせているという、とんでもない行いは捨象される。しかしきみは抗議できない。僕のペニスによって、口腔から咽頭までを圧迫されているからだ。きみは、イラマチオをすることによってデータとなり、データはきみからイラマチオ性を捨て去らせる。ここに人間を単なるデータとして扱うことの限界が示されている」
美少女がなにかもごもご言おうとして、舌をうなぎのように動かし僕の尖塔を強く刺激したために、やれやれ僕は射精した。
「苦いよー」
べぇ、と舌を出す美少女に、僕は言う。
「僕たちは人間なんだよ」
ごっくんした美少女は、若かりし頃の成田悠輔の偽物に問う。
「そうなんですか、私は人間なんですか、先生」
「あなたは女というデータの、サンプル数1です」
「先生は誰かに恋をしたことがないからそんな風に言うのよ。大学の講義室でイラマチオをする私の気持ちなんて、先生には一生分からないんだわ」
美少女はイエス・キリストなのだ。
***
お昼ご飯なのだが、ここの学食は赤子の糞のような味がするために不人気である。
「だからね、『雪国』の『夜の底が白くなった。』という一文は、『オズの斧がキモくなった。』とか『おうおおおあいおうあっあ。』とかでは、なぜいけないのかという話しか、僕はしていないんだよ」
「だからね、別にそれでもいいけど、『夜の底が白くなった。』の方が、なんとなくみんながもっともらしいと思うから、そうなってるんだよってさっきからずっと言ってるだろ聞いてんのかよ♡」
「理解できないのだ」
「了解しろ、存在を了解しろ、ついでに言葉も了解しろ、そしたらめいっぱい愛したげる」
「了解しますたw」
「もうそれだけで全部だもんね、存在と言葉と私とあなただけで全部だもんね、この世界はね」
その時、通りすがりの学生に、声を掛けられた。
「オイ、そこの、高橋源一郎みたいな会話をしているカップル、お前らだ」
「なんですか、ナンパですか? 私彼氏持ちなんで~」
「ナンパではない。俺は、三島由紀夫の『不道徳教育講座』をバイブルにしている男だ」
「そういう人ふつうに無理なんで、どっか行ってくれますか」
「ナンパではない! 俺は、三島由紀夫の『不道徳教育講座』をバイブルにしている男だ!」
「ねえ! あなたも黙ってないで、私のこと守ってよ」
僕はやれやれ、美少女のために、三島由紀夫の『不道徳教育講座』をバイブルにしている男に決然と立ち向かった。決闘だ。男はボディビルをしていたが、所詮は見せかけの筋肉であり、僕の腕でもなんなくのすことができた。
男は叫ぶ。
「天皇陛下万歳!」
僕は訊ねた。
「なんの用なのですか」
「ナンパだよ! クソが!」
男は昭和と共に去っていった。
「守ってくれてありがとう。カッコよかったよ」
美少女が莞爾として笑う。これですべてだ。
***
人生はCLANNADのようだった。
「ゴキブリコピペのように、あなたの子を産みたい」と主張する美少女を説得しながら午後の授業を受けた後、新宿でバイトをする。
僕のバイトは、人間と話したり、ものを数えたり、運んだりする。美少女は僕に仕事を押しつけて暇そうだ。僕は物体Xを片手に歩く、すると人間が近寄ってくる。人間は女だった。
「ねえ、お兄さん」
僕がなにか言う前に、すかさず美少女が僕にしなだれかかってきて、女に横顔を向ける。「私のだから」女は去ってしまった。
「惜しいことをした」
「私で満足しなさい」
バイトを終え、JR山手線新宿駅15番線池袋・日暮里・上野方面・一号車一番ドアのホームに、横並びに並んでいると、美少女がだしぬけに叫ぶ。
「山手線ゲーム。シャバい言葉!」
「ウオー」
「はじめ。シャバい」「シュレディンガーの猫」「ヴォイニッチ手稿」「私はその人を常に先生と呼んでいた。」「トロッコ問題」「神は死んだ」「ゼノンのパラドックス」「ボヴァリー夫人は私だ」「オッカムの剃刀」「サヴァン症候群」「ラプラスの悪魔」「正常性バイアス」「クロスチェック」「さびしさは鳴る。」「車輪の再発明」「脱構築」「ダ・ヴィンチコード」
「MBTI診断」
「はいアウト~」
「アー」
「続けるね」
「うん」
「幸福に生きよ」「おい地獄さ行ぐんだで!」「トラトラトラ」「神はサイコロを振らない」「賽は投げられた」
「パクられた!」
「えへへ」
「来た、見た、勝った」「生きた、書いた、愛した」「連想ゲームじゃないんだぞ。汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」「スワンプマン」「寛容のパラドックス」「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」「エモい」「エモい!」「エモい!」
「今いちばんシャバいものは!」「僕ときみ」「もう一声!」
「メタ認知」
「私のことお嫁さんにしてください……」
無事に帰宅した。僕と美少女はフルベッキでカントでドビュッシーだ。神話だ。エモかった。
***
「今期のあのアニメ、どうだった?」
「ジェットコースター」
「1~3話は何点くらい?」
「80点くらいあった」
「4話以降は?」
「ゼロ♡ゼロ♡ゼロ♡」
僕は呵々大笑した。
「ねえどうしよう、あなたのこと好きすぎてやっぱり苦しい寂しい。ついに死んじゃう」
「では、僕の自慰行為をサポートするというのは、どうだろう」
「ねえ、あなたってそればっかり。エロスとアニメと人文学」
「しかし、しかし、僕から性欲を抜いてしまうと、きみが美少女でなくなってしまう」
「やだ! あなたにはかわいいって思ってもらいたい」
「その意気だ」
「しーこしこ♡」
「ああ! 終わりなき日常」
「え、山手線ゲーム?」
「エロスとタナトス」
「そればっかり!」
射精、射精、射精。
「おら、射精せ、死ねザコオス、私の心を狂わせる人、私に愛されて死んじゃえ、女の愛を恐れよ、この幸福を、この毒を恐れよ!」
「イクー」
***
巨大な死が墜落しているかもしれなかった。
「一緒に死んだら気持ちいいかな?」
「すごく、気持ちいいと思う」
「なんで?」
「だって、美少女、君のことが分かるかもしれないから」
「そうだね、私も、君のことが分かるかもしれないから」
「でも僕は死にたくないね」
「私も」
「生きないとな」
「ね、生きないとだ」
われわれの頭上には無数の星々が幾何学的に冴え冴えと赫奕している。あらゆる季節が到来していた。セカイはここに集約され、あらゆるはじまりはここにおいて懐胎されている。ここには文があった、あらゆるものの分節化以前の、マテリアルなわれわれが素朴に生きていた。僕と美少女は静謐を味わいながらの長いながい接吻をした。
「私のこと、分かってほしい」
「僕のこと、分かってほしい」
「それでね」
「うん」
「あなたのこと、知りたい」
「僕も」
「あなたのこと、私に教えて」
「うん」
さて、雰囲気が飛翔し、物語が胎動する。しかし、物語の懐胎は、われわれの解体なのだ。このように言い換えることができる――まさにこれから、始原の不幸がはじまろうとしている。空には星が瞬き、大地が広がり、森のなかをそよ風が吹きわたり、火が熾っては夜の闇を舐めはじめる。われわれはこの不幸のただなかにこの身を投げ入れる、まったき幸福を手放して、それとは別様の幸福を探す旅を始める。人となる。
「明日も大学だね」
「明日もバイトだ」
「死んだら大学行かなくていいかな?」
「でも、死ぬのはよそう」
「ね」
僕たちは接吻した。あらかじめ離れることが宿命づけられている愛撫であり、ふたたび出会うことのできる愛撫である。僕たちは離れる。唇が離れる。
「ね、生きよう」
「うん。そうだね」
僕はもういちど、美少女と接吻をしたいと考えはじめていた。